焼菓子
クエルが声のした方を振り返ると、向日葵を思わせる明るい黄色い水着を纏った女性が立っていた。
「アイリス王女!」
思わず声が漏れる。女性らしさを保ちながらも、すらりとした体をしており、長くまっすぐな銀髪が、吹き抜ける風に微かに揺れていた。最初に出会った時も感じたが、その姿からは何故か懐かしさを覚える。
「はい、クエル様」
驚くクエルに対し、アイリス王女がにっこりと微笑んだ。その横には、この暑い最中、いつも通りに完璧な執事姿をしたラムサスもいた。ラムサスはその細身の体のどこにそんな力があるのか、大きな荷物をいくつも抱えている。
アイリス王女はクエル以外の女子の面々を見回すと、かすかに首を傾げた。
「ラムサス、クエル様だけをご招待したつもりでしたが?」
「はい、そのように手配しました。事務方の落ち度だと思います。関係者を処分し、今後は間違いがないよう正させます」
ラムサスの言葉に、アイリスは首を横に振った。
「それについては不要です。考えれば、クエル様だけでなく、クエル様の班の皆様ともお話をする機会がありませんでした」
「承知致しました。では準備を始めさせていただきます」
そう言って頭を下げたラムサスが、持ってきた大量の荷物から、次々と中身を取り出していく。それはテーブルや椅子となり、テーブルの上には大きなパラソルが広げられた。最後にラムサスによって、真っ白なテーブルクロスが広げられる。
『まるで魔法だ――』
あまりにも手際よく、それも正確に行われた作業に、クエルは面食らった。気づけば、フリーダ以下全員が感心した表情をしている。いや、一人だけ違う。セシルはそのフリルがついたかわいらしい水着姿とは裏腹に、禍々しいオーラを放ちながら、食い入るようにラムサスをガン見していた。
「アイリス様、お待たせいたしました」
ラムサスが一礼しつつ、アイリスに椅子を引く。
「ラムサス、順番が違います。今後はクエル様を最初にしなさい」
「クエル様、大変失礼いたしました」
ラムサスは深々と一礼すると、真っ白な手袋をした手で、クエルのために椅子を引いた。
「あ、あの……。できれば女性のみなさんを先に――」
しどろもどろに答えると、ラムサスはそれをクエルからの指示ととらえたのか、フリーダに対し椅子を引いた。
「ありがとうございます」
請われるままに、フリーダが椅子に座る。続けてクエルも椅子に座った。フローラの為に場所を開けたラムサスが、最後に残ったセシルにも椅子を引く。
「私は付き人として、クエル様へのお世話がございますので、こちらで結構です」
セシルはそう告げると、ラムサスに向かって頭を下げた。その態度はけなげな侍従そのものだが、ラムサスの完璧な仕事ぶりに、侍従としてのプライドを刺激されたのだろう。決闘を申し込む剣士のような目をしている。
「セシルさん、今日は皆様を、クエル様の同じ班の方々として招待したいと思います。どうかお座りください」
アイリスはそう告げると、雛菊みたいな笑みをセシルに向けた。
「セシルもせっかくだから……」
その発言に、セシルは冷ややかな瞳でクエルを見つめる。だがすぐに深々とアイリス王女へ頭を下げた。
「承知いたしました。僭越ではございますが、ご同席させていただきます」
ラムサスはセシルが椅子に座る手伝いをすると、後ろへ下がった。アイリスがそこに集う面々を見渡す。
「本日は私のお茶会にご参加いただきまして、ありがとうございます」
「お茶会!」
クエルとフリーダの口から、同時に声が上がった。
「はい。不手際があり、うまく伝わっていなかったようです。何はともあれ、クエル様をはじめ、皆さんとこうしてお話する機会を得たことをうれしく思います」
確かに言われてみれば、真っ白なテーブルクロスの上には、草花の意匠をこらした、白磁のティーセットが置かれている。ラムサスがポットからカップへ紅茶を注ぐと、辺りには爽やかな柑橘系の香りが広がった。
ティーカップを前に、フリーダはあっけにとられた顔をしているし、フローラに至っては、何が起きているのか理解できていないらしく、車いすの上で氷のように固まっている。ただ一人、セシルだけは、ラムサスの一挙一動を食い入るように見つめていた。
クエルとしても、水着を着て、アイリス王女やフリーダたちとお茶をしているという状況に、場違いを通り越して、めまいのようなものを感じる。ムーグリィに振り回され続けている、スヴェンの苦労が少しは分かった気がした。
「クエル様と将来を共にする身として――」
「認めたつもりはないけど……」
アイリスの話を遮るように、クエルは口を挟んだ。色々と問題を引き起こすのは分かっているが、これを曖昧には出来ない。
「はい。私は王宮で育ちましたので、クエル様の日々の事をよく分かっておりません。これでは将来の伴侶として、不安になられるのは当然のことかと思います」
アイリスが納得したようにうなずいて見せる。
「そこで、ラムサスに命じて、庶民の家では夫と妻は、どのような関係なのかを調べさせました」
「えっ!?」
意外なセリフに、クエルはフリーダと互いに顔を見合わせた。
「ラムサスの報告では、庶民の家庭の夫は妻の手料理を好むとか……」
そう告げると、アイリスはラムサスに向かって片手を上げた。どこから取り出してきたのか、ラムサスが蓋のついた銀色の盆をテーブルの上へ置いた。おもむろにその蓋を開けると、中からは甘い、それでいてとても芳醇な香りが漂ってくる。
「マドレーヌ!」
フリーダの口から声が漏れた。蓋の下から現れたのは、見事な黄金色に輝く、貝の形をした焼き菓子だ。
「はい。恥ずかしながら、私は料理というものをしたことがありません。とりあえず焼菓子を作ってみました」
「これって、アイリス王女様が、ご自分で作られたのですか?」
マドレーヌは、フリーダの母であるリンダもよく作ってくれる焼菓子だ。その味はまさに絶品だが、これはそれに優るとも劣らない出来に思えた。
ラムサスが盆の上から、各自の前に置かれた白磁の皿へと、マドレーヌを置いていく。そこからはさらに濃厚なバターと、それが絶妙に焦げた香ばしい香りがしてきた。
「お口に合うか心配ですが、ぜひ味わってみてください」
そう告げつつ、アイリスはフリーダの顔をじっと見つめる。クエルは二人の間を流れる微妙な空気に戸惑いつつ、銀のフォークでマドレーヌを口に入れた。
「お、美味しい!」
アイリスが手を顔の前で合わせると、満面の笑みを浮かべる。リンダの作るマドレーヌもとっても美味しいのだが、アイリスが作ったマドレーヌからは、独特の風味が感じられた。
「なんだろう。バター以外にもとってもいい香りがする」
「それに舌触りもとってもなめらか」
フリーダもクエルに同意した。
「クエル様のために、ラムサスに特別な材料を手配させました」
「特別な材料?」
「小麦は王家直轄領の特別な品種を、石臼で七度挽いて雪のように白いものを用意しました。牛乳も高地の特別な牧草で育った牛の、朝一番の乳だけを集めたものを、専用の人形を使って取り寄せています」
ラムサスが告げたあまりにも贅沢な材料に、クエルが絶句した時だ。
「旦那様の言う通りなのです。みんな水練場にいたのですね!」
元気な、いや、元気すぎる声が、水練場一杯に響き渡った。




