皇帝のお姉様
主人公のトラウマとなる出来事です。
少々過激な表現があります。
痛い。
何が起きているのか、分からない。
ただ少女が、赤い靴が、私の足を、
ぐりぐりと、ぐりぐりと。
私の足を踏む。踏んでいる。
少女から受けるそれは、そんなに痛くないけれど。
・・・・笑っていた。まるで遊んでいるように無邪気な笑顔で。
それが、信じられない。
怖い。
少女はされるがままの私に飽きたらしい。
「つまんない」
そして、ぬいぐるみの中に手を入れ「何か」を取り出した。
「ねぇ、お姉ちゃん?」
その目は、私を見ている。
「お姉ちゃんは、これでさしたら、いなくなってくれるの?」
その手に握られているのは、ナイフだった。
気付いた時には、もう遅い。
頬から赤い液体が垂れていた、少女の握っている刃物のせいだ。
嘘。
頬に当てた手にべっとりと血が付いた。
本物。
本物の、ナイフ。
少女が癇癪を起こして振り回すにはあまりにも現実味を欠いていて。
「人間はしんだら、いなくなっちゃうんだって」
その刃物の位置にちょうど自分の目がある。
そのまま突き出せば。
自分の目に突き刺さるナイフ。少女はナイフを持っている。
現実味が一気に襲ってきた。
後ずさる。
やめて。
「瑠璃、やめなさい」
それを止めたのは、意外にも皇帝の向かいに座ったお姉様だった。
黒髪のポンパドール。目の近くにあるほくろが色っぽい。
お姉様は私の前まで来ると、にっこり、と笑った。
その笑みに誘われるように、差し伸べられたその手を取る。
「こちらにお座りになって?」
ふふ、と桜色の唇が笑みの形を取った。
そのまま手を引かれて、促されるままにソファーに座る。
少女がこちらを睨んでいた。
頭の中がごちゃごちゃで、何が起こっているのか理解出来ない。
助かった、の?
「ごめんなさいね、瑠璃ちゃんが。」
それは、私に向かっての言葉じゃなかった。
「だからね、あなた。」
声が、変わる。
背筋に冷たいものが走った。
手を伸ばされた、頬を撫でられる。
その手は白くて綺麗で、サラサラしていて、少し冷たい。
それは、ぴたりと頬に当てられ、停止した。
「・・・・?」
そのまま、振り抜かれた。
パシッ。という頬への衝撃。
目の前でニッコリ笑う顔が一致しない。
「言ってる意味、分かるかしら?」
ふふ、と笑った。
た、叩かれた?
次第に熱を持っていく頬に手を当てる。
言ってる意味?
「本当に、可愛いわーーーーーねぇ、痛い?」
うふふ。さっきと変わらない温かな笑顔を浮かべている。
さらり。
振り抜かれた手で、頬を撫でられた。
「ふふ、ごめんなさい、香耶さん。」
背後に、もう一人いた。
振り返ると髪をショートカットにした、もうひとりのお姉様。
「う、あっ」
ぎりぎりぎり、絞られるような痛みと、長く続くそれ。
普段人に触られる事のない場所への痛みに、痛覚がうまく機能しない。
つねられている。痛い。
逃げようとする。
逃がさない、と肩に手を置かれる。
それだけで、立ち上がる事ができなくなる。
最後に一際強く、捻るようにつねられ、それは終わった。
そして、肩に手が置かれる。
綺麗に手入れされた指。ネイルアートが見えた。
近づけられた顔、長い睫毛と、キメの細かい肌。
ふふ、と甘い吐息が私の頬にかかる。
「ねぇ、あなた?」
首筋に触れる、ネイルアートの施された爪。
それが私の首筋にあてられる。
そのままなぞられたら、血が飛ぶのだろうか?
「お姉さま」甘えるような声がした。
「わたし、そのせいふく、ほしい!」
その言葉の意味が、理解できない。
耳に入ってくるが、脳で理解できない。
「まぁ、瑠璃ちゃん」
お姉様は、笑う。
次の瞬間。
低い女の声がした。
「・・・・ねぇ?あなた、それ、脱いでくださる?」
何を、言われてるの?
「で、出来ません」
出来ない。
服を脱いでしまえば、下着姿になってしまう。
目の前に男の人がいるのに、そんなこと、出来るはずがない。
「そうなの、分かったわ」
片手が振りぬかれていた。
さっきとは逆側の頬。
じんじんと熱を発していく頬。黒い大きな瞳が、私を見つめていた。
唇は、艶やかで、綺麗な笑みの形を取っていた。
「ねぇ?」
お姉様は、何かを促すように私を見た。
これは、譲れない。もう一度。
「でき、ません」
その一言を搾り出す。
もう、何が痛いのか、どこが痛いのか、その頬を叩く行為はなんなのか?
分からない、痛い。頬と目の当たりが熱い。それが痛みなのか、ただの熱なのかも分からない。
その女は流れるような手つきで、わたしのジャケットのボタンを外していく。
そして、ブレザーの襟部分を掴まれた。
ソファーから立ち上がろうとする。後ろの少女に後ろから羽交い締めにされる。二人掛かり。敵わない。
強く引かれて、体勢が崩れる。
抵抗すれば、叩かれた。布擦れの音と、私の悲鳴と、引っぱたく音。
皇帝も、沢城さんも、この場にいる誰も、助けてはくれない。
そのまま、ブレザーが剥ぎ取られた。
床が近い。
もう、駄目。
それ以上は、
「やめて、くだ」
ぱしん。最後まで言えなかった。原因は振り抜かれているお姉様の手。
頬が痛い。お姉様は笑っている、もう一度。それは振りぬかれようとしていた。
ぎゅっ、と目をつむる。
また、頬の痛みがくるんじゃないかって、覚悟した。
最後の砦である、シャツまでは、渡せない。
誰かがソファーから離れていくのが分かった。
きゃあっ、という悲鳴は私じゃない。
たらり、と自分の頭の上から何かが垂れてきた。
それは音、そして直接頭への感触となって落ちていく。
ぺっちゃっ、どろり。
その液体は顔を伝う、鼻、頬、そして制服へ。
ぬるくて、甘い匂いがする。
「ああ、ごめんなさい。瑠璃、制服が汚れてしまったわ。こんな汚いものは駄目よ。そうでしょう?」
用済み、と言うように。
ティーカップが床に放り投げられる。
それは、甲高い音を立てて割れた。
納得いかない、という表情を浮かべていた少女。
私と目があうと、馬鹿にしたような笑顔になった。
「お姉さま、るり、わがまま言ってごめんなさい、これでがまんする、いい?」
私の、ブレザーが、彼女の手の中にあった。
返して。
その言葉は声にならなかった。
「ええ、いいわよ?」
それは、あなたのじゃない。
私の、大切な制服なのに。
声が出なかった。ーーーーー痛い、怖い。
声は続く。
「外部生はこんなのばっかりなのかしら?常識の無い・・・・こんなに素敵な制服ですもの、貴女が持っているよりも瑠璃ちゃんが持ってるのがいいわよね?」
そう言って、私を見た。
そこで堪え切れないと言うようにお姉様は、口の端を歪めた。




