第37話 次の街へ
「短い間だったけど……だいぶ濃い時間でもあったな」
領都イザベリスに来てから一カ月が経った。
いつもの宿のいつもの部屋のベッドで起き、一階の食堂で朝食を食べ終えてから、
トオルは部屋に戻って準備をしながら、木窓から見える街並みを眺める。
今日、トオルたちはイザベリスを発つ予定だ。
カンナ村の次にこの街には愛着が湧いている。
また伯爵やギルド長など多くの人たちからも、もっとゆっくり滞在すればいいと説得もされたが……。
次の異世界の景色、まだ見ぬ街や世界を心のシャッターに収めるべく、トオルは決断をしていた。
「今までお世話になりました。門番の人に教えてもらって大正解でしたよ」
「ほっほっほ。嬉しいことを言ってくれるのう。また街に来たらぜひ寄っておくれよ」
「はい。約束します」
世話になった宿屋の主人と皆で握手を交わす。
奥さんの方は買い出しに出ていていないが、朝食の時に挨拶を済ませている。
そうして、トオルたちは宿を出ようとして……ふいに主人に止められた。
「そうじゃそうじゃ。トオルよ、せっかくだから最後にサインを書いてくれんかのう?」
「え、サインですか?」
「うむ。できればこの横に頼むのじゃ」
「は、はい。分かりました」
嬉しそうにトオルに羽ペンを渡す宿屋の主人。
示された場所は受付カウンターの後ろの壁で、そこにはすでに誰かのサインが書かれている。
「そういえば気になっていたのであります。これは誰のものでありますか?」
「これは賢者のものじゃ。昔、先代の時にこの宿に泊まってのう。その時に書いてもらったのじゃよ」
マルコの問いに主人が自慢げに語る。
しかも宿の名前の『銀の灯火亭』は、先代がこの賢者から取ったものだった。
「け、賢者って魔道士系の最上級職ですよね? 俺なんかが隣に書いていいんですか?」
「もちろんじゃ。トオルは街の救世主の一人じゃからのう。……それに何より、ワシのカンが書いてもらえと言っておる」
「分かりました。なら思い切って書かせてもらいますね」
言って、ササッと賢者の隣にサインを書いたトオル。
それを見て満足気に頷いた主人とまた最後に握手を交わして、トオルたちは我が家のように過ごした『銀の灯火亭』を出たのだった。
◆
「うーん、いい匂いだな。油の感じが食欲をそそる極みですな」
宿屋を出てすぐ、トオルの鼻に香ばしい匂いが届いてくる。
朝の街の一角に漂うのは……揚げものの匂いだ。
イザベリスで大流行しているフライドポテトを筆頭に、おそらくは唐揚げやコロッケのそれも混じっている。
「これ全部がトオル隊長のおかげでしゅね!」
「食べたばっかりなのに小腹が空いてきたッスよ!」
「さすがは『揚げものマスター』だぜ!」
同じく鼻をヒクヒクさせた犬猿雉トリオ。
ガスパロからは『揚げものマスター』という謎のワードが飛び出したが……実はこれを言い出したのは伯爵の屋敷の料理長だ。
スタンピードの褒賞をもらったあと、ちょくちょくお呼ばれして屋敷にお邪魔した時。
フライドポテト考案の功績(?)もあり、料理長から「新しいアイデアはないか?」と聞かれたのだ。
そこで提案したのが唐揚げとコロッケである。
トオルは料理人ではないのであまりレシピは知らない。
ただ揚げものは大好きなので、異世界の揚げもの料理をさらに教えていた。
(それがこの結果か。……まあ、美味しいものに世界の境界線なんてないからな)
よって料理長から『揚げものマスター』の称号が。
元々、こっちの世界では揚げるという調理法がまだなかった。
つまりトオルが教えた三つの料理はすべて革命的だったのだ。
――そんなこんなで、トオルたちは漂ういい匂いの中を進む。
次に目指すのは隣の領地に当たるアドルナート領だ。
あの女聖騎士カーティアの父親が統治する、イザベリスの東に位置する伯爵領である。
大事な紋章返却の件もあるため、皆で話し合った末に決定していた。
「何かもう懐かしいな。カーティアもそうだけどこの東門も」
「下手をすれば皆、ここで命を落としていた可能性もあったのでありますからね」
途中で誘惑に負けてコロッケを買い食いしつつ、東門に到着したトオルたち。
防衛戦では伯爵に任された戦場を前に、少し感慨深くなってしまう。
と、その場所でトオルたちを待っていた者たちが……三人ほど。
「やあトオル。別れの挨拶をしにきたぞ」
「へへっ。特別に俺たちが見送ってやんぜー」
「トオルちゃん! もういっちゃうなんて寂しいわよ!」
「あ! 皆さん!」
門の前にいたのは、私服姿なのに明らかに門番よりも強そうな二人。あとオネエ。
領主軍軍団長のステファノとA級冒険者のヴァンニ、そして緑神官オネエのディーノだった。
◆
「またスゴイ面子が……。わざわざありがとうございます!」
軍団長とA級冒険者とオネエ。
まさかの見送りの三人を見て、頭を下げたトオルに続き、マルコたちも同じく頭を下げる。
「何、そう畏まらないでくれ。最後くらい気楽にやろう」
「へへっ。ごもっともだぜ、軍団長殿。だからトオルは肩の力を抜けってーの」
「そうよそうよ。何ならアタシがマッサージでもしてあげましょうか?」
宿屋の主人に続いて、三人とも握手を交わすトオルたち。
軍団長によると、伯爵も見送りに来たかったらしいが……。
領主というのは何かと忙しいため断念。
なので領主軍の代表としてだけでなく、伯爵の代理としても軍団長は来ていた。
「だから忘れないうちに。イザイア様から預かったものを渡しておこう」
「ありがとうござ――ん? これってまさか!?」
軍団長からそれを受け取った瞬間、トオルが驚きの声を上げた。
大きさ自体は拳大程度のそれ。
ただ見た目以上にズッシリと重く感じてしまい、かつどこか見覚えのある、その平たい金属のプレートは――。
「インザーギ家の紋章だ。イザイア様の信頼の証を受け取ってくれ」
「や、やっぱり紋章ですかい!?」
渡されたのは貴族家の紋章。
その貴族家の信頼を勝ち得た、所有できる者はほぼいない特別な代物だ。
ちなみに、インザーギ家の紋章は山と雲。
どんな大金を積まれるよりも、トオルの手にあるのは遥かに栄誉あるものだった。
(まさかの二つ目!? フォロワーゼロだった俺が貴族の紋章をまた……! いやまあ、一つは忘れものだけども!)
驚きで白目を向きそうになるトオル。
そのトオルを支えるように、ディーノが無駄にガシッ、と後ろから両肩をホールドする。
「へえ、初めて見たぜ。それが紋章っつーのか」
「さすがはトオルちゃんね。けどまあ腕狩りに防衛戦に、あと食への多大な貢献もしたから当然といえば当然ね」
驚いたのは何もトオルだけではない。
ヴァンニもディーノもマルコたちも、紋章を見て目を見開いている。
「……ありがとうございます。インザーギ伯爵の信頼、たしかに受け取りました」
紋章を大切に魔法袋に収納して、トオルはしばし三人と話し込む。
特に急ぎの旅でもないので、マルコたちも加わって少しの世間話を楽しんだ。
――そうして、最後に別れの挨拶をして、またいつかと三人に見送られながら。
門近くの駅馬車に乗って、トオルたちは一カ月過ごしたイザベリスを出発したのだった。




