本気
「仕事よ」
ブレンダは控室で休憩するイクセルとヴィクターに、一枚の書類を差しだした。それを見た二人が顔を見合わせる。
「これって、本物なのか?」
そう声を上げたイクセルに、ブレンダが署名欄を指で叩いた。
「アルマイヤー校長のお墨付きよ。モノホンに決まっているじゃない」
「それはそうなんだが……。助教が特定の班の練習相手をする上に、本番の演習場まで使うだなんて、本当にありなのか?」
「赤毛のお嬢さんから頼まれて、ダメもとでイフゲニア教官に相談したら、二つ返事で請け負ってくれたの」
「イフゲニア教官だって!?」
イクセルが驚きの声を上げる。
「お前だってあの人の噂ぐらい、聞いたことがあるだろう」
「男と寝まくっているというやつ?」
「そっちじゃない。やりたい放題ってやつだ。このアルマイヤー校長の署名だって、自分で書いたのかもしれないぞ」
「たとえそうだとしても、イフゲニア教官の受託署名もあるし、責任を取るのは彼女よ」
「ブレンダ、助教になってから書いた始末書は何枚だ?」
イクセルの問いかけに、ブレンダは指を二本立てた。
「まだたったの二枚。見学会の夜に外へ出すように文句を言いまくったのと、地図をなくしたやつの二つだけ」
「早くもだ。こんなのに巻き込まれたら、始末書ぐらいじゃすまない!」
「イクセル、そのぐらいにしておけ。何を言ってもブレンダはブレンダだ」
声を荒げたイクセルとブレンダの間に、ヴィクターが割って入った。
「赤毛のお嬢さんの彼氏はエンリケ導師の息子だ。それにイフゲニア教官にはエンリケ導師の愛人という噂もある。そのせいかもしれないな」
「本人は単なる幼なじみと言っているけど?」
ブレンダのセリフに、ヴィクターは苦笑いを浮かべた。
「愛人の噂は俺も聞いた。そうだとしても、あからさまに過ぎないか?」
イクセルがヴィクターに首をかしげて見せる。
「赤毛のお嬢さんのお願いで、取り次いだのがブレンダとイフゲニア教官だ。アルマイヤー校長は美人に弱いという噂だから、それで通った可能性もある」
「下手なお世辞はやめて!」
「お世辞じゃない。少なくとも俺はその二人とタメを張れると思っているよ」
ヴィクターの答えに、ブレンダが頬を赤く染める。
「そんなことより、もちろんやるわよね!」
ブレンダの問いかけに、イクセルはいつものおどけた表情とは違う、真剣な顔をした。
「俺たちも国学総演習では真っ先に狙われた口だ。彼らも同じだろう。相手をしたところで、意味などあるのか?」
「あるわよ!」
ブレンダがきっぱりと告げる。
「やられっぱなしと言うのは気に入らない。前回の借りを返すの」
「手助けをするんじゃなくて?」
「こちらが本気でやって生き残れないなら、どのみち国学総演習では生き残れない。今のうちに私たちがつぶしてあげた方が、あの子たちのためよ」
それを聞いたヴィクターが、ブレンダに肩をすくめた。
「ブレンダ、悪党のフリは似合わないな。素直に彼らのために本気でやれと言え」
「私に悪役ってやつを、少しは味あわせてくれないかしら?」
「邪魔だ。そこをどけ」
イクセルは前髪をかき上げたブレンダを押しのけると、机の上に演習場の地図を広げた。
「ヴィクター、相手は手強いぞ」
「その通りだ。人形の数は少ないが、俺たちの国学時代と違って、足を引っ張るやつがいない」
「それで、こちらの作戦は?」
イクセルの問いかけに、ヴィクターは大きな体を丸めて、演習場の地図を眺めた。
「もうモンチーの奇襲で終わらせるという手は使えない。となれば正攻法だ。相手の弱点をつく」
「それなら決まりね。前回は全てあの子にやられた」
ブレンダのセリフにヴィクターが頷く。
「そうだ。相手の動きを止めて、指揮官を狙う」
* * *
国学の敷地の奥にある広大な演習場の向こうには、突き抜けるような青空が広がっていた。その眩いばかりの光をギガンティスの巨体が遮る。
その背中には、深緑と灰色の迷彩の野戦服を着たフリーダが乗っていた。クエルはもちろん、車椅子に乗るフローラも、新品の野戦服を身に纏っている。セシルはと言うと、いつもと変わらぬ侍従服だ。
「セシル、どうして野戦服を着ないんだ?」
「私は侍従です。クエル様にお仕えするのを優先させていただきました」
「いくら何でも――」
『マスター、我に余計な手間を掛けさせるな。それよりも、もう演習が始まる時間だ』
頭の中にセシルのうんざりした声が響く。同時に、ギガンティスの背中から、フリーダが軽やかに飛び降りてきた。
「クエル、準備はいい?」
「大丈夫だ。ブレンダ助教たちとの演習が認められるなんて、思いもしなかったな……」
「うん。私もダメ元でお願いしたんだけど、あっさり認められてびっくり。それに総演習場の一部まで使わせてくれるし、私たち第13班の人形が足りていない分の援助かしら?」
「どうなんだろう。誰もこんなお願いをする人がいなかっただけかも。それよりも、耳栓の準備は?」
フリーダが、紐でぶら下げた耳栓を持ち上げて見せる。
「あんな目に合うのはもう勘弁よ」
「だけど、音が聞こえないのは不便だな」
「今回は距離を取って戦うことになるし、私たちの連携を試すには、丁度いいじゃない」
「確かにそうだ」
クエルはフリーダに頷いた。クエルたちの作戦は単純だ。フリーダのギガンティスが敵を引き付け、その背後をセレンが叩く。一撃離脱を繰り返し、最後は身を隠したサラスバティの奇襲で仕留める。しかし三体の人形が離れた上に、連携を取り続けなければならない。典型的な「言うは易く行うは難し」の作戦だ。
「時間ね……」
日時計を確認したフリーダがつぶやいた。
「クエル、距離を保つのを忘れないで。フローラさん、指示をよろしくお願いします」
「はい、承知しました」
フローラが鏡を手に頷く。フローラは監視役で、小高い場所から鏡を使い、全体の動きをクエルたちに知らせることになっている。
「フリーダさんもお気をつけて」
フリーダはフローラに手を振って答えると、再びギガンティスの背中に飛び乗った。そのまま草原の中へギガンティスを走らせていく。フローラも高台に向けて、車椅子を移動させた。気付けば、クエルの手は汗でべっとりと濡れている。
「マスター、緊張しすぎるな」
クエルはセシルに頷いた。緊張で固くなっていては、動き続けることなどできない。クエルは遠ざかるフローラの後ろ姿を眺めながら、大きく深呼吸をした。
「フローラさんを一人にして大丈夫かな?」
「あくまで演習だ。人形を持たないフローラをつぶしに来たりはしないだろう。もしもの場合は、我が前衛となって時間を稼ぐから、すぐに降参させればよい」
「うん、頼んだよ」
パン!
軽い音と共に打ち上げられた信号弾が、雲一つない青空に白い線を描く。
「セシル、僕も出る」
クエルがセレンと共に草原に駆けだそうとした時だ。
ドカン!
耳栓をしているにも関わらず、雷が落ちたような音が響き渡る。クエルの視線の先では、ギガンティスの巨体が舞い上がる砂埃の中へと消え去った。




