第二章 その5
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信じがたきはキリヤの筋力だった。
武器を探してくる、といってどこかへ消えたキリヤだったが、戻ってきたときにはどこで見つけてきたのか、そういえば前も持っていた気がする鉄の棒を拾ってきていて、それで像を叩き壊すというのである。
「いや、あの、キリヤくん、たぶんそれ、無理だと思いますけど――」
キリヤの筋力がどうこう、というわけではない。
単純に、エレメンツで強化したものを人間の力だけで破壊するのは不可能に近い。
たとえば、先ほどとなりの組が水鉄砲のような魔砲で破壊しようとしていたのも、地面が深くえぐれるほどの威力なのである。
逆に言えばそれだけの威力がなければ破壊することは不可能で、ただの人間であるところのキリヤにそれは無理だろう――というのがユイの常識的判断だったのだが、そういう意味では、キリヤには常識というものはないらしい。
「なんでもやってみなくちゃわからん。ユイ、ちょっと離れて――よっしゃ、いくぞ」
キリヤは足を前後に開き、背筋をぴんと伸ばして、ゆっくり鉄の棒を振り上げる。
頭上高くまで振り上げたところで、ぴたりと静止。
ユイでは持ち上げることもできないほど重たい鉄の棒を握ってなお、その腕や身体はびくとも動かず、静止した姿はまるで一枚の絵のように様になっている。
「――はあっ!」
静止から一転、筋肉が躍動し、鉄の棒がぶんとすさまじい風切り音を立てて振り下ろされた。
「きゃっ――」
ユイは思わず目を閉じる。
鉄の棒は、ぎいん、と鈍い音を立てて像に命中したが、すぐキリヤが、む、と眉をひそめた。
重たい鉄の棒は、その自重に加えて猛烈な速度で振り下ろされ、たしかに像の中心を捉えていた。
しかし粘土でできた像は、まるで鉄製のように重たい音を立てて鉄の棒をはじき返したのである。
像を持ち上げて見てみれば、あれだけの速度で振り下ろしたにも関わらず、傷ひとつついていない。
ユイは、キリヤはがっかりするだろうな、なにが慰めなければ、と思ったが、キリヤの表情を見て驚いた――キリヤはいかにもうれしそうに、にやりと笑っていたのだ。
「ははあ、すごいな、魔砲って! これじゃびくともしないのか。結構、本気でやったんだけどな――」
「エレメンツの防御は強固ですから――硬く集中させたエレメンツなら、槍も銃弾も通しませんし」
「銃弾も? はは、すごいな」
「だからあの、これを壊すためには魔砲を――」
「よし、もう一回やってみよう。今度はさっきよりも本気でやる」
「いやだからその――」
こうなったら止まらないらしい。
爛々と輝くキリヤの目を見てそれを理解し、ユイはなにも言わず、そっと邪魔にならないように距離を取った。
キリヤはもう一度鉄の棒を振り上げる。
その様子を見ながら、いいチャンスだと思ったのになあ、とユイはちいさくため息をついた。
実技で魔砲を使わなければならないから、いままでやってこなかった〈血の契〉を行おう――と、これ以上ない自然な流れで、言えそうだったのに。
日常のなかで改まってそれを言うのはなんだか気恥ずかしいし――。
「今度こそ、叩き壊してやる――」
ふう、と腹から息を吐き出し、呼吸を整えたキリヤは、鋭い目つきで像を見た。
しずかな構えのなかにも緊張がみなぎる――腕や背中、全身の筋肉がぎりぎりと音を立てて引き絞られているようだった。
先ほども手を抜いてはいない。
今回は全力の、さらに全力。
「――ふうっ」
貯めこまれたエネルギーが爆発的に放出される。
ユイには、振り下ろされた鉄の棒の軌道がほとんど見えないほどだった。
キリヤの身体自体はほとんど動いていない。
ただ腕を振り抜いただけだったが、その見事な振り抜きといったら、武道の心得がない人間でも思わず見とれてしまうような美しさがある。
がつん、と、先ほどとは明らかにちがう音が響いた。
狙いが逸れたのかと思ったが、ちがう――キリヤが満足そうに腕を引くと、地面に倒れた像は、まるで刀で斬られたように、左右にぱっくりと分かれていた。
「お、壊れた。ふははは、いかに像が頑丈でもおれの剣には敵わなかったようだな!」
「……ほ、ほんとに壊しちゃった」
剣というか、鉄の棒ではあったが、たしかにキリヤはその筋力だけでエレメンツの防御を突破し、像を破壊したのである。
ユイは信じられないものを見るように壊れた像をじっと見下ろした――たしかに像は壊れていて、ということは、魔砲の出番などなかったということにもなる。
――せっかく、〈血の契〉ができるいい機会だったのに。
ユイは像が壊れたうれしさより魔砲を使えなかった残念のほうが先に立ち、なんとも複雑な表情を浮かべた。
ともかく、一応像は壊れたから、それをリクのもとへ持っていく。
リクは眼鏡をくいと上げ、壊れた像とキリヤとを見比べて、
「だいたいのことは見ていたけれど、えっと……うーん、まあ、一応像は壊れてるしなあ。魔砲は一切使ってないけど。なんていうか、力技だけでは壊れないように作ったはずなんだけどなあ……キリヤくんって、実は人間じゃなかったりするの?」
「いや……おれが知ってるかぎり、人間ですけど」
「どうも怪しい……ま、とりあえずふたりは達成ってことでいいよ。ただし次はちゃんと魔砲を使うこと。じゃないと魔砲の実技にならないから」
「はーい」
「じゃあ授業が終わるまでほかのみんなのを見学するように。しっかり考えながら見学すれば、いろいろヒントになることもあるはずだからね」
というわけで、キリヤとユイはなだらかな傾斜に腰を下ろし、ほかのクラスメイトたちが奮闘する様子を眺めた。
キリヤとユイのすぐあと、例の金髪の傲慢な美少女、フィアナとギイの組も達成したらしく、壊れた像をリクに返却したあと、なぜかきっとキリヤたちのほうをひと睨みして離れていった。
ほかの生徒たちはといえば、三者三様、いろいろな方法で像を破壊しようと試みている。
とりあえず火で焼きつくし、焦げて脆くなった像を力技で破壊したり、真っ向勝負、高い圧をかけた水の放出で破壊しようとしたり、見ていておもしろかったのは地の特性を持った魔砲師たちで、ある生徒は地面に置いた像を土のなかにもぞもぞと取り込み、そのまま強烈な圧力がかかる地下まで引っ張りこんで破壊しようとしていたり、ただ像を破壊するだけでもこれだけいろいろな方法があるのだと気づかされる。
「そういえば」
とキリヤはいまさらのようにユイを振り返り、
「ユイって、なんの魔砲師なんだっけ? その、特性?」
「わたしは火です――っていっても、まだ一度も魔砲を使ったことはありませんけど」
「火か、いいな、かっこいい。おれも魔砲師になるなら火がいいなあ……ま、おれ、剣士だから、魔砲とか別に、いらないけど。でもさ、炎の剣とか、憧れるよな」
「あはは、たしかにかっこいいですね」
「だろ、だろ。魔砲使えるようになったら一回やってみようぜ。おれの剣にユイが炎を宿してだな、悪をばっさばっさと叩き斬っていくんだ」
「……そんなふうに魔砲が使えたら、いいですよね」
「あ……で、でも、フィギュアが見つかったんだから、魔砲、使えるんだろ?」
「それが、魔砲を使うにはもうひとつしなきゃいけないことがあって――」
と言いかけたとき、運悪く授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
むう、とユイは鳴り出したチャイムに眉をひそめたが、仕方がない――授業が終わった時点で像を破壊できたのは全体の三分の二程度、残りは最後まで破壊できないまま、悔しそうに像を返却する。
「初級魔砲、エレメンツの特性に応じた現象を起こすことは魔砲の基本で、応用次第ではいろんなことができるものだから、むずかしい魔砲にばっかり目を向けるんじゃなくて、たまにはこうして初級魔砲を復習し、応用法を考えてみるのもいい訓練になるよ――それじゃ、全員教室に戻ってよし」
「はーい」
生徒たちが立ち上がり、演習場をあとにすると、像を入れた段ボールが再びひょっこり動き出し、リクのあとについてのそのそと歩き出した。
あんな、ものを生き物のように動かす魔砲もあるのか、とユイに聞くと、どうやらあれは風を利用した魔砲らしく、歩いているように見えるだけで実際は風を、あるいはそのエレメンツを使って移動させているだけらしい。
そういえば、リクには一度、まったく身動きも取れないほど拘束されたこともあったっけ、いまから考えてみればあれも風の魔砲だったんだろうとキリヤは思い出し、単純に風、炎といっても使い方次第でどうにでもなるんだなと感心した。
教室に戻るとすぐ、また座学が待ち受けている。
キリヤはわけのわからない歴史や幾何学を教えられながら、実技は楽しかったのになあ、とため息をついた――魔砲師になるのも、楽ではないのだ。
*
「つ、か……れた……」
「あ、お兄ちゃん、お帰り」
一日の授業を終え、寮の部屋に帰り着いたのは夕方すぎ。
あまりに座学が理解できていないからと、初日から居残り授業までさせられたせいで、肉体とは別に精神がすり減り、寮に帰り着いた桐也はもはや抜け殻のようになっていた。
桐也は制服も着替えず、そのまままっすぐベッドに飛び込む。
一方すでに帰っていた玲亜は、制服から部屋着に着替え、二段ベッドの上でなにやらノートを広げている。
「お兄ちゃん、緊張の転校初日はどうだった?」
と二段ベッドの上から顔を覗かせ、玲亜。
「いや、大変だった……もう、座学とか、やだ」
「あー、うん、大変だよねえ。あたしもいまちょうど勉強してるとこ……早くこっちの文字を覚えないと、教科書とかまったくわかんないもん」
「おまえ、勉強してんの? えらいなあ……おれはもう、諦めた」
「早っ」
「いいんだ、おれ、剣士だし」
「ばかな剣士は役に立たないと思うけど――ねえねえお兄ちゃん、聞いてよ、あたしにもね、フィギュアが見つかったの!」
へえ、とさすがに桐也も顔を上げ、
「よかったな、初日に見つかるなんて」
「うん、なんかね、かわいい女の子だった!」
「ほへー。おんなじ一年で?」
「そう。ユイさんみたいに、その子だけまだフィギュアが見つかってなかったんだって。でもなんか、ふしぎだよね、考えてみたら――だってさ、あたしたち、この世界の人間じゃないわけでしょ? でもフィギュアって世界にひとりしかいなくて、ユイさんとか、レンちゃん――あ、その子、レンちゃんっていうんだけどね――のフィギュアは、あたしたちで。もしあたしたちがこの世界にこなかったら、ユイさんとかレンちゃんはどうしてたのかな?」
「さあ――たしかに、ふしぎだよな」
別のだれかがフィギュアになっていたのか、それともフィギュアが現れないまま、魔砲師の道を諦めていたのか――。
「フィギュア探しに偶然はないんだって。みんな必然だってレンちゃんが言ってた。あたしたちが出会ったのも運命なんだねって」
「運命ねえ。そんな大層なもんかどうかはわからんけど――」
「あ、そうだ、お兄ちゃん、もうあれした?」
「あれ?」
「〈血の契〉ってやつ」
「ちのちぎり? なんだ、それ」
「あれ、ユイさんから聞かなかったんだ?」
桐也の頭上で、玲亜がにやりと笑った。
血のつながりはないとはいえ、孤児院で物心つく前からいっしょに育っているふたりである、もし桐也が玲亜の笑みを見ていればなにか企んでいることくらいはわかっただろうが、あいにく桐也は再びまくらに顔をうずめていて、玲亜の表情は見ていなかった。
だから、自分よりもいろいろ情報収集をしてきたらしい玲亜の言葉を、そっくりそのまま信じるしかなかったのである。
「なんかね、レンちゃんから教わったんだけど、魔砲師になるにはフィギュアを見つけるだけじゃだめなんだって。フィギュアを見つけて、そのフィギュアと、ちょっとした儀式をしないと魔砲を使えるようにならないらしいよ」
「へえ……そういえば、なんかユイがそんなことを言ってたような、言ってなかったような」
「で、その儀式っていうのが〈血の契〉なんだけど――ねえ、お兄ちゃん、それ、どんな儀式だと思う?」
「うーん、血の、っていうくらいだから、そりゃあ、なんかこう血みどろの、生贄の儀式みたいなやつ」
「ちがうよ、ぜんぜんちがう。もっとあまーいやつだよ」
「あまーい? なんだろうな――」
「それがね――」
玲亜はベッドから身を乗り出し、ささやくように言った。
「フィギュア同士で、キス、するんだって。そしたらはじめて魔砲が使えるようになるんだよ」




