第二章 その4
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フィギュア、という言葉には、ほんのわずかに色っぽさがふくまれている気がする。
もともとフィギュアというのは、相手、相棒、というくらいの意味でしかない。
魔砲を充分に使いこなすために必要な、相棒。
しかし魔砲師ならだれでも、あるいは魔砲師でなくても、フィギュアにそれ以上の意味を見出す人間は多い。
きっとそれは伝統が悪いのだとユイは思う。
伝統的に、異性同士のフィギュアの場合、フィギュア同士で結婚することが多い、なんてことがなかったら、そんな色っぽさは感じないだろう。
単なる仕事上の相手、というくらいの認識しかないはずなのに――そういう事実を知っている以上、なんとなく、意識の片隅に桃色の靄がかかってしまうのはどうしようもなかった。
ユイはちらりと桐也を見る。
桐也は、おそらくフィギュア同士で結婚する魔砲師が多いことも知らないだろう。
そもそもまたユイと桐也はフィギュア同士に必要不可欠な「血の契」を済ませていないのである――。
「今日の実技は単純だ。えー、ここにちょっとした像がある」
リクは自走式段ボールのなかから、手のひらに乗るくらいのちいさな像をひょいとひとつ取り上げた。
おぼろげな人型の、幼稚園児が作ったようないびつな像だった。
「この像はぼくが作ったんだけれど、単なる粘土で作った像じゃない。エレメンツによって衝撃耐性を強化した像だ。だから、こうやって地面に投げつけたりする程度じゃ――ごらんのとおり、まったくヒビも入らない」
「先生、それはヒトデの像ですか?」
「人型の像です。きみ、内申下げるから」
「ひどいっ」
「ともかく、ちょっとやそっとじゃ壊れないようにしたこの像を、どんな手段でもいいから破壊する――それが今日の実技内容だ。もちろん、各々どんなふうに魔砲を使っても結構。とにかくこの像を破壊すればいい。しかし初級以上の魔砲を使うことは禁止する。基本的なことでも工夫次第でとても役立つってことを学んでもらいたいからね。ってことで、一組にひとつずつ像があるから、ここまで取りにきてくれるかい」
生徒たちがぞろぞろと段ボールに集まり、その、ヒトデかヒトかわからない、五つの突起を備えた像を回収していく。
桐也もその像を受け取りに行き、その際ちらりと段ボールも見たのだが、段ボールには車輪などもついておらず、どこにでもあるようなふつうの段ボールで、やっぱり魔砲というのはすごいものだと感じる。
「この像を破壊する、か――」
桐也は像を手のひらに乗せ、ううむとうなった。
「どんな方法でもいいんだよな。見た感じ、ふつうの粘土でできた像っぽいけど、なんだっけ、えれ、えれ……」
「エレメンツ」
とユイ。
「この世界を構成する四元素のことです」
「それを使って強化してある……のか?」
「エレメンツというのは、いうなれば空気中にある細かい塵のようなものなんです。その塵を利用して炎や水を生み出すこともできるんですけど、その塵自体を操り、ある物体の表面に貼り付けたり、形を変えて具現化させたりして使うこともできて」
「ふうん……いや、よくわかってないけど。要するに、像の表面になんかがコーティングされてるってことだな、うん」
それにしても変な形の像だ、ひとのことは言えないが、あの先生にはよっぽど造形の心得がないらしい、と桐也が手のひらに載せた像を観察していると、そのすぐ後ろで、どん、と強い衝撃音が響いた。
「わっ、なんだ?」
「ち、外したか」
振り返れば、ほかの生徒たちはもう像を壊すための魔砲に入っているらしい――桐也たちの後ろでは男子生徒と女子生徒の組がなにやらやっている。
見ていると、すこし離れたところに像を置き、そこを目がけて男子生徒のほうが手のひらを突き出していた。
「むむ――いでよ、水の槍!」
「おおっ、すげえ!」
男子生徒の手のひらから、まるで銃から打ち出されたように細くなった水の槍のようなものが飛び出す。
それは轟音を立てて像に命中したように見えたが、実際はほんのすこしずれていたらしく、芝生の斜面がごっそりとえぐれた横に像が倒れている――外れたにせよ、その威力たるやすさまじいものがあった。
見れば、ほかの生徒たちも各々に魔砲を放っている――すこし離れたところからは人間の背丈以上の炎が上がり、別のところでは大きな水しぶきが上がっていた。
学校の生徒とはいえ、彼らはみな、魔砲師なのだ――それを実感し、桐也はぞくりとふるえる。
恐怖ではない。
武者震いだった。
そうやってすさまじい力を発揮している他人を見ると、自分もじっとしてはいられなくなる。
「うおお、やる気出てきた――よし、こいつをなんとか破壊すればいいんだな」
「あの、キリヤくん――」
「ユイ、ちょっと待っててくれ。武器を調達してくるから」
「え、ぶ、武器? でもこれ一応魔砲の授業……う、行っちゃった」
基本的にひとの話とか聞かないひとだから、と玲亜が桐也を論じていたことを思い出し、たしかに、とひとり残されたユイは苦笑いする。
しかし、それにしても。
どこかへ走り去った桐也に説明しなければならないことがまだひとつ残っている。
別段変わった話ではなく、魔砲師なら当たり前のことではあるのだが、なんとなく、改まって切り出すのが気恥ずかしくて、フィギュアになってから約一週間、切り出せずにいたのだが――桐也が帰ってきたらその話をしなければ、とユイは思い、ほんのり赤くなった頬を押さえ、かすかに首を振った。
「うう、なんで恥ずかしいんでしょう、別にへんなことじゃないのに……」
*
うふふ、案の定、あいつらは戸惑ってるみたいね。
フィアナ・グルランス・アイオーンは、すこし離れたところに陣取っているユイ・キリヤ組をちらりと横目でうかがい、よしよし、と悪い笑みを浮かべた。
やつらは卑怯な方法でクラスの話題を独り占めしているが、結局、実力がそれに伴わないのではどうしようもない。
ユイの素質の高さはフィアナも認めているが、なんといってもユイはこの三年間、フィギュアが見つからなかったせいで一度も魔砲を使ったことはないのである。
いかに素質が高くても、ぶっつけ本番でできるほど魔砲は容易くない。
要するに、この実技をいちばんはじめに突破し、やっぱりすごいやつだ、やっぱりとんでもない美少女だな、とうわさされるのは、このフィアナ・グルランス・アイオーン以外にないのである。
「……結構かわいい像。壊すの、もったいないね」
ギイは手のひらに不格好な像を乗せ、ぽつりとつぶやく。
「はあ? それのどこがかわいいの? ただただ卑猥で気持ち悪い造形じゃない」
「……このちょっと気持ち悪い感が、かわいい」
「あんたの好みはよくわかんないけど……とにかく、さっさとこれを壊すわよ。で、クラス全員にあたしの実力を見せてつけてやるのよ、おーっほっほ!」
「……フィアナが優秀なのはみんな知ってると思うけど」
「もっとよ! もっと見せつけるのよ。転校生とユイの話題が吹っ飛ぶくらいにばっちり見せつけてやらなくちゃ――いい、ギイ、やるわよ」
「うん……もうどうやって壊すか決めたの? わたし、やる?」
「あんたは黙ってそこで見てなさい。こんなの、私ひとりで余裕よ」
ふん、見ているがいいわ、とフィアナはギイから像を受け取ってユイたちのほうを見たが、なぜかそこに立っているのはユイひとりで、くだんの転校生、キリヤの姿はどこにも見えない。
せっかくこのフィアナ・グルランス・アイオーンの勇姿を見せつけてやろうと思ったのに、いったいあの転校生はどこへ行っているのだ、やっぱり気に食わない、と思いつつ、フィアナは手のひらの像を見下ろした。
どことなく卑猥な形状のちいさな像で、試しに思いきり憎しみを込めて地面に投げつけてみたが、さすがに魔砲がかかっているだけあってびくともしなかった。
これを破壊するだけなら、それほどむずかしくはない――この像にかかっている魔砲を、要するにエレメンツの防御壁を取り除けばいい。
フィアナは、リクと同じく風の特性を持つ魔砲師だった。
リクが作った像なら、使ったエレメンツは風だろう。
同じ風の魔砲師であるフィアナならそれを解除できる――が、エレメンツを直接扱うのは中級以上の魔砲のため、この実技では使えない。
もっと簡単な魔砲で、工夫をして破壊しろ、ということだ。
まわりを見るかぎり、ほかのクラスメイトたちはそれなりに苦戦しているらしい。
しかしこの天才、フィアナ・グルランス・アイオーンにかかれば、こんなもの、朝飯前どころか前日の昼飯前くらい簡単だった。
「とにかく、エレメンツの防御を上回る衝撃を与えればいいわけでしょ」
「初級魔砲でそれだけの衝撃……ちょっと、むずかしい」
「なんてことないわ。私が一発で決めてやるわよ」
炎や水、土に比べ、風は直接的な打撃には向かない特性ではある。
しかし風をうまく利用すれば、ほかのエレメンツなど足元に及ばない衝撃を与えることもできる。
「このくらい――〈血の契〉をするまでもない」
フィアナは、頭上高くにぽんと像を放り投げた。
同時に魔砲を発動させる――風が、フィアナを中心にふわりと渦巻いた。
縦ロールの金髪が舞い上がる。
フィアナはその心地よい風を感じながら、頭上から落ちてくる像を、風で受け止めた。
「フィアナ、フィアナ」
「なによ、いまいいとこ――」
「スカート、風でめくれてパンツ丸見え」
「きゃあっ――そ、そういうことは早く言いなさいよっ!」
風をすこし抑え、さらにある一箇所に集中させる。
フィアナの目の前に、ごくちいさな竜巻のようなものが生まれ、ちいさな像はその竜巻の上部で風にあおられてふらふらと揺れていた――と思うと、竜巻が弾け、すさまじい上昇気流に変化、ちいさな像は上昇気流に巻き上げられてまたたく間に空の彼方へ飛んでいく。
フィアナはちいさな像が青空に吸い込まれていくのを見上げた。
できるかぎり上まで打ち上げ、同時に下向きの風を発生させて地面に叩きつければ――その負荷は何百キロにもなるだろう。
さすがにそれだけの衝撃には耐えられまい、これでこの実技の一位通過は間違いなし、とフィアナは自信たっぷりに――といってもいつも自信たっぷりなのだが――笑みを浮かべ、どうだ、といわんがばかりにユイ・キリヤ組を振り返った。
そして、愕然とする。
「お、壊れた。ふははは、いかに像が頑丈でもおれの剣には敵わなかったようだな!」
「……ほ、ほんとに壊しちゃった」
「な、なな――」
なにが起こったのかはわからない。
しかし振り返った先、ユイ・キリヤ組はなにか魔砲を使ったようには見えないのに、キリヤが持っている像はぱっくりと一刀両断されている。
そしてキリヤの手には、どこから持ってきたのか、かなり重量がありそうな鉄製の棒。
「ま、まさか、あれで叩き壊したの? そ、それ、魔砲なの?」
「……魔砲じゃないと思う」
ユイが驚いた顔をしているということは、キリヤがひとりでそれをやったにちがいない。
おそらくキリヤは、ちょっとやそっとの衝撃で壊れないなら、もっと強い衝撃で叩けば壊れる、という、至極単純な思考をしたのだろう。
なんという――なんという、脳みそ筋肉な思考なのか。
そして、なぜそれを実行してしまえるのか。
まわりのクラスメイトたちもユイ・キリヤ組が像を破壊したことに気づき、おお、と歓声を上げる。
「すげえ、もう壊したのか。さすが、素質ナンバーワンだな」
「ユイちゃん、魔砲使ったことないのに、すごいわねえ」
「あの転校生もなかなかやるらしいぜ」
「どんな魔砲を使ったんだ?」
「さあ、そこは見てなかったけど――」
「ぐ、ぐぬぬぬ……!」
クラスメイトたちの賞賛を浴びながら、ユイ・キリヤ組は壊れた像をリクに提出する。
リクもちょっと困った顔をしていたが、まあ、たしかに壊れていることは事実だし、どうも授業の目的とはちがったが、予備の像もないことだし、これはこれで達成とするほかないらしかった。
クラスメイトから再び拍手が上がる。
いやあ、と照れた顔のユイ・キリヤ組――ぐぬぬ、と唇を噛むフィアナの後ろで、どさりと音を立てて上空高くまで上がっていた像が落ちてくる。
像はちょうど半分に壊れていたが、もちろん、すべてが遅いのだった。




