第1057話 アスベル侵攻
アスベル山脈に築かれた、ハーピィの王国ウィンダム。
高い標高はそれだけで人が暮らすには厳しく、山脈の地形は険しい。また、過酷な地形には厳しい環境に適応したより強力なモンスターも生息し、さらにアスベル山脈の一角には、『凍結領域』と呼ばれる、加護さえ凍てつく氷龍の縄張りまで存在している。
人の生息域としては、あまりに過酷で危険。
故にこそ、この地は千年もの長きに渡ってハーピィの国であり続けた。
そのウィンダムは今、長い歴史の中で幾度目となるか分からぬ外敵の脅威が襲い掛かろうとしていた。
「――――どのような条件であろうと、我らがこのアスベルをハーピィ以外の者に明け渡すことは、決してない」
玉座の上でそう厳かに宣言しながら、ウィンダム王ラムクック三世は降伏勧告の書状を破り捨てた。
送って来た相手は勿論、オルテンシア。
ウィンダムと同じくらい長い歴史を持つ国であり、そして同じく北の果てより一切動くことのなかった、謎の多い大国だ。
それが今になって、ハイエルフの女王が野心に目覚めたとでも言うように、急速に大陸北部の平定を開始。古代兵器の軍団は強力無比であり、瞬く間に北部を平らげ、アスベル山脈の北側までやって来たのは、ついこの間の話である。
しかしウィンダム王に焦りはない。
過去には、幾度か似たような事例はあった。特別な加護を得た英雄や古代兵器を擁し、急速に勢力を拡大する国というのは長い歴史の中では度々出て来るものだ。
確かにそれらは強力だが、そのどれもがアスベルの山々を超えてウィンダム首都へ攻め込むことは出来なかった。
ならば今回も同じこと。まだ部族の集合に過ぎなかった頃から今に至るまで、アスベルのハーピィは一度として侵略者に山頂を踏むのを許したことはない。
当代のウィンダム王も、その配下も、民に至るまで、全員がその心意気を持っている。これがウィンダムの、アスベルに住まうハーピィ全ての誇りだ。
「オルテンシアは強力な古代兵器の軍団を持っておる。これまでに無いほど、厳しい戦いになるだろう――――だが、それを恐れる者など、ウィンダムには一人もいない! こんな紙切れ一枚で山を降りるものか。徹底抗戦だ、ウィンダムを守り切れ!!」
かくして、ウィンダムではオルテンシアの脅威に対抗すべく、国を挙げて防衛戦の準備が整えられた。
首都は山脈のど真ん中、ただでさえ進軍すら困難な地形にある。
エルフの軍隊が山を登ってここへ向かうとすれば、麓から長大な山道を進むこととなる。当然、険しい山々を真っ直ぐ最短で登ることなど不可能であり、山道は大きく曲がりくねり、かなりの距離がある。
難所と呼ばれる箇所も幾つか存在し、登る毎に急勾配も増えて行く。
万の兵士を率いて、山道を登り切って首都まで辿り着くだけでも、多少は山歩きに慣れたエルフの兵士であっても、大変な苦労を要するだろう。
しかし飛行能力を持つハーピィにとって、それらは何ら障害足りえない。
ハーピィも種によって飛行能力の差はあるものの、ウィンダムを守る騎士は勿論、一兵卒に至るまで、アスベルの山々を自由に飛び回ることができる。
自分達が移動しやすいよう、随所に縄がかけられ、止まり木が立てられている。無論、それらを利用するには、ハーピィの飛行能力が必要。敵は利用できず、自分達だけが地の利を得られる。
そんな場所への侵攻となれば、この過酷な山道の最中に、自由自在に空を飛ぶハーピィの戦士に延々と狙われ続けるのだ。難所には砦が築かれ、罠も張り巡らせている。
単純に霧や煙などの目くらましを焚いてやるだけでも、狭い道を踏み外して崖下に真っ逆さま、といったところ。
首都に辿り着く前に軍勢は壊滅する。少なくとも、過去にそうやって敗走した侵略者が大半であった。
「陛下、アヴァロンより同盟に基づいた協力の申し出が届いております。如何なさいますか」
「ふむ、アヴァロン……いや、今は魔王のエルロード帝国と言うべきか」
祖国防衛に向けて動き始めた最中に、オルテンシアの侵攻を察知したアヴァロンより増援派遣の打診があった。
元よりアヴァロンとは同盟国。熾烈な領土争いをした間柄は今は昔である。何より、ミリアルド王の正妻はウィンダムの姫君だ。
さらに愛娘のネル姫は、女神の白翼と謳われた母親の純白の翼を受け継ぎ、ウィンダムでも非常に人気がある。
そのアヴァロンもエルロード帝国に下ったが、南ダキアの割譲を経て、帝国との関係も良好と言えよう。アヴァロンもそのままミリアルドを総督として統治しており、支配者の名が変わっただけで、さほど関係性に変化は無い。
故に同盟を理由に協力の打診は、ありがたい話ではあるが、
「丁重にお断りしろ。ここで借りを作るワケにはいかんからな」
外敵は常に自分達だけで払い退けてきた、という矜持もある。
それに下手な援軍を受け入れたところで、首都の峻険な地形で十全に戦えるかと言われれば難しいだろう。
その上、さして役に立たない数ばかりの味方を引き入れたせいで、戦後に無用な権利を主張されても面倒なだけである。
「アヴァロンには十字軍とやらの警戒に集中せよ、と伝えておくがいい」
オルテンシアの侵攻が無ければ、最も大きな脅威はスパーダを占領した十字軍である。魔族の排除を堂々と掲げる十字軍が、ハーピィの国家たるウィンダムの存在を許すはずがない。
そのため、待望の平地である南ダキアの地には、十分な防衛戦力を送り、砦も築き上げた。この地は決して奪われまいと、ラムクック三世も力を入れていた。
「だが十字軍の動き次第では、南ダキアにアヴァロンの応援を受けることもありうる。借りは作らぬに限るが、平地での戦いならば無理は禁物。素直に常勝無敗の帝国軍の力を借りるとしよう」
もしもオルテンシアの動きに呼応するように、十字軍も侵攻してくれば非常に厄介だ。下手すれば南北の両方より大軍が山を登り、ウィンダムだけでは対応しきれない可能性もありえた。
だがその時は、素直に帝国へ応援を求めれば、十字軍の駆逐を掲げる魔王クロノは必ず応じてくれるだろう、との算段も立つ。最悪、南ダキアの一部を返還するようなこととなったとしても、この危難を首都が無事に乗り切れるならば、許容できる損失だ。
こうして、ラムクック三世の差配によって万全の守りが首都を中心としてアスベル山脈の各地へ敷かれることとなった。
如何にエルフが森での戦闘に長けているとはいえ、アスベルの空を舞う自分達には及ばない。険しい山脈の行軍で、分散し、疲労困憊となったところ存分に空からの奇襲で歓迎してやろう――――と、ハーピィの戦士たちが爪を研いでいた頃、
ゴォオオオオオオオオオオオン……ゴォオン……
けたたましい鐘の音が首都に響き渡った。
山頂に木霊する重々しいこの音色は、非常事態の発生を意味する。その音色を聞いた首都の全住民は、言い知れぬ危機感に羽根をそば立たせた。
「何事だ!!」
「報告します! 北の山頂より、龍が現れました!」
玉座の間に転がり込むようにやって来た伝令の報告に、国王ラムクック三世も、並び立つ重臣達も絶句した。
「まさか、ありえん……氷龍が降りてきたと言うのか!?」
アスベル山脈でもっと高い標高を持つ北の山が、氷龍の縄張りである。
氷系の加護以外の発動が封じられる『凍結領域』も、ここの山頂付近のことを指す。そして、その範囲がそのまま氷竜の縄張りだとされている。
それを遥か昔の祖先達もよく理解しており、どんなに偉大なウィンダム王も、決してこの場所に手出しはしなかった。
そのお陰か、古代の記録でしか氷龍の絶大な脅威を語る資料はなく、ウィンダムは一度も氷龍に襲われた経験は無かった。精々が、数十年に一度、首都上空を横切って飛ぶ、巨大な蒼白の龍影が見えるだけ。
手出し無用の凍てつく災厄。氷龍を刺激するような真似は、この戦時下になっても一切したような覚えはない。
氷龍の縄張りである『凍結領域』は、自分達が陣取った山脈の防衛線よりも、さらに危険な地域である。この領域を通って北から仕掛けることのできる敵など存在しない――――
「分かりません。ですが、確かに巨大な龍の飛ぶ影を見たと」
「続報! 北より現れたのは氷龍ではありません! アレは鋼の――――」
更なる情報が集まり始めた、直後のことである。
伝令を待たずして、ラムクック三世の目にも何が起こっているのか見えた。
玉座の間から一望できる、谷のような首都。見慣れた愛すべき平穏の景色、その直上に逆光を受けて燦然と輝く、白銀の巨竜が浮かんでいるのを。
「――――我が名はエカテリーナ。オルテンシアの女帝である」
◇◇◇
「ウィンダムが落ちたか……」
瞬く間に時は過ぎ去り、夏の真っ盛りである紅炎の月。
月が変わってすぐ、俺の下へウィンダム陥落の報告が届けられた。とうとうこの時が来たか、といった心境である。
「やっぱり、オルテンシアが本気で攻めれば一瞬で落ちたわね」
さして驚きはないとばかりに、リリィはあっさりと言う。
だが、こうなることを予測していたのもまた事実である。
そもそもネロの大遠征軍だって、難攻不落を謳ったアダマントリアの首都ダマスクを一晩で攻略してみせたのだ。
ウィンダムの首都もアスベル山脈の山頂部という天然の要塞都市であったが、オルテンシアの擁する戦人機部隊の性能を考えれば、険しい山岳部もさしたる障害足りえない。
「いきなり空から戦人機部隊に乗り込んで来られたら、どうしようもないよな」
俺達はすでに、戦人機が量産機であっても一定の飛行能力があることを知っている。地上戦装備でも背中のメインブースターを吹かせば、かなりの跳躍と滞空ができるので、山を登ることも難しくはない。
そしてオルテンシア軍には、空戦仕様の戦人機も一定数保有している、と予想されている。
これまでの北部平定の中で、それらの存在は確認されなかったが……どうやらウィンダムを攻めるにあたって、ついに空戦機も投入したという情報も得られた。
ウィンダムには応援の打診もしたのだが、首都防衛に帝国軍の助けは不要、と突っぱねられてしまった。なので、画像や映像など詳しい情報の取得はできず、得られたのは首都から逃げ伸びた者達からの証言だけである。
「首都に乗り込んできたのは『エール・スプリガン』で間違いないわね」
「ああ、バツの字型の羽は特徴的だからな」
伝聞の情報だけでも、分かることはあった。
首都で暴れた敵の姿を聞き取り調査した結果、大きなX型の翼を持つ、青と白の鎧に身を包んだ鋼鉄の巨人が、群れを成して襲ってきた、という部分は大勢の証言で一致していることが分かった。
鋼鉄の巨人は戦人機に間違いないし、オルテンシア軍が主に使う機体は、かつてリリィも操った古代の傑作量産機『スプリガン』であることはすでに判明している。青と白のカラーリングも当時と全く同じだ。
そしてX型の翼は、スプリガン用の空戦ユニットである。
性能は突出したものは無いが、欠点もない。量産機に求められる汎用性をバランス良く実現した扱いやすい一品で、新兵は安心、ベテランも満足、コレに不満を言うのはヘタクソかエースだけ――――とは、ミアの談である。
そう、俺は特訓の傍ら、ちょいちょい戦人機の情報をミアから聞くことが出来た。
これもエカテリーナが『北天星イオスヒルト』の加護を通じて、古代の情報を数多く取得したからこそ。
オルテンシア軍で大々的に採用されている戦人機の情報については、概ね把握することが出来た。
故に『エール・スプリガン』と呼ばれる空戦ユニット装備のスプリガンのことを知っているし、特訓で相手もしてきた。
「でも、大きなドラゴンもいたって言うのは気になるわね」
「ああ、流石にドラゴン型の戦人機なんて聞いてないからな」
あるいは天空戦艦のような、飛行型の艦船なのかもしれない。
証言の中には『エール・スプリガン』を率いていたのは、一際巨大な鋼のドラゴンだったと言われている。これも数多くの目撃証言があり、その存在は確定。決して首都が襲われる中で見た幻などではない。
「そのドラゴンがエカテリーナを名乗っていたということは」
「女王の専用機ってところか」
ミアが教えられる情報の中に、それらしい古代兵器のことは一切無かった。
特別な秘密兵器なのか、それともリリィの『ヴィーナス』のように、古代兵器をベースに現代の魔法技術で魔改造を施したオリジナルマシンなのかもしれないな。
何にせよ、山頂の首都に堂々と乗り込んでこられるだけの飛行能力を誇るのは間違いない。
「それで、ウィンダムは今どうなっているんだ」
「首都は完全に占領。でも被害そのものは少ないそうよ」
空から王城を急襲、本丸が一気に攻め落とされれば、そこで勝敗は決してしまう。
幸いなのは、オルテンシアは十字軍ほどの非道を働くことは無かったところか。最初に送られた降伏勧告でも、大人しく下ればウィンダムの自治権をかなりの範囲で認める、とあったようだ。
帝国と同じように、とりあえず取り込みはするけど、統治はそのまま丸投げ状態といったスタンスである。まぁ、勢力を急拡大すれば、画一的な統治をするのに、人材も時間も圧倒的に足りないからな。金もかかるので、戦争している内は反乱さえ防止できれば、それ以上は内政に予算を大きく割けない。
「で、ラムクック三世は何とか山を降りて逃げたそうよ。ミリアルドのところに泣きついたみたい」
「ウィンダムの王様、意外とちゃっかりしてるな」
女王のドラゴン機と空戦用戦人機部隊に襲われ、これは勝てぬと早々に城を脱したのは英断と言うべきか。
いや、下手に抵抗を命じず、速やかに降伏するよう命令を出してから逃げたらしいので、普通に英断だな。自分は生き延び、兵も民も大きく損なうことなく、戦いを終わらせたのだから。
そのラムクック三世は現在、完全に山を降りて南ダキアまで落ち延びたという。
つい最近、俺が譲った元アヴァロン領である。
かなり力を入れて防備を整え、移住を進めていたので、残党を率いて転がり込むにはちょうどいい場所だろう。何より、いざという時はアヴァロンへ亡命もしやすいという好立地。
「しかし、あそこはついこの間、使徒に襲われたばかりだろう」
「大丈夫でしょ、ただのお遊びよ。まだ本腰入れてこっちに侵攻する気は無いわ」
そう、南ダキアのスパーダ側国境の砦が壊滅した、という情報が届いたのは本当にこの間の話だ。
どうやら、サリエルの推測が的中し、新たな使徒が本国シンクレアよりやって来たらしい。
実に使徒らしい圧倒的な個人戦力で砦と周辺を蹂躙し――――そのままスパーダへと引き上げていった、という顛末だ。
これには俺達も大いに警戒したものだが、やはりリリィの言う通り、使徒にとってのお遊び、肩慣らしみたいなものだったのだろう。
スパーダの十字軍は以後も動きは見せない。
そうしている内に、オルテンシアが動き出し、ウィンダムを奪ったワケだ。
「十字軍の動きは読めないが、オルテンシアはすぐにでも攻め込んでくるだろうな」
ウィンダムはオルテンシアからすれば、南へ下るための通り道でしかない。
緑風の月に四帝会談をしてから、紅炎の月までウィンダムへ侵攻しなかったのは、アスベル山脈を越えた先、アヴァロンを攻略するための準備も整えていたからだ。
ウィンダムなんて落とそうと思えば、いつでも落とせた。大言壮語ではなく、現実としてそれをエカテリーナは成したのだ。
「ええ、いよいよ始まるわね」
オルテンシアとの戦いが始まれば、すぐにでもロンバルトとの戦いも始まるだろう。
奴らも着実にレムリア海を東進しつつある。
そして帝国がオルテンシアとロンバルトの両国を同時に相手取れば、十字軍もいつ襲い掛かって来るか分かったものではない。
アイは俺を待つと言っていたが、それを馬鹿正直に信用するのは無理な話である。
たとえアイ自身がその気でも、十字軍は貴族連合だ。ファーレンへ攻め込んだ連中のように、勝手に音頭を取って大軍を編成しては攻めてくる、なんてことは大いにあり得るのだ。
ついに始まる。ここ数か月間の均衡を破り、オルテンシアはすでに動いてしまったのだから。
もう後に引けない。準備の時間も、今日で最後となるだろう。
「けど、今日で良かった」
「そうね、ようやく最後の特訓に挑めるのだから」
すでに俺とリリィは、二人きりで夢の中。
素敵な夢ではない。
何度死んだか分からない、黒き神々が待ち受ける試練の世界。『黒の魔王』の領域だ。
すっかり見慣れた黒と赤の天地には、初めて見る漆黒の戦人機が一機だけ、静かに佇んでいた。
「やぁ、待っていたよ」
聞こえてくるのは、声音だけなら愛らしい子供。
しかしその正体は、史上初めてパンドラを統一した伝説の魔王。
その力の一端が、今まさに俺達の前に降臨していた。
「ミア、それがお前の専用機か」
「うん、そうだよ。どうかな、世界一カッコいい僕の機体さ」
自慢げに言うものの、正直、全身が黒マントで包み込まれていて、黒い人型、という以外に見るべきデザインは無い。というか、姿がよく見えないのって、黒マントだけのせいじゃなくて、隠蔽系の能力も発動してるだろ。
「いいじゃない、これから伝説の姿を、とくと拝んであげましょうよ」
「やってみるといいさ、イリスの娘」
挑発的なリリィの台詞に、挑発的な言葉を返すミア。
「さぁ、最後の特訓を始めようか」
もしオルテンシアの侵攻が、あともう一週間でも早ければ、ここに到達することは出来なかっただろう。
俺達は曲がりなりにも、ミアが専用機に乗って出てきてくれるほど、力を示した。
俺とリリィ、帝国最強のタッグで、伝説の魔王に挑む。
これが俺達が特訓の末に辿り着いた、ラストステージだ。
「ああ、行くぞリリィ――――合体だ」
「『魔王機ユリウス』、ミア・エルロード――――目標を殲滅する」




