役立たず
フローラは講堂前の中庭で、そこで繰り広げられる阿鼻叫喚をじっと眺めていた。血だらけの怪我人が何人も運び込まれ、半壊した人形がまるで薪みたいに積まれている。誰もが叫ぶか、あるいは沈黙し、すすり泣くかだけをしていた。
それでもこの場所がまだ保てているのは、アルマイヤー校長以下の教官たちが、演習場から国学へ向かう森の中で、暴走する人形たちを食い止めているからだ。
「左翼が突破される、予備の人形を回せ!」
「怪我人だ。救護隊はどこだ!」
王都守護隊の制服を身に着けた教官たちが声を張り上げる。担架によって運ばれてきた人物に、フローラは息を飲んだ。どんな時も冷静沈着なヴィクター助教が、制服を血だらけにして運ばれていく。その横に付き添うブレンダの制服も、血に染まっていた。
「ヴィクター、こっちを見て!」
「ブレンダ、すまない。迷惑をかけた」
「何を言っているの。私をかばおうとするからよ!」
「そうだな。だがお前が倒れると、俺だけじゃなくて、イクセルまでも役に立たなくなる」
「それだけ軽口が叩けるのなら大丈夫ね。先生、彼をお願いします」
そう言って頭を下げたブレンダに、看護隊の医師が頷いた。フローラはパンと水を手に、椅子に体を落としたブレンダの所へ向かう。
「食事です!」
「ありがとう」
差しだされたパンと水を受け取ったブレンダが、相手が車椅子なのに気づくと顔を上げた。
「フローラさん、どうしてここに残っているの?」
「私も第13班の一員です。クエルさんたちの無事を確認するまで、ここを離れる訳にはいきません」
それを聞いたブレンダが、フローラの車椅子を一瞥した。
「本気で言っている?」
「は、はい。それに後列のお手伝いもありますし……」
「率直に言って迷惑よ。さっさとここから退却しなさい」
「ですが――」
「ですがもなにもないの。アルマイヤー校長の指揮のおかげで何とかなっているけど、いつ暴走した人形たちに突破されるか分からない。応援に呼んだ兵団の半分以上も、敵に回っている状態なの。混乱なんて言葉では表せないぐらいよ。それに――」
ブレンダはそこで言葉を切ると、フローラの水色の瞳をじっと見つめた。
「まだ戻っていないのなら、彼らはもう助からないと思った方がいい。あなたはここを出て、ジークフリード卿の元に行きなさい。それが一番生き残れる可能性が高い」
そう告げると、ブレンダはコップの水を飲みほして立ち上がった。サルを模した自分の人形を振り返る。
「モンチー、ヴィクターの敵を討ちに行くわよ!」
フローラは人形の背に乗るブレンダの後ろ姿を呆然と眺めると、自分の車椅子へ目を落とした。
『彼女の言う通りだ。自分は何の役にも立たない。むしろみんなの足を引っ張っているだけ……』
フローラがそう思った時だ。
「こちらにいらしたのですね」
背後からこの場にそぐわない落ち着いた声が聞こえた。黒い皮のコートを身に纏った男子生徒が、真っ白な肌の女子生徒を連れて歩いてくる。
「マクシミリアン様……」
結局は同じことを言われるのだろう。フローラはマクシミリアンに頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。すぐにここから退去いたします」
それを聞いたマクシミリアンが、首をひねって見せる。
「誰かが貴方にそれを命じたのですか?」
「ここに居るだけで皆様のご迷惑に――」
「迷惑をかけたのはこちらの方です。やっと兄上があなたの人形を送ってきました。正直なところ、こちらへ運ぶだけでも大変でしたよ」
マクシミリアンが小さく指を鳴らすと、背後に置かれた巨大な台車を覆う布が外された。その姿にフローラは驚く。
「ファーニヴァル!」
それは兄のシグルズが作った、そして選抜で失われたはずの竜の姿を模した人形だ。
「兄が修理したのでしょうか?」
「見かけはそっくりですが、中身は全くの別物ですよ」
「別物?」
当惑するフローラにマクシミリアンが頷く。
「ガスで炎を吐くような代物ではありません。羽も見掛け倒しではなく本物です。何より、これは貴方の人形です」
「これが私の人形……」
そこでフローラがハッとした顔をする。
「飛行型の人形なんて、私には絶対に無理です!」
フローラの叫びに、マクシミリアンは再び首をひねった。
「そうでしょうか? 足が不自由な貴方だからこそ、空を自由に飛ぶべきだと思います。不知火、彼女に飛行服の準備を――。おっと、その前に核との結合が先でしたね」
マクシミリアンはフローラに苦笑すると、車椅子を押して竜を模した人形の前へ進んだ。その伝説の姿にフローラは息を飲む。しかしマクシミリアンに促されて、恐る恐るその顔へ手を触れた。そのひんやりとした感触に、まるで神殿の彫像みたいだと思った時だ。
『汝は何者なり――』
不意にフローラの頭の中に低い声が響いた。辺りを見回したが、フローラに語り掛けてくる者は誰もいない。いや、周りの風景自体が凍り付いたように止まっている。その中でフローラだけが動いていた。
「何なの……」
『汝は何者なり――』
再び声が響く。まとわりつくように重い声だが、自分の知っている声な気もする。
「私、私は……ただの役立たずよ……」
頭に響く声に答えながら、フローラはその通りだと思った。誰かの役に立ちたいと思っているのに、何の役にも立てていない。
人形師になりたいという兄の夢の為にこの身を売った。でも覚悟が足りず、空から身を投げて二度と立てない体に成り果てた。その結果、兄はマクシミリアンのことを逆恨みし、人の心を失ったかと思うぐらいに冷たい存在になっている。自分はと言えば、好きでもない男の手に抱かれ、純潔を失っただけ。
学園に入学してもそうだった。同じ班の一員として、クエルやフリーダたちを少しでも支えたいと思った。実際はみんなから気を使ってもらっているだけの、単なる足手まといに過ぎない。むしろフリーダが自分に向ける屈託のない笑顔が、心臓に針を突き立てられたように痛かった。それが何による痛みかはよく分かっている。フリーダへの嫉妬の心だ……。
「いっそ、全てを消してしまいたい!」
『良きかな――』
フローラの叫びに声が答えた。同時に、竜の胸にほの暗い炎が宿っているのが見える。
『マスターよ、お前こそ我の炎にふさわしい』
『私が?』
『そうだ。お前は我のマスター。その暗き炎で全てを焼き払え――』
バサ――!
フローラの体を押し倒すような突風が吹く。目の前には翼を広げた竜の姿があった。気づけば辺りの景色も元に戻っている。マクシミリアンと不知火を除く、全ての人たちが呆気に取られて竜を見上げていた。その顔に浮かんでいるのは驚きではない、恐怖だ。
「ではフローラ殿、彼と一緒に戦場へ赴くことにしましょう」
マクシミリアンが両腕でフローラの体を抱き上げる。フローラは自分を見つめるその黒い瞳に、ただ頷いた。




