第66話 湖の村
「ここが……ハック族の村か」
『女王の庭』に長年住まう部族、ハック族が崇拝している月神様の異変。
その事態を重くみたトオルは、女王の試練を中断して、ヘンリーの案内でハック族の村を訪れた。
「まったくトオルさん。そこまで緊急の事態とは思えないのですが……」
「試練の中断なんて前代未聞ですわよ?」
もちろん、そこには双子従者も同行している。
まだブツブツと文句は言いつつも、決して仕事は放棄しない。
何があっても女王の試練を受ける者を見守る、という決まりから、村までついてきていた。
(……にしてもスゴイな。まさに異世界ファンタジーな不思議の極みだぞ)
そのハック族の村は――一言で言えば予想外だ。
『女王の庭』は超巨大一枚岩の上にあるはずなのだが、
なぜか岩の下から湧いて生まれた、直径五十メートルほどの立派な湖。
透き通るようなキレイな水が湛えられたそれを中心に、ハック族の村は存在していた。
家は木と藁の屋根を組み合わせた趣のある造りだ。
その家々が湖のほとりに建ち、美しい景観の一部となっている。
「――んな! じょ、女王の試練を受けし者だと!?」
「はい。トオルと申します」
そうして、ヘンリーの案内で村長、ではなく族長の家に行って、
ヘンリーからトオルを紹介されたハック族の族長は、驚いて目を白黒させた。
ハック族の族長、パーシヴァル=ハック。
彼は中肉中背の三十八歳の若い男だ。
先代族長の息子であるパーシヴァルは、ハック族の成人の証明となる両耳にピアスを開けている。
そんな族長のもとをトオルたちは訪れたのだが……特に追い返されたりはしなかった。
互いに干渉はしない。だからこれまで、試練を受ける者とハック族の接触は一度もない。
とはいえ一応、代々の王や女王には忠誠を誓っているのだ。
フェイレーン王国民は敵ではなく、まして女王直属の部下になるかもしれない者なら尚更である。
――そして何より、命の恩人。
大人の代わりに狩りに出た、まだ子供(十三歳)のヘンリーをトオルが助けたことも大きい。
「女王の試練を受けし者よ。改めて我が部族の者を助けていただき感謝する」
「本当にありがとう、トオル!」
「いえいえ、当り前のことをしたまでですから」
……という状況もあり、どちらかというと快く迎え入れられたトオルたち。
そのハック族の村はやはり、多くの大人の男がケガをしていた。
供物として魔物を捧げても、怒り狂って暴れた月神様によって、何人かは寝たきりにもなっている。
「なるほどです。……あの、これはあくまで俺の推測なんですけど――」
天気が崩れて、降り出した雨が藁の屋根を叩く中。
トオルは出されたお茶を口にしてから、自分の持っている情報を族長に伝えた。
ハック族と試練を受ける者しかいない『女王の庭』、その前半にいた謎の存在を。
「し、白装束だと?」
「はい、間違いないです。一瞬でしたが、たしかにこの目で姿を確認しました」
つまりは、呼ばれざる侵入者だ。
トオルからそれを聞かされた族長は、腕組みをして唸るように考え込む。
「そういえば……あれは一月前か。村の男衆の一人も同じようなことを言っていたな」
実は以前にも目撃情報があった、謎の白装束の存在。
その辺りから月神様が段々と怒りっぽくなったのをみるに、何か今回の異変と関係がありそうだ。
「となると、その白装束の陰謀か何か、か。てっきり病魔の類かと思っていたが……」
「おそらくは。ヤツが何かをした可能性が高いと思います」
「ふむ。ならば優しく気高い月神様が、あんな恐ろしい状態になるのも――ッ!? 何だどうした!」
と、族長が深刻な顔で言っている時だった。
『クォオオオオーーーン!』と。
甲高い何かの咆哮が、族長やトオルたちの耳に届いてきたのだ。
――その直後。大地には震動が、空間には魔力の波動が。
続いて起きた二つの現象によって――湖のほとりの村が大きく揺れたのだった。
◆
「な、何だ何だ!?」
「今の咆哮はまさか……!」
「あと魔力も! 間違いないですわ!」
突然の事態に戸惑うトオルと双子従者。
ただそれはハック族も同じで、この場にいた族長とヘンリーも戸惑い、そして驚いていた。
今の甲高い咆哮からの震動と魔力の波動の正体は……もはや言うまでもないだろう。
ハック族の呼び名でいう月神様だ。
狐に近い姿形をした、遥か昔から『女王の庭』にいる魔獣である。
「まさかこの村に!? 月神様が住処を出たというのか!?」
叫び、慌てて家を出ようとする族長。
それを追う形でトオルたちも族長の家を出ると、すでにほかのハック族も異変を受けて家の外に出ていた。
(ッ、スゴイ雨だな! ってそれどころじゃないか……!)
あっという間に土砂降りとなった雨に打たれながら、トオルも目を凝らして見る。
湖のほとりにあるハック族の村。
ちょうど族長の家から湖を挟んだ反対側、約五十メートル先にそれは姿を現していた。
「あれが月神様か!」
姿形は聞いた通りに狐だ。ただ魔獣だけあって普通の狐ではない。
豪雨の中の遠目から見ても分かる大きな体躯。
真っ白い毛に覆われた三本の尾を持つ存在は、体長五メートルくらいはある。
そんな月神様――正式名称、ムーンヤオフーが。
村近くにある洞窟の住処を出て、湖のほとりにあるハック族の家々を破壊していた。
「オイ、あれヤバすぎるの極みだろ! 魔獣だけどもう倒すしか――」
「ま、待ちなさい! 女王の試練を受けし者よ!」
事態はこれ以上ない深刻な事態だ。
今までのように、供物を捧げにきた者を追い払ってケガをさせるどころの話ではない。
直接、ハック族の村にきて暴れているのだ。
……にもかかわらず族長は、迎撃に向かおうとするトオルの腕を掴んで止めた。
「な!? 何しているんですか、族長!」
「だ、ダメだ! 月神様を攻撃するなど許されない! 我々にとっては神に等しき存在なのだ!」
「いや族長! 見てくださいよ! そうは言っていられない状況でしょう!?」
倒すことはおろか、攻撃すらも言語道断。
そう言って止める族長と、それに加わるほかの大人たちに、もう雨でずぶ濡れのトオルは困惑してしまう。
――そんな人間同士のやりとりの間も、ムーンヤオフーは暴れている。
家を破壊しハック族の者たちに牙を剥き、湖を挟んだ向こう側で魔物のごとく襲いかかっていた。
「ど、どうか鎮まってください! 月神様!」
すでにケガを負っていたハック族の者が必死に叫ぶ。
もちろんそれで止まるはずもない。
そのハック族の男の体は、次の瞬間、鮮血とともに上半身と下半身に分かれてしまう。
『クォオオーーーン!』
怒り狂うムーンヤオフーの暴走が止まる気配はまるでない。
異様に赤く染まった魔獣の瞳は、豪雨の中でもハック族たちを獲物として射抜いている。
「オイもう無理だろ! 本当にヤバイって……!」
「し、しかしだ! やはり月神様に刃を向けることなどできない!」
「そうだ! もしこれが我々の運命だというのなら……!」
族長もほかの大人たちも、動こうとするトオルの腕を掴んだままだ。
……月神様とはそこまで崇める必要のある存在なのか?
このまま村が全滅しようとも、決して傷つけてはならない相手なのか?
ただただ鎮まってくれと、ハック族は何度も何度も祈るだけ。
同じ部族で一つの家族に死者が出てなお――族長たちには抗う意思すらなかった。




