第二章 その1
魔砲世界の絶対剣士
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ずっと古い時代、世界の中心はどこにあるのか、という議論が知識人のあいだで行われたことがあるらしい。
ちょうど、この世界はどうやら丸いらしい、ということがおぼろげにわかりはじめた時代だ。
世界が平坦なら話は早い。
世界の端から考え、中心を見つけ出すことは幾何学的にも大してむずかしくはない。
しかし世界が丸いというなら、つまりまっすぐ歩き続けても果てにはたどり着かず同じ場所へ帰ってくるだけというなら、世界の中心はどこなのか、幾何学的に考えることはとたんにむずかしくなる。
そこで知識人たちはあれこれと議論を重ね、無駄な仮説を山のように立て、結果、世界の中心などというものは存在しない、いうなれば形而上の一点に過ぎない、と結論づけたのである。
無論、その結論は間違えている。
言うまでもなく、世界の中心はたしかに存在している。
世界の中心とは、すなわち「私」のことなのだから。
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「あー、本日はお日柄もよく、お足元が悪いなかお集まりいただき……いや、なんかおかしいぞ。そもそも集まってもらったわけじゃないし、どっちかっていうとおれが乗り込んでいくわけで――あー、ごほん。本日はお日柄もよく――」
「お兄ちゃん、さっきから鏡に向かってなに言ってんの?」
冷え冷えとした視線を感じ、振り返ると、制服に着替えた玲亜がぞっとするほどの無表情で桐也を見ていた。
桐也はといえば、まだシャツを着たばかり、首にはネクタイがかかっているが、結びはしておらず、だらりと肩にかかった状態である。
そんな格好でなにをしているのかといえば、玄関前の姿見に向かい、ひとりでなにやらぶつぶつと言っている。
そりゃあ白い目で見られるのも仕方ない、と桐也も思うが、いまは他人からどう見られているかなど考えている余裕はなかった。
なにしろ、今日は――。
「だって、今日から学校に通うんだぜ? そりゃ、転入生としてあれこれ思うことがあるだろ。挨拶どうしよう、とか」
そう、まさに今日から桐也と玲亜は正式に王立フィラール魔砲師学校の生徒になるのである。
――ふたりがこの世界、ヴィクトリアス王国の首都ヴァナハマにある王立フィラール魔砲師学校の敷地内へ現れてから、かれこれ一週間が過ぎようとしていた。
学校に通うということは比較的すぐ決まっていたものの、手続きやらなんやらがあり、校舎の医務室から学生寮へ引っ越してきたのが三日前、それから生活に必要なあれこれを揃え、ようやく今日、ひとりの生徒として王立フィラール魔砲師学校に通うことになったのだった。
桐也も玲亜も、転校ははじめての経験である。
それも転校するのはふつうの学校ではなく、魔砲師を養成する特別な学校なのだ。
緊張するなというほうが無理な話で、桐也は今朝早くに目を覚まして早朝鍛錬を終えたあと、どうやって既存のクラスに馴染むか鏡に向かってぶつぶつ独り言を言っていたのだった。
一方玲亜はといえば、
「挨拶なんてどうにもなるよ、きっと」
「う、のんきだな、おまえは」
「だって考えても仕方ないもーん」
「……まあ、たしかに、そうだけど。っていうか、ネクタイってどうやって結ぶんだ? 道着みたいな結び方でいいの?」
「いいわけないじゃん。ほら、こっちきて」
「任せた、妹よ」
「はいはい――ちょっと屈んで、届かないから」
「む――おお、この態勢はなかなか訓練になりそうな」
「なんでも訓練にしないでよ、もう」
こういう思考のくせにクラスに馴染めるか気にするんだもんなー、と玲亜は空気椅子のように中腰になった桐也の首に手を回し、ネクタイをきゅっと締め上げる。
「ぎゃっ、く、苦しいっ」
「最初はこんなんでいいの――はい、完成!」
「ほんとに? もうちょっと緩いもんじゃないの?」
「こんなんでいいの! 文句言うんだったら自分で締めてよね」
「うう、なんか苦しいなあ。動きにくいし。もし敵が襲ってきたら、反撃の妨げに……」
「敵が襲ってくることなんかないからご心配なく」
桐也は鏡の前に戻り、ほんとにいいのかな、とネクタイをいじっている。
玲亜はそこに割り込み、自分の制服や髪型をチェックした。
「よし、ばっちり。お兄ちゃん、あたし、かわいい?」
「んー……七十五点――いてっ」
「そこ正直に言わなくていいから! そのリアルな数字めっちゃやだ!」
これだから桐也はモテないんだと玲亜は確信的に思う。
外見だけを見れば、桐也はそれなりに背も高いし、身体も引き締まり、まあ、魅力的だといえないこともないが、中身がよくも悪くも正直すぎて、いままでそんな浮かれた話は聞いたことがなかった。
最初はみんな、ちょっといいな、と思うのだ。
で、それなりに会話をしたりすると、うーん、となって、最終的に、悪いひとじゃないんだけど、という立ち位置に落ち着く。
まだ桐也のほうにその気があるなら話はちがうのかもしれない。
しかし桐也は桐也で剣道バカ、身体を鍛えることと強くなること以外なにも考えていないから、多少なりとも好意を持って近づいてくる女子に気づきもしない。
ま、それはそれでいいけど、と玲亜は思い、桐也の腕を引っ張った。
「お兄ちゃん、もう出なきゃいけない時間だよ!」
「え、もうそんな時間か? やばい、もう一回挨拶の練習を――」
「しなくていいから! 適当によろしくって言っとけばいいよ」
「そ、そうかなあ。じゃ、そうしようかなあ――」
部屋の扉を開けると、ちょうどほかの部屋からも続々と生徒たちが姿を現しているところだった。
王立フィラール魔砲師学校は、よほどの例外を除き全寮制である。
生徒はみな、学校の敷地内にある学生寮に暮らしている。
そもそも王立フィラール魔砲師学校は、桐也や玲亜が想像していたよりも生徒数がずっとすくない学校だった。
だいたい一学年に三十年程度、六学年合わせて二百人に満たない程度だから、ひとつの大きな寮に全員を収容することができるのである。
学生寮は八階建て。
外観はマンションに近いが、内装はなかなか古色蒼然としていて、木造の古い西洋風アパートをそのまま拡張したような印象だった。
部屋はだいたいが二人部屋。
個々の部屋には台所やトイレはなく、ベッドを置くだけでいっぱいになってしまうくらいの狭さだったが、台所やトイレは各階にふたつあり、実際に住んでみるとそれほど不便は感じない。
部屋の外には板張りの廊下があり、直線の廊下沿いに部屋がずらりと並んでいて、そのほとんどが常に埋まっている。
桐也と玲亜も、学校側はそれぞれ一部屋ずつ、と提案していたのだが、部屋の空きがなく、また本人たちも一部屋で充分だと主張したので、七階の一部屋で生活するようになっていた。
八階建ての寮だが、エレベーターはない。
毎回階段で昇り降りしなければならないのが唯一の欠点だなあ、と玲亜が愚痴をこぼすと、桐也は、
「いや、むしろ生活そのものが鍛錬になってちょうどいい。学校も意図してそうしているんだろう。生活のなかに鍛錬を取り込むとは、ううむ、なかなかやりおる」
「そんなトレーニングマニアな思考なお兄ちゃんだけだと思うけどね――ふわあ、まだ眠たいよー」
ほかの生徒たちといっしょになって階段を降りていけば、一階には食堂兼談話室がある。
しかし食事は外でなにかを買い、部屋で食べてもいいということになっていたので、ふたりは昨日のうちに買っていたパンを朝食にしていたから、食堂の前は素通りし、玄関へ向かった。
広々とした玄関には生徒用の下駄箱がずらりと並んでいる。
大勢の生徒たちがそこで靴を履き、外へ出ていく――それは毎朝の光景でありながら、どこか騒がしい青春の風景でもあった。
桐也と玲亜も、今日からはその一員となる。
靴を履き、外に出ると、今日はなかなかの快晴だった。
かっと照りつける日差しに目を細め、元いた神奈川よりも澄んでいるように思える青空を眺めると、まるで夢のなかにいるような、なにかの拍子にふと目が覚めていつもの町に立っているような感覚になったが、ここは夢ではない、たしかに現実なのだ。
「あ、ふたりとも」
と寮を出たところで声をかけられる。
ふたりの姿を見つけ、ぱたぱたと駆け寄ってきたのは、制服を着た黒髪の少女――ユイ・モーリウス・スクダニウスだった。
どうやら混雑する寮のなかを避けて外で待っていたらしく、ふたりのそばへくるとぺこりと頭を下げた。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「おはよー、ユイさん。いい天気だけど、あんまり暑くなくて過ごしやすいね」
「そうですか? このあたりでは、これでも暑いほうですけど――レイアちゃんたちがもといた場所ではもっと暑かったんですか?」
「そりゃーもー暑かったよー。もうね、溶けるもん」
「人間が?」
「人間が。どろどろになって、動く気なくなっちゃうもん」
「へー……」
信じているのかいないのか、曖昧な返事をするユイは、ちらりと桐也を見て首をかしげた。
「どうしたんですか、キリヤくん。さっきからぶつぶつ、独り言言ってるみたいですけど――」
「それがね」
と玲亜は声を潜めて、
「なんか、柄にもなく緊張してるらしいよ。新しいクラスだからって」
「あのキリヤくんが?」
「お兄ちゃん、そういうとこあるんだよね、昔から。高校の入学のときもおんなじようなこと言ってたもん。結局、入ったらふつうなんだけど」
「でも、緊張する気持ち、ちょっとわかります。転校ってしたことありませんけど、わたしもこの学校に入学するときは緊張しましたもん。ほかにどんなひとたちがいるんだろうって――レイアちゃんは緊張しないんですか?」
「あたしはぜーんぜん。だってあたし、友だち作るの得意だし」
「わ、うらやましい。でもたしかに、レイアちゃんならすぐだれとでも仲よくなれそうですね」
それに転入する学年も関係しているのかもしれないな、とユイは思う。
玲亜は、転入とはいっても一年生だった。
一年生といえばまだ全員入学して間もないし、学校に慣れていない生徒もいるだろうから、条件はそれほど変わらない。
しかし桐也は、三年生であるユイのフィギュアだということもあって、右も左もわからないにも関わらず三年生として転入することになっている。
ほかの生徒たちは三年間ここで学んできたわけで、そんななかについ一週間前にこの世界へやってきたばかりの桐也が放り込まれるのだから、緊張するのも無理はない。
「大丈夫ですよ、キリヤさん」
ユイは元気づけるようににっこり笑い、キリヤの背中をぽんと叩いた。
「三年生はみんな、いいひとばっかりですから。すぐに馴染めますよ」
「うー、そうかなあ」
「そうです、そうです――それに、わたしもいますし、なにかわからないことがあったらわたしが教えますから」
「いいなー、お兄ちゃん」
と玲亜はにやにや笑いながら桐也にどんと体当りする。
「こんな美少女に、手取り足取り教えてもらえるなんてさー」
「び、美少女じゃないですよ、わたしなんて、ぜんぜん」
「謙遜謙遜。ねー、お兄ちゃん?」
「う、その話題、おれに振るか? どう答えろっちゅーのだ……」
美少女ではないと否定するのもおかしいし、ここで美少女であると全肯定するのもまた――と思っていると、ユイがじっと桐也を見上げているのと目が合った。
「あ……」
「う……」
ふたりはそっと視線を外し、気恥ずかしそうに頭をぽりぽり。
玲亜ははあとため息をつき、
「初々しいですなあ、まったく……」
そんな会話をしながら歩いているうち、校舎が見えてきた。
王立フィラール魔砲師学校の敷地はとにかく広い。
広い敷地にいくつか広場があったり、演習場があったりして、はじめのうちはなかなか目的地へたどり着けなかった桐也たちだったが、さすがに一週間もすると寮と校舎くらいは往復できるようになっていた。
それに、朝のこの時間は寮から校舎まで、生徒たちの波ができている。
その波はみんな校舎のなかに吸い込まれていき、桐也たちもそこに入って、靴を履き替えた。
「じゃ、お兄ちゃん、また放課後ね」
「あ、ああ」
「なに不安そうな顔してんの、ふつう逆じゃない?」
「ふ、不安そうな顔なんてしてない。いいから、行けよ」
「むう、心配してあげてるのに――ま、いざとなったらユイさんもいるし、大丈夫だって。じゃーね」
手をふりふり、玲亜はまったく緊張した様子もなく生徒たちのなかに消えていく。
あの外向的なところはすごいよなあ、と桐也は玲亜の背中を見送り、それからふうと息をついた。
「お、おれたちも教室に行こうか」
「はい――ほんとに緊張してるんですね?」
階段を上りつつ、ユイは桐也の顔を覗き込み、くすくす笑った。
桐也は頭を掻いて、
「こういうの、苦手なんだよ、昔から……なんていうか、人間関係っていうか」
「きっと大丈夫ですよ――それにしても、レイアちゃん、ほんとにいい子ですよね。お兄ちゃん思いで」
「お兄ちゃん思いっていうか、おれのことを遊び道具かなんかだと思ってるフシがあるけど……」
「もう、そんなことないですよ。あんなに素直でお兄ちゃんが大好きな子、なかなかいませんよ?」
「ううむ、そうかなあ……」
いまいち納得いっていない顔の桐也ではあったが、それ以上会話を続けることはできなかった。
三年生の教室に、たどり着いたのだ。




