変化(へんげ)
国学総演習の開始地点に向け、クエルはセレンと共に、ギガンティスに乗るフリーダの背中を追いかけていた。深い朝靄と空を覆う黒雲に、前を行くギガンティスの巨体でさえ見失いそうになる。
『マスター、道に迷うぞ。我の目を使え』
背後を駆けるセシルの声が頭に響く。クエルは素直にうなずくと、セレンとのつながりを強化した。頭の中に白黒の景色が広がり、霧の中で風に揺れる草原が広がる。開始地点である楡の木の前で、ギガンティスの動きが止まった。
セレンと本同期することで研ぎ澄まされた聴覚が、楡の木の向こうから飛び立つ小鳥たちのさえずりを捉える。
「フリーダ、どこかの連中がこの先に陣取ったみたい」
クエルの呼びかけに、フリーダは朝もやの先をじっと見つめた。
「とうとう始まるのね……」
「クエル様、フリーダ様、今なら完璧な奇襲をかけられます」
サラスバティと共に、霧の中から現れたセシルが告げた。
「セシル、作戦開始の合図はまだだよ」
「この霧です。先に動いたかどうかなど分かりません。ルールよりも、クエル様の点数を優先すべきです」
「確かに分からないわよね。それにこの天気だと、合図の照明弾もよく見えないし……」
「おい、フリーダまで何を言うんだ?」
クエルが二人にあきれた顔をした時だ。
ブブブブォ――ン!
心臓を鷲掴みにする大音響が響く。クエルは慌てて耳を抑えた。フリーダも耳を抑えながら顔をしかめる。
「ブレンダ助教のモンチーね。きっと天気が悪いから、照明弾の代わりに使ったのよ。あれを食らうのはもうこりごり」
「それはさておき、クエル様、フリーダ様、どう動かれますか?」
「この霧は人形の数が少ない僕らにとって有利だ。霧が晴れる前に動こう。先行して偵察する。フリーダは待機。セシルは周辺警戒を頼む」
「了解。気をつけてね!」
クエルはフリーダに手を振って答えると、セレンと共に、薄れつつある霧の中を進んだ。やがて森の手前にある窪地へ出ると、先にある木立が不自然に揺れている。
身を隠しながら相手の正体を確かめるべく、クエルが窪地の中へ足を踏み入れた時だ。それを囲むように雑多な人形たちが現れた。同時にクエルの頭の中で、術で縛り付けられた人形たちの声ならぬ悲鳴が響く。
「こんな単純な手に引っかかりやがった!」
モーニングスターを手にした戦士人形の横に立つ生徒が声を上げた。
「トマス……?」
「おい、ボッチ。この前の借りを返させてもらうぞ」
開始前に動いて網を張っていたらしいトマスが、ニヤリと口の端を持ち上げる。続けて十体近い人形がセレンに向かってきた。
「クエルがボッチって、どう言うことよ!」
不意に凛とした声が上がった。霧の向こうから巨大な人形が姿を現す。クエルを囲んだ生徒たちが、あっけにとられた顔で、その背中に乗る赤い髪の女子生徒を見上げた。
「ボッチって……、その……」
「あなたたち、クエルをいじめていたの?」
口ごもったトマスに、フリーダが問いただす。その瞳が宿す冷たい光にクエルは焦った。
「フリーダ、それは僕のあだ名みたいなもので――」
「クエルは黙って。私は彼に聞いているの」
何を踏んでしまったかを理解したトマスが後ずさる。
「待ってくれ!」
「ギガンティス、昇竜の構え……」
トマスが悲鳴をあげる間もなく、ギガンティスの拳がトマスの人形に迫まった。戦士人形はモーニングスターを振り上げたが、ギガンティスの拳がそれをあっさりと弾き飛ばす。戦士人形は数体の人形を巻き添えに、窪地の外へと飛んでいった。
「やべえ、逃げろ!」
「逃がさないわよ!」
トマスたちは背を向けて逃げようとしたが、ギガンティスがそれを許さない。膝の盾を急回転させて機動すると、窪地の縁から人形もろとも落としていく。
「フリーダ、十分だ!」
クエルはフリーダに声をかけたが、フリーダは耳を貸さない。一体ずつ人形を捕まえては、振り回してぶん投げている。
『セシル、フリーダを止めろ!』
『なぜ止める?』
『なぜって……、こんなの演習なんかじゃない。単なる喧嘩だ!』
『人形同士が戦うという点ではどちらも同じだろう。それにマスターを馬鹿にした者たちへの当然の報いでもある』
『埒が明かない!』
フリーダを止めようと、クエルはセレンをトマスたちの前へ進めた。次の瞬間、クエルの視界がまばゆい光に白く染まる。
『雷!?』
クエルは慌てて地面に身を伏せた。だけど雷鳴は聞こえない。地面に手をついて顔を上げると、真っ白な骨のような肌をした少女が、ギガンティスの背後からこちらを眺めている。その片目は何故か赤い光を帯びていた。
『強い光を見たせいだろうか?』
クエルはそう思ったが、同じ光をどこかで見た気がする。気づけば少女の姿はどこにもない。その代わりに、トマスたちの人形がサラスバティの核を助け出した時と同じ、黄金色の光を放っているのが見えた。
「何なの!」
フリーダの当惑する声が聞こえる。ボロボロになった人形が、ちぎれかけた腕を掲げて、ギガンティスの拳を片手で受け止めていた。いや、それどころか押し返している。さらには地面に横たわっていた人形が次々と跳ね起き、ギガンティスに向かって一斉に跳躍した。
「ギガンティス、疾風怒濤!」
回転するギガンティスの腕が、人形たちの体を吹き飛ばす。クエルはフリーダを援護すべく、セレンの箒で人形たちの動きをけん制した。だが重力を無視した動きで箒を避けると、セレンに向かってくる。
間に飛び込んできたサラスバティが、二組の腕に持つ剣で人形の体を真っ二つにした。人形は下半身を失ってさえも、腕を足のように操り、クエルたちへ迫ってくる。
『どうして動けるんだ!』
『マスター、我のこの身と同じだ。核の神経節が人形の体を取り込み、全く別なものへと変えている』
『何か手はないのか?』
クエルがセシルに問いかけた時だ。
ギャ――!
今度は耳をつんざく悲鳴が聞こえた。トマスが這いずるように自分の戦士人形から逃げている。クエルはセレンと共にトマスの元へ駆け寄ると、モーニングスターの一撃をセレンの箒で受け止めた。
「痛い!」
まるで自分の腕が折れたような痛みが走る。
「た、助けてくれ……」
再び迫まる己の人形に、トマスが恐怖のうめきを漏らした。クエルも人形が人形師を襲う姿に、底知れぬ恐怖を感じる。
「さっさとここから逃げろ!」
クエルの怒鳴り声に、トマスは窪地の坂を四つん這いになって逃げた。
『マスター、核だ。核を破壊する』
サラスバティが背中の先にある核へ、四本の剣を突き立てた。だが核から伸びた黄金の光が、全ての刃をはじき返す。
『セシル、これは――』
『分からぬ。だが核を破壊せぬと、こいつらは何度でも蘇るぞ!』
「クエル、大丈夫!?」
フリーダがクエルたちに声を掛けてくる。
「これって、演習なんかじゃないわよね」
再び立ち上がる人形たちを前に、フリーダの顔にも恐怖の色が見えた。先ほどのサラスバティの刃を弾き飛ばした力といい、訳が分からない。
「ともかく、ここを離れて学校まで戻ろう」
「それが一番いいわね」
フリーダもクエルに同意する。窪地から出ると、初夏だと言うのに冷たい風が草原を吹き抜けた。その向こうから、何かが土埃を上げて迫ってくる。
『我ら――我らを――』
『ゆ――許さぬ――許さぬぞ――』
激しい怒りがクエルの頭の中を駆け巡った。そのあまりの負の感情に、クエルは頭を抱えて膝をつく。
パン!
その頬を誰かが張り飛ばした。その痛みにクエルは我に返る。
「クエル様、しっかりしてください!」
自分を見つめるセシルの瞳に、クエルは震えながらも立ち上がった。砂煙は瞬く間に大きくなり、まるで太鼓を叩くような地響きの音も響いている。
キャ――!
誰かのあげる悲鳴が聞こえた。一つだけではない。多くの生徒たちが暴走する人形に襲われている。
「助けにいかなくっちゃ……」
足を踏み出したクエルの前に、セシルが両手を広げて立ちはだかった。
「クエル様、もう手遅れです。それに助けに行けば、クエル様もフリーダ様も助かりません」
「なら、どうしろと言うんだ!」
怒鳴り声を上げたクエルに、セシルが背後を指さした。その先には高い崖に囲まれた丘が見える。
「生き残ります。あの上に逃げ込めば、助けがくるまで耐えられるかもしれません。ここでは囲まれて終わりです」
「クエル……」
フリーダがかすれた声でクエルに呼びかけた。
「セシルちゃんの言う通りよ。あそこに行って合図をすれば、他にも逃げてくる人たちがいるかもしれない」
「フリーダ、セシル、分かった……」
「クエル、セシルちゃん、ギガンティスに乗って。その方がそれぞれ乗るより速いわ」
クエルはフリーダの差しだした手を握ると、ギガンティスの背中へ乗り込んだ。フリーダはセシルがギガンティスに飛び乗ったのを確認すると、全速力で丘に向けて走り出す。その後ろをセレンとサラスバティが追いかけた。
「一体、何が起きたんだ……」
すぐ後ろに迫る砂塵を眺めながら、クエルは自分の唇を、血の味がするほどにかみしめた。




