乱入者
フリーダが目を開けると、金箔で装飾された豪華な天井が見えた。それがどこかにある油灯りの影を揺らめかせている。
『ここはどこ?』
まだぼんやりする頭でフリーダは考えた。次第にはっきりする意識が、それが国学の宿舎の天井でもなければ、迎賓棟の食堂の天井でもないと告げる。それが分かった瞬間、フリーダは飛び起きた。気づけば、まるで雲の上にでもいるようなベッドにいる。
自分の着衣へ視線を向けると、まだ国学の制服を着たままだ。寝ている間についたらしい皺はあったが、着衣に乱れは感じられない。フリーダが安堵のため息を漏らした時だ。
「お姫様、お目覚めかな?」
部屋の片隅から声が聞こえた。そちらへ顔を向けると、国学の制服を着た人物が、歴史の重みを感じさせるソファーに身を預けている。
「フィリップさん!?」
フリーダの問いかけに、フィリップは一輪の薔薇を手に立ち上がると、優雅に淑女に対する紳士の礼をして見せた。
「君を我が家の別荘に、一度ご招待したいと思っていたんだよ」
その言葉にフリーダは驚く。来賓棟の玄関前で、フィリップと共に、馬車に乗り込もうとしていたカルロスへお礼の挨拶をしたのは覚えている。そこから先の記憶はない。
『これが見学会の目的!?』
フリーダはフローラという実例があるにも関わらず、それに目をつぶり、ブレンダの警告の重大さを理解しようとしなかったことを後悔した。そして本当に警戒すべきは、エドワード内務卿ではなく、もっと身近にいた人物、フィリップだった。
「私はご招待を受けた覚えはありません」
フリーダの答えに、フィリップが小さく肩をすくめて見せる。
「それについては君に謝らないといけないね。でも一つ言わせてもらってもいいかな?」
「なんでしょうか?」
「身分なんて関係ない。僕の君への思いは本物なんだ」
薔薇を差し出したフィリップの青い瞳を、フリーダは冷めた思いで眺めた。
「フィリップさん、私からも一言いいですか?」
「どうぞ」
「本物の思いとは、相手に対する尊敬と思いやりの心があって、初めて成立するものです」
「それを二人で作るのは、これからでも遅くはないと思うよ」
フィリップが手にした薔薇を、ベッドの横にあった花瓶へ差しながら、にやりと笑って見せる。
「もう遅い時間だけど、おじい様が君を待っている。着替えが終わったらまた会おう」
そう告げると、フィリップは扉を開けて外に出た。入れ替わりに、幾人もの侍女たちが部屋の中へなだれ込んでくる。その何人かは大きな桶を抱えていて、部屋の片隅に置かれた湯舟へお湯を注いだ。フィリップが病室に送ってきた薔薇と同じ、甘い香りが立ち込める。
「お嬢様、こちらへどうぞ」
湯あみの用意をした若い侍女が、フリーダの上着へ手を掛けようとした。フリーダは身をよじってその手を避ける。
「待ってください。服ぐらい自分で脱げます!」
覚悟を決めると、フリーダは自分で制服の上着のボタンを外した。決して諦めた訳ではない。クエルが絶対に探し出してくれると信じている。
裸になって湯舟に入ったフリーダの体を、侍女たちが泡立てた石鹸で洗う。自分の知らない人の手が肌に触れるのを感じながら、フローラも自分と同じ目に会ったのだろうかと、フリーダは思った。同時に、いつものクエルの少し自信なさげな顔が、フリーダの脳裏に浮かんでくる。
「クエル……」
涙の代わりに、フリーダの口からつぶやきが漏れた。それを聞いた侍女の一人が手を止める。
「お熱かったでしょうか?」
「いいえ、大丈夫です」
フリーダの答えに、まだ若い侍女がほっとした表情を浮かべた。
『この人たちは、自分のことを何者だと思っているのだろう?』
フリーダがそんなことを考えていると、ブレンダぐらいの年齢の侍女が、淡い銀色の光沢をもつ絹の下着を差し出した。
「お召替えをお願いします」
断る間もなく、侍女たちによって下着が、さらに純白のドレスが次々に身に着けられる。フリーダは鏡に映る自分をぼんやりと眺めた。絹の薄手の下着に、清楚なドレスを身に纏った姿は、いつもの自分とは違う、全く別の存在に思える。
侍女たちが赤毛を櫛で梳かすのを眺めながら、フリーダが市場に引き出される家畜と同じ気分になった時だ。
バン!
部屋の扉が勢いよく開いた。その向こうから小柄な人影が飛び込んでくる。ピンク色のドレスに、白いエプロンを身につけた幼い少女だ。くりくりとした琥珀色の瞳に茶色の巻毛。まるで人形のように可愛い姿をしている。
「ここで何をしているの!」
少女は甲高い声で告げると、そばかすの目立つ顔で部屋の中を見渡した。侍女たちが少女に向かって一斉に頭を下げる。
「私は聞いているのよ?」
さも不機嫌そうな顔をして、少女は再び問いかけた。それでも無言の侍女たちに、麻色の髪を振り乱しつつ、足をタンタンと踏み鳴らして見せる。
「お客様のお召替えのお手伝いをしておりました」
一番年かさの侍女が、真っ青な顔で少女に答えた。
「お客? 誰が招待したの?」
「カ、カルロス様とお聞きしております」
それを聞いた少女は小さく首を傾げた。それを呆気に取られて眺めながら、見かけとは違う性格をしているらしいと、フリーダは思った。いや、言葉や態度はとても子供のものとは思えない。
「私は招待したとは聞いていないけど。それにね……」
そこで少女は一度言葉を切ると、部屋にいる侍女たちをゆっくりと眺めた。
「私のご主人様がすごく怒っているの」
少女の言葉に、侍女たちの体がビクッと震えた。その顔色は青を通り越して、かまどの灰のように白い。
「それをあの人たちに伝えてきてくれるかしら?」
次の瞬間、侍女たちが雲の子を散らすように部屋から出て行く。
「それと、ご主人様が後でおしおきを――」
そう言葉を続けたところで、少女はフンと鼻を鳴らした。
「どうして最後まで話を聞かないのよ。一番大事なことを言いそびれたじゃない!」
目の前で地団駄を踏んで見せると、少女はいきなりフリーダの手を取った。そしてガラスのようにきれいな琥珀色の瞳で、フリーダをじっと見つめる。
「フリーダさんよね? 私と一緒に来て!」
そう告げるや否や、少女はフリーダの手を引っ張って、部屋を飛び出した。




