理由
クエル達はセシルがブレンダから盗んだ野戦地図に印された、丘の上へ続く坂道をギガンティスに乗って進んでいた。しかしギガンティスを駆動し続けるフリーダの顔には疲労の色がある。
「フリーダ、無理はするな!」
「これぐらい大丈夫よ」
「この先に橋があるはずです!」
セシルが崖の間に走るひび割れのような場所を指す。奥に進むと、そこは丘の真ん中をくり抜くぽっかりと空いた空間で、緑にあふれたとても美しい渓谷になっていた。
壁面からは幾筋もの滝が谷底へ流れ落ち、頭上からは鳥たちのさえずりも聞こえてくる。その奥に谷をまたいで、何かが風に揺れているのが見えた。ロープで張られた吊り橋だ。
「あれが橋?」
クエルの口から思わず言葉が漏れる。ロープの間に板を並べただけのそれは、人が通れるかどうかすら怪しい。そもそもギガンティスでは構造的に渡るのは無理だ。
「フリーダ、残念だけどギガンティスは諦めるしかない!」
「そうね。命のほうが大事よね……」
フリーダがクエルに答えた時だ。
ギュアアアア――!
心を引き裂くような怒りの声がクエルの頭に響いた。同時に鳥たちが一斉に空へ飛び立つ。振り返ると、かつては戦士や騎士の姿をしていたはずの人形が、四つ這いの獣の姿でクエルたちを追ってくる。
「これが人形の動きか!?」
「クエル、降りて!」
驚くクエルの背中をフリーダが押す。続けてセシルがギガンティスから飛び降りると、フリーダはギガンティスを急回転させた。そのまま坂道の傾斜を使って突進すると、腕の盾を前にして、暴走する人形たちを跳ね飛ばす。
グギャン!
破片をまき散らしながら、人形たちが坂道を転がり落ちていく。だがすぐに体制を立て直すと、再びクエルたちへ向かってきた。その一部は跳躍すると、崖の壁面を走ってクエルたちを包囲しようとする。
「こいつら、ただ襲ってくるだけじゃないわけ!」
フリーダは落ちていた岩をギガンティスに拾わせると、壁面を走る人形めがけて投げつけた。岩の直撃を受けた人形は滑り落ちたが、別の人形が崖を登って背後へ回ろうとする。
「ただの暴走じゃない。まるで狩りだ……」
人形たちの動きに、クエルは底しれぬ恐怖を感じた。
「フリーダ、牽制は僕がする!」
「ここは私が投擲で何とかするから、クエルは橋を確保して。あれを落とされたら私たちは積みよ!」
「了解。だけど無茶はするな!」
フリーダは侍従人形と共に走り去るクエルに頷くと、セシルを手招きした。
「セシルちゃん、お願いがあるの。サラスバティでクエルと一緒に橋を渡ったら、すぐに橋を落として頂戴」
それを聞いたセシルが、普段は決して見せない当惑した顔をした。
「フリーダ様はどうされるのですか?」
「どのみちギガンティスは向こうへは渡れない。だから私がこいつらを抑える。抑えないとみんな死ぬ」
「フリーダ様、私がサラスバティでフリーダ様を担ぎます」
セシルの提案にフリーダは首を横に振った。
「だめよ。追いつかれる。それにギガンティスだからこそ、みんなの盾になれるの。セシルちゃんはクエルをぶん殴ってでも、橋の向こうに渡して頂戴」
「ですが――」
「別に死にたいわけじゃない。でも人にはそれぞれ生まれてきた理由がある。きっと私がこの世界に生まれてきたのは、クエルとあなたを守るためだったんだと思う」
それを聞いたセシルが小さくため息をついた。
「フリーダ様、盾になるのはクエル様の侍従たる私の仕事です。ですが今回は、クエル様を橋の向こうに渡す件をお受け致します」
「うん、ありがとう!」
ギガンティスで投石を続けつつ、フリーダが朗らかな笑みを返す。
「私が空になる前に渡ってね!」
「本当に大丈夫かな?」
クエルはそうつぶやくと、セレンを使って吊り橋の縄の緩みを直そうとした。風にゆれる橋はとても頼りなげだ。それに焦りのためか、セレンをうまく動かせない。そこに優美な女性の姿をした人形が現れた。人形は四本の腕を使って、瞬く間に吊り橋の縄を締め直す。
「セシル、助かった。フリーダは?」
クエルの問いかけに、セシルは侍従らしく背筋を伸ばした。
「フリーダ様は入口に留まられました」
「なんだって!」
クエルは慌てて背後を振り返った。逆光でよく見えないが、人形たちの声ならぬ叫びと、低く鈍い打撃音が、渓谷の入口の方から聞こえてくる。
「セシル、ここを頼む。僕はフリーダを援護に行く!」
それを聞いたセシルが、暗紫色の瞳でクエルをじっと見据えた。
「マスター、赤毛の決意を無駄にするつもりか?」
「決意!?」
「赤毛はお前を助けるために残った」
「それなら僕がフリーダの代わりに残る!」
「マスター、お前は橋を渡って生き残る。それがお前の宿命だ」
「何が宿命だ。汝セシル=セレンに、我マスター・クエルは命じる――」
そう叫んだクエルに向かって、セシルは素早く動くと、クエルの腹に拳をめり込ませた。信じられないと言う顔をしてクエルが崩れ落ちる。セシルはその意識のない体をサラスバティへ預けた。
『サラスバティ、いや、ラートリー、マスターを連れて橋を渡ったら、すぐに橋を落とせ』
セシルの言葉に、サラスバティの化身であるラートリーが、おぼろげな姿を現した。
『セシルさん、ここの抑えは私がやります!』
『お前以外はここを渡れぬ。それに赤毛だけでは、側面から来る連中までは抑えきれない。誰かがここで奴らの注意を引き付けねば結局は同じことだ。我が動ける間に頂上まで行け』
それを聞いたラートリーが、セシルを、そしてクエルを見つめる。
『それはマスターが望まれることなのでしょうか?』
『マスターの望みではない。我の望みだ。人形師にとって人形は数多だが、我ら人形にとってマスターは一人だけ』
『セシルさん……』
クエルの頬にそっと指を這わせながら、セシルは苦笑いを浮かべた。
「マスターの言う通り、我は言うことを聞かぬ人形だな」
『それはあなた様が赤き実――』
『違う。我には何か変なものが混じっている。そのおかげでマスターを救えた。それに我の本当の姿は、マスターには見られたくないのだ……』
セシルはまだ幼い少女のようにはにかんで見せると、クエルの唇に己の唇を重ねた。だが何かが崖の上から迫ってくる気配に、すぐに唇を離す。
『やはり赤毛だけでは抑えきれぬか。ラートリー、マスターを連れてすぐに橋を渡れ!』
ラートリーの姿がサラスバティに重なった。クエルを抱えて、朽ちかけた橋を舞うように駆けていく。それを追いかけようとした人形を、セレンが箒で弾き飛ばした。しかし人形は頭を獣の形へ変えて、箒の先を引きちぎろうとする。
バン!
セシルの背後でロープのはじける音が聞こえた。続けて橋が谷底へ落ちる轟音が鳴り響く。剣を収めて頂上を目指すサラスバティの姿に、セシルは口元に笑みを浮かべた。そして数を増やしつつ、間合いを詰めてくる人形たちを、暗紫色の瞳で冷ややかに眺める。
「ではお前たちに、我の真の姿を見せてやろう」




