夏服
国学の講堂へ向かう並木道の先には、初夏の突き抜けるような青空が広がっていた。そのまばゆい光の下、白い夏服を着たフリーダが、フローラの車椅子を押していく。
クエルは今日から新学期が始まり、夏服への切り替わりであることに安堵した。そうでなければ、穴だらけの制服を前にして、途方に暮れていたことだろう。傍らを歩くセシルは、何も変わることなく、紺色の侍従服を身につけている。
「本当にどこにも穴は開いていないのか?」
皺ひとつない侍従服を眺めつつ、クエルはチェスター家から戻って以来、何度目になるか分からない質問をした。それを聞いたセシルが、露骨にうっとうしそうな顔をする。
「くどいぞマスター、我のどこにも穴など開いていない。もっとも性別上の――」
「誰もそんなことは聞いてない!」
「なら聞くな。マスター、そもそもお前は我を何だと思っている」
「深淵たる世界樹の実の化身だろう?」
「そうだ。我が相手を油断させる為に、あの程度の演技が出来ないと思うのか?」
「えっ、あれが演技?」
「完全に停止したと見せかけて、向こうの意識がマスターに向くのを待ったのだ。それとも、マスターは我が穴だらけになって欲しいのか?」
「ちょっと待ってくれ。同期が切れた上に、僕はアイラ教官に殺されかけたんだぞ!」
「無事だったのだから、何の問題もないだろう」
どう考えても問題ありありだ。それに、あの胸の激痛は気のせいなんかじゃない。
「あの穴だらけの制服はなんだ。それに核は避けたと言っていたのは?」
「『全部避けた』の言い間違いだ」
クエルはセシルのセリフに面食らった。
「言い間違い!? それなら、どうして僕の横で寝ていた」
「マスター、それはお前のせいだ」
セシルがフンと鼻を鳴らして見せる。
「僕!?」
「あの屋敷につくまで、我はかなりの力を使っていた。それでお前が目を覚ますまで、力を温存していただけだ。これに懲りて、次に同期をするときには、我にもっと集中せよ」
セシルがジト目でこちらを眺める。明らかに何かを隠していると思うのだが、フリーダ同様、口で争っても全く勝てる気がしない。そもそも、人形はもっと主人に従順かつ正直な存在なはずでは?
「我はお前の潜在意識のあるべき姿にのみ忠実なのだ」
「クエル、何をしているの!」
不意にフリーダの声が響いた。前を向くと、いつの間にかフリーダたちとの距離が広がっている。
「フリーダ様、申し訳ありません」
セシルがフリーダのところへ逃げる様に駆けていく。クエルもあきらめて、その後に続いた。
「もう、新学期の訓示が始まっちゃうわよ!」
やっと追いついたクエルに、フリーダが頬を膨らませて見せる。内心は相当に傷ついているはずなのに、その表情はフィリップたちに連れ去られる前と変わらない。
「なにをじろじろ見ているの!」
「えっ、な、夏服が似合っていると思って……」
「そ、そう!?」
クエルの意外な言い訳に、フリーダが頬を赤く染める。
「それよりも、フローラさんを見て何か気付かない?」
フリーダの言葉に、クエルは夏服を着て車椅子に座るフローラへ目を向けた。クエルの視線を受けて、フローラが恥ずかし気に顔を俯かせる。夏服に変わった以外、何が変わったというのだろう。あえて言えば、俯いたせいで、とび色の髪の間から覗くうなじが、妙になまめかしく感じられるぐらいだ。
「もう、これだからクエルは……」
一向に答えられないクエルに、フリーダは嘆息した。
「胸元をよく見て!」
「む、胸元!?」
そこには制服のポケットと、フローラの胸のふくらみを感じさせる曲線が……。
「あれ? 同じだ……」
胸のポケットに、クエルやフリーダと同じ校章、国学を表す盾の紋章が縫い付けられている。
「やっと気が付いたのね!」
「これって?」
「そうよ。フローラさんが正式に国学に入学したの」
「はい。今までは兄の代理でしたが、正式に国学に入学させていただきました」
なぜかフローラが恥ずかし気に答える。
「お兄さんは?」
「兄の入学も変更はありませんが、まだ時間がかかりそうなので、そうなりました」
「フローラ様、ご入学おめでとうございます」
セシルがフローラへ丁寧に頭を下げる。
「ご入学おめでとうございます」
クエルも慌ててセシルに続いた。
「おー、みんなここにいたのですね!」
背後から大声が聞こえた。その声に新学期開始の訓示を聞くべく、講堂へ向かっていた生徒たちが一斉に足を止める。しかし当人はそれを気にすることなく、クエルたちの方へ駆け寄ってきた。これまでより薄手の夏服のせいか、一歩進む度に胸が大きく揺れ、クエルは見てはいけないものを見た気がしてくる。
「ムーグリィさん、もう大丈夫なんですか?」
フリーダがムーグリィに声をかけた。確かにいつもの天真爛漫としか言えない顔が、少しやつれて見える。
「やっとよくなったのです。料理があんなに恐ろしいものだとは知らなかったのです」
「そ、そうですね……」
「でも、旦那様が私の為におかゆを作ってくれたのです!」
「えっ、スヴェンさんが?」
「今まで食べたどんな料理よりも、とってもおいしかったのです」
「クエル、聞いた!? これこそ愛よ、愛!」
「そうなのです。旦那様の愛なのです。今度はムーグリィがお返しの料理を作るので、フリーダに弟子入りするのです!」
それを聞いたフリーダが、思いっきり慌てた顔をする。
「ちょ、ちょっと待ってください。私には無理です。それに私の料理の師匠はフローラさんですよ!」
「そうなのですか? それなら、ムーグリィはフローラに弟子入りするのです!」
「私にですか!?」
今度はフローラが慌てた顔をした。
「フリーダさんも、もう十分にお上手だと思います!」
二人がクエルを挟んで、ムーグリィから隠れようとする。
「おはようございます」
逃げ回る二人の向こうから、男性の声が聞こえた。いつの間にか、フィリップが一本の薔薇を手にクエルたちの前に立っている。
「フィ、フィリップさん!?」
驚くフリーダに対し、フィリップは薔薇を手にその前へ進み出た。
「お美しい方々は何を着てもお美しいですが、夏服もよくお似合いです」
パーン!
いきなり甲高い音が辺りに響き渡った。それを聞いた生徒たちが再び足を止めたが、その当事者が誰なのかを理解すると、足早にその場から去っていく。
「フィリップさん――」
頬を抑えるフィリップに向かって、フリーダは右手を振って見せた。
「あなたの大おばあ様に免じて、これで許してあげます」
そう告げると、フリーダはフローラの車椅子を押して、フィリップの横を通り過ぎて行く。その後を追おうとしたクエルの前に、フィリップが立ちはだかった。
「アイ姉がいなくてよかったよ。フリーダさんを殺しかねないからね」
クエルがフィリップの胸倉へ手を伸ばそうとした時だ。
「お前がフリーダをいじめたのですね――」
ムーグリィが謎の笑みを浮かべつつ、フィリップに告げた。その背後から、初夏の青空を背景に、何かが近づいてくる。それに気づいたフィリップがハッとした顔をした。
「こんな遠くから人形を呼べるのか!」
「師匠の怒らせる奴はひき肉なのです!」
身をひるがえして逃げるフィリップの背中を、夏服を着た少女が追いかける。その先では白い入道雲が、真っ青な空に向かって高く昇り始めていた。
これにて、第5章「共鳴」は終了です。次のお話から第6章「深化」をお送りさせていただきます。




