第三十章 彼誰時(かはだれとき)
1
窓の向こうではほの暗い空の中に、かすかに明るみが生まれ始めている。海の先、海面の端に、ワイングラスのような金色の淵が見えた。
夜でも朝でもない曖昧な時間帯。闇と光が混在している刹那の間。
早朝、明け方。かつては彼誰時と呼ばれ、逢魔ヶ時 (おうまがとき)と同様、その存在があやふやな時間帯だとされていた。
夕方のほのかに明るい状態から徐々に闇へと移行していく景色も趣きがあって素晴らしいけれど、僕としてはこの彼誰時のほうが好きだった。一日の終わりを感じさせる夕焼けとは違って、この時間帯の太陽は、全ての始まりを感じさせる。同じような光景には違いないのだけれど、なんとなく、気分がすっきりするのだ。
流れ込んでくる空気を吸い込みながら、先日修玄から聞いた内容について考える。
修玄は四業のことを二代目だと話した。僕が殺した人物の肉体を再利用したと。
真壁教授は複数の遺体を集め、超能力を発現させるのに適した素養をもっているパーツを組み合わせることで、‶触れない男〟たちを作ったそうだ。だから今回の事件においても実験体たちの遺体を修玄に回収させていた。再利用し、新たな実験体を作り出すために。
彼らの遺体は教授が集めた中でもっとも超能力に適したパーツの塊だから、死亡したからといってみすみす捨てるはずがない。真壁教授の下に彼らの遺体が戻る限り、彼は何度でも‶触れない男〟たちを再構成することが出来るのだろう。真壁教授本人をどうにかしない限り、この事件が終わることがない。
緊張か覚悟からか。かすかに手が震える。
僕はそれを押さえ込むように、両の手を強く握り合わせた。
朝日が十分に差し込むようになったころ、修玄から電話がかかってきた。今日争う可能性の高い残り二体の実験体についての話だ。
「君を病院送りにしたのは四業だね。初代は三年前にカナラを追った際、返り討ちにあって死を迎えた。今居るのは二代目で、その初代の肉体を移植して作られた存在なんだ。経緯は違うけれど、偶然にも起こせる現象は初代と同じものになっている。恐らく一代目の肉体に適した精神構造を持つ‶素体〟を教授が選んだんだろう」
「その四業はどういう能力を持っているんですか?」
あいつはまるで複数の現象を起こせるようだった。対策を考えるためにも、どういう現象なのか是非とも知りたい。
「彼はあらゆる現象を‶強化〟することができるんだ。筋肉を強化すれば人間だって持ち上げることが可能になるし、再生能力を高めれば瞬時に傷を治すことも出来る。理論上は、‶触れない男〟のように摩擦で火を起こしたり、高速で移動することもできる。もっとも四業の場合はただの強化、つまり効果の増幅だから、九業ほど自由には操れないけどね」
なるほど。厄介な能力のようだ。五業や和泉さんのように起こせる現象に一貫性があるなら、事前に検討し対処のしようもあるけれど、強化であればその応用性は数えきれない。現象の正体を知ったところで、結局そのときになってみないと何をされるかがわからないのだ。僕は無意識のうちに腕の傷を撫でていた。
「何か、四業のその現象に弱点とかはないんですか」
「しいてあげるなら、何を強化するのか、事前に予測し対処することかな。何でも強化できるとはいえ、一瞬の間に判断できる情報は限られる。彼が何を強化するかさえわかれば、回避は可能だと思うよ。……あとは、自己再生能力のほうだけど、肉体を構築する材料には限界がある。争っているときに食事する暇なんてないだろうから、瀕死の傷を与え続ければいつかは再生できなくなるはずさ。もっとも、それには殺す気で攻撃し続けないとダメだけどね」
――殺す気。
それは僕にとって一番難しい行為だろう。思わず苦笑いを浮かべる。
「……もう一体は? どんなやつですか」
「最後の一人は、三業だね。彼は確か、トンネル効果を起こせた」
「トンネル効果?」
「すり抜けるんだよ。物体を」
朝食はパンだよ、といった調子で修玄はそう言った。
幽霊みたいなものを想像すればいいのだろうか。もし壁や床を突き抜けて急に現れる相手なら、非常に厄介だ。物体をすり抜けるってことは、蟲喰いすらもすり抜けることが可能なのだろうか。
さらに具体的なことについて聞こうと思ったが、先日の修玄の言葉に気になる点があったのを思い出したので、尋ねてみた。
「僕が倒したのは九業、五業、六業の三体だけです。全部で九体なのに残り二体だと言うのなら、他の四体は誰が殺したんですか」
「ホムンクルスである一業は一年前にカナラに返り討ちにあって行方不明になった。二業は三か月前にカナラがこの町に入ったという情報を元に派遣したけど、それから連絡がつかない。残りの七~八業は遺体で見つかっている。穿くんじゃないとしたら、普通に考えればカナラってことになるんだろうけど、回収した遺体にはどれも君が見せたようなひび割れの跡があったからね。彼女って、君と同じようなことができるのかい?」
「わかりません。でも、可能性はあります。カナラが何かしたせいで、僕はこんな体になったんですから」
「ふむ。もしカナラが犯人だとすれば、それは彼女自身の力ではないかもしれないね。他に仲間がいるか、いないのであればきっと何か他のものを利用しているはずだ」
「他のものとは?」
「『場』だよ。超能力と言う現象は、場にも起きえるんだ。空間認識軸がずれた人間のことを超能力者というけれど、同じように半分ほど量子的な世界へ傾いた場所のことを超次場という。聞いたことないかい? 必ず方位磁石が狂う海とか、退かそうとすると人が立て続けに死んでしまう木とか。そういった場所は人の意識の影響を受けやすい。彼女はきっとそういう場所や物を利用しているのかもしれない」
「でも超能力には、粒子を任意の方向へ誘導するための意思が必要となるんですよね。場が超能力を起こすとはどういうことなんですか?」
「木や草木にだって意識のようなものはあるさ。といっても、ここでいう意思とは言葉や感情のことじゃない。突き止めれば人の意識だってただの電気の流れでしかないんだ。必要なのは、何かをある方向へ移動させようという強い‶方向性〟と、その物体がどれぐらい確率世界に影響を与えやすいかという‶深度〟だけさ。理論的には存在しているものならば何であれ超能力と呼ばれる現象を発生させることができるんだ。…なにか心当たりとかないかな。気分が凄く良くなった場所とか、動きやすい場所とか」
「特にそういうのは無かったと思いますけど……」
「まあ、それは別に気にしなくてもいいさ。とにかく君がやったんじゃないのなら、カナラ自身にも何かしらの戦力が備わっているということになる。こちらとしては悪い話じゃない」
「……そうですね」
和泉さんと一緒に噴水に落ちた時、カナラらしき影の横に妙な男の姿があった。あれは、彼女の仲間ということなのだろうか。
そのことを修玄に伝えるべきか迷う。もし彼が敵で僕が死んでしまった場合、カナラを助けられる可能性があるのはその謎の男だけだ。今のところ修玄とは協力体制を結んでいるが、彼が何を考えているのかわからない以上、余計な情報は与えるべきじゃないかもしれない。
そこまで考えたところで、違和感に気が付いた。そういえば、修玄はカナラと千花を同一人物だと思っていたんじゃなかったのか。何故か今日はずっと「カナラ」という名称で彼女のことを呼んでいたような……。
僕がそのことについて聞こうとしたところで、部屋の扉がノックされた。一瞬驚いたものの、すぐに父の声が聞こえる。
「おい。朝食できたぞ」
そうか。そういえば今日は土曜日だった。僕はため息を吐きながら、端末を耳に当てなおした。
「じゃあ、そういうことなので。また何かあったら連絡します」
「ああ。わかった。ちゃんと時間通りに来るんだよ。教授は用心深いから……」
彼の言葉を待たずに通話を終了させる。テレビのスイッチを切るように、音が途切れた。
席に着くと、父が不思議そうに僕を見返した。
「誰と話してたんだ? こんな朝っぱらから」
「友達だよ。今日の夜花火をする約束をしてた」
「ほう。どこで? 海沿いか?」
「そう。隣町に海水浴場があるでしょ。あそこって夜は絶好の花火スポットらしいんだ」
コーヒーを口に含みつつ、僕は説明した。
「友達だけで行くのか? あっちは住民のガラが悪いって聞いたけど」
「近くに交番があるし、大丈夫だよ。それに移動は大通りしか通らないつもりだから」
「そうか。だったらまあ大丈夫か」
何とか納得してくれたらしい。父は安心したようにトーストに噛り付いた。
2
「……さてと」
外は暗くなり、ニュースの通り、雲が出始めていた。昼には想像すら出来なかったほどの真っ黒な雲だ。今夜はかなり荒れそうだなと思った。
カーテンを閉め、電気を消す。覚悟を決めて居間にでると、父さんがお茶を飲みながらテレビを見ていた。
「お、もう行くのか」
「うん。天気が悪くなりそうだからね。早めに行こうと思って」
「明日に延期すればいんじゃないのか? どうせみんな夏休みなんだろ」
「そうだけど、もし雨が降ったら桂場の家でゲームをする予定なんだ。だからどっちにしろ帰りは遅くなるかも」
「そうか。まあ気をつけていけよ」
こちらに背を向けたまま父さんが言う。僕は小さく頷いた。
玄関に出て靴を履く。山奥の研究室に行ったときと同じ運動靴だ。靴紐を結び、外に出ようとすると、廊下から父さんが顔を出した。
どうしたのかと僕が見返すと――
「なぁ穿。お前……何か隠してることとかないか?」
「何で? 何もないけど」
内心どきりとしながらも僕は平静を装った。
「最近様子がおかしかったからな。何だか顔つきも変わったし。前に話していた好きな子っていうのが、関係しているのか」
「別に、ただちょっと、自分のことについて色々と考えることがあっただけだよ」
「悩み事なら、何でも相談に乗るぞ……?」
「大丈夫だって。相変わらず心配性だな。父さんは」
曖昧な笑みを浮かべてドアノブに手を置く。すると父は、神妙な顔でこちらを見た。
「なぁ穿。お前が何に悩んでいるか、どんな問題を抱えているか、俺にはわからない。たとえお前が正直に話したり、訴えたりしても、俺はお前じゃないから、結局本当の意味でそれを理解することはできない。誰だって結局最後は自分の力で克服するしかないんだ。――だから、何度も言うが、後悔だけはするなよ」
何か感じるものがあったのだろうか。カナラのことも、蟲喰いのことも、真壁教授たちのことも知らないはずなのに、妙に意味深な台詞を言う。
「わかってるよ。父さん」
僕は屈託なくそう言うと、扉を開け、闇夜の中に踏み出した。
自転車に跨り、道路に出る。空はだいぶ曇り始めていたけれど、まだ雨は降り始めてはいない。この分だったら、濡れずに目的地にたどり着けるだろう。そう考え一気に走り出そうとしたところで、真横から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
「――緑也」
「どこか行くのか? 雨降ってくるらしいぜ」
「ああ。知ってる。すぐ戻るから。ちょっと買い物にね。緑也は部活帰り?」
「いや、バイト帰りだよ。今日は体育館が午前使用だったからさ」
緑也は自転車から降りると、僕に近づいた。珍しく質素な黒いシャツ姿だった。顔がいいからか、こういう暗い色も良く似合っている。
「バイトしてたんだっけ?」
「夏休みだけ限定でな。ちょっと社会勉強のつもりで」
「何のバイト?」
「スーパーのレジだよ。楽勝だと思ってたんだけど、意外と大変なんだなこれが」
緑也は面白そうに経験談を語ろうとして、
「――っと、悪い。急いでるんだよな。明日暇か? 俺も久しぶりに部活がない日だから、遊ぼうぜ」
「いいね。じゃあ桂場たちも呼ぶ?」
「そうだな。ついでに日々野たちも呼ぼうぜ。あいつ最近部室に引きこもりがちみたいだから」
緑也はどこか照れくさそうにそう言った。
波の音が大きくなり、ほほを撫でる風の勢いが増す。海のほうに視線を移したあと、緑也はいつものように僕を見た。
「じゃあな穿。また明日」
「ああ。また明日」
普段と変わらない声でそう返す。緑也はにっと笑みを浮かべると、そのまま自分の家に向かって歩き出した。
――また、明日。
遠ざかる緑也の背中を目で追いながら、僕は願うようにその言葉を繰り返した。
3
北区沢波を一言で言うのならば、僻地だ。
人が住んでいるような家は数えるほどしかないし、買い物をするための店もない。あるのはただ小さな畑と、あちこちに点在している企業の工場だけだった。
修玄に指定された場所はここの二丁目。どういう場所か知識は無かったけれど、近くまでくるとそこか大きなコンテナ置き場だとわかった。
何を収納しているのかは知らないが、大企業のマークが描かれたコンテナが無数に積んである。海辺でもないのにどうやってこんなものを大量に持ち込んだのか、不思議に思った。
雑木林に囲まれた神社の敷地に自転車を隠し、そこから周囲を観察する。どの工場も既に稼動は終了しているらしく、人の気配はほとんどない。
しばらくそのまま待機していると、一台のトラックが目の前の敷地に入っていった。持参してきた双眼鏡に目を通し、行き先を確認する。トラックは小さなコンテナの前で止まり、中から三人の人間が降りた。一人には見覚えがある。あの金髪の男、四業だ。
僕は無意識のうちに双眼鏡を握る手に力を込めていた。
残り二人は、四業より少しだけ若い男――三業らしき人間と、帽子を被っている年配の男だった。恐らくは、あの男が真壁教授だろう。
彼らはトラックの荷台を軽く開け、中を見つめた。遠目に腕を縛られた少女の姿が見える。その姿を目にした瞬間、僕は息が詰まりそうになった。疲労しているのか、千花は逃げようともせず壁に寄りかかっている。目には布のようなものが巻かれ、視界を塞がれていた。
四業たちはトラックの荷台の扉を閉じ、念入りに鍵を掛けなおした。
僕は双眼鏡をしまうと、そのままコンテナのほうに向かって走り出した。あまり早く走れば音で気づかれるので、慎重に地面を意識しながら進む。
僕は三人から十メートルほど離れた場所までたどり着くと、コンテナの陰から覗き込むように彼らの姿を確認した。
本来であれば、彼らに気づかれずに逃げ切るのが一番いい。警察を近場に呼んでおいたり、少し離れた場所で物音を立て注意を引けば、その隙に千花を逃がせる可能性はあった。けれど、それでは結局すぐに三業と四業に追われる羽目になるし、何より決着がつかず今後の追いかけっこが過熱するだけだ。――だから、こうするのが最もベストな選択だった。
僕はこっそりとコンテナの影を移動し、彼らに近づいた。息を潜めながら目を凝らすも、暗闇の所為で教授の素顔は良く見えない。
幸いにも物体をすり抜けることの出来る三業も、四業も視界の中に入っている。
どうせこのままでは千花へ近づくことは不可能だ。僕はそこであえて、小さく靴音を鳴らした。
四業の視線が、こちらを向いていた。怪訝そうに目を細めている。
「どうした四業」
端末を仕舞い不思議そうに四業の様子を見る三業。
四業は加えていたタバコをその場に投げ捨てると、
「――妙な物音が聞こえた。誰か、居るぞ」
じりっと、彼の足元の砂が鳴る。
僕は右手に蟲喰いの力を込め、息を呑み込んだ。
「出て来いよ。誰かいるんだろ」
金髪を掻きむしりながら近寄ってくる四業。その後ろで、三業が教授を自身の後ろに隠した。これではとても、彼の身柄を拘束することなど不可能だろう。
四業はゆっくりとこちらに歩み寄り、コンテナの目の前で足を止めた。そして――
強化した足で、一気にそれを蹴り飛ばした。
僕は取ったに横に飛びのくと、押し出されたコンテナの横を抜け四業めがけて蟲喰いを放った。しかし四業は軽やかに後ろに下がり、それを楽々回避する。
空を切った蟲喰いの音が、静寂に包まれたコンテナ置き場に響き渡った。
「誰かと思ったらお前かよ。まだ生きてたのか」
驚いたように僕を見返し、身構える四業。僕はすぐに体制を立て直し、次の攻撃に備えた。
「お前は修玄が回収する手はずになっていたはずなんだけどな。あいつ、何してやがるんだ?」
「誰だそれは」
三業が僕の顔を見て、興味あり気に聞く。
「そこのトラックに押し込んでいる女の連れだよ。一度ぼこぼこにのしてやったんだが、懲りない野郎だな。……どうやってこの場所をかぎつけやがったんだか」
四業はにんまりと醜い笑みを浮かべると、足を滑らせ一気に僕の前に滑空した。すべる力を‶強化〟しているのか、まるで触れない男のように高速で移動する。
――やるしかない。
僕は迎え撃つように前に出ると、片手を腰貯めにし、左足を前に出した。
僕の眼前に到達した四業は何のひねりも無く真っ直ぐに腕を伸ばしてくる。僕は前に出した左手でそれを逸らそうとしたのだが、お互いの手が接触する直前、急に体に奇妙な違和感が生まれ、動きが大きく鈍った。
声を上げながら四業が僕のほほを殴りつける。大きく振りかぶられたその一撃をもろに受け、僕は唇から血を飛ばしながら仰け反った。
――そうか。空気抵抗を……!
反撃しようとした途端、またもや強烈な負荷が僕の体にかかる。しかし僕は足の裏に蟲喰いを発生させ、その勢いで強引に前方へ体を押し飛ばした。彼の現象は既に修玄から聞いている。想像力さえ追いつけば、対処の仕様があるのだ。動きを止めようとしたはずの四業は、逆に加速した僕を見て、表情を一変させる。
四業はこちらの攻撃を防ごうと腕を前に出したが、超能力のない争いでは僕のほうが上手だ。その手を手の平でなぞるように逸らし、渾身の拳を彼のほほに差し込んだ。
激しい手ごたえ。四業のほほが大きくたわみ、彼の顔がゴムのように崩れた。
「てっめ……!」
怒りの表情を見せた四業は激しい蹴りを地面に打ち付けた。途端、散弾銃のような強烈な砂つぶてが僕の前面に殺到し、いくつもの小さな傷を皮膚に刻む。僕は目を守るため腕を上げ、痛みに悲鳴を漏らした。
近づいてくる気配を感じて咄嗟に蟲喰いを前面に展開する。しかし四業は肉を裂かれつつも構わず前進し、僕の首を握り締めると、そのまま横のコンテナにたたき付けた。
「このまま首を折ってやるよ」
血走った目でこちらを見据えながら憎憎しげにそう言う。僕は必死に彼の手を解こうとしたが、筋力を強化しているのかびくともしなかった。
このままじゃここから離れることは出来ない。蟲喰いを発動させ、四業の腕を弾き飛ばそうとしたところで、彼の背後から渋い声が沈み渡った。
5
「――やめろ。四業」
その声は周囲のコンテナに反響し、小さな音のはずなのに奇妙な威圧感を持っていた。
修玄の後ろ、三業の横に立つその男は、僕が真壁教授だと判断した相手だ。
彼は深く被っていた帽子を丁寧に脱いだ。俳優のように渋い顔。白髪の混じった短い黒髪が月明かりの元に晒される。
「貴重な肉体を傷つけるな。彼の肉体もまた価値がある」
その指示に、四業はしぶしぶといった様子で腕の力を抜いた。僕は地面に倒れ込み、大きく咳き込んだ。
喉を抑えながら顔を上げ、こちらを見下ろす真壁教授を睨みつける。
「あなたが黒幕なんですか。千花を……解放して下さい」
「申し訳ないが、彼女は人類をより高い次元へと発展させるための、貴重な研究材料なんだ。手放すわけにはいかない」
まったく悪びれることなくそう答える真壁教授。自分の行為が悪だとは一変も思っていない表情だった。
「そんな目で見るなよ。君がどこで誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、誤解しないで欲しい。私に君たちを傷つけるつもりはない。ただ、協力して欲しいんだ。人類の発展のために」
「今まで散々多くの死人や負傷者を出してきて、よくそんなことが言えますね。あなたの作った実験体のせいで、多くの死人が出たんですよ」
「やり方が手荒だったのは謝るさ。だが、死人が出たのは私のせいではない。そもそも、君たちがおとなしく拘束されていればここまで被害がでることもなかった」
大した開き直りだ。僕は言葉もなかった。この男の中では、完全に自分の価値観を中心にして世界が回っている。
「……あなたは超能力者を作り出して、どうする気なんですか? こんなことをして、国に認められるとでも思っているんですか?」
「国に認められるなんて思ってもいないさ。この国はもうだめだ。中身が空っぽの演劇のような国家だよ。たとえ私が超能力者の存在を完全に証明してみせたとしても、どうせ手に余して海外へ責任を丸投げする」
真壁教授はうんざりだと言う様にため息を吐いた。
「別に国家に認められなくとも構わない。その技術が、概念が、私の意志が、存在し引き継がれるシステムが維持できればそれでいい。交渉はまだだが、そのための買い手候補も見つけてある。国家とはまったく異なった、ある種の思念共同体。彼らなら快く私の研究を受け入れてくれるはずだ。今回の騒動は、実験体のいいサンプルデータとなることだろう」
「それはテロリストってことですか?」
「そんな陳腐な連中のことじゃない。思想を共にする集団のことだ。世の中には、君の知らない組織がいくつもある。……そうだね。協力してもうらうんだ。君たちには私の目的を話しておこう」
真壁教授は歩みを止め、僕たちを観察するように見下した。
「人類の終末願望。集合的無意識下で望んでいる‶終わり〟への――黄昏への渇望。私はね。それを食い止めたいんだ」




