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 セレンは体をぶつけるように動くと、人形の口に箒を差し込んだ。箒だけでなく、腕までねじ込んで人形の口を貫く。だが人形は動きを止めることなく、セレンの腕に牙を立てた。セレンは噛みつかれたまま、人形の体を振り回す。


 グシャ!


 振り回した体が、他の人形たちと激しくぶつかり、それらを巻き込んで谷底へ落ちた。しかしセレンの腕は引きちぎられ、細く編まれたワイヤーと歯車が顔をのぞかせる。片腕を失ったセレンに向かって、新たな人形が鋭い爪を振り上げて襲い掛かってきた。


 セレンはその一撃を待つことなく、再び肩から相手に激しくぶつかる。不意を突かれた相手の人形はのけぞったが、足を振り上げると、セレンに乗るセシルめがけてそれを振り下ろした。セシルは身を引いてその一撃を避ける。だが前足から伸びた爪が、セシルの紺色の侍従服を切り裂いた。


 セシルの膨らみかけた乳房があらわになり、胸の間に赤い線が現れる。セシルはそれを気にすることなく、セレンの腕から伸びたワイヤーを手に、相手の人形へ飛び乗ると、素早く首にそれを掛けた。


 ブン!


 足の関節から火花を散らしながら、セレンが素早く回転する。人形の体が宙に浮くと、セレンのワイヤーが肩ごと外れ、吹き飛ばされた人形が激しく壁面にぶつかった。


「これでしばらくは動けまい」


 人形が谷に落ちる音に耳を傾けながら、セシルは血だらけの侍従服へ視線を向けた。胸の間からは、人と同じ赤い液体が流れ続けている。セシルがその傷へ手を当てると、胸に刻まれた赤い線が消えた。続けて腕を失い、足の関節があらぬ方向へねじ曲がったセレンを見上げる。


「マスターからもらった力だけでは再生できぬか……」


 そう告げると、セシルは膝を折り両手を地面につけた。


「汝らの命を我に!」


 渓谷にセシルの声が木霊する。次の瞬間、空から何かが落ちてきた。羽をもつ小さな生き物たちの躯だ。それだけではない。渓谷を緑に染めていた木々が茶色に、そして真っ白へと変わっていく。同時にセシルとセレンの体がぼんやりとした光に包まれた。


 静寂の中、どれほどの時間が過ぎただろうか。白と黒に変わり果てた世界の中で、セシルの体がゆっくりと動いた。そして背後に立つセレンを仰ぎ見る。その視線の先では、セレンの体から失われたはずの腕が元に戻っていた。しかしその侍従を模した体には、人形たちがつけた爪痕が幾筋も残っている。


「動くようにするだけでもこれか……。我の中にマスター以外の者はいれたくないのだがな」


 セシルは鳥たちの(むくろ)へ手を伸ばした。


「お前たちの命は、マスターと赤毛を守るために大事に使わせてもらう」


 フフフフ――。


 不意に含み笑いが聞こえた。セシルが顔を上げると、骨のように白い肌をした不知火が、袖と裾が長い奇妙な服で立っている。


「お前も私と同じ……」


 不知火は口元に指をあてると、唇の間からするどく伸びた白い牙を(あらわ)にした。


「しかし哀れよ。あの程度の主人と結合したせいで、タガが外れた程度の者たちに、いいように遊ばれている……」


 不知火はそうつぶやくと、小さく首を傾げて見せた。


「どうしてあの男は、こんな()()にこだわる?」


「我は我だ。本物も偽物もない。我を偽物と呼ぶお前こそ何者だ?」


「我が君をこの世界で唯一者にする者。この世界をあるべき姿に戻す者」


 それを聞いたセシルが、フンと鼻を鳴らして立ち上がった。

 

「マスター以外の者が、我をどう思うかなど興味はない。だがお前を見ていると、お前の主人がどんな存在なのかよく分かる」


「負け犬の遠吠えとはこのことよ」


「見えぬ者には何も見えぬ。お前の主人は、二つにして一つの意味など決して分かるまい」


「我が君を愚弄するつもりか!」


「我らの意識はすべて借りもの、マスターの意識の鏡にすぎぬ。それすらも理解せず、主人の肥大化した自尊心に、共におぼれているお前を哀れに思う」


 不知火の黒曜石を思わせる黒い瞳が赤く光った。


「お前が私の足元にも及ばぬことを、身をもって知るがいい!」


 不知火がセシルに向けて跳躍する。セレンの箒がそれを迎え撃つが、不知火の爪の一振りで箒の先を切り落とされた。それでもセレンが箒を振るおうとした時だ。セレンの背後から谷底に落としたはずの人形たちが姿を現した。


 バキバキ!


 人形たちは野獣のようにセレンの腕や足に牙を突き立てる。セレンの体が砕け、歯車やワイヤーが再び顔を出した。人形たちはまるで貪り食うがごとく、セレンの体をくだき続ける。それを見た不知火が冷たい笑みを浮かべた。


「みじめなものよ……」


 不知火が残骸と化したセレンの元へ足を踏み出した時だ。


「同胞よ。主を選べなかったお前たちこそ、真に哀れに思う」


 風に乗ってセシルの声がした。気づけばセシルの姿は不知火の視界から消えている。


「どこだ!」


「ここだ――」


 不知火の体を銀色の棒が突き抜けた。その先端からは赤い血がほとばしり、不知火の真っ白な衣装を赤く染めていく。


「本身を……失った化身が……、どうして動ける……」


「知らぬな。我には変なものが混じっている」


 セシルは不知火の返り血を浴びながらつぶやいた。セシルが手にする箒の先端にさらに力を込めると、ぼんやり輝く何かが不知火の胸の間から姿を現した。セシルがそれに手を伸ばした時だ。


「セレン……セラフィーヌ……」


 不知火の口から言葉が漏れた。それを耳にしたセシルの動きが止まる。不知火は自分を貫く棒の先端に両手を添えると、それを一気に引き抜いた。胸に穴を開けたまま、背後で彫像のように固まるセシルの顔に両手を添える。セシルの頬が不知火の血に赤く染まった。


「真の名を奪われる……気分は……どうじゃ……」


 そう告げると、おもむろに片手をセシルの胸に添えた。爪がセシルの胸元を切り裂く。そのまま傷口に手を差しこむと、淡い光を放つ珠を取り出した。


「なにが変な……ものだ……。こちらに……核を隠していた……だけよ……」


 そう告げつつ、淡い光を放ち続けるそれを、セシルの体から引き抜いた。セシルの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。地に横たわるセシルの体を冷やかに見下しながら、不知火が白く輝く珠を掲げた。


 ゴクリ……。


 喉の音を立てつつ、不知火が珠を一気に飲み込む。次の瞬間、不知火の赤い目がセシルと同じ暗紫色に染まった。だがすぐに黒曜石を思わせる黒い瞳へ戻る。続けてセレンを砕き続けていた人形たちがばたりと倒れ、不知火の体がぼんやりとした光に包まれた。


 バサ――。


 その時だ。不知火の元に空から何かが下りてくる。それを見上げる不知火の体には何の傷跡もない。不知火は己の血に染まった着物を整えると、地面に三つ指をついて頭を下げた。銀色の羽をもつ巨鳥から、黒皮の上着を着た人物が降りてくる。


「不知火、終わったか?」


「はい、我が君。つつがなく」


 それを聞いたマクシミリアンが、血だらけの不知火の頬に手を添えた。


「かすり傷です。それにもう傷はふさがりました」


「不知火、血に染まるお前も美しいな」


 マクシミリアンが不知火の唇に己の唇を重ねた。


「ああ、我が君――」


 不知火がうっとりとした顔をする。マクシミリアンが唇を離すと、不知火はマクシミリアンの口についた血を、血よりも赤い舌で舐め取った。


「事は始まりました。あの男はもう必要ありません」


 不知火のセリフに、マクシミリアンが首を横に振る。


「まだ兄上は必要だ。我らが表に出る時ではない。では次の引き金を引くとしよう」


 マクシミリアンが不知火の体を足場に、ガルーダの背中に乗った。続けて不知火もガルーダの背中へと飛び乗る。


「我が君、あちらはよろしいのですか?」


 渓谷の入口に視線を向けた不知火が、手綱を握ったマクシミリアンに問いかけた。それを聞いたマクシミリアンが、肩越しに背後を振り返る。そちらからは人形同士のぶつかる鈍い打撃音が響いてくる。 


「彼女は向こうの領分だよ」


「はい、我が君」


 翼の羽ばたきで枯れた木々をなぎ倒しつつ、銀色の巨鳥は黒雲に覆われた空の彼方へと舞い上がった。

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