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侮辱

 左手を上げたことにクエルは慌てた。これで全員が左側を、アイリス王女を選んだことだろう。そう思いながらクエルは周囲を見回す。だが驚いたことに、左側を選んだ人物はあと一人しかいなかった。結果は三対二でフリーダの勝ちだ。


「皆さん、本気ですか? この料理を作ったのは……」


 左側を選んだもう一人の人物、エドワードが声を上げた。それを聞いたカルロスが首を傾げて見せる。


「内務卿、我々が判断すべきは、誰が作ったかではないよ。どのように作られたかだ」


 カルロスの言葉にルイスも頷く。


「カルロスの言う通りだ。ここまで火が通ってしまっては、脂が飛んで固くなる」


「グリルの火が強すぎたのだな。火力を抑えて一定の温度を維持するのには、それなりの経験が必要だ。どちらも努力の跡は見られるが、料理はまだ初心者らしい」


「お二人は料理の経験がおありなのですか?」


 エドワードの問いかけに、カルロスが笑みを浮かべた。


「内務卿、我々は君が思っている以上に、自分で料理をするのだよ。左側の皿は流底魚(るていぎょ)を使っているが、その上品な脂身ゆえに、火の入れ方が難しい。ある意味、素材負けだな」


『流底魚――』


 その名前には聞き覚えがある。フィリップが初日に持ってきてくれた魚だ。その時食べた何とも言えない甘みとともに、一つの疑問がクエルの頭に浮かぶ。フローラはフィリップが持ち込んだ流底魚を、幻の魚と呼んだ。アイリス王女がムニエルの素材にそれを使うのは納得できる。だけど、母が作ったムニエルと同じ味がしたのはなぜだろう。


 母は料理上手とは言えなかったが、鼻歌を歌いながら料理を作り、それを地下の作業場にこもる父の元へと届けていた。流底魚のような高級食材とは全く縁のない生活だ。きっと流底魚も、火を入れ過ぎてしまうと、普通の白身魚と同じ味になってしまうのだろう。


「クエル君!」


 考え込むクエルの耳に、カルロスの快活な声が響いた。


「国学の伝統に従い、勝者を称えたいと思う。この料理を作った生徒を、ここに呼んできてもらえないだろうか?」


 クエルはカルロスに促されるままに席を立つと、厨房の扉を開いた。大きな料理台を挟んで、右側にはフリーダたちが、左側にはアイリス王女がいる。驚いたことに、全て一人で作ったらしく、左側にはアイリス王女以外は誰もいなかった。


「終わったの?」


 フリーダの問いかけに、クエルは首を横に振った。


「結果が出たので知らせに来た。三対二でフリーダ、君の勝ちだ」


 それを聞いたアイリスが、フリーダの所へ駆け寄ってくる。


「フリーダさん、おめでとうございます」


「は、はい。ありがとうございます」


 アイリスの呼びかけに、フリーダはまるで狐につままれたような顔をしながら頷いた。


「フリーダ、皆さんが栄誉を称えたいそうなので、一緒に食堂へ来てくれないか?」


「ちょっと待って、このシミだらけのエプロンで行くの!?」


 フリーダが慌てた声を上げる。確かに、エプロンは奮闘の跡とでも言うべきシミで一杯だ。それだけではない。顔にも小麦粉を沢山つけている。


「それでしたら、私のエプロンをお貸しします」


 アイリスは羽織っていたエプロンを脱ぐと、それをフリーダへ差し出した。フローラが背後に回って、エプロンの紐を結ぶのを手伝う。


「フリーダさん、こっちを向いてもらってもいいかな?」


 いつの間にかフリーダの隣に現れたフリップが、濡れたタオルを手に、フリーダの頬や額をぬぐう。目の前に迫るフィリップの顔に、フリーダは頬を赤らめた。


「うん、これできれいになった。僕らの分も含めて、ぜひ来賓の皆さんから、栄誉の言葉をもらって来て」


「はい!」


 フリーダは元気よく答えると、クエルに頷いた。クエルたちが来たのを見計らって、セシルとラムサスが扉を開く。クエルは一礼すると、フリーダと共に、シャンデリアの光輝く食堂へと進んだ。


「本日、皆さまにお選びいただいた料理を作った、フリーダ・イベールさんです」


 クエルの紹介に、フリーダは居並ぶ人たちに向かって、エプロンのすそを持ち上げると、紳士に対する淑女の礼をした。


「ムーグリィさん主催の晩さん会にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。料理を担当させていただいた一人、フリーダ・イベールです」


 それを聞いたエドワードが、芝居かかった仕草で拍手をする。


「なるほど、君が今日のメインディッシュと言う訳だ。北領公もわざわざこのような場を設けるとは、ずいぶんと粋なことをされる」


「どういう意味でしょうか?」


 フリーダは当惑した顔をしつつ、エドワードに聞き返した。


「君のための演出だよ。庶民の娘が、一生懸命に庶民らしい料理を作ってもてなす。いかにもここにいる皆さんに受けそうな演出だ」


「私はムーグリィさんの晩餐会のために、料理をお出ししただけです」


「まだ演技を続ける気かね? もう売り込みは十分だよ。君はここにいる皆さんに気に入られた。これで君のご両親も、君をここに入れた甲斐があったというものだろう」


「両親は関係ありません。私は私が人形師になるために、国家人形師養成学校に進みました」


「確かイベール君だったね。君のお父さんは、宮廷人形師のギュスターブ殿じゃないか?」


「は、はい。父です」


「君は父親が普段どんな仕事をしているのか、知っているかね?」


「父ですか? 人形師ですから――」


「伝書バトだよ。彼は王宮から各省への連絡役でね。書類の束を抱えて、内務省へもよく来る」


「どんな仕事でも、必要とされていれば、立派な仕事だと思います」


「それが王宮人形師の仕事な訳ないだろう。まともな仕事をさせてもらえないだけだ」


 そこで何かを思い出したらしく、エドワードは指を鳴らした。


「そう言えば、君のことも噂に聞いたことがある。君の十七歳の誕生日会に、君のお父さんは色々な家の子弟に声をかけたそうじゃないか。ジークフリード卿の弟君も参加されたとか……」


 エドワードはジークフリードの方へチラリと視線を向けると、言葉を続ける。


「先程の君のセリフは、君がギュスターブ殿の努力を理解していないだけだ。だが安心し給え。北領公のおかげで、こうして人形師に影響を持つ方々の知己を得られた。今後は君の()()次第で、状況を変えることが出来る」


 そう告げると、エドワードは再びゆっくりと手を叩き始めた。フリーダは唇をかみしめながら、その姿をじっと見つめる。


『これのどこが勝者を称える言葉なんだ!?』


 クエルは心の中で叫んだ。フリーダを侮辱しているだけだ。フリーダだけじゃない。ギュスターブやリンダのことも侮辱している。あの二人がそんなことを考えるはずがない。誰かが娘を差し出せと言っても、きっぱりとそれを断る人たちだ。


 テーブルに居並ぶ人たちも、二人のやりとりに口を挟むことなく眺めている。クエルはエドワードのみならず、この場にいる者全員に、猛烈な怒りを覚えた。


「やめて下さい!」


 クエルはエドワードの方へ足を進めた。


「クエル、私は大丈夫だから――」


 背後からフリーダの声がした。フリーダにそんなセリフを言わせたこと自体が許せない。


『外せ……外せ……』


 湧き上がる怒りと共に、クエルの耳にささやき声が聞こえてきた。


『セシルだろうか?』


 一瞬そう思ったが、セシルの声ではない。それにこの声は前にも聞いたことがある。


『お前は誰だ?』


 クエルの呼びかけを無視して、声はささやき続ける。


『……外せ……お前の枷を外せ……』


 まるで鐘のように響く声に、クエルが頭を抱えた時だ。


 バシャン!


 いきなり水音が聞こえた。同時にクエルの頭に響くささやき声も、何処かへ消え去った。

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