特別
『ラートリー!』
クエルは 心の中で、サラスバティの真名を叫んだ。次の瞬間、目の前に浅黒い肌と、エメラルドを思わせる緑色の瞳を持つ少女が現れる。その姿は陽炎みたいにおぼろげだ。
「君がサラスバティの化身?」
『はい、マスター』
鈴の音のような声が頭に響く。
「森の中にセシルが一人で取り残されている。僕はセレンとフリーダを助けに行く。君はセシルを助けに行って欲しい」
クエルの依頼に、ラートリーは悲しげに首を横に振った。
『私ではマスターの助力なしに、本身を動かすことは出来ません』
「えっ、セシルは自由に動かしていたけど!?」
『それはセシルさんが、マスターの意識を私につないでくれたからです』
「勝手に動かしていたんじゃないのか!?」
『勝手に動く人形などおりません』
「そうなの? セシルは勝手に動いているとしか思えないけど……」
それを聞いたラートリーが、女神を思わせる顔に、苦笑いを浮かべた。
『セシルさんはマスター同様に、特別なお方なんです』
「僕が特別!?」
『はい。私の核がマスターは特別だと告げています』
「僕は違うよ。セシル抜きに二つの人形を繰るなんて無理だ――」
ラートリーはクエルに近づくと、薄っすらと見える手をクエルの胸に添えた。緑色の瞳がクエルを見上げる。
『御自分を信じて下さい。マスターとセシルさんは二つにして一つです』
「二つにして一つ……」
その言葉に、クエルはピエロの操り人形を思い出した。自分は彼の動きを意識していただろうか?
『意識などしていない――』
自分が見つめていたのは、ピエロが演じる喜び、悲しみ、怒りに一喜一憂するフリーダの瞳だ。そして誕生日を重ねる度に、女性らしさを増すその姿だ。
『振り子を思い出せ……』
セシルのセリフが頭に浮かぶ。クエルは無意識に数え続ける振り子の代わりに、ピエロを繰っていた棒と糸を心に描いた。それだけで、セレンの体がクエルの方を振り向く。
「動いた!」
思わず声を上げたクエルに、ラートリーが微笑んだ。クエルはラートリーに頷き返しながら、自分が何をすべきかを考えた。
草原の先では、フリーダがイクセル助教のハマーを相手に奮闘している。セシルはと言うと、森で人形相手に鬼ごっこだ。
「これって、あくまで演習だよな……」
ガチでやっているとしか思えない。
「セレン、フリーダの援護だ!」
クエルの指示に、セレンは箒を掲げると、草原の先で上がる土埃に向けて動き出した。クエル自身の手足のごとく動き続ける。その姿にクエルは安堵した。ギガンティスは簡単にやられはしない。牽制さえできれば何とかなる。問題は森に取り残されたセシルだ。
「ラートリー、僕らはセシルを助けに行こう!」
ラートリーの陽炎のような姿が、サラスバティに重なった。クエルの心とラートリーの意識が見えない糸で繋がる。クエルは森の奥にいるセシルとの繋がりに集中した。
『すぐに降伏しろ!』
セシルに呼びかけるが、何の返事も返ってこない。
「あれは間違いなく特別だよ」
ため息をついたクエルを、サラスバティが二組の腕でそっと持ち上げた。
「ラートリー、全速力だ!」
『はい、マスター!』
サラスバティは体を翻すと、森の奥へ野鹿のごとく駆けだした。
大木の根元から身を起こすと、セシルは辺りの気配を伺った。森を吹き抜ける風が木々の枝を揺らす中、リズムの異なる不協和音が聞こえてくる。
「我をあぶり出すつもりだな」
そうつぶやくと、肌着についた落ち葉を振り払った。
「やはり白は目立ち過ぎる。次は黒を選ぶことにしよう。その方がマスターの好みかもしれぬ」
あどけない顔には不釣り合いな、怪しげな笑みを浮かべて見せる。だがすぐに表情を不機嫌なものへと変えた。
「最初から赤毛と同じに作っておれば、肌着の色など気にする必要はなかったのだ……」
「かくれんぼのつもりかね?」
不意に男性の落ち着いた声が上がった。
「セシル君、教本には生身の体で人形の相手をしろとは書いていない。『人形を犠牲にしても己の身を守るべし』と書いてあるはずだ」
移動しているらしく、先ほどとは違う方向から声が聞こえてくる。
「君に一つ情報を与えよう。デスストーカーの属性は毒ではない。本物のサソリと同じで、気配を消して獲物を待ち構える『隠密』だよ」
「そういう事か……」
セシルのつぶやきに答えるように、先ほどまで聞こえていた不協和音が消える。
「賢い君のことだ。もう理解しただろう。私の狙いは君ではない。君を助けに来るクエル君だ。そこで君には二つの選択肢がある」
今度はセシルの隠れている大木のすぐ近くから声が聞こえた。
「リスクを冒して、私とデスストーカーの位置を彼に知らせるか、今のまま身を伏せて、私がクエル君を待ち伏せするのを眺めているかだ。君はどっちを選ぶ?」
セシルはフンと鼻を鳴らすと、肌着についた泥を払って立ち上がった。
「ヴィクター助教、そのどちらでもありません」
姿を現したセシルに、サソリの姿をした巨大な人形が音も立てずに近づく。セシルが頭上に迫る漆黒の毒針を見上げた時だ。
バサ――!
何かが木立の間から飛び出してきた。二組の腕を持つ妖艶な人形、サラスバティだ。サラスバティは空中で華麗に一回転すると、デスストーカーの背中へ着地した。毒針の一撃を一組の腕で受け止め、もう一組の腕に手にした双剣をデスストーカーの背中へ向ける。
『セシル、怪我はないか!?』
意識に響いたクエルの言葉に、セシルはわずかに口元を緩めた。
『心配無用だ。どこも壊れてはいない。だが来るのが遅すぎるぞ。おかげで我の肌着が泥だらけではないか』
『ちょっと待て、助けに来たのにそのセリフか? それよりどうして肌着なんだ!?』
『そんなことより赤毛一人では荷が重い。マスターは我の本身を繰るのに集中せよ』
『サラスバティは任せた。僕はフリーダを助けに行く!』
「赤毛のことになると張り切りおって――」
セシルはフンと鼻を鳴らすと、おもむろに背後を振り返った。
「ヴィクター助教、続きはなしでよろしいでしょうか?」
木立の間から姿を現したヴィクターが、肩をすくめる。
「もちろんだ。君は私の想像していたより、遥かに遠くから人形を繰れるんだな。それに森の中で迷うことなく君がどこにいるか分かっていた」
「はい。私たちの繋がりは特別なんです」
セシルは侍従らしく両手を膝に添えると、ヴィクターに対して、完璧なお辞儀をして見せた。




