守り手
悲鳴を上げて逃げ惑う生徒たちの背中を、かつては忠実に従っていた者たちが追いかけていた。野戦服に身を包んだ女子生徒の一人が、木の根に足を取られて地面に転がった。女子生徒は必死に立ち上がろうとしたが、焦りで足がもつれ、立つことが出来ない。
女子生徒が恐る恐る背後を振り返ると、伝説の生き物、ユニコーンを模した人形が彼女をじっと見つめていた。その瞳は本来の水色ではなく、狂気を宿した赤に染まっている。
ギュエエエエ!
その姿に似合わぬ咆哮を上げながら、ユニコーンが銀色に輝く角をふりかざした。
「ヒィ――!」
女子生徒が悲鳴を上げた時だ。ユニコーンの前に大きな岩が転がってくる。
「スパーナイト、朝露の陣!」
岩から八本の足が現れ、素早く回転しつつ白い糸を吐き出した。ユニコーンの体が木々の間に張られた網にからめ取られる。ユニコーンだけでなく、森から現れた幾多の人形たちも網にかかるのが見えた。人形たちは絡みつく糸を引きちぎろうとするが、もがくほどに糸にからめとられていく。
パン!
乾いた音が響いた。女子生徒が自分の頬を張った人物を呆然と見上げる。
「何を惚けている、走れ!」
フィリップの声に、女子生徒は慌てて立ち上がると、国学へ続く小道を駆けていく。それと入れ替わるように、誰かがこちらへ駆けてくる足音が聞こえた。王都守護隊の灰色の制服に身を包んだアイラが顔を出す。
「アイラ、そっちは?」
「ヒュロノメに乗せて、四名ほど外へ連れ出しました」
フィリップの問いかけに、アイラは糸に絡まった人形たちを警戒しながら答えた。
「こっちは一人見つけた。これで逃げ遅れは何人だ?」
「当家の未確認は三名です」
「残りは僕とアイ姉で手分けして探すしかない。当家にはアイ姉ぐらいしか、まともな人形師が居ないと言うのは本当だったな。術で結合していた人形たちはすべてこれだ」
フィリップはチェスター家の子弟たちが繰っていた人形たちを眺めた。その全てがフィリップとアイラに対し、あからさまな殺意を向けている。
「坊ちゃん、これ以上は危険です。すぐに国学へ退去してください。国学にたどり着けば、アルマイヤー校長の指揮する王都守護隊がいます」
「アイ姉、それは出来ないよ。ここで誰かを見捨てて帰ったりしたら、また大おばあ様に尻を叩かれる」
「何を言っているんです。坊ちゃんの安全こそが最優先です!」
「もちろん無理はしない。それにこれを引き起こしたのが何かも分からない以上、どこに逃げても同じさ。こちらの足場の悪い方は僕とスパーナイトで調べる。アイ姉は森の奥を頼んだ」
フィリップはそう告げると、スパーナイトを連れて岩場へと向かった。森から岩場に出たフィリップの耳が、鈍い打撃音を捉える。フィリップは音がした方へスパーナイトを急がせた。不意に生臭い血の匂いが漂ってくる。
「誰かいるのか!?」
フィリップは血の匂いを追って岩場の影へ回った。だがすぐに顔を背ける。無惨に引きちぎられた遺体は、それが男なのか女なのかすらも分からない。
ドン!
今度ははっきりとした衝撃音が崖の上から聞こえてきた。間違いなく誰かが戦っている。フィリップが顔を上げると、崖の上にある割れ目から人形が転がり落ちてきた。割れ目の入口で、巨人の背中に乗る女子生徒が、赤い髪の毛を振り乱して戦っている。それ以上に、がけ下に広がる風景にフィリップは驚いた。
「まるで軍隊蟻だ……」
かつては騎士や戦士の姿をしていたはずの人形が、四つ足の獣のような姿で、群れをなして絶壁を登っている。たとえフリーダがどんなにすぐれた人形師だろうと、背後をとられていなかろうと、この数の相手をどうにか出来るとは思えない。
『見捨てるしかない――』
人形たちに気づかれる前に、フィリップは岩陰に隠したスパーナイトと森へ戻ろうとした。しかしそこで足を止める。
「やっぱり、大おばあ様に尻を叩かれるよな……」
そう小さくつぶやくと、スパーナイトを岩陰から出した。
「彼女に晩餐会の借りを返す。乱れ撃ち!」
スパーナイトは巨大な独楽となって回転すると、次々と糸を吐き出した。鎌のように宙を飛んだ糸が、崖を昇っていた人形たちを岩に固定していく。
ギュェエエエエ――!
身動きができなくなった人形たちが怒声を上げた。しかし数体の人形が、スパーナイトの糸をかいくぐり、まるでカモシカのように岩場を飛んで、フィリップたちへ向かってくる。
「スパーナイト、逃げるぞ!」
フィリップはスパーナイトの体に飛び乗ると、岩場を森へと逃げた。スパーナイトは背後に迫る人形に糸を吐き出したが、その糸はあまりにも細く、人形の動きを止めることが出来ない。
「弾切れか!」
そう叫んだフィリップが、森の中へ飛び込もうとした時だ。
ザン――!
森から飛び出してきた何かに、スパーナイトの足が切断された。スパーナイトの体に急制動が掛かり、フィリップの体が宙を舞う。
『まずい!』
受け身をとる暇もなく、体が地面に叩きつけられた。背中と肩に走る痛みに息が止まりそうになりながらも、必死に体を起こす。その視線の先に見えたのは、白い糸を巻き付かせた人形たちが、スパーナイトの全ての足を折り、それを空へ放り投げる姿だ。
折れた木を糸で引きずった人形が、フィリップの方へ顔を向けた。鋭い牙が生えた口を大きく広げる。
『ここまでか――』
フィリップは観念した。同時にチェスター家の者としての矜持は見せられたとも思う。その時だ。
ブン!
背後で弓弦の鳴る音が響く。次の瞬間、フィリップを襲おうとした人形の口に鋼鉄の矢が突き刺さった。上半身は優美な女性の姿を、下半身は牝馬の姿をした人形が、フィリップの周りを円を描くように矢を放ち、人形たちを木に貼り付けていく。その背に乗るアイラが、フィリップに手を伸ばした。
「坊ちゃん、ヒュロノメの背中に!」
「アイラ、後ろだ!」
フィリップの警告に、アイラは背後を振り返った。岩場から追いかけてきた新手の人形が、ヒュロノメに向かって跳躍する。
アイラはヒュロノメの体を一回転させると、襲ってきた人形を後ろ脚で蹴り上げた。ヒュロノメの一撃に人形の上半身がちぎれ飛ぶ。しかし下半身の爪がヒュロノメの腹を切り裂いた。
「ア――!」
苦悶の表情をしたアイラの体が崩れ落ちる。フィリップは必死に体を動かすと、アイラを両腕で受け止めた。
「アイ姉!」
「ぼ……ぼっ、ちゃん……ここは……私が……」
そこでアイラが激しく咳込んだ。その口からは赤い血が漏れている。気づけばわき腹からも出血しており、フィリップの腕も真っ赤に染まっていた。
「それに……か、かすり……傷です……」
アイラはそう言葉を続けたが、その唇があっという間に紫色に染まっていく。
「何もしゃべるな。スパーナイト、糸だ!」
フィリップの叫びに、手足を失い、背を叩き潰されたスパーナイトの口が動いた。口から出た糸がアイラの体を包んでいく。最後の一吐きを終えると、スパーナイトは本物の岩のごとく動きを止めた。フィリップが白い糸に包まれたアイラの体を背負う。
「アイ姉、一緒に家まで戻るよ。一生僕の側にいてくれ。僕はアイ姉がいないとだめなんだ」
「ぼ……ぼっ……ちゃん……」
人形たちの唸り声が響くなか、フィリップはアイラを背に、森の中を一心不乱に駆け続けた。




