優先権
クエルが背後を振り返ると、真っ白な夏服に、真っ白なターバンをなびかせた人物が、獅子を模した人形を従わせて立っていた。
「ルドラさん!」
「直接話をするのは選抜以来ですね」
ルドラが第二演習場にいることにクエルは驚いた。ルドラはアイリス王女にムーグリィやヒルダ、ラムサスと同じ第一班で、クエルとは別の第一演習場を使っているはずだ。
「どうしてこちらに?」
「やはり同じ相手と演習をしていると飽きると言うものです。イクセル助教の許可をとって、こちらに出向かせてもらいました」
そう告げると、ルドラは一枚の紙をクエルへ差しだした。そこには第二演習場での演習参加を認める旨の文と、イクセルの署名が書いてある。
「イクセル助教はクエル君のことを買っているらしく、二つ返事で許可をくれましたよ。なので、私とゴライオンに優先権があると思うのですが……」
ルドラは土手に座る生徒たちを見渡した。その日焼けした精悍な肌と、緑色の瞳の鋭さに恐れをなしたのか、生徒たちは制服についた土ぼこりを払うと、そこから逃げようとした。その前に獅子の姿をした人形が立ちはだかる。
「どこに行くつもりだね」
「お、俺たちも演習をしないと――」
先頭切って逃げようとしていたトマスが、声を震わせつつルドラに答えた。それを聞いたルドラが首を横に振って見せる。
「君たちには演習の審判をお願いする」
「審判!?」
呆気にとられるトマスにルドラは頷いた。
「どちらが優勢だったか、君たちの多数決で決めてもらいたい。拒否した場合、南領公家に認められている私的権限に基づき、君たちに決闘を申し込ませてもらう。それも今この場でだ」
予想外の事態に狼狽したのか、トマスたちが腰が抜けたように土手に座り込む。それを見てクエルは慌てた。
「ちょっと待ってください。決闘だなんて、いくら何でもやり過ぎだと思います」
「そうですかね。むしろ彼らへのいい教訓だとは思いませんか?」
「どういう意味です?」
「自分の立場を理解するのは重要なことですよ。大きな過ちを犯す前に、彼らに客観的事実と言うものを教えるべきでしょう」
クエルの脳裏に、トマスが繰る人形の緩慢な動きと、世界樹の実が上げる悲鳴が浮かんだ。フリーダへの中傷はさておき、彼らには本物の人形も、本物の人形師になる機会も与えられていない。
「彼らだけのせいではないと思います」
「都合の悪いことを世間のせいにしても無意味です。それに元D組のメンバーとして、君とフリーダ嬢への暴言は見過ごせません」
グゥオオオオオオ!
トマスたちに獅子が咆哮を上げる。ルドラは本気らしい。クエルは覚悟を決めると、ルドラに頷いた。
「分かりました。演習の相手をお受けいたします。ですが条件があります」
「条件とは?」
「彼らへの決闘の申し込みは無しでお願いします」
それを聞いたルドラが、クエルへ真っ白な歯をのぞかせる。
「君が彼らへ十分な教訓を与えられたら、それは撤回しましょう」
パン!
ルドラが軽く指を鳴らす。それを合図にクエルはセレンの背後へ走った。セレンを円を描くように動かしつつ、ルドラの様子を探るが、ルドラはゴライオンを従え悠然と構えている。ゴライオンからは何の悲鳴も聞こえない。相手は本物の人形師と人形だ。
『セレン、どうやって戦う?』
クエルはセレンに問いかけた。だがセレンからの答えはない。
『セレン!』
再び問いかけるも、何の返事もないことにクエルは焦った。しかしセレンとの繋がりは感じられる。
もう演習が始まる時間だ。セレンの意識はサラスバティを繰るのに集中しているのかもしれない。それか、「潜在意識のあるべき姿にのみ忠実」とやらで、ルドラの相手を一人でやるよう仕向けているかのどちらかだ。
『自分だけでやれるのか?』
クエルは自分に問いかけた。何本もの矢で貫かれて立ち尽くすセレンの姿が目に浮かぶ。成す術もなくアイラに蹂躙されたことも思い出した。
『やるんだ!』
クエルは頭を振ると、あの夜の恐怖を心の中から追い出した。この演習を乗り越えられないようでは、再び同じ目に遭うだけだ。フリーダはもちろん、誰も守ることなどできない。
『我を何だと思っている、深淵たる世界樹の実の化身――』
不意にセシルの尊大なセリフを思い出す。でも今ならその言葉の意味が、少しは分かる気がした。
『相手をなめてかかってはいけないが、相手に飲まれてはいけないという事か……』
クエルは並行思考を維持してセレンを動かしながら、再びゴライオンに意識を集中した。姿だけでなく、動きも本物の獅子と同じに思える。ならば相手は狩人で俊敏なはず。追いかけっこになったら、こちらに勝ち目はない。かと言って、正面切って突撃すれば牙と爪の餌食だ。
『――交わすよりも、受けてカウンターを返すのは有りだと思います』
フローラがフリーダに告げた言葉が頭に浮かぶ。セレンは見かけよりもはるかに頑丈な体をしているから、爪の一撃ぐらいなら耐えられるだろう。相手の牙さえ交わすことが出来れば、カウンターをしかけられる。そして相手の牙が絶対に届かない場所は……。
『行くぞ、セレン!』
クエルの呼びかけに、セレンは手にした箒を槍のように掲げると、獅子に向かって騎士のごとく突き進んだ。




