第二章 その3
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王立フィラール魔砲師学校の授業は、大きく分けて座学と実技のふたつがある。
座学とはすなわち勉学であり、魔砲にかぎらず、歴史や幾何学など一般的な学校と同じことを学ぶ。
一方実技は王立フィラール魔砲師学校独自のもので、実際に魔砲を使って行われる様々な練習、訓練になっていた。
王立フィラール魔砲師学校の生徒は朝から夕方まで、みっちりその授業を受ける。
基本的には座学と実技、どちらも成績がよくなければ進級することはできず、あまりに成績が悪い者は降格さえあるため、生徒たちにとっては毎日の授業が気を抜けない試験のようなものだった。
――しかしときには、その授業に気が入らないこともあるらしい。
三十人あまりの生徒がずらりと並ぶ教室のなか。
いまは地学の授業中で、黒板の前には教師がひとり立ち、教科書片手に滔々と授業を繰り広げていた。
普段なら生徒たちはまじめな顔で話に耳を傾け、ノートを取り、しっかり自分で理解するように考えているのだが、今日ばかりはその意識が完全に授業ではないところへ向けられていた。
無論、教室後方の、ユイとキリヤが並んで座っている席である。
前のほうの席に座っている生徒たちは、さすがに露骨に振り返ることはできなかったが、明らかに耳をそばだて、あるいは背中でその気配をすこしでも感じ取ろうとしていた。
ユイたちの席に近い者になると、もはや教師よりもユイたちを見ている時間のほうが長い。
クラスの魔砲師見習いたちはみんな、地学の授業よりユイと転校生に興味津々なのである。
それも無理はない――クラス全員がいままでユイにフィギュアが現れなかったことを知っていた。
素質はあり、本人もできるかぎりの努力をし、それでもフィギュアが現れないばかりに魔砲師としての第一歩も踏み出せていない優等生――クラスメイトは全員、ユイにそうした印象を持っていた。
いかに魔砲師としての第一歩を踏み出せなくても、ユイを見下したり、悪い印象を持っている生徒は――とある例外を除けば――ひとりもいない。
それはクラスにいる全員がユイの努力を、ほとんど痛ましいほど前向きにがんばっている様子を知っているせいだった。
座学では常に成績トップ。
実技のときは、自分は参加できないのにしっかり授業には出席し、用具運びを手伝ったり、授業を観察して自分なりに魔砲の使い方を理解しようとしていたりで、そんな姿を見ているとユイのことを嫌えるはずがなかった。
――ただ、フィギュアさえ現れれば。
ユイも、そして周囲も、それを強く望んでいた。
あれだけがんばっているのだから、フィギュアが現れればいいのに――と、全員が望んでいたところに現れたのが、くだんの転校生、ヌノシマ・キリヤだったのである。
それはもちろん、クラス全員が気にする。
あのユイの、三年間も待ち焦がれていたフィギュアとは、いったいどんな相手なのか。
ヌノシマ・キリヤ。
種族は人間。
背がすこし高く、体つきはがっちりしている。
それ以外の身体的特徴はとくになし。
まあ、平凡といえば平凡そうではある。
頭の出来のほうはどうか、というと、今日行われている授業を見るかぎり、すくなくともユイに釣り合うほどではないようだった。
というより、行われている授業のことはなにも理解できていないらしく、常にユイがとなりにつき、ノートになにか書いてやりながら解説し、ようやくその一端を理解する、という状況だった。
――あれがユイのフィギュアか。
三年間待ち望んだ相手にしてはすこしかわいそうだと、クラスメイトたちは他人事なからつい同情してしまう。
あのユイのフィギュアなのだから、もっと優秀な魔砲師なのかと思っていたのに、と。
もちろん、本人たちはまわりにそんなふうに思われているとは知らず、桐也は桐也でできるだけ授業を理解しようとしていたし、ユイは桐也がこの世界にやってきた事情を知っているから、たとえ授業の内容がすこしも理解できていなくても、それは桐也の頭の出来とは無関係だとわかっていた。
それはつい一週間前にこの世界へやってきたばかりなのだから、歴史や地学がまったく理解できなくても当然なのだ。
「はー、魔砲師の養成学校っていうから、もっとこう、魔砲のこととかやるのかと思ったら、がっつり勉強なんだな」
授業と授業の合間、桐也は椅子の背もたれに体重をかけながら、疲れきったように息をついた。
となりに座るユイはかすかに笑いながら教科書やノートを片付ける。
「魔砲師は、魔砲が使えればそれでいいってわけじゃありませんから。一流の職業だからこそ、常識もないと」
「大変なんだな、魔砲師って。おれには到底無理だよ。ま、そもそも素質ゼロだけど」
「いまはまだ文字も読めないから大変かもしれませんけど、慣れれば平気ですよ。毎日やっていれば自然とわかるようになりますし」
「まず毎日やるっていうのがなあ……元の高校でも授業時間は結構寝てたし」
それかわざと椅子から腰を浮かせ、足腰を鍛えていたり。
どちらにしてもまともに授業を受けた記憶がほとんどないことを思うと、よほど授業のことは考えていなかったんだな、といまさらのように桐也は気づく。
まあ、そんな余裕がなかった、というのも事実ではある。
桐也と玲亜は、幼いころからずっと孤児院で暮らしていた。
孤児院へ入れる生活費と学費は自分で稼ぐほかなく、放課後のほとんどはアルバイトだったし、そうでないときは剣道の練習があったから、まじめに授業を受けるだけの時間も余裕もなかったのだ。
それに比べるとここの生活は居心地がいいと桐也は思う。
生活費の心配することはないし、学校が終われば好きなだけ鍛錬できるわけで、まるで理想的な環境だった。
もちろん、魔砲師というエリートを目指す学校なのだから、ほかの学校に比べるといろいろ厳しい面もあるのだろう。
魔砲師のことはまだなにも知らない桐也には、そのあたりのことはよくわからなかったが――。
考えてみれば、このクラスにいる人間も、ユイも、みんな世間的にはエリートの一員なのである。
そう考えるとたしかに頭がよさそうな人間が多い、と桐也は思うが、それ以上にこのクラスには多種多様な人間が揃っていた。
まずそもそも、人種が多い。
ユイのように猫のような耳が頭からぴょんと伸びている生徒がほかに二、三人いるし、肌や髪の色もいろいろで、まるで世界中からいろんな人間のサンプルを一箇所に集めたような状況だった。
桐也と同じ、地球で言うところのアジア人ふうの生徒もいれば、明らかに西洋風の、金髪碧眼という生徒もいる――そのなかでいちばん目立つのは、授業がはじまる前にも話しかけてきた、フィアナという女子生徒だろう。
彼女は見るからに西洋系、それも北欧のほうの印象に似ていて、肌は透明かと思うくらい白く、金髪はそれ自体が輝いているように見えるほど明るかったし、青い瞳は空のように澄みきっていた。
かと思えば、彼女の後ろに控えていた女子生徒、結局自己紹介もしなかったが、その少女はフィアナとは反対で浅黒い肌をしていて、女子にしては身長が異様に高く、桐也よりも十センチ近く高い、一八〇センチを超えていた。
どうやらこの世界は、地球よりもはるかにいろんな人種がいるらしい。
まあ、頭にぴょこんと耳を生やした種族がいるくらいだから、肌の色くらいはまったく問題でもなんでもないのだろうが。
「……なんか、いまでも夢見てる気分になるよ」
「夢、ですか?」
ユイは小首をかしげ、桐也の顔を覗き込んだ。
「目が覚めたらもとの世界にいるんじゃないかってさ。――いや、悪い意味じゃなくて、もともといた場所とここがちがいすぎて、まだ実感が沸かないっていうか」
「……たしかに、そうかもしれませんね。でも、大丈夫ですよ、きっとすぐに慣れますから。この学校にも、ほかのひとたちにも」
「なら、いいけど――」
休み時間が終わったのか、地学とは別の教師、担任の眼鏡教師、リクががらりと教室に入ってくる。
それに合わせ、生徒たちは席に着くのではなく、むしろ反対に立ち上がりはじめた。
「なんだ……?」
「次の授業は、実技ですから」
とユイも立ち上がり、椅子を机のなかに入れる。
「外に移動するんです。さ、行きましょ」
「あ、ああ」
桐也はユイに腕を引っ張られて立ち上がり、授業のこともよくわからないまま、ほかの生徒たちにそろって教室を出た。
*
王立フィラール魔砲師学校の敷地内にはいくつか演習場がある。
開かれた校庭のような演習場のほか、壁に囲まれた演習場もあり、この日三年生が使ったのは緩やかな坂になった演習場だった。
「座学は勉強だとして、実技って具体的にはなにをするんだ?」
芝生になった傾斜に腰を下ろした桐也が聞くと、ユイもそのとなりにゆっくり腰を下ろしながら、
「実技は実際に魔砲を使って授業をするんです。簡単な魔砲の復習をするときもありますし、すこしむずかしい魔砲を習うこともあるんですけど――でも、わたしも実技に参加するのはこれがはじめてなんです。いままではフィギュアがいなかったから……」
「ああ、そっか――魔砲の実技、ねえ。素質なしのおれにはあんまり関係ない気もするけど」
どうやら素質なしの判定がやはり引っかかっているらしい桐也だった。
生徒たちがぞろぞろと演習場に移動する後ろからリクもゆっくりと歩いてついてくる。
桐也は何気なくそれを眺めていたが、ふとおかしなことに気づき、腰を上げた。
「んー……? なんだ、あれ」
「ああ、あれは、先生の魔砲ですよ」
手ぶらで歩いているリクの後ろ、二、三メートルのところを、段ボールがふらふらと揺れながらひとりでに移動しているのである。
大の男でも抱えるのが大変そうな大きな段ボールが、右へふらふら、左へふらふらしながらも、きっちりリクの後ろについて進んでいる。
目をこらしても紐で引っ張っているわけでもないし、別のだれかが運んでいるわけでもなく、段ボールが自走している様子は魔砲に慣れていない桐也にはいかにも異様だった。
「ははあ、魔砲ってあんなこともできるのか」
「あれは魔砲のなかでもむずかしいほうですけど、簡単な魔砲でも使い方次第でいろいろ役に立ちますよ」
ユイは目を細め、どこかうれしそうな表情で続ける。
「魔砲は、万能じゃないんです。たとえば、直接空を飛ぶ魔砲、なんてものはないんです。でも風を利用して、あるいは別の元素を利用して空を飛ぶことはできる。魔砲は自然の力を操るものですから、どんなふうに、なんのためにそれを使うかは魔砲師次第なんです――な、なんですか? わたし、おかしなこと言ってます?」
「いやいや、そういうことじゃなくて――ただ、なんだかうれしそうだな、って」
「う……」
すこし赤らんだ頬をうつむいて隠しながら、ユイはちいさくうなずいた。
「いままで実技は見ていることしかできませんでしたけど、今日からは自分も参加できるんだって思ったらうれしくなっちゃって……ごめんなさい、キリヤくんは好きでここにいるわけじゃないのに」
「なんのなんの。おれで役に立つなら、いくらでも役立ててよ。魔砲師の素質はゼロだけど、剣には自信あるし」
生徒たちの後ろからリクが演習場にたどり着き、その後ろをついてきていた段ボールもリクが立ち止まるとその場にどさりと落ち着いた。
リクは各々好きな場所に座った生徒たちを見回し、声を張り上げる。
「えー、今日の実技は基本魔砲の応用になります。本当ならこのまま授業をはじめるんだけど、今日は初参加もいるから、事前にちょっとした説明を――まず、魔砲の基本だ」
それは自分に向けられた授業なのだとわかったから、桐也はまじめな顔でリクの言葉に耳をかたむける。
「魔砲というのは、この世界を構成している四つの元素を操る力だ。魔砲師はそれぞれ、火、風、水、土の特性を持ってる。基本的には自分の特性に対応した元素を操るわけで、単純に現象としてそれを起こすのが基本、初級の魔砲ってことになる。具体的にいえば、そうだなあ、火の特性なら、任意の場所に炎を熾すことができれば、初級の魔砲はクリアだ。その先に進むには炎を熾すだけじゃなく、火の元素、火のエレメンツを、炎とは別の形状に変化させて使用する必要がある――これはまあ、理解するのはむずかしいかもしれないから、いまはいいとして。今回使う基本魔砲は、それぞれのエレメンツに対応した現象を起こす、ということだね。それだけ理解できていれば充分だ」
わかったような、わからないような、そもそもなにもないところに炎を熾せることが初級といわれること自体桐也にはふしぎではあった。
魔砲は万能ではない、とユイは言ったが、魔砲を使えない桐也には、それはまさしく万能の力に見えたのである。
ともかく、リクは桐也が理解しただろうということにして、生徒全員に言う。
「それじゃあ、今日の実技をはじめる――全員、フィギュアとふたり一組になるように」




