第65話 ハック族
「前半戦はいい感じだな。このまま行きたいけど……さてどうなるか」
女王の試練が始まって四時間が経過した。
荒野からの一直線の峡谷を越えたトオルは、現在、草木が生える丘陵地帯に入っている。
ポーションもMPポーションもまだ温存中だ。
HPもMPも大して削られることもなく、三本づつ支給された回復アイテムは一度も使っていない。
そんな感じで順調に進んでいたトオル。
どうしても避けられない時のみ魔物と戦いながら、丘陵地帯を進んでいると――。
「ん?」
と、ここでトオルが発見した。
もう何度も見ている魔物ではない。視界の隅にチラッと映ったのは人影だ。
木々の間で一瞬しか見えなかったが、全身白い服を纏った誰かが見えたのである。
(ふむふむ。あれが『女王の庭』に住む部族か。……何か思っていたより変な格好しているんだな)
昔からこの地に住み、王家に忠誠は誓うも互いに干渉はしない存在、ハック族。
彼らの存在を確認したトオルは、特に気にせずに試練に集中して進む。
その間、細かな休憩はしっかりと取る。
『女王の庭』は広大なため、適度に疲労を抜きながら最奥を目指す。
――――――…………。
やがて空が赤く染まり始め、あと少しで制限時間(二十四時間)の半分が経とうとする頃。
中間地点を越えたトオルは、背の高い木々からなる森の中へと足を踏み入れた。
……ここからの後半戦こそ、試練の本番と言ってもいい。
現在、連続で試練に失敗した九人全員が、この後半部分で脱落したのだ。
だからトオルも気合いを入れ直した――その時だった。
「うわぁああああ!?」
突然、森の中で聞こえた悲鳴。
それはトオルの進行方向から聞こえてきていた。
「な、何だ!? 今の切羽詰まった極みみたいな悲鳴は!?」
どこかの誰か……というよりハック族の者だろう。
ほかに『女王の庭』に住む者などいない。間違いなくこの部族の誰かの声だ。
しかも、おそらくは子供。
悲鳴の感じからそう予想したトオルは、初めて全力疾走となって声がした方に向かっていくと、
「!」
森の中にいたのは、一人の少年と見覚えのある一体の魔物だ。
その魔物は今にも少年に襲いかかろうとしている。
赤黒い逞しい腕を振り上げ、尻もちをついた少年にすでに狙いを定めていた。
「――よお、久しぶりだな。あの時は世話になったぞ!」
少年の命が狩り取られる寸前。ギリギリで追いついたトオルが槍を突き出す。
対して、トオルに気づいた魔物――オーガがその場から飛び退いた。
ある意味、トオルの恩人の種族だ。
今も残る額から左顎にかけての大きな傷を負わされたものの、
カンナ村があった北の森では最強だったこのオーガのおかげで、怨敵の腕狩りの一味を壊滅させられたのだから。
(けど、今は違うからな!)
ハック族の少年を襲う危険極まりない敵として。
トオルは懐かしく思いながらも、メガロジョー級となった力を振るい――。
「『牙鰐挟撃』!」
『グォオオ……ッ!』
戦闘時間はわずか一瞬。
トオルの力を見誤ったオーガは、自慢の『鬼火』を使うこともなく。
具現化した紅蓮の大顎に噛み砕かれて、一撃のもとに絶命した。
◆
「……あ、ありがとう。助かったよ……」
オーガに襲われていた十代前半くらいの少年。
その正体はやはり『女王の庭』に住む部族、ハック族の者だった。
彼がやっていたのは魔物狩り、ではなく普通の野生動物狩りだ。
肉を得るために村から森に来たところ、運悪くオーガと遭遇してしまったと、助けたトオルに教えてくれる。
「しかしなぜ子供が?」
「魔物だろうと野生動物だろうと、狩りが大人の仕事なのはハック族も同じはずですわよ?」
と、次に少年に対して質問したのは、トオルではなく双子従者だ。
ずっとトオルの三十メートル後方から試練を見守っていた二人。
試練中の者に緊急事態がない限り接触はしない。だが想定外の事態を前に、初めてトオルと合流する。
「うん、まあね。でも今は……大人たちが大変な状況なんだ」
ハック族の少年の表情は暗い。
少し下を向いたまま、トオルと双子従者にそう答えた。
「大人たちが大変な状況とな?」
「うん、そうだよ。女王様の試練のお兄さん。村の大人たち、いつも狩りをする男衆はほとんどケガをしちゃってるんだ」
そして、少年は消え入りそうな声で、
「近頃、月神様が怒りっぽいんだ」と、トオルと双子従者に正直に伝えた。
「……つ、月神様?」
「ハック族が神と崇める存在のことです。彼らが住みつく遥か前から、この地にいたとされています」
「つまり、ハック族にとっては最も大事な存在ですわ。その次に忠誠を誓うフェイレーン王家が続くという感じですわね」
「な、なるほど。勉強になります」
双子従者に教えられて、新たに月神様なる存在を知るトオル。
姿形は狐に近い。ただ魔物ではなく魔獣と呼ばれる存在だ。
ハック族よりも前からこの地にいたとされ、彼らにとっては崇拝の対象である。
その月神様が荒れているせいで、現在、村は困った事態に陥っていた。
「それで大人の男がケガを、ですか。互いに干渉はしないといっても……仕方ありません。これは女王様に報告した方がよさそうですね」
「ええ、兄じゃ。ただ今は試練中だから、終わり次第すぐに報告するという形になりますわね」
『花紋王隊』に相応しいかを見極める女王の試練に、中断はあり得ない。
過去行われた試練においても、一度も中止や中断は起きてはいなかった。
たしかに異常事態ではあるも、一刻一秒を争うほどでもないのだ。
ひとまず試練は続けて、それが終わってから報告しても遅くはない、と双子従者は判断する。
――ところが、トオルの考えは違っていた。
ハック族の少年が、不安そうに自分の服の裾を掴んでいるのを見て、
「……いや、試練の方は後回しだ」
「え? ちょ、トオルさん!?」
「んなな何を言っているのですわ!?」
まさかのトオルの返答に慌てる双子従者。
そんな二人の反応など気にせずに、トオルはハック族の少年の顔を見る。
「なあ、ところでハック族って……白装束みたいな服を着ているんじゃないのか?」
「え? そんな服は誰も着てないよ」
「本当か? 村に一人くらい変わり者がいて、そいつだけがたまに着ているとかは?」
「それもないよ。もしいたら目立って魔物に狙われちゃうから、族長に雷を落とされてるはずさ」
「……そうか。分かった」
謎の質問にキョトンとする少年と、逆に納得した様子のトオル。
トオルの脳裏によぎっているのは白装束の誰かだ。
前半戦の丘陵地帯で見たそいつは、あの時はてっきりハック族なのだと思っていたが……。
(言われてみれば変か。部族の村は『女王の庭』の後半にあるって聞いたしな)
そして近頃、神と崇める月神様が怒りっぽいというおかしな状況だ。
魔物と比べれば、人間に対して好戦的ではない魔獣という存在。
鎮まってもらうべく魔物を納めようとした大人の男たちを、今では傷つけて追い返してしまっている。
「そうだ、少年。まだ名前を聞いていなかったな」
「あ、僕はヘンリー。ヘンリー=ハックだよ」
双子従者がトオルの後回し発言にまだ混乱する中、ハック族の少年、ヘンリーの名を聞いて。
トオルは力強く頷くと、ヘンリーの肩にポン、と手を置いて――こう言った。
「よし、ヘンリー。じゃあ俺たちをハック族の村に案内してくれ!」
これまでに登場した魔物の強さの並びです。
メガロジョー
リッチ
グリムリーパー
グランドドラゴン
クラーケン、オーガ、ロックビートル
シーサーペント、メタルガーゴイル
異名持ちマンティス、デュラハン
異名持ちオーク、ミノタウロス
ケーブナーガ、マーダーコカトリス
ジャイアントスパイダー、ブラッドベア、マミー
オーク、トレント
レイス
ギャングウルフ
ワイルドボア、キラーラビット
グール
ゴブリン、コボルド、スケルトン




