第三章 その3
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ユイは三人分の視線を背中からひしひしと感じつつ、本のページをめくった。
レンと玲亜が見つけた本は、たしかにいまでは使われていない古い文字で記されていて、それは王立フィラール魔砲師学校でも座学として習う字なのだが、一年であるレンにはまだわからず、そもそもいま使われている文字すらおぼつかない玲亜と桐也は言うまでもないということで、三年生の座学で常に学年一位の成績であるユイに白羽の矢が立った形だった。
「どう、ユイさん、なにかおもしろいこと書いてある?」
「おもしろかどうかはわかりませんけど……やっぱり、これ、召喚魔砲について記してある本ですよ」
「召喚まほー?」
テスト前になると席の取り合いになる机に向かい、ユイはさらにページをめくる。
残りの三人はそれを後ろから覗き込む格好だったが、やはり三人には紙面を見ても意味不明だった。
「召喚魔砲……ここではない世界に住んでいる妖精を召喚する魔砲のことです」
「よ、妖精を召喚? なんか一気に現実離れしてきたな」
「ずっと昔、まだ魔砲師がもっと強い力を持っていたころは一般的な魔砲だったそうですけど、いまは召喚魔砲を使える魔砲師もすくなくて……でも、簡単な召喚魔砲なら現代の魔砲師でも使えるひとはいますよ。リク先生とか、ソフィア先生とか」
「あの鬼畜眼鏡が?」
そういえば自分は五年で学校を卒業したと自慢していたっけ、と桐也は思い出し、レンと玲亜はソフィア先生という言葉を聞いてすこし姿勢を正す。
リクは三年の担当だが、ソフィアは一年の担当で、レンと玲亜に馴染みが深いのはソフィアのほうだった。
ソフィア・アルバーン。
かつて、学校はじまって以来の天才魔砲師と呼ばれた女性。
かつて――といってもソフィア自体まだ二十代半ばで、それほど昔の話ではないのだが、ソフィアに関する話はすでに学校のなかで半ば伝説を化していた。
どこまで本当かはわからないが、曰く、素質を測るペアリングがソフィアのあまりの能力に砕け散ったとか、本当は一年ほどで学校で習う全過程を学び終わったが、とくにやることもなくて暇だから五年残ったとか、入学して一ヶ月で上級魔法を自由自在に使いこなしていたとか――。
とにかく、破格の才能を持った魔砲師であることにはちがいない。
しかしそのソフィアは魔砲師としての力を活かして王宮に入ることもなく、そのまま学校に残り、いまでは一教員になっている――それもソフィアにまつわる伝説のひとつだった。
そんなソフィア・アルバーンがどのような人物かといえば、毎日会っているリクと玲亜の意見は一致していて、「怖い」の一言だった。
生徒に対して怒鳴ったり、常に苛立っていたり、というわけではない。
ただ、常に表情が読めない顔をしていて、なにも言わずに目の前に立っているだけで自動的に懺悔してしまいそうになるような怖さがソフィアにはあった。
とても冗談など通じそうにはないし、なにか余計なことを言おうものなら心臓を射抜くような睨みが飛んでくるのでは、と生徒たちはソフィアを恐れ、とにかくソフィアの言うことには逆らわないほうがいいという不文律ができているくらいだった。
「まあ、たしかに、ソフィア先生なら召喚魔砲くらい使えてもおかしくない気はするけど……」
と玲亜は腕を組む。
「なんか、悪魔とか、呼び出しそうだよね」
「おまえ、それ、ソフィア先生の前で言ってみろよ」
「や、やだよ、あたしまだ死にたくないもん」
「ともかく、この本にはそういう召喚魔砲について書いてあるってことなんだろ。それってつまり、どういう召喚魔砲があるかとか、そういうこと?」
「それもありますし、もっと詳しく、この妖精を召喚するにはどんな媒介が必要だとか、どんな妖精がいるのかとか、いろんなことが書いてあります――これを書いたひとは、きっとすごい魔砲師だったんでしょうね。召喚魔砲はすごくむずかしい魔砲なのに、こんなに詳しく書けるなんて」
ユイは驚きと尊敬をもってページをめくっていく。
「ねえ、その召喚魔砲って、あたしたちでも使えるのかな?」
「うーん、むずかしい魔砲なのは間違いありませんけど……でも、召喚魔砲には魔砲師の特性もとくに関係ありませんから、もしかしたら簡単な妖精なら呼び出せるかもしれませんよ。もちろん、失敗する確率のほうがずっと高いですけど」
「わっ、すごい! 妖精呼び出せるなんて、ほんとに魔法みたいだね。ね、それ、やってみようよ! ユイさん、妖精ってどんなのがいるの?」
「種類はたくさんいますよ。見た目もいろいろで――たとえば、陽妖精アルマはちいさな蜂のような外見の妖精だ、と書いてあります。呼び出すことは比較的容易だが、呼び出してもとくに使い道はない、ともありますけど」
「えー、そういうしょぼいやつはやだなあ。もっと強そうなやつ、ないの?」
「強そうっていわれても……そういう大きな妖精はきっと召喚するのも大変なんだと思います。必要な媒介が多かったり、入手がむずかしかったり」
「あのさ、さっきから気になってたんだけど、その媒介とか、妖精がいるここではない世界とかってどういうこと?」
と桐也が言った。
ユイは唇の下に指を当て、うーん、としばらく考えて、
「媒介というのは、召喚に必要な道具みたいなものです。召喚魔砲はほかの魔砲とちがって、自分のなかのエレメンタリアを使うだけじゃないんです。自分のなかのエレメンタリアだけで召喚するのはすごくむずかしくて、とても不可能なので、不足した分を特定のエレメンタリアを持っている媒介で代用する、ってイメージですね。この世界に存在するものはみんな、それぞれの特性を持ったエレメンタリアをふくんでいますから」
「ほ、ほほう、なるほどな、うむ」
「お兄ちゃん、わかってないでしょ」
「いや、わかってるよ。つまり、あれだろ、そういう……そ、それで、ここではない世界っていうのは?」
「えっと、それは、なんて説明すればいいのかわからないんですけど――」
ユイの後ろで玲亜が桐也の脇腹を突く。
桐也はすばやく玲亜の後ろに回りこんでその両腕をホールド、玲亜はぎゃっと声を上げる。
「セクハラ!」
「戦闘時はセーフだ」
「そんな独自ルール聞いたことないし! そもそもいま戦闘時じゃないし!」
「で、ユイ、説明をどうぞ」
「は、はあ……ここではない世界っていうのは、でも異世界とかそういうわけじゃなくて、わたしたちが認識できない世界のこと、でしょうか。同じ世界、同じ場所にいるんですけど、わたしたちには見えない妖精の世界が重ね合わされたように存在しているというか。たとえばエレメンツは直接目で見ることはできませんけど、存在はしてますよね。妖精もそれと同じで、目には見えないんですけど、この同じ世界に存在しているもので、それを召喚魔砲を使って可視化するんです」
「ふうん、なるほど。幽霊みたいなもんか」
「う、ま、まあ、そうですけど、その想像はちょっと嫌ですね……」
「とにかく、ユイさん、強そうなやつ探してよ。なんかこう、身長五十メートルくらいあるやつ」
「そ、そんな妖精、いるかなあ……」
しかし一応ページをめくって探してみるあたり、ユイもまじめだった。
うーん、うーん、と悩みつつページをめくること、約五分。
あ、とユイは声を上げ、本の最後のほうのページで手を止めた。
「これなんてどうですか――聖妖精フェンリル。外見はとても大きなイタチのようなもので、全身毛に覆われ、体長は人間をはるかに凌駕し、かつて伝説の魔砲師ルアもその背に乗って移動していたといわれる妖精」
「おお、かっこいい! それ、それにしようよ!」
「でも凶暴なんじゃないのか、そいつ」
「ちょっと待ってくださいね……性格は至って温厚で、人間によく懐き、主人に忠実で決して裏切ることがない、と書いてあります」
「いい、いいよ、かっこかわいい系じゃない?」
「そんな系聞いたことねえけど」
「とにかく、あたし、それがいい! それ召喚してみよっ」
「ああ、でも、レイアちゃん」
とユイはすこし残念そうに眉をひそめて、
「召喚に必要な媒介がむずかしそうですよ――いまでも比較的簡単に入手できそうなものを除いても、バラネラの葉を伝う朝露とか、ユークリッドの毛とか、いまじゃ手に入らないものがありますし」
「ばらねら? ゆーくりっど?」
首をかしげる玲亜に、そんなことも知らないのか、とレンはため息をつく。
「バラネラってのはとんでもなくでかい植物のことだよ」
「それ、珍しいの?」
「いまでも大陸の南のほうに行けばあるけど、このへんじゃまず見かけないな」
「うー、でもまだ生えてるならなんとかなるかも。で、ユークリッドっていうのは?」
「ユークリッドは数百年前までこの大陸に生息していた動物のことです。昔はたくさんいたそうですけど、毛皮を利用するために人間が手当たり次第に狩ってしまって、絶滅してしまったんです。人間が滅ぼした最初の動物とも言われていて」
「う、人間ってひどいね……でも、じゃあ、もうその毛は手に入らないってこと?」
「いまはもういないんだから、そうだろうな」
「えー、でもフェンリル召喚したいよー。ネズミの毛とかで代用できないかな?」
「さすがにネズミじゃ無理だろ。召喚できたとしても、たぶんネズミサイズだぜ」
ううむと全員が押し黙る。
たしかに聖妖精フェンリルは玲亜の好みに会う精霊のようだったし、そのわりにほかの妖精に比べれば媒介も手に入りやすいものではあったが、さすがに絶滅した動物の毛は手に入れようがない――このまま諦めるしかないか、と思ったとき、
「あれ、えらくお揃いで、なにしてるんだい?」
「あ、鬼畜眼鏡」
「その呼び方はやめてくれるかな……」
探しものでもしていたのか、手に何冊かの本を抱えたリク・ダルスキイだった。
ユイはとっさに本を閉じ、なんとなくごまかすように机に前のめりになる。
「キリヤくんも、外ならともかく、こんな知的な空間で会うなんてめずらしいね」
「……なんか引っかかる言い方だなあ」
「なにか探しものかい?」
「いや、その――」
派手な魔砲を試してみたくてそれにまつわる本を探していた、とはさすがに言えない。
うそが下手な桐也に代わり、玲亜が急いで、
「座学の勉強でユークリッドって生き物について調べてたんです。ここ、本が多いから、お兄ちゃんたちにも手伝ってもらって」
「へえ、そうか、感心感心。で、ユークリッドについてはなにかわかったかい?」
「人間ってひどいなって思いました」
「うーん、ちいさな子どもみたいな感想だけど、ま、うん、ともかくいろいろと感じて考えることが大事だからね。そういう、いろんなことに興味を持って調べるのはいいことだよ。魔砲師にはまず、なによりも好奇心と想像力がないとね――そうだ、ユークリッドについて調べているなら、校舎にいいものがあるよ」
「いいもの?」
「校舎一階の南側に応接室があるんだけど、その応接室にユークリッドの剥製標本があるんだよ。本で調べるのもいいけど、実際に実物を観察してみるとまた感じるものがあるはずだ。応接室の鍵は職員室にあるから、見てみるといい」
「剥製標本――ってことは、毛は、毛はありますか!?」
「け、毛? そりゃ、まあ、剥製だから、毛はあるだろうね」
「ってことは――」
玲亜とレンは顔を見合わせる。
標本でもなんでも、毛さえあれば、媒介に使うことはできる。
「あ、あの、先生、もしかして、ハバネロの木を知ってたりとかしません?」
「はばねろ?」
「レイア、ちがう、バラネラだ。バラネラの木」
「ああ、バラネラ――」
そういえば、とリクは視線を上げる。
「校長が、まだちいさいけど、バラネラの苗木をどこかからもらったって言ってたなあ。どこかに植えるところはないかって聞かれたから、バラネラは大きくなるし、敷地の西の端に植えたらどうですかって言ったけど。バラネラがどうかしたの?」
「い、いや、別に、なんにも。先生、ありがとうございました」
玲亜は満面の笑みで手を振る。
暗に、さっさと立ち去れ、という意味を込めていたのだが、それが通じたかどうか、リクはいったいなんだったんだろうと首をかしげつつ、四人のもとを離れて本棚の陰に消えた。
それを待って玲亜は振り返り、にっと笑った。
「ぐふふ、これぞまさに運命だよね。絶対、いけるよ――あたしたちでフェンリルちゃんを召喚しよう!」




