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墓標

 永遠に続くかと思われた人形たちの攻撃は突然に止み、フリーダはギガンティスと共に渓谷の奥へと進んでいた。腕にある盾は失われ、膝とくるぶしにある車輪を兼ねた盾も、歪んでまともに動かない。フリーダはギガンティスの両腕で地面を掻くようにしながら、前へ進んでいた。


 ギギィイィィィ――。


 ギガンティスが腕を動かす度に、油をさしていない100枚もの蝶番がきしむような音が響く。その背中に乗るフリーダの精神力も、限界などはとっくに超えていた。ただ生き残ってクエルたちと会いたいという思いだけで、かろうじて意識を保っている。渓谷の奥、吊橋があったところへ近づいた所で、フリーダはギガンティスの動きを止めた。


「何なの?」


 目の前に広がった風景に、フリーダの口から言葉が漏れる。そこには真っ白な、色のない世界が広がっていた。決して何もない訳ではない。渓谷沿いに木や草は生えている。だがその全てから色が失なわれていた。ギガンティスの足元では、真っ白になった草や枝が、まるで薄焼きの菓子みたいに、サクサクと音を立てて砕けていく。まるで悪夢でも見ているとしか思えない風景だ。


『私がおかしくなった?』


 一度目を瞑ると、フリーダは再び辺りを見渡した。周囲の風景は変わらなかったが、吊り橋の手前に、薔薇の花びらを撒いたみたいな赤い色が広がっている。引き寄せられるようにその場所へギガンティスを進めると、中央に少女が横たわっているのが見えた。同時にそれが決して薔薇の花びらなんかではないことにも気づく。


「セシルちゃん!」


 フリーダはギガンティスの背中から飛び降りると、セシルの前に力なくひざまづいた。横たわるセシルの胸にはくり抜かれたような穴が開き、紺色だった侍従服は破けて、流れ出た血に赤黒く染まっている。フリーダはその血だらけの頬にそっと手を添えた。指先には何の温かみも感じられない。見開かれたままになっている暗紫色の瞳は、ただのガラス玉みたいに、周囲の白い世界を映しているだけだ。


 カラン――、カラン――。


 まるで弔いの鐘のように、乾いた音が谷の底から響いてきた。顔を上げると、切り落とされた吊り橋のロープが風に揺れている。ロープは谷の向こうで切り落とされていた。誰かが吊り橋を渡った証拠だ。


「セシルちゃん、ありがとう。クエルを守ってくれたのね……」


 フリーダはセシルの瞼を閉じると、その幼さを残す顔を、明るい茶色の瞳でじっと見つめた。


「 でもごめんなさい。今の私は、あなたをクエルの元へ連れて行くことが出来ない。だけど約束する。クエルと一緒に必ず戻ってくる。そして貴方が私たちにしてくれたことを墓標に、心に刻む。だから少しの間、ここで私たちを待っていて」


 セシルの胸に手を添えて、無残に開いた穴を隠すと、フリーダは立ち上がった。傍らに立つギガンティスを見上げる。


「ギガンティス、私たちが戻ってくるまで、セシルちゃんを守って」


 フリーダはギガンティスに別れを告げると、谷底へ身を乗り出した。吹き抜ける風に、落ちた吊り橋が乾いた音を立てて揺れている。


「ここを降りて登るしかないわね」


 疲れ果てた体で崖を降りるのは、単なる自殺行為のようにも思える。しかしそれをしなければ、セシルの死が無駄になってしまう。フリーダは覚悟を決めると、ロープにしがみついた。息を荒げながら、自分の背の三倍ほどを降りた時だ。頭上で何かが動く気配がした。


『人形!』


 胃が掴まれるような恐怖に体が震える。しかし崖の上に現れたのは人形ではなかった。王都守護隊の灰色の制服を着た女性が顔をのぞかせる。


「あら、まだ生きていたの?」


「イフゲニア教官!」


 全身の力が抜け、思わず足を踏み外しそうになる。


「クエルが谷の向こうに居ます。救援の要請をお願いします!」


「普通は死ぬはずだけど、やっぱりあの人の血筋ね……」


 フリーダの呼びかけを無視して、イフゲニアがつぶやく。


「何のことでしょうか?」


「私の仕事の話だから、気にしないで」


 イフゲニアは興味無さげにフリーダを眺めた。そのオレンジ色の瞳の冷たさにフリーダは驚く。その背後から緑の茨が姿を現し、鋭い棘がフリーダのしがみつくロープに向けられた。


「な、何をするんです!」


「彼のことは心配無用よ。でも残念だけど、あなたにはここで退場してもらわないと困るの」


 次の瞬間、茨が吊り橋のロープを切り離す。それを眺めながら、フリーダは自分の体が下へ下へと落ちていくのを、そしてクエルとはもうこの世界では会えないのを悟った。


()()はちゃんと死んでね!」


 イフゲニアが崖の下に向かって手を振る。その横でギガンティスの巨体が動いた。イフゲニアが茨を動かすより早く、谷底にその身を踊らせる。底から聞こえる鈍い破壊音に耳を傾けながら、イフゲニアはあごに手を添えた。


「あの娘も本同期が出来たの? そんなことはないわよね……」


 小さく肩をすくめると、鼻歌を歌いながら渓谷の出口へと足を向けた。しかし入口から侵入してきた人形たちが、イフゲニアに飛びかかってくる。


「本当に見境なし。しつこいのは嫌いなの!」


 イフゲニアの周囲に現れた茨が、人形の体を捉えようとした時だ。


 ホ――!


 疾風と共に空から何かが降ってきた。それは目にも止まらぬ速さでイフゲニアの周囲を旋回すると、人形たちをただの歯車とワイヤーのがれきへと変えていく。全てを破壊し終えると、イフゲニアの前にみみずくを模した人形が着地した。イフゲニアは制服についた白い灰を払うと、みみずくから降りてきた人物へ視線を向ける。


「お久しぶりです。もっとも、ずっと二人のことを見張っていたみたいですけど……」


「そんなことより、私の娘はどこなの?」


「それでしたら、もう心配する必要はありません」


 それを聞いたリンダが、琥珀を思わせる瞳でイフゲニアをじっと見つめた。


「それはどういう意味? 彼は私の娘の安全を保障していたはずよ」


「言葉通りです。またしてもあなたを裏切った。それだけのことですよ」


「ミネルバ!」


 風切り音と共に、リンダとみみずくを模した人形の姿が消える。


「ドライアド!」


 イフゲニアの体を緑の茨が包んだ。だが分厚い茨の壁は、ミネルバの鋭い爪によってあっさりと引き裂かれ、イフゲニアの体が地面を転がる。


 バン!


 鋭い爪をもつ(あしゆび)によってイフゲニアの胸が押さえつけられた。リンダが切り落としたドライアドの棘をその胸に向ける。その姿を眺めながら、イフゲニアは口の端を持ち上げた。


「あなたも私と同じ。心の中に別の誰かを住まわせている人を思い続けている。しかも報われないと知り――」


 イフゲニアのセリフを待つことなく、リンダはドライアドの棘を突き立てた。イフゲニアの胸から鮮血が溢れ、その間から銀色の輝く珠が顔を出す。ミネルバはくちばしでそれを咥えると、イフゲニアの体から引きずり出した。


「人のふりをしているだけのくせに、人の愛を語らないで頂戴」


 リンダはそう告げると、小さく指を鳴らした。


 パリン!


 乾いた音と共に珠が砕け散り、粉雪の様な破片が渓谷を吹き抜ける風に消えていく。リンダはそれを一顧だにすることなく、黒雲が流れる空を見上げた。


「私と袂を分かつのね」


 木霊が消えるより早く、リンダとミネルバが姿を消す。その後には茨を墓標のごとく胸に抱く、動かぬイフゲニアの体だけが残された。

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