36話 モブはヒロイン達の地雷である
沙紀の距離が近いのはいつもの事だが、今回は今までの比にならないほど密着している。
正直言って、まともに走れる気がまったくしない。
……や、柔らけぇ。
「お、おい、沙紀。さすがにそこまでする必要は……」
「で、でも、あの二人の走り方を参考にしようと晴哉君も言っていましたし……」
「た、確かに言ったけどさ」
沙紀は悲しそうな表情を浮かべて、どこか覇気のない声で呟く。
「ごめんなさい。嫌……でしたよね」
「い、嫌じゃない」
沙紀のそんな顔を見せられたら、そう答えるしかないじゃないか!
まぁ、嫌とはそもそも思っていなかったしな。
恥ずかしいし緊張するのは事実だけど。
「はいっ」
花の咲いたような笑顔を沙紀は見せた。
……心なしか密着度が増した気がする。
「……ねぇ」
突然、耳朶に触れる冷たい声。
声の主である玲奈は、鋭い視線を俺達……というより俺に向けている。
何を言われるのだろうかと、内心ビクビクする。
「早くしてくれないかしら? 私の時間が無くなっちゃうわ」
てっきり説教的なこと言われるだろうと覚悟していたのだが。
正直、晴哉のばか……くらいは言われると思っていた。
「それと……晴哉のばか」
あっ、言われた。
玲奈も待ちくたびれている様子なので、早速このまま走ってみることに。
ちなみに、これまでで一番良いタイムが出た。
……なんで?
「次は私の番ね」
沙紀と入れ替わるようにして、玲奈が俺の隣にやって来る。
「それじゃあ、早速走りましょうか。誰かさんが雛森さんとイチャイチャしてたせいで時間が押してるからね」
イチャイチャはしてないが、俺のせいで遅れてしまったのは事実。
それから隣に立った玲奈が一歩、また一歩と少しずつ距離を詰めてくる。
やがて、意を決したように……玲奈が俺の腕に抱きついた。
まるで、さっきの沙紀のように。
「れ、玲奈!? 何してんだ!?」
「な、なにって、そんなの見たら分かるでしょ。言わせないでよ、晴哉のばか」
「し、質問を変える。なんで俺の腕に抱きついてるんだ?」
「な、なによ。雛森さんは良くて、私はダメ……なの?」
「っ」
先ほどの沙紀のように、玲奈も悲しげな表情を浮かべてどこか覇気のない声で呟く。
しかも……上目遣いで。
玲奈の上目遣い……破壊力高すぎだろ!
普段とのギャップがありすぎて、ドキッとしてしまう。
「だ、ダメじゃない」
「な、なら最初からそう言いなさいよね、晴哉のばか」
……晴哉のばかって最近言い過ぎでは?
玲奈の口癖になっている気がする。
「それに、さっき雛森さんとこの走り方に変えてからタイムが速くなったんだから、最初からこうして走った方が効率が良いわ」
「な、なるほど」
さすが玲奈、ちゃんと理由があっての行動。
そう、玲奈にはちゃんと狙いがあるのだった。
「晴哉はさっき、雛森さんと15分ほどペアで走っていたわ。なら、私ともそうすべきよね?」
「そ、そうだな」
「なら早速走りましょうか、晴哉。15分間、この状態のままで」
「えっ」
沙紀と腕を組んで走ったのは最後だけ、時間にすればほんの数十秒程度だ。
しかし、玲奈とはその何倍の時間も……
「ふふっ」
玲奈は笑みを溢した。
「むぅ……」
沙紀が拗ねた表情で俺達を見ている。
「ふ、二人とも距離が近くありませんか?」
「あなたにだけは言われたくないわ」
間髪入れず答えた玲奈の言葉に同意しかない。
それから玲奈は更に体を寄せてくる。
俺、この状態を15分も耐えないといけないのか!?
それからなんとか15分乗り切ったが、緊張していたせいか1時間くらい経ったのでないかと錯覚してしまうほど、時間の流れが遅く感じた。
そのせいで、体力よりも精神的に疲弊している。
……これは、精神的な癒しが必要だろう。
「じゃあ次は、沙紀と玲奈がペアだな」
「「……」」
聖女様と女神様のペアという、ストーリーでは見る事ができなかった夢の共演。
二人が仲良く腕を組んで走っているのを見ながら、休憩タイムと行こうじゃないか。
そう思っていたのだが……
「……ねぇ、雛森さん。少し休憩しないかしら?」
「……そうですね。実は私、喉が乾いていたんです」
「あら奇遇ね、私もよ。一緒に買いに行きましょうか」
「わかりました。では、晴哉君の分は私が買ってきますね」
「えっ。あ、ありがとう……」
二人は並んでグラウンドを後にする。
……なんか、うまいこと逃げられたような気がするな。
休憩が終わったら二人に再度言おう。
沙紀と玲奈のペア、見れるなら見たいからな。
「ねぇ、ちょっと」
「ん?」
不意に、誰かに声を掛けられた。
振り向くとそこには…………えっと、誰?
少なくともストーリーには出ていなかったので、俺と同じモブキャラであろうギャルっぽい女子生徒が立っていた。
「えっと……なに?」
「アンタ、あの二人の友達って話、マジ?」
「マジだけど」
「半信半疑だったけど、うわマジなんだ。ヤバっ、釣り合ってなさすぎでしょ」
「……」
……なんか、デジャブを感じるな。
二人が離れたタイミングを見計らってから声を掛けに来たのだろう。
別に俺がなんて思われようが言われようが気にならないので無視することに。
しかし……
「アンタみたいな陰キャが友達なんて、あの二人見る目ないね」
俺を馬鹿にするのは構わないが、あの二人を馬鹿にするだけは絶対に許せない。
「……オイ」
自分でもビックリするほどドスの利いた声が出る。
いい加減にしろ、そう言おうとした寸前、俺は気づいてしまった。
「「……」」
彼女の背後で静かに佇む二人に。
そして、彼女は気づいていない。
俺があの二人の事を悪く言われたのが許せなかったように、二人も俺の事を悪く言われたのが許せないことを。
二人が今の会話を全て聞いてしまっていたことを。
絶対に踏んではいけない地雷を踏んでしまったことを、彼女は気づいていないのだった。
……愚かな。




