第三章 その1
魔砲世界の絶対剣士
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私はどこにもいて、どこにもいない。
ひとつの存在であり、無数の存在でもある。
さて、私はだれでしょう?
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意識を集中させる。
イメージ。
想像することがなによりも大切だと先生は言っていた。
どれだけ緻密に世界を想像することができるか。
はじめのうちは、それが魔砲師にとっていちばん大切なこと。
未来を想像する。
こんなふうになるはずだ、という状況を、できるだけ細かく、正確に想像していく。
そうすると現実がそれに追いつき、重なり、現象として現れる。
玲亜はかっと目を見開いた。
「――とうっ!」
「お、うまくいったんじゃないか」
両方の手のひらをぐっと正面に突き出した玲亜は、自分の前方二メートルほどのところに立っているレン、レニワード・インクイズの穿いているスカートを凝視していた。
制服のスカートで、チェック柄の膝丈。
その裾が、ふよふよ、とかすかにそよぎ、スカートのなかに空気が入って一瞬ふくらんだ。
しかし、それだけだった。
「ちっ、ぱんちらまではいかなかったか……!」
「なに目指してるんだおまえは! 魔砲の練習してたんだろっ」
「だって、楽しみがあったほうが練習も捗るかなって。最終的にぱんちらが見えるかもって思ったら練習にも熱が入るってもんでしょ」
「中二男子か! あと、それがやりたいなら自分のスカートでやれよ」
「ちょっと、レンちゃん、自分のぱんちら見て楽しいと思う?」
「う……お、思わない、けど。いやそもそもひとのパンチラ見ても楽しくはないし!」
こいつ、ほんとに大丈夫なのかな、とレンは腕組みをして首をかしげる。
玲亜もううむとうなり、自分の手のひらを見下ろした。
ここは王立フィラール魔砲師学校のなかにある、比較的ちいさめの演習場。
時間は放課後、周囲には玲亜とレンのほか、生徒はだれもいなかった。
そんなところでなにをしているのかといえば、ふたりは魔砲の練習をしているのである。
「でも、結構使えるようになってきたな。最初は五回に一回くらいしか成功しなかったけど、三回に一回くらいは成功するようになってきたし」
たしかに成長は見られている、と玲亜は自分でも思う。
ついこのあいだ魔砲の存在を知ったばかりと考えれば、これでも充分に急成長なのだろうが、でも、物足りなさを感じることも事実だった。
玲亜がイメージする魔砲は、スカートの裾をひらひらさせるだけのそよ風ではない。
扇風機の「微風」よりもさらに弱い、肌に触れるとちょっとくすぐったいくらいの風を生み出すだけでは、断じてない。
「どうせならぱんちらくらいはできるようになりたいなあ」
「こだわってんなあ、そこ……」
「だって、風の魔砲だよ? 風っていったらスカート、スカートっていったらぱんちら!」
「いやまず風っていったらスカートの時点でわかんないけど。おまえ、やっぱ変なやつだな。おまえの兄貴も変なやつだけど」
「お兄ちゃんといっしょにしないでよ! お兄ちゃんはあたしより二百倍変だから!」
「……かわいそうな兄貴だよなあ、あのひとも」
レンはこのあいだ一度だけ会った玲亜の兄、桐也を思い出す。
たしかに、まあ、変なやつではあった。
剣士だのなんだの言って、レンが会ったときも特訓と称して地面に鉄の棒を突き立て、その上で逆立ちしながら片手腕立て伏せをやっていた。
それに比べると、比較的玲亜はまともである。
剣士だのなんだの言わないし、鉄の棒の上で腕立て伏せもしないし。
まあ、ぱんちらとか、わけのわからないことは言うが。
黙っていれば男子からも人気が出そうなかわいい系なのにな、とレンは思い、それに対して自分は、とため息をつく。
「どうしたの、レンちゃん、ため息なんかついて。胸の悩みなら相談乗るよ?」
「悩みがピンポイントすぎる! 別にそんなこと悩んでないから!」
「ほんとに? ほんとに悩んでない?」
「……な、悩んでないし。胸とか、どうでもいいし」
「レンちゃん、こっち見ようよ。空見たって胸は大きくならないよ」
「うるせえうるせえ! 練習するならさっさとしろよ!」
「えー、だってさー」
玲亜はやる気をなくしたように芝生の上にばたりと寝転がった。
そしてごろごろと転がりはじめる。
「おい、パンチラパンチラ言ってるくせに、自分が見えそうなのは気にしないのか?」
「レンちゃんが見たいなら見てもいいよ?」
「見たくないし。全然見たくないし。はあ、なんか、おまえといたら疲れるよ」
「楽しすぎて?」
「前向きー」
ま、それが玲亜のいいところかもしれない、とレンは短い付き合いながらそう思うようになっている。
玲亜はいつだって元気だし、いつだって明るい。
たとえ雨の日でも「シャツから透ける下着って最高だよね」と歩いている女子生徒を凝視していたり、晴れて暑い日は「無防備にボタン外しちゃってる女子ってなんかエロいよね」とやはり女子生徒を凝視していたり、暑いからと靴下を脱いでいる女子を見て「生足ふー!」と騒いでいたり。
「……あれ。おかしいな、明るいっていうか、ただの変態……」
「なにが?」
「い、いや、別に、なんでも」
とにかく、まわりがどんなふうになっても前向きで明るいところは玲亜の武器にちがいない。
レンは玲亜と知り合ってまだ一月ほどしか経っていなかったが、フィギュアになって毎日いっしょにいると、それが強く実感できた。
レンは玲亜がごろごろと転がるそばに腰を下ろし、その背中についている芝生を取ってやる。
「子どもじゃないんだから、落ち着いて座れよ」
「うー……なんかさー、魔砲って結構地味だよね」
「派手なのもあるけどな。ま、おまえの場合、風だしな」
魔砲師には生まれ持った特性がある。
もし風の特性を持って生まれたなら、まず練習するのは風の魔砲である。
自分の特性以外の魔砲は一切使えないというわけではないが、特性の魔砲を思い通りに使えるようになって一流の魔砲師、ほかの特性まで使うとなったらさらにその上ということになるわけで、まだ魔砲を習いはじめたばかりのレンや玲亜には縁遠い話だった。
「やっぱ、火とかがよかったなー。見た目、派手だし。レンちゃんは?」
「んー、あたしは別になんでもいいけど。土も便利っちゃ便利だしな」
レンの属性は土。
レンはふと思いつき、芝生の地面に手のひらを押し当てた。
すっと意識を深みにはめる。
一瞬、まわりの音や景色が一切遮断され、魔砲にだけ意識が集中すると、次の瞬間にはレンの手のひらの土がもこもこと盛り上がりはじめた。
レンは玲亜よりすこし早く魔砲を習いはじめていたから、玲亜よりは魔砲に慣れている。
まあ、まだ成功率が百パーセントとはいかないし、できる魔砲もごくわずかではあるのだが、土人形を作ることくらいはいまのレンにもできた。
もこもこと盛り上がった土が、ひとりでに成形していく。
手足ができ、頭がぽこんと生え、そこに髪が、といってもかろうじてそうだとわかるくらいの造形ではあったが、生え、ひとつの土人形が完成。
「これ、おまえ」
「えー、あたし?」
「そっくりだ」
「似てないよー。あたしもっと足とかすらっとしてるもん」
「そこかよ。ま、そりゃそうだけど」
単なる人型の土人形だから、足も手も同じ太さだし、胴体も直線的である。
これがもっと手慣れた魔砲師になると、芸術家が作った彫刻のように等身大で瓜二つの土人形が作れたりもする。
まあ、そんなものを作ったところでなんの役にも立たないから、よほどの物好き以外はそんなことはしないだろうが。
レンはふと空を見上げ、くすんだ赤髪を掻き上げた。
空は青く、高い。
夏だから当たり前といえば当たり前だが、このところしばらく晴れが続いていた。
しかし今日は風がある。
すこし汗ばんだ首筋に風が当たると爽やかで気持ちがよかった。
いっそ水浴びでもしたい気分で、そういえばクラスの女子が今日プールに行くとかなんとか言っていたっけ、と思い出す。
王立フィラール魔砲師学校はいわゆる魔砲師養成のためのエリート校ではあるが、通っているのはごくふつうの若者たちである。
休日は遊びにも行くし、恋愛を楽しむ者もいる。
そのどちらもレンには興味がないことだったが。
となりで寝そべっている玲亜を見ると、レンが渡した土人形を手に持ち、それを空中で動かしながら「ぶーん」とか「わー危ない」とかひとりで楽しんでいた。
レンはうつ伏せになった玲亜のスカートの裾をさり気なく直してやり、いい休日といえばいい休日だよな、と思う。
「土も、たしかにいいよね」
玲亜はごろんと仰向けになった。
また太ももがあらわになるので、レンはさっと直してやりつつ、あたしは執事かなんかか、とすこし思う。
「形に残るし、わかりやすいし。そのへん、風ってほんとにただの風だから、なんにも残らないんだよね。まだぱんちらもできないし。それができれば風も使えるんだけどなあ」
「おまえのなかでのパンチラはランク高すぎだろ。それほど大したことじゃないよ、それ」
「ほんと? じゃ、レンちゃん、ぱんちら見せてくれんの?」
「う……そ、そういう意味じゃなくてだな」
「だっていま大したことないって言ったじゃん。ほら、大したことないなら、見せてよ。ぐへへ、自分でめくってさ」
「う、うるせえ、そんなことするか! オヤジか、おまえ。もしおまえが男なら確実に捕まるぞ」
「女だから大丈夫だもーん。あーあ、なんか、魔砲も大変なんだなー。もっと簡単にすごいのができるようになると思ったのに」
「素質はあるんだから、そのうちできるようになるだろ。風なら、空だって結構簡単に飛べるらしいぜ。強い風で自分の身体を浮かせればいいんだから」
「そうだけど、なんかもっとこう、ばーん! みたいな、どーん! みたいなのが使いたいよね、せっかくだし」
「ばーん、どーん、ねえ」
その気持ちはわからなくはないとレンも思う。
魔砲師を目指す者ならだれでも感じる気持ちだろう――もっと派手な魔砲を使ってみたい、というのは。
実際、在学中でも高学年になれば派手な魔砲も使えるようになる。
低学年の実技授業はいかにも地味だが、高学年のそれは見ているだけでも楽しいくらい派手だった。
早く自分もそんなふうに魔砲を使えるようになりたいと思いつつ、しかし魔砲に近道なしで、地道に魔砲の使い方を覚えていくほかない――のだが。
「そうだ!」
急に玲亜が起き上がり、目を輝かせる。
「ねえ、レンちゃん、上級生にさ、なんかすごい魔砲教えてもらおうよ! こう、どーん、ばーん、みたいなの!」
「そんなの、教えてくれる上級生なんかいないって。教えてくれたってあたしたちにはまだ無理だし」
「そんなのやってみなきゃわかんないじゃん」
「じゃ、だれかあてがあるのか? すごい魔砲を教えてくれそうな上級生なんて」
「うーん……ユイさんは、上級生だけど、まだ魔砲使えるようになったばっかりだしなあ」
「おまえの兄貴は?」
「あー、お兄ちゃんはだめだめ。魔砲全然使えないもん。素質ゼロ人間だから。ぱんちらもさせられないよ」
「おまえの兄貴がおまえと同じ行動取ってたら引くけどな。引くっていうか、捕まるけど。ほらな、教えてくれそうな上級生なんかいないだろ」
ううむ、と玲亜は考えこむ。
レンはその気もなしに芝生の上に寝転がった――玲亜ではないが、たしかにこれだけ天気がいいと芝生の上に寝転がるのも気持ちいい。
「ま、むずかしい魔砲ってだけなら、図書館行けばそのやり方くらいはわかるかもしれないけど――ふああ、眠たくなって――」
「それだよレンちゃん!」
「ふああ!? な、なんだよ、突然でかい声出すなよっ」
「まさにそれだよ、レンちゃんナイス!」
「だから、なにが?」
「図書館」
玲亜はレンの腕を掴むと、ぐいと引っ張って起こし、ぴっと西のほうを指さした。
「図書館行って、むずかしい魔砲のやり方を調べよ! で、やってみよう!」
「まず、図書館はそっちじゃなくてあっちだけどな」
無言で玲亜は指さす方向を変えた。
しかしそこへ行くという意思は変わらないらしく、レンは余計なこと言ったかなと頭を掻く。
しかしまあ、どうせ、むずかしい魔砲のやり方がわかったところで魔砲師見習いになりたての自分たちにできるはずがない。
試してみてできなければ玲亜も諦めるだろうと、レンはこの休日、玲亜に付き合ってやることに決め、仕方なく芝生から立ち上がった。




