面影
ラムサスによってエドワード内務卿が引きずり出されてから、晩餐会はセシルが淹れたお茶を飲みつつ、終始和やかに進んだ。その中心にいたのはホスト役のクエルでも、勝者のフリーダでもない、アイリスだった。
その振る舞いはごく自然で、たとえ同じ国学の制服を身にまとっていても、その背中からは目に見えない光、威厳がにじみ出ている。
「やっぱり、流れている血が違うのかな……」
「そうね。私たちには絶対無理よね」
クエルのつぶやきに、フリーダも同意した。その時だ。カルロスがおもむろに席から立ち上がる。
「だいぶ夜も更けてきました。そろそろ暇乞いをさせて頂きます」
そう告げると、カルロスは一礼してアイリスの前にひざまずいた。
「あら、もう帰られるのですか?」
アイリスの呼びかけに、カルロスは白いものが目立つ髭へ指を這わせた。
「今宵は料理だけでなく、アイリス王女様のお元気な姿も拝見出来て、楽しい夜を過ごさせて頂きました。ですが、若い方々の邪魔を長々とすべきではないと思います。そうだろう、ルイス?」
それを聞いたルイスが、緋色のケープを纏った肩をすくめて見せる。カルロスはアイリスの手の甲へそっと口づけをすると、ラムサスが開けた扉の向こうへと去って行った。
「カルロスに釘を刺されたことですし、わたくしもそろそろ……」
続いてルイスが席を立つと、カルロスと同じようにアイリスの前にひざまずく。
「本日は、懐かしい味を堪能させていただきました」
そうアイリスに挨拶すると、今度はクエルたちの前へ進み出た。
「フリーダ嬢、今日はおいしい料理をありがとう。それにクエル君もホスト役ご苦労」
そう告げると、ルイスはクエルへ手を差し出した。クエルが慌ててその手を握ると、灰色の目でクエルをじっと眺める。
「ぜひ機会があったら、当家へも遊びに来てくれ。今日のお礼をさせてもらおう」
「はい、承知いたしました」
その機会が永遠に来ないことを祈りつつ、クエルは頷いた。
「ああ、全てが懐かしい……」
そうつぶやきながら、ルイスが食堂を後にする。
「やっぱり年を取ると、ここでの生活が懐かしく思えるのかな?」
クエルがフリーダにそんなことを問いかけた時だ。車椅子に乗るフローラと、それを押すフィリップが目の前に飛び込んできた。場違いな場所に出て緊張しているのか、フローラが車椅子の上でうつむく中、フィリップが辺りをきょろきょろと見回す。
「あれ、おじい様は?」
「先ほど帰られましたが?」
「えっ、もう帰っちゃったの?」
フリーダの答えに、フィリップが慌てた顔をした。
「今回の料理の件では、おじい様にはいろいろと世話になっていてね。そのお礼を言おうと思ったんだけど……」
「つい先ほど出られたばかりです」
「それなら間に合うかな? フリーダさん、まだ馬車を待っていると思うから、僕と一緒に、お礼を言いに行ってもらってもいいかな?」
「は、はい」
「僕は先に行って、おじい様に待っているよう伝えてくるよ!」
そう声を上げると、フィリップはあっという間に食堂から出て行く。
「クエル……」
それを眺めていたクエルに、フリーダが声を掛けた。
「先に聞いておきたいことがあるの。料理の味はどうだった?」
「みなさん、美味しいと言っていたよ」
クエルはアイリスの料理を選択したことを思い出して、言葉を濁した。それを聞いたフリーダが不満げな顔をする。
「クエルはどうだったか、聞いているの!」
「も、もちろんおいしかった」
「よかった。初めてクエルにおいしいと言ってもらえた……」
「そうだっけ?」
「今までの『おいしい』は言葉だけでした。本気の『おいしい』は今日が初めてよ」
クエルは素直にうなずいた。
「うん、これからは安心して食べられる」
「もう、やっぱりまずいと思っていたのね。でもフローラさんやフィリップさんのおかげよ」
フリーダがクエルに苦笑いを浮かべる。
「それじゃ、私は挨拶に行ってくるけど、まだ宿舎に戻らないで待っていて!」
そう告げると、フリーダは小さく手を振って食堂を出ていく。フリーダの姿が扉の向こうに消えた時だった。
「クエルさん」
鈴の音のような声が背後から聞こえた。振り返ると、アイリスが、雛菊を思わせる清楚な笑みを浮かべて立っている。
「アイリス王女様、今日はありがとうございました」
正直なところ、アイリスがいなかったら、どうなっていたか想像も出来ない。だがクエルのセリフに、アイリスは頬を膨らませた。
「ここでは私はクエルさんと同じ学生ですから、敬称はつけないでください。それに、二人でいるときには、アイリスと名前で呼んでもらえませんか?」
「えっ!」
アイリスの態度にクエルは焦った。王女様を呼び捨てにするなど、どう考えても無理だ。それを見たアイリスが、今度は小さくため息を漏らす。
「私がフリーダさんとは違うことは分かっています。それでも、フリーダさんと同じように接してもらいたいのです」
そう告げると、アイリスは真剣な顔をした。
「クエルさん、一つだけはっきりさせておきます。私は内務省から話があったから、クエルさんとの婚約を受けたわけではありません。入学式でクエルさんを拝見して決めました」
「それって……」
「これは私の意志です。なので、クエルさんが私の存在をうっとうしいと思っていても、あきらめるつもりはありません」
「決してそんなことは――」
「事実です。王家の人間。人によってはうらやましいと思うでしょうが、私にとっては生まれた時からの呪いです」
アイリスのセリフに、クエルはハッとした。
『同じなんだ――』
今のクエルには、アイリスの気持ちがよく分かった。父親のエンリケが失踪して以来、自分も誰かにずっと見張られ、試され続けている。
「ですが、クエルさんを守るためなら、ためらうことなくその力を使います」
クエルはそう告げるアイリスの瞳を、どこかで見た気がした。
『そうだ……』
自分が幼い時に、母が寝ている自分を覗いていた時の瞳だ。クエルの視線に気づいたアイリスが、いつもの雛菊のような笑みを浮かべる。
「そう言えば、まだお礼をいっていませんでしたね。今日は私の料理を選んでくれて、ありがとうございました」
「今日の料理はとってもおいしかったです」
「クエルさんにそう言ってもらえれば満足です。でも今日は疲れましたね。私も早めに休むことにします」
そう告げると、アイリスはラムサスと共に部屋を出ていく。その後姿を眺めながら、クエルはどうして亡き母の面影を感じたのかを考え続けた。




