10 階段での攻防
『コラーーーーーーー!!!!』
パッと目の前が開けるように、意識がハッキリした。澱んだ花の匂いを蹴散らすかのようなその清涼な声は、この倉庫の会話が聞こえるようずっとスピーカーモードにしていた、僕の胸元のスマホから聞こえてきた。
『三条さん! なーにが友達だろ、ですか! 大事な人をそんな依存物に陥れるような行動なんて、言語道断! お友達の風上にも置けません!』
『ちょ、ちょっとみっちゃん』
大江さんだ。電話の主、大江さんだ。
見ると、目の前の三条もぽかんと口を開けていた。
『いいですか? 私、今から助けに行きますから! それまでにシャンとしといてくださいね!』
「大江ちゃん…」
『返事!』
「はい!」
そして、声が聞こえなくなった。――ズブズブの依存状態だった三条が、とてもいい返事をしたぞ。大江さん強すぎる。
周りの人も、高城准教授まで唖然としている。あれ、これ、隙ができたんじゃないか?
「三条……」
しかし、僕が声をかけるより先に、三条は動いていた。彼は男二人を突き飛ばすと、僕の手を掴んで二階に向かって走り出した。
「三条! 正気に戻ったか!」
「ごめん景清! こんな時まで迷惑かけて!」
「いいから! 今は二階まで逃げよう!」
スマホの向こうにいる人々に聞こえるよう、声を張り上げる。高城准教授も、学生ら数人に指示を飛ばし、僕らを追わせる。
しかし、三条の様子がおかしい。走りながら、手を口に当てて咳き込んでいる。
――いや、違う。その口元からは、ゴボゴボと水に溺れるような音がしていた。
まさか。
「三条、大丈夫か」
「大、丈夫。けど、なんか、息が苦しい」
それ大丈夫じゃねぇだろ。三条は、明らかに足がもつれ出していた。
そんな三条をカバーしながら、なんとか階段までたどりつく。しかし、半ばまで足をかけた所で、突然三条の体が後ろに引っ張られた。
「捕まえた」
そこにいたのは山之辺だった。三条の服に手をかけ、引きずり下ろそうとしている。
――させるかよ!
僕は山之辺の鼻あたりに肘鉄を食らわせ、三条の服から手を離させる。山之辺は階下の人間を巻き添えに、階段下まで転がっていった。
だが、次から次へと手が伸びてくる。これはまるであれだ。芥川龍之介の蜘蛛の糸だ。
まったく、キリがない。
「三条、先に行け!」
「でも」
「るっせぇ! こちとらアンタ助けりゃ大勝利なんだよ!」
「景清キャラ変わってない?」
「僕のキャラどうでもいいだろ! 走れバカ!」
「わ、わかった!」
三条は、口を押さえながらワタワタと二階に向け走った。二階にさえ行けば、多分阿蘇さんか柊さんが何とかしてくれる。だから僕は、ここでこいつらを食い止めねば。
「あ」
三条の声がした。振り返ると、彼のその体は今まさに僕に向けて落ちて来ようとしていた。
――足を滑らせたのだ。
まずい。下には洗脳状態の学生たちがいる。キャッチするか? 学生の相手をするか?
悩んだその一瞬を裂くように、声が割って入った。
「三条さん!」
大江さんだ。彼女は、ひっくり返りそうになった三条の腕を二階から掴んでいた。
「大江ちゃん……」
「行きますよ、三条さん!」
「……わかった!」
大江さんの腕を掴み返し、体を戻した三条はまた二階に向けて階段を上り始めた。しかし、安堵したのも束の間、僕の隣をすり抜けた男が二人を追う。
が、数段も上らぬ内に、降ってきた美女の下敷きになった。
「逃避行を邪魔するなんて、とっても無粋じゃない?」
柊ちゃんは、手にした竹刀で次から次へと追手を捌いていく。強い。そして楽しそうだ。元々敵に回しちゃいけないとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
「アレを逃がすな! アレは一番貯蔵できていたんだ!」
階下で高城准教授が叫ぶ。その言葉に、傀儡と化した学生らがより激しく階段を上ろうとし始めた。
だが、我々にはもう一人心強い味方がいる。ガラスの割れる音と共に、男らしい声が響いた。
「柊! 片っ端から落としてこい!」
「おっそいじゃないのよスカポンタン!」
「この短時間で縄調達できただけ天才なんだよ! ほら早く!」
柊ちゃんが打ちのめし、階段下で伸びた学生を、阿蘇さんは見るも鮮やかな速さで縛っては無力化していく。柊ちゃんも恐ろしかったが、こっちはこっちでやはり恐ろしい。
「ぐっ……! 私の悲願が! 炎への生贄が!」
対する高城准教授は、膝をつき、無念に顔を歪めている。しかし、思い出したように腕時計を見るなり、ニヤリと笑った。
「……だが私の勝ちだ」
高城准教授が、魔法陣の外で何やら詠唱を始めた。――本来なら、こんな光景を目の当たりにした所で、何かしらの脅威になるなんて思わないだろう。けれど、僕の経験と直感が、彼の行為に対して警告をしていた。止めろ、逃げろ、関わるな、と。
しかし、魔法陣の中には誰もいない。全員三条を追うために出て行ったからだ。
――本当に誰もいないのか?
嫌な予感がして二階へと続く階段を見上げる。――そうだ、この魔法陣の真上には。
「景清君! 急げ!」
同じく気づいた阿蘇さんが僕に声を張り上げた。僕は返事をする代わりに、階段を駆け上った。





