第三章 その7
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桐也が緊張しつつ校長室の扉を開けると、それほど広くはない部屋のなかに、すでに三人の大人が待ち構えていた。
そのうちふたりは桐也も見たことがある。
ひとりはよく知っているリクで、もうひとりは一、二度だけ校舎で見かけたことがある教師、ソフィア。
そして部屋の奥でじっと桐也を見つめている年老いた女性が、校長であるヨルバ・ディスレイル・セレスタにちがいない。
部屋に入るや否や三人の大人たちの視線に晒された桐也はとたんに姿勢を正し、たどたどしく頭を下げた。
「あの、ヌノシマ・キリヤです。呼び出されたって聞いたんですけど」
「あなたがキリヤくんですね」
奥に座ったヨルバがすっと目を細める。
それは鋭い視線で桐也を観察するというより、祖母が久しぶりに見る孫の成長をよろこぶような表情に見えた。
「授業の途中にすみません。さあ、座ってください」
「は、はあ、じゃ、失礼して……」
リクとソフィアがそれぞれ壁際に立っているところ、桐也だけ応接セットのソファに腰を下ろす。
ソファの座り心地はよかったが、居心地は最悪だった。
なにしろなぜ呼び出されたのもわからないまま、大人たちの空間に放り込まれたのである。
やっぱり召喚魔砲のことで怒られるんだろうか、それなら玲亜も怒られるはずだが、玲亜はもう呼び出されたあとなのかも、と考えていると、ヨルバがふと口元をゆるめて笑った。
「本当はもっと早く会うべきだったんですが、忙しさにかまけて放っておくような形になってすみませんでした。どうですか、ここの生活には慣れましたか?」
「は、はあ、結構慣れてきました。まわりのいいひとばっかりだし。座学は、相変わらずさっぱりですけど」
「もともと使っていた言葉がちがうのですから、それは仕方ないでしょう。魔砲のほうはどうです? あなたがもともといた世界には、魔砲は存在していなかったそうですが」
「魔砲も、結構見慣れてきました。自分では使えないけど、まわりはみんな使えるし。ま、おれはもともと剣道をやってたから、魔砲より自分の身体を動かすほうが得意ですけど」
「そうですか――苦労をしていなければよいのですが」
すこし心配そうにヨルバが目を細めたところで校長室の扉がノックされる。
桐也も振り返ってだれがきたのか見ていると、それは予想どおりというべきか、ふよふよと浮かんだ妖精王を連れた玲亜だった。
部屋に入ってきたとき、玲亜はさすがに不安そうな表情を浮かべていたが、桐也が先に待っていることに気づくとほっとしたように表情をゆるめ、桐也のとなりに落ち着く。
妖精王はふたりの頭上に浮かぶ形で部屋のなかを見回していた。
「授業中にすみませんでしたね、玲亜さん。ふたり揃ったので、改めて自己紹介を――はじめまして、校長のヨルバ・ディスレイル・セレスタです。ふたりとも、会うのははじめてですね。それに――妖精王さまも」
「うむ、会ったことはないが、しかしの、やけに堅苦しい空気だが」
「あら、そうですか? そんなつもりもなかったのですが――」
「とくに、そこの娘」
と妖精王がソフィアを見る。
「なかなか美しい娘だが、すこしも笑わぬのが玉に瑕。まるで刺をまとったような雰囲気をしておる」
「失礼いたしました、妖精王さま」
ソフィアはすこし頭は下げたものの、別段態度を変えるわけでもなく、
「こういう人間だと承知していただけると幸いですが」
「ふむ、ま、よかろう。そっちのメガネは、前にも会ったの」
「う、どうも、覚えていただいて恐縮です」
「すこしは儂に対する恐怖心はなくなったか?」
妖精王はからかうようにけらけらと笑う。
リクも引きつった笑みを返し、桐也はかわいそうにとリクに同情を禁じ得なかった。
「あの、それで、おれたちはなんで呼び出されたんでしょう?」
「そう、あなたたちにも関係があることですから、ぜひいっしょに話を聞こうと思って呼んだのです――妖精王さま、ひとつお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「ん、なんだ」
ヨルバはまっすぐ妖精王を見る。
その目つきはリクのような怯えもなく、警戒もなく、ごく自然で、それでいて一歩も退かない意思の強さを感じさせた――桐也はヨルバの印象を自分のなかで上書きする。
このひとは、ただのおばあさんじゃなさそうだ。
「妖精王さまは全知全能だといわれています。それはわれわれが勝手にそのように言っているだけなのでしょうか。それとも本当に、妖精王さまはなにもかもお知りになられているのでしょうか」
「全知全能の意味にもよる。儂の知らぬことなどいくらでもある。たとえばおまえたちが持っている携帯電話なるものも、儂は知らぬ。この部屋にあるもののうち、知っているのは家具の使い方くらいだ――要するに、おまえがなにを知りたいのか、ということだが」
ふむ、とヨルバはちいさく息をつく。
「それは失礼いたしました――妖精王さまを試すようなことをいたしました」
「よい。儂は、おまえのような頭のいい人間は好きだ」
「光栄です」
ヨルバは微笑んだが、その微笑みもまた、無意識のうちに自分は対等な存在だと相手に告げているような笑みだった。
これは一種の戦いなのだと桐也は思う。
しずかで、大人な、主導権の取り合い。
肉弾戦ならともかく、こういう戦いが苦手な桐也にはふたりのあいだに流れるなんともいえないひりつくような空気が恐ろしくて仕方なかった。
「私が知りたいことは、ひとつです。おそらく妖精王さまがおわかりになることだと思いますが――つい先日、この世界で時空魔砲を使った魔砲師がいました」
「ほう、時空魔砲――そうか、それで」
妖精王はちらりと玲亜を見下ろした。
「通りで儂が呼び出されるわけだ。儂を呼び出すために必要な媒介はただひとつ、〈この世に存在しないもの〉だからの――この娘は、この世界の住人ではなかったか」
「はい。しかし彼女たちは自分の意思とは関係なくこの世界へ連れてこられた、いわば被害者です。時空魔砲を使い、彼女たちをこの世界へ連れ込んだ犯人がいるのです。われわれはその犯人を追っているのですが、恥ずかしながら未だ手がかりはなにもありません。しかし妖精王さまなら時空魔砲を行った魔砲師についてなにか知ってらっしゃるのではないかと」
「ふむ――時空魔砲を使えるような人間がまだこの世界におるとはの。それほどの力を持つ魔砲師は、とっくに死に絶えたと思っておったが」
「私たちもそう思っていました。しかし、実際には才能を持った魔砲師がいたようです」
「あの」
玲亜がひょっこりと手を上げる。
このふたりのあいだに割って入るとはすごいやつだな、と桐也は一瞬玲亜を尊敬したが、すぐ、どうせこの敏感な空気の変化を感じ取れなかっただけだろうなあと思い直す。
「時空魔砲って、そんなにむずかしいの?」
「人間の魔砲師にはむずかしいだろう。時空魔砲はいわゆる非元素魔砲のひとつだからの」
「ひげんそまほー?」
「むう、最初から説明せねばならんか……魔砲には元素がある。これはわかるな」
「む、なんかばかにされた気分……わかるよ、それくらい。火とか、水とかでしょ?」
「そう、ふつう魔砲師はそうした元素を利用して魔砲を使うわけです」
ヨルバがあとを引き取り、ちらりとリクを見る。
「たとえば、あなたたちとこうして話ができているのは、リク先生がかけたトランスレータのおかげですね。言葉が通じるようにする魔砲はどんな元素の魔砲だと思いますか?」
「言葉が通じる魔砲……風、じゃないよね。火でも、土でも、水でもなさそうだし……」
「そう、そのどれでもない魔砲が非元素魔砲と呼ばれるものです。トランスレータの場合、使うのは元素ではなく、個々の体内にあるエレメンタリアと呼ばれる物質です。それを他人と同期させることで言葉が通じるようになるのです。まあ、言葉が通じるようになるというのは副産物的なもので、本当はイメージの共有や、遠く離れた場所から大勢の人間に意思を伝えたりするときに使っていたものなのですが――あなたが使った召喚魔砲も非元素魔砲のひとつです」
「そっか、だからどんな特性でも召喚魔砲が使えるんだ。でも、じゃあ、時空魔砲も簡単なんじゃないの? 召喚魔砲はあたしでもできたし、とらんすれーたっていうのはリク先生でもできたんでしょ?」
「彼はこう見えてもわが校の歴史のなかでもとても優秀な魔砲師なのですけれど」
とヨルバは笑い、続けて、
「非元素魔砲にも難易度があるのです。簡単なものもあれば、むずかしいものもある。時空魔砲は非元素魔砲のなかでもとくにむずかしい魔砲です――なにしろ、この世界に存在する四つの元素すべてを同時に操らなければならないのですから、並の魔砲師には、いえ、当代きっての天才と呼ばれる魔砲師でさえ、そんなことは不可能とされていました。たとえばソフィア先生はおそらく世界中を見ても一、二を争うほどの魔砲師ですが、同時に操ることができる元素は三つが限界です。四つの元素すべてを操ることはそれほどむずかしいのです」
「しかし四つの元素すべてを操ることができれば、原理的には、この世界のすべてを操ることができる」
妖精王はにやりと笑い、玲亜の頭に軽く手を置いた。
「レイア、おまえの身体も、その服も、このソファも、この空間すべてがもとを正せばたった四つの元素でできておるのだ。四つの元素を操ることができれば、おまえの身体を元素にまで分解することもできるし、まったく別の場所におまえと同じ身体を作り出すこともできる。まあ、おまえの場合はすこし特殊で、この世界のものではないから、そう簡単にはいかぬだろうがの。
この世界の長い歴史のなかで、四つの元素すべてを操れる魔砲師はたった三人しか出ておらぬ。そしていまは魔砲師の血がうすくなり、力も弱まった時代――そんな時代に時空魔砲を使える魔砲師がいるとはの」
「じゃあ、四つの元素を操れるって、なんでも作り出せるし、なんでも消せちゃうってこと? メロンパンが食べたいなーって思ったら目の前にメロンパンを作り出せたりもしちゃうの?」
「メロンパンでもなにパンでも作り出せる。なんならうまいパンを作る職人から元素を組み合わせて作り上げることができるわけだの」
「わお、すごい」
時空魔砲を使った魔砲師、つまり、桐也がもといた世界で戦ったあの男は、それだけとてつもない男だったということだ。
あの戦闘でさえあいつは本気ではなかったにちがいない――あの戦闘であの男ははじめから自分を殺すつもりがなかった、ただ戦意を喪失させることだけが目的だったんだから、と桐也は考え、いまさらながらよくなにも失わずにあの場面を切り抜けられたものだと思う。
あの場所なら、なにかを――玲亜を失ったとしても、おかしくはなかったのだ。
「話を戻しますが――」
とヨルバは言って、
「私たちは時空魔砲を使った魔砲師を追っています。妖精王さま、その魔砲師がどこのだれなのか、そしてどこにいるのかを教えていただけませんか。魔砲に関することであなたが知らないことはなにもないはずです」
「妖精王さんって、ただのエロいおねーさんじゃなかったんだ、やっぱり」
「ただのエロいおねーさんだと思ってたほうがびっくりだけど」
リクが小声で呟き、まったくだというようにソフィアがうなずく。
「妖精王といえば、そのとてつもない魔砲師と同じ力を持った存在なんだよ」
「同じ力って――四つの元素を同時に操れるってこと?」
「いかにも」
妖精王はそう言って、褒め称えてもよいぞ、と胸を張った。
たしかにすごい存在にはちがいないのだが、そのあとの態度がどうも子どもじみていていまいち信用しきれない桐也ではある。
「というよりも、儂はその元素そのものだからの。操る、操らぬという以前に、儂こそがその元素であり、四つの元素というのが儂のことなのだ」
「う、またよくわかんないこと言う……もっとわかりやすく言ってよー」
「むう、要するにだの、儂は世界を構成する四つの元素が意思を持った存在だということだ。ま、すこしちがうが、おまえに理解できるのはこれが精一杯だろう」
「とんでもないレベルの天才魔砲師が必死にやってやっと四つの元素を操れるところを、妖精王さまは昼寝をしながらでも同じように四つの元素を操れるってことさ」
リクが補足し、それで玲亜もようやく妖精王という存在の異次元さが理解できたらしく、自分の真上に浮遊している姿を見上げてはあと息をついた。
「それだけの力を持った妖精王さまなら、時空魔砲を使った魔砲師の痕跡をよりはっきりと捉えられるはずです。どうか私たちのためにその魔砲師を探っていただけませんか」
ヨルバの言葉に妖精王はふむとうなずき、たしかに、と続けた。
「儂ならばその魔砲師を捉えることができるだろう。魔砲は必ず妖精界に影響を与える。その影響を辿れば魔砲師自身に行き着くが――しかし、いまはそれができぬ」
「なぜです? 私たちに協力はできないということですか」
「協力する理由がない、ということでもある。その魔砲師がどうなろうと、儂には関係がない。そやつが妖精界を破壊しようとでも企んでいるのならことだが、そういうわけでもなかろう。ならばなぜ、妖精王の儂が、人間どもの願いを聞かねばならぬ」
それは、とヨルバが言葉に詰まる。
桐也は思わず頭上を仰いだ――そこにいるのが先ほどまでの人懐っこい妖精王と同じ存在なのか信じられない気持ちだった。
妖精王は澄ました顔でヨルバを見ている。
ヨルバははじめて悔しげに顔を歪めた。
自分の考えが甘かった、というように。
それを見てから、妖精王はにやりと笑って、言った。
「――と、まあ、本来であれば言うところだがの。いまはすこし事情がちがう」
「事情?」
「実を言えば、儂はいま、力のほとんどを封じられておる。封じたのは二百年ほど前のこしゃくな魔砲師だったが――そのせいで妖精界の痕跡を辿ることすらおぼつかぬ。レイアに呼び出されたのもそれが影響しておるのだろう。本来であれば小娘ひとりで呼び出せるような儂ではない――優秀な魔砲師を二千ほど連れてこなければならぬ。だから、おまえの望むようにはできぬ。そもそもいまの儂にそれだけの力はない」
「……では」
「だから、交換条件としよう」
妖精王は宙を漂いながら、それでもどこか尊大に言った。
「おまえたちは、儂の封印を解け。そうすれば儂が問題の魔砲師を探してやる。お互い、悪い条件ではないと思うがの」




