第1052話 私にできること
四帝会談によって大戦が確定した後、ルーン王宮を訪れたクロノはファナコ姫と二人の時間を過ごしていた。
誰の邪魔も入らぬ王宮の離れ。歴代の王子や王女も、ここで秘密の逢瀬を楽しんだ由緒とロマンのある素敵なロケーションであるが……今夜はとても、そういうロマンチックなムードにはならなかった。
「本当に済まない、婚約したばかりだと言うのに、こんなことになってしまって」
「いいえ、ルーンにとっても一大事ですから」
三正面作戦は流石の帝国でも厳しい戦いを強いられる。ルーンもまた、西の大国ロンバルトと正面対決を受けざるを得ない立地にあり、三正面作戦の一角を受け持つことが決まっていた。
ルーンがレムリア海の覇権を巡って激しい海戦に明け暮れていたのは、今は昔の話。盤石な海軍力を整え、周辺諸国とは交易による友好関係を結んだ体制は、長らくルーンに平和と繁栄をもたらしていた。
ネロの反乱によって俄かに緊張感も高まったが、結局は一度も艦隊決戦をすることなく終結している。大きな戦の矢面に立つことなく、今まで過ごして来れたが……今度ばかりは、そういうワケにはいかないようだ。
ロンバルトの大艦隊が、遥か西方よりパンドラに覇を唱えるためにやって来る。ルーンは久方ぶりに、強大な外敵とレムリアで相対することとなった。
「私はこれでもルーンの王女……そして今は、魔王の婚約者でもあるのです」
ファナコは王家の負う責務、そして魔王クロノと婚約を結んだ立場が、どれほどの責任を求められているか。その自覚は強く持っている。
ネルと比べれば、お姫様としては下の下もいいところだが、それでもファナコは自分の責任を果たそうと意気込んでいた。
「以前までの私なら、王宮に閉じこもり戦勝の祈りをするだけで良かったでしょう。しかし、私もルーンのため、帝国のため、自分に出来る精一杯のことを尽くしたいと思っています」
「ああ、その気持ちは嬉しいが……無理に戦場になんて、立たなくたっていいんだ。確かにユラの力は強力だが、ファナコ自身は素人同然だろう。リリィ達と違って、今まで戦いの中に身を置いてきたワケじゃないんだから」
クロノが心から、ファナコの身を案じていることは分かっている。下手をすれば足手纏い、という懸念もあろう。
それでも、ファナコに引き下がる気は起きない。何故なら、すでに自分は力を手にしているのだから。もう、ただのひ弱なお姫様ではいられない。
「だからこそ、私も変わらなければならないのです。魔王の伴侶は、戦場で肩を並べられる者でなければ、相応しくありません」
「いや別にそんなことは――――」
「そこで、私は修行をすることを決意しました。クロノ様、貴方と、その婚約者達と対等の立場に立てるだけの、力を示したいのです」
封印眼鏡を外し、鬼の眼でファナコは威圧全開で強く言い放つ。
常人なら卒倒する眼力を受けながら、クロノはただ困惑したような表情で唸っていた。
「つきましては、クロノ様に私が修行をするのに良い場所を選んでいただきたいのです」
「それはつまり、留学する、みたいな?」
「そう受け取ってもらって構いません」
ルーンでは修行にも限度がある。これからロンバルトとの決戦に向けて忙しくなるので、ファナコとしても自分のワガママに付き合わせるのは忍びない。
何より、地元にいたままでは、自分にも周囲の人にも、甘さが出てしまいそうだった。
「なるほど……そこまで言うなら、ひとまず修行を積むのは良いことだと思う。戦があってもなくても、加護の力は自分でコントロールできるに越したことはないからな」
「ありがとうございます」
実際に戦場に立つかどうかは別として、ファナコが修行することは良い選択だとクロノも納得できた。開拓村でウルスラが自分の加護を扱えるよう、訓練した時と同じことである。まずはやってみて、それから次のことを考えればよい。
そうなると、肝心の修行場所の選定である。
ファナコとしても、クロノに付きっ切りで、などと言うつもりはない。本当はその方が自分もユラも一番嬉しいだろうが、この状況下でそんなワガママを通すわけにはいかない。
しかし、クロノ不在でユラを止められる、となると人選も限られてくる。少なくとも、帝国軍の新兵訓練にそのまま放り込んで練兵、とはいかない。初日でキャンプが壊滅するのは目に見えている。
「うーん……」
やはり自分の目の届く、暗黒騎士団と一緒にするのが確実か、とクロノが思い悩んでいる中で、一つの閃きが過った。
「おーい、プリム。悪いけど、ちょっとルルゥを連れてきてくれないか」
「イエス、マイロード」
ファナコとの仲も考慮して、傍付きにしていたプリムに頼み、待つことしばし。
「ルルゥを連れてきました」
「すぴー」
熟睡したルルゥを抱えて、プリムが戻って来る。
その後ろでは、いつでもフォローができるよう、ルルゥの世話役たるレヴィも控えていた。
魔王に仕える近衛なのに、主に呼び出されてもスヤスヤ眠っているルルゥの姿にファナコは驚愕するが、同時にこれが妖精に許された自由さなのかと納得もできた。
「おーい、起きろルルゥ」
「むぅーん……」
「早く起きないとリリィが来るぞ」
「リリィ!」
カっと目を見開き、妖精結界全開でビカビカと眩く輝きながら、ルルゥは瞬時に構えをとって臨戦態勢となった。
そして生意気な目つきで右を見て、左を見て、テレパシーで全方位に探りを入れてから、構えを解いた。
「なんだ、リリィが襲ってきたかと思ったぞ」
「すまんな、ちょっと話があって起こした」
悪びれずクロノがそう言えば、ルルゥも仕方ねーな、といった表情を浮かべながら、そのままスっとクロノの膝の上に座り込んだ。
恐ろしく早い接近……婚約者となった自分でさえ、密着しない距離感を保って座っているというのに。まるで飼い猫のように、ルルゥはクロノの膝の上に納まった。
「このファナコ姫を、ヴェーダで修行をつけさせたいと思うんだが」
「ええぇー、このヘナチョコがぁ? 無理じゃない?」
「ううぅ……ヘナチョコですみません……」
自覚はあるが、それでも面と向かって言われれば傷付く。
妖精族に、忖度などという概念は存在しない。ルルゥはどこまでもストレートな感想を口にしただけだった。
「ふっ、それはどうかな。ファナコはお前より強いぞ」
「あぁん?」
「ひぃん……」
単純なクロノの挑発に飛び乗る勢いで、ルルゥはファナコを睨みつけた。
姿は幼女でも、その身に宿す力は本物。ルルゥにガンを飛ばされて、ファナコは怯んだ。
「はん、ありえねーな。こんな貧弱モヤシ女、ヴェーダに行ったら秒で潰れるわ」
「嘘だと思うなら、一度やりあってみるといい。ファナコ、今からでも王城の練兵場とか使えないかな?」
「あっ、はい、聞いてみます……」
全力で縄張り争いに挑む野良猫のようなルルゥの視線を受けながら、そそくさとファナコが去って行く。
そのあまりにも情けなく、弱弱しい姿に、ルルゥは目に見えるほどの濃い疑念の色を乗せて、クロノを睨みつけた。
「おいおい、本気かよ。死んだぞお姫様」
「本気でやれよ。下手すれば死ぬからな」
「面白ぇ、吐いた唾は飲めねーぞ!」
自信満々にそう言い切るクロノに、ルルゥは幼い容貌に獰猛な笑みを浮かべた。
そうして、練兵場で血で血を洗うようなファナコとルルゥの激闘を垣間見て、ハナウ王が白目を剥いて卒倒するのは、もう少し後の話である。
◇◇◇
ヴェーダ法国の武仙宮へ、ファナコはルルゥの案内によってやって来た。
今回は、クロノは同行していない。自分で決めた修行である。出先の挨拶にまで、保護者のように世話になるのは恥ずべきことと戒め、自ら代表の立場をとっている。
とは言え、幾ら何でもファナコ単独で送り出すような真似はしていない。名目上では護衛として、暗黒騎士ルルゥとレヴィをつけており、他にも近接戦闘に適性の高い暗黒騎士と、帝国軍の中でも志願者を募り、ヴェーダでの特別訓練という軍事教練の一環となった。
ヴェーダはすでに帝国に併呑されてこそいるものの、つい先日に下ったばかり。まだ帝国式の軍組織は全く編成できておらず、ひとまずは以前の体制を継続している。すなわち、仙位制度も現役。
ただし、ヴェーダの戦士を率いる統帥権は魔王が持つことは明言されている。クロノは君主としてヴェーダを口先一つで如何様にも動かす権限を持つが……ヴェーダ戦士にとっては、権限云々よりも、魔王の強大な力を認めていた。
何と言っても、正々堂々の一騎討ちにより、ヴェーダが誇る最強伝説、唯天ゾアを打ち破ったのがクロノである。ヴェーダにおいては、誰も文句などつけようがない力の証明だ。
故に、明言こそされてはいないのだが、ゾアが倒れて空位となっているはずの唯天は、クロノがその座についている、と見方をしている者が大多数であった。
そんな名実ともにヴェーダの頂点に立つクロノの婚約者がやって来るとなれば、歓待も厚くなるというもの。今もヴェーダの象徴としての立場を魔王に保証されている、天子が直々に武仙宮でファナコを出迎えたのであった。
「ようこそ、ヴェーダへ。ファナコ姫様の来訪を歓迎いたします」
「こちらこそ、この度は私の無理を聞いて下さり、感謝しております」
表向きの堅苦しい挨拶と友好アピールを公の場でひとしきり終えた後、天子はファナコを応接室へと招いた。人の目も無くなり、ようやくこれで落ち着いて話せるといったところだ。
「あの……天子様は読書がご趣味と聞いていましたので……よろしければ、ルーンで人気の書籍を、どうぞ」
「わぁっ、ありがとうございます!」
クロノ伝手に、天子は何かと武仙宮に籠りがちな生活上、インドア趣味であることを聞いていたファナコは、自分の専門分野でもある本を、個人的に贈ることとした。
レッドウイング伯の尽力もあり、ルーンの文芸は発展、特に娯楽に特化したジャンルはパンドラではロンバルトと並び最先端といっても良いだろう。
そんな表紙からして興味を誘うような、カラフルだったり壮麗だったりする数々の本を前に、堅苦しい古典的物語しか読み物のなかった天子は、目を輝かせた。
「特にこのシリーズは私のイチオシでぇ……主人公とライバルの関係性がホント尊くてぇ……」
「シャア!!」
と、やたら美形な少年がカッコいいポーズで絡み合うように描かれている一冊を差し出すファナコの手を、ルルゥが猫パンチのように素早く叩いた。
「あっ、あっ、なにするのルルゥちゃん!?」
「なんかその本、邪な気配がする……」
「えっ、邪なのですか……?」
「そんなっ、邪な内容なんて一切ありませんよ! これは純粋な気持ちで二人の関係を愛でているだけであってぇ!!」
「天子に変なの読ませるな!」
「へへぇっ、変じゃないですぅ! 私の推しはいつだって純愛なんですぅ!!」
テレパシーでそこはかとなく邪な欲望の気配を感じたルルゥの指摘に、ファナコは声を裏返しながら叫んで否定する。
原作はあくまで全年齢。健全であることがルーンの法の下に保証されている。どこに出しても恥ずかしくない名作を揃えたという自負がある。
だが一方で、エロアリの二次創作もいいよね……という気持ちがあるのもまた事実。
ファナコの原点はレッドウイング伯の書庫にあるが、己の感性は魑魅魍魎が跋扈する混沌極まるルーンの同人界隈で磨かれてきた。そこでファナコは、飽くなき人の欲望の深さを学んだのだ。
二次創作もまた、新たな創作の礎となる。同人文化に、ファナコは深い理解を示している。
だからこそ、プリム催眠NTR本が同人界隈での大ベストセラーと化しても、原作者たるファナコは何も言わなかった。それもまた人気作の宿命であると受け入れているが故に。
「もう、失礼ですよ、ルルゥ。ファナコ姫はただ、私のためを思ってルーンの本を持ってきてくれただけなのです」
「うぅーん、ソレだけじゃ無い感じがするんだよなぁ……なんかドロドロした沼みたいなのが見える気がする」
「んでゅふっ、その沼は怖くないですよぉ……肩まで浸かったら楽しくなる沼ですから」
「おい、やっぱり怪しいぞ!?」
大切な親友が道を踏み外すか否かの岐路に立っているかのような危機感を覚えるルルゥであったが、本人の興味が勝り、温かい笑顔で贈呈本一式を天子は受け取った。
それを封印眼鏡の奥で、鬼神とはまた別に邪悪に歪ませて、ファナコは見つめるのであった。ウェルカムトゥアンダーワールド。
「えーと、それで、ファナコ姫は修行をご希望とのお話でしたが……本当によろしいのですね?」
「あっ、はい……私自身はド素人もいいところなのですが……その、加護がですね……ワケアリでして、はい……」
「いえいえ、お気になさらず。ヴェーダでは強さを至上とする文化ですので、危険な荒神の加護を求める者も少なくありません。そういった暴走する加護の力を抑えるための修行法なども、ヴェーダには伝わっておりますから」
「よ、よろしくお願いしますぅ……」
自分の専門分野を離れた途端、滑舌が悪くなるファナコにも、天子が優しい微笑みで語りかける。
実際、天子のいう通りに、ヴェーダは他国よりも危険な加護に手を出す者が多く、その分だけ対処法が確立されている。他所の国では忌み子だの呪い子だのと呼ばれて赤子の内から処してしまうような危険な加護持ちであっても、ヴェーダでは強い力の持ち主として鍛えるべし、とする文化だ。
もしもファナコがヴェーダで生まれていれば、クロノよりも先に唯天ゾアの打倒を成し遂げたかもしれない。
ただ、そうなると不朽の名作『プリムの誘惑』もまた生まれることはなかっただろう。
「まずは、ファナコ姫の御力を計るところから始めるのがよろしいかと思います」
「ふふん、見た目はヘナチョコだけど、強いぞコイツは」
「まぁ、ルルゥがそこまで言うのでしたら、相当な武力なのですね。うーん、ここは上位の仙位持ちの方にお願いするのが良さそうです」
そうして天子は幼いながらも、テキパキと段取りを組み、早速ファナコを武仙宮の正面広場へと招いた。
その場には、すでに天子が呼んだファナコの相手が待ち構えている。
「ふっふっふ……天子様のお呼びとあって、この『四聖』たる私が参上致しました!」
「はい、よく来てくれました。お話は聞いておりますね?」
「無論、この私めに万事お任せを」
貧弱お姫様の相手をするだけのチョロいお仕事、と目ざとく見つけてやって来た『四聖』の姉貴。
彼女の内心を知ってか知らずか、天子は穏やかな微笑みを向けるのみ。
「彼女はルルゥと同じ『四聖』です。どうぞ遠慮なく、力を奮っていただければ」
「あ、ありがとう、ございます……」
自信満々に立つ四聖へと、ファナコは緊張に強張った足取りで相対する。
「おい、もっと離れた方がいいぞ」
黙って通常の組手の立ち位置についたのは、両者も審判役も、そして周囲にいたギャラリーも同様であった。
ルルゥは天子の手を引いて、ちょっと遠すぎるのでは、と思えるほどの位置にある観覧席まで、わざわざ移動していった。
どういう意味だ、と若干のざわめきが起きたが、天子が観覧席についたのを全員が見送ってから、改めて開始となった。
「それでは、始め!」
「どうぞ、お姫様。先手は譲ってあげる」
「あっ、はい……どうも……」
開始の合図と同時に仕掛けて瞬殺、などという無礼を働く気は無い。
いいとこのお嬢ちゃんに基礎の基礎を教える楽な仕事と心得て、余裕綽々で四聖姉貴はそう言い放つ。
そしてモタモタと眼鏡を外す鈍くさい動作を眺めていた、余裕の笑みが次の瞬間に固まった。
「全部ぶっ壊す――――『鬼々怪々ユラ』」
「えっ、ちょっと待って、なにこれ聞いてな――――」
それがこれよりヴェーダを震撼させる、鬼神ファナコの最初の一戦となるのだった。




