第69話 月下の爆走
「いやいや、お前ら……急にどうしたの極みだよ!?」
湖のほとりにあるハック族の村。
激しい雨がやっと落ちついてきたその村の中で、ムーンヤオフーとの戦いを制したトオルの目には、驚きの光景が広がっていた。
族長はじめ、雨でぬかるんだ地面にひれ伏すハック族。
子供たちは双子従者の兄の『転移魔法』で村の中にはいない。
なので生き残っている大人たちだけが、戦い終えたトオルに対してひれ伏していたのだ。
……何だこの状況は?
ムーンヤオフーの死体を背にしながら、ハック族のその行動を見て困惑するトオルに……代表して族長が口を開く。
「申し訳ありませんでした! まさかあなたも月に選ばれし者だったとは……! さきほどの御無礼、どうかお許しください!」
「へ?」
ひれ伏したまま謝罪する族長に、トオルの困惑がさらに強くなる。
てっきり怒られる、というかブン殴られると思っていたトオル。
いくら『狂獣の呪い』をかけられていた状態とはいえ、だ。
ハック族が神と崇める月神様を討伐したのだから、それくらいは覚悟していた。
……ところが、待っていた現実は真逆。
怒られるどころか、まさかの謝罪の声が。
中には「月神様の暴走を止めてくれてありがとう!」と、涙ながらに感謝の叫びを上げる者もいた。
――結局、怪しい白装束の正体は現時点では分からない。
それでも、呪いを受けて狂獣化したムーンヤオフーの脅威は、トオルによって完全に取り除かれたのだ。
「な、何ゆえに? 全力で止めようとした時とは別人だぞ……」
「トオルさん。それはあなたがムーンヤオフーと同じ力、彼らでいう月の力を見せたからですよ」
「ですわ。まさかいきなり戦闘スタイルがガラリと変わるとは……。本当に驚きましたわよ?」
と、ため息混じりに双子従者がそう説明する。
ムーンヤオフーのステータスをコピー、それすなわち月の力のコピーだ。
息絶えた白い三尾狐の特殊性を二人から聞いて、なぜハック族の態度が変わったのかをトオルは理解した。
――ちなみに、双子従者はトオルの職業のパパラッチについては聞いている。
ただ、あくまで一種族の魔物の力を使えるという点だけ。
上書き保存できるという部分までは聞いていなかった。
「……なるほど、だからか。つまり今、俺自体が月神様になっていると」
納得したトオルはひれ伏したままのハック族を見る。
そして、すぐに「顔を上げてください」と言う。
多くの者にひれ伏されるなど、まるで王様や女王様気分ではあるが……。
正直、恥ずかしさと申し訳なさの方が圧倒的に勝ってしまっている。
「まさか月の力をお持ちだったとは……。ならば初めに言ってくださればよかったのに!」
「あ、あはは……。ま、まあそうでしたね」
「とにかく我々一同、本当に失礼致しました。女王の試練を受けし者――いやトオル様!」
「え? いや族長、様づけは勘弁してくださいよ。俺はただの平民の人間ですから」
とにもかくにも、ひれ伏されるという状態は脱した。
一方で族長の尊敬の眼差しと丁寧な言葉づかいに、結局、戸惑ったままのトオル。
そんな信徒化(?)した族長から提案されたのは――まさかの宴だ。
今回の犠牲者の弔いと、新たな月神様の誕生。
相反するその二つを合わせて、盛大な宴を開いて仲間を月に送ろうと、早くもやる気満々である。
(き、急展開ここに極まれりだな……。ちょっと置いてきぼりだぞ、俺)
幸い雨も止んできている。
だからか、急いで準備に取りかかろうとするハック族を見て、トオルは困り顔で頬をかく。
……このままでは本当に宴がおっ始まってしまう。
ムーンヤオフーの討伐を確認して、村の外に転移させた子供たちも、自分の足で戻ってきている状況だ。
「いや、それはまた今度にしましょう! 俺にはまだ女王様の試練がありますので!」
「あ! お、お待ちを! トオル様!?」
「では諸君、御機嫌よう! ――さあいくぞ、双子従者!」
「は、はい!」
「りょ、了解ですわ!」
再びハック族の制止を振り切るトオル。
今度は高い敏捷で捕まることもなく、湖をぐるっと回るように走って戻っていく。
こうして、急にハック族から崇められる身となったトオルは――逃げるように村を立ち去るのだった。
◆
「……しかしトオルさん、さすがにもう厳しいのでは?」
「同感ですわ。時間的には試練の突破の可能性はもう……」
荒れ狂う月神様を討伐してハック族の村を出た。
女王の試練を再開する前にポーション&MPポーションを飲むトオルに、双子従者が心配そうに声をかける。
「まあ、今まで通りだったらな。……けど多分、いけると思うぞ?」
回復を済ませたトオルは笑う。
雨が止んで厚い雲も晴れていく空を見上げると、再び『女王の庭』を走り出した。
その敏捷は1287。メガロジョー級の時とは比較にならない敏捷の高さだ。
新たにムーンヤオフー級となったトオルは、風のごとく背の高い木々の森を駆け抜ける。
「! 速いですね。我々も本気でいかないと置いていかれそうです!」
「くっ! 試練の従者としてそれは絶対に許されないですわ!」
そんなトオルを追っていく双子従者。
職業的に二人も敏捷はかなり高い。また従者として『飛脚のマント』も装備している。
走りに特化したその魔道具のおかげもあり、トオルに置いていかれることはなかった。
(たしかに速いです。しかしこの速度では……)
女王の試練を中断してハック族の村に立ち寄り、さらには戦闘も行っての大幅な時間のロス。
何度も試練の従者の経験があるからこそ、双子従者の兄は分かる。
今のトオルの速度をもってしても、もう日の出までには間に合わない、と。
――その時だ。
走っているトオルは背後を振り返ると、夜の森に響く大きな声で、
「んじゃ、そろそろ全力でいくぞ! しっかりついてこいよ、二人とも!」
「「え?」」
叫んだ直後、走っていたトオルの姿が消える。
まるで転移でもしかたのように、その場から突然、いなくなると――約五十メートル先に一瞬にして現れた。
「こ、これは!」
「なるほど。ムーンヤオフーの『瞬動』ですわね!」
トオルがやったことを理解して、双子従者は走る速度を全開に上げる。
『瞬動』とは爆発的に速度を上げる移動スキルだ。
一回の消費MPは5で、ステータスの敏捷にかかわらず、最大で五十メートルの距離を一瞬で進める。
それによって一気に開いた距離を埋めるべく、二人はトオルの背中を追うが――。
「な、またですか!?」
「冗談ですわよね!?」
『瞬動』を連発するトオル。
その回数は一回、二回、三回と絶え間なく続いていくと、
十回目を発動する頃には、双子従者との距離が数百メートルほど離れていた。
「そのうちMP切れにはなると思いますが……これ以上は! 飛びますよ、我が妹よ!」
「くッ、仕方ないわね。お願いしますわ、兄じゃ!」
ここでたまらず双子従者の兄が『転移魔法』を発動。
走るだけでは追いつけないので、空間を飛んで数百メートル先のトオルに追いつく。
「「――え!?」」
……だが、追いついたそばからまた『瞬動』の連発で離れていくトオル。
総MPと消費MPの関係から、MP切れになる回数を発動しても、『瞬動』による高速移動は止まらない。
(助かった。晴れてくれればこっちのものだ!)
その理由は単純明快、ムーンヤオフーの四つ目の固有スキルだ。
『月下HP・MP中回復』。
雨が完全に上がって雨雲も消えた夜空には、満天の星の中に月の姿が輝いている。
「……なるほどたしかに、月の力か。今の状況だとありがたすぎるぞ!」
消費したそばから回復していくMP。
わずかに消費の方が早いものの、切れる心配は当分、先だ。
「これはもう……走るじゃなくてスキルの応酬ですね!」
「頑張って、兄じゃ! 試練の従者として絶対に負けられないわ!」
こうして、トオルは『瞬動』を、双子従者は『空間転移』を。
途中で休憩は挟みつつも、行く手を阻む魔物すべてを抜き去り、まるで追いかけっこのような爆走を一晩中続けていって――。
制限時間となる、朝日が昇る三十分前に。
ロス分を取り戻したトオルは、ついに『女王の庭』の最奥へとたどり着いたのだった。




