第35話 アドルナート家にて
「父上! 父上! お聞きになられましたか、父上!?」
庭を見下ろせる豪華な赤絨毯が敷かれた廊下を走り、一人の若い女はノックもせずに扉を開け放った。
ここはフェイレーン王国アドルナート領の伯爵家屋敷。
その伯爵の娘であるカーティアは、父親である伯爵の執務室へとなだれ込んだ。
「ああ、聞いた。聞いたぞ、我が愛しき娘よ。……だから脳筋冒険者みたいな顔はするな。せっかくの可愛い顔がもったいないぞ」
対して、ため息を我慢しつつ冷静に答える伯爵。
歴史あるアドルナート家の六代目当主、ミケーレ=アドルナート。
今年で五十四歳になる容姿端麗な伯爵は、娘とはいえ礼儀のなっていない行動を怒る……ことができない。
理由は単純、三男一女でようやく生まれた唯一の可愛い娘だからだ。つまり溺愛である。
(しかしまったく、このお淑やかさの欠片もない性格は誰に似たんだか……。いやまあ、私以外にないか)
性格だけでなく強さまで伯爵に似ているカーティア。
父親の伯爵は最上級職ではないが、戦闘系の高レベル上級職だ。
若い頃は爵位を継承する長男ながらも、領主軍で戦っていた武闘派である。
――ゆえに、誰が呼んだか『彫像伯爵』。
王国貴族一の整った顔と鍛え抜かれた体から、伯爵はその呼び名で通っている。
そんな伯爵の耳にも届いていた。
隣の領地に当たる、同じ伯爵が統治するインザーギ領の領都イザベリスでの一件を。
「スタンピード自体は想定の範囲内だ。いつどの領地でも起こることだからな」
「はい。ですが元凶の地竜が五体とは……たしかに過去最悪レベルです」
「ああ、そうだな。さすがのインザーギ伯爵でも厳しいとは思われたが……」
隣の領地から届いたとんでもない情報。
その一報を聞いた時は、伯爵はイザベリスに大きな被害が及んだのだと思っていた。
同じ武闘派だったインザーギ伯爵(『闘犬伯爵』)とはウマが合う。
領地が隣だと特にいがみ合うことが多い貴族世界で、両家は珍しく昔から仲がいいのだ。
だからこそ、カーティアもつい先日まで修行に出していた。
聖騎士の先輩であるインザーギ領主軍の軍団長ステファノ。
アドルナート領にもその名が轟く彼のもとで、可愛い娘を鍛えてもらっていたのだ。
そんな仲のいい伯爵家の領都の被害は――まさかのほとんどなし。
聞くところによると南門が破壊されただけ。
侵入してしまった魔物は各個撃破して、住民や建物に被害はなかったそうだ。
「その結果に導いたのがトオルです! さすがは我が圧倒的夫候補だ!」
「あ、ああ。そうだな……」
興奮気味に言うカーティアに、複雑そうな顔で相槌を打つ伯爵。
……血筋だけの貴族のバカ息子が嫌いなことは知っている。
もう十八の歳で、親の贔屓目なしで見ても美しいカーティアは、上級下級問わずほかの貴族からの見合いの話は山のように来ていた。
そのカーティアが見つけてきた、圧倒的夫候補と公言せしめる男。
黒髪黒眼という珍しい特徴を持ち、あの悪名轟く腕狩りを討伐した実力者だ。
「五体のうち二体を討伐! ちょっと職業を聞くのは忘れてしまいましたが……あの強さこそがすべてです!」
「地竜を二体、か。となると今のカーティアよりも強いな。……だが、そうなると一つ気になることがある」
黒髪黒眼というのなら外国の者だろう。王国の貴族でないことは確実だ。
ただ問題はそこではない。
いやそもそも問題というか……どうしても元武闘派として伯爵は気になってしまう。
「カン違いから刃を向けたカーティアとは互角だったのではないのか? 使うスキルもステータス的にも、オーガ級だと聞いたが……」
だとすれば地竜二体の討伐成功はおかしすぎる。
実力だけでなく、相手の力を見極める目もあるカーティアが見誤るとは思えない。
「あの時は間違いなく、醸し出す雰囲気も含めてオーガ級でした。――つまり、この短期間で急成長したということです!」
「な、なるほどな……」
また一段階、興奮するカーティアに伯爵が頷く。
いくら何でも成長が早すぎないか? とは思ってしまうも、
信頼できるインザーギ伯爵からの情報なので、倒した事実は間違いないだろう。
「やはり我の目に狂いはなかった。圧倒的夫候補……いや、もう夫確定ですね、父上!」
「……あ、ああ」
「いずれ父上にも紹介致します! その時を楽しみにしていてください!」
「……は、はい」
愛しき娘の勢いに押されまくる伯爵。
美しい金髪に雪のように白い肌、内斜視気味の碧い瞳の整った顔立ちに、スラリと伸びた細い手足。
唯一、欠点を挙げるとするなら平たい胸か。それ以外に文句のつけようもないカーティアは、もう完全にトオルだけに狙いを定めている。
――実際、家族以外にも公言済みだ。
屋敷の使用人たち全員にも、そう遠くないうちに連れてくると伝えていた。
「では、我はこれで失礼致します。剣術の稽古がありますので。妻としてトオルに遅れを取るわけにはいきません!」
そう言って、嵐のように去っていったカーティア。
……と、それと入れ替わるように。
今度はカーティアの従者である七三分けの中年、オスカルが執務室へと入ってきた。
「失礼します。ミケーレ様」
「む、オスカルか。……そこに座りなさい」
訪ねてきたオスカルを伯爵がソファに座らせる。
声質自体はやや重い感じでも、別に怒っているわけではない。
「呼んだ理由は分かっているな?」
「はっ。もちろんでございます」
伯爵がオスカルを呼んだ理由。
それはほかでもない、たった今まで話題になっていた黒髪黒目のトオルについてだ。
「もう一度確認するが、仕込みの方もしてあるのだな?」
「はい、抜かりなく。……この仕込みで一度会っただけでは分からない、彼の人間性も判断できるかと思います」
伯爵の問いに答えるオスカル。
かたやその返事を受けて、伯爵は真剣な顔つきで静かに頷いた。
――二人の言う仕込みとは、トオルに譲渡した魔法袋の中に入れておいたアドルナート家の紋章のことだ。
カーティアの性格を把握し、以前から「自ら夫候補を探す」と言っていたこともあり、
伯爵はこういう時のために、事前に従者のオスカルに用意させていた。
「……私もリスクは承知の上だ。話を聞く限り好感を持てる男だが……はたして誘惑に勝てるかどうか」
伯爵家の信頼を意味する紋章の効果は絶大だ。
悪用しようとすれば簡単にでき、不当な利益を受け取れるだろう。
本当にカーティアの夫に値すべき人物なのか?
強いことは絶対条件ではあるが、それは何もステータスや技だけの話ではない。
「愛しき娘の期待を裏切らないでくれよ? であるならば私は喜んでお前を認めよう」
まだ顔も知らない夫候補に、伯爵は父親の顔でそう呟いた。




