第二十九章 超能力
1
前回と同様にお坊さんに案内をしてもらい、ヒソップという名の花に囲まれた渡り廊下を抜ける。
襖の前まで来たところで、お坊さんは回れ右をし、来た道を戻っていった。
僕は心を落ち着かせると、ゆっくりとふすまに手を伸ばし、開けた。何やら書き物をしていた修玄は、顔を上げ僕の姿を確認すると、特に驚いた様子もなく手の動きを止めた。
「やあ、 君か……来ると思っていたよ」
僕はふすまを閉め、その場に立ったまま彼を睨みつけた。
「千花はどこですか」
「ここにはいないよ」
修玄はペンを置き、ノートのような書類を閉じた。
「何故僕を助けたんです。千花を誘拐しておいて」
「見上げていると首が疲れる。とりあえず座ってくれないかい?」
そういって茶を一口すする。一瞬迷った末に僕が黙って従うと、修玄は満足そうに頷いた。
「彼女はまだ生きているよ。今のところはね」
「……どこに居るんですか」
「この町のどこかだ。詳しい場所は僕にもわからない。残った二体の実験体。四業と三業が拘束したまま動き回っているからね」
その言葉に、思わず息を呑む。何故まだ彼らがこの明社町から離れないのか意味がわからなかったが、まだ手の届く場所に千花がいるという事実に、胸が熱くなった。
「ぼくたちは追いかけていた‶カナラ〟が千花さんだと認識していた。だからあの日、君を押しのけ彼女を誘拐したときに、そのまま新たな研究室へ移動するつもりだった。けれど、不都合が起きたんだ」
修玄は観察するように僕を見る。
「千花さんを乗せた車が公道に出た途端、いきなり車の周囲の人間が襲い掛かってきたんだ。歩行者も、車乗者も見境なしだったらしい。……恐らく、千花さんが周囲の人を操ったんだろうね」
僕は修玄の言葉に躊躇いざる負えなかった。
確かに精神干渉の力を使えば他人を操ることは出来るだろうけれど、千花がそんな真似をするとはまったく思えなかった。不安と恐怖に押しつぶされそうになったとしても、千花なら、他者を巻き込むような真似をするはずがない。それは、彼女の中にいる‶カナラ〟も同じはずだ。
――……どういうことだ? 何が起きている?
僕はふと、前に見た現在のカナラの姿を思い出した。悲しそうに、まるで以前とは違う闇の籠った表情を浮かべていた彼女のことを。まさか、本物のほうのカナラが千花を助けようとしたのだろうか。
「この明社町から外に出るためには、必ず国道を通る必要がある。でも少しでも人の多い場所に出れば、周りの人々が一斉に襲い掛かってくるんだ。三業や四業にとって彼ら何て大した脅威ではないけれど、襲われ続ければ疲労もするし、何より人目に付きすぎる。だからぼくたちは、仕方がなく一旦彼女の身柄を人の多い場所から遠ざけることにしたんだ」
国道を通れない以上町から出れないと言ったのは修玄だ。遠ざけるとは、つまりひと気がない場所を転々としてこの町の中を移動しまわっているということなのか。この町から出ることが出来ないから。
見知らぬ他人を操って自分を救おうとすれば、間違いなくその他人は四業たちに大けがを負わされるはずだ。千花やカナラがそんな真似をしているなんてとても思えない。何が起きているのかまったく理解出来なかった。
親指で他の指を撫で上げ、僕は修玄の顔を見つめた。
一体この男はどういうつもりなのだろうか。これは、本来であれば僕に伝える必要のない情報だ。彼は千花を誘拐し、僕を殺そうとした人物が、何故そんな事実を教えてくれるのだろう。
「何故、それを僕に伝えるんです。……あの日、救急車を呼んだのはあなたでしょう。何が目的なんですか」
「君を殺したくないと思ったからだよ。信じられないかもしれないが、ぼくは人殺しが嫌いなんだ」
人の死体を運んで人体実験に使っているヤツが何を言っているのだろうか。
僕が無言で睨みつけていると、修玄は苦笑いを浮かべ、ふっと息を吐き出した。
「別に嘘じゃないんだけどね。あの時は四業に見張られている状況だったから、君をはめるしかなかった。けれど、こうして君が死んだと思われている今ならば話は違う。まあ、あえて君が納得できそうな理由をつけるとするならば、ぼくは君の命に価値を見出したってことかな」
「価値?」
「うん。ぼくたちの作った実験体と渡り合える人間は貴重なんだ。君は単身で既に何体もの実験体を倒してきた。あの日、四業に負けはしたけれど、何分彼の力は特殊だからね。適切な段取りと情報さえあれば、君なら残りの実験体も倒せるかもしれないと考えたんだ」
「……あなたは〝触れない男〟の一味なんでしょう。どういうつもりなんですか」
「きみは、ぼくたちのことをどこまで掴んでいるんだい? 何の集団だと思っているのかな?」
純粋に興味深そうに、修玄は質問した。
「和泉……――あなたたちのいう六業や五業の話から判断するに、小さな研究組織だという認識です。それが国の機関なのか、どこかの企業の研究室なのかは知りませんが。もし国家規模の組織なら、カナラを探すのにこんなに地味な方法は取らない」
「おおむね間違いじゃないよ。ぼくたちの発端はとある大学付属の研究室だった。といっても、一般的な研究室とは違って、教授が私設した独立研究室だったけれどね」
教授。その人物が黒幕ということだろうか。この馬鹿馬鹿しい騒動の原因。
修玄は茶飲みの波紋を見つめ、重々しく台詞を吐き出す。
「さっきの質問の答えだけどねぼくは、自分の人生を取り戻したいのさ」
2
僕の疑問を感じ取ったのか、修玄は優しく笑みを浮かべ、お茶をすすった。
「順を追って説明しようか。ぼくたちはその研究室である研究をしていた。一般社会では疎遠されるような研究。人の、いや世界の真理を追及する行為。いわゆる超能力の研究だ」
大真面目な調子で修玄はそう言い放った。
緑也なんかが聞けば、酷い冗談だと笑いだしそうな言葉だったが、実際に‶触れない男〟たちという成果を見てしまった僕には、その言葉が真実であると認識することが出来た。
「始まりは、とある医学系大学の教授が設立した、小さな私設研究室だった。大学の専攻課程とは別に、任意の希望者を集めて研究を行う独立した研究室。最初はあくまで精神と肉体の関係性について学ぶことが目的の場所だった。――あの被験者が運び込まれるまでは」
修玄は背を壁に押し付け、体を斜めにした。
「それは当時騒がれていたある連続殺人鬼だった。警官に撃たれたらしく、ほとんど脳死に近い状態だった。
信じられないかもしれないけれど、彼は、念じるだけで人を殺すことができた。彼が意識を集中すると、それだけで周囲の人に不幸が起こった。ある者は落ちてきた瓦礫の下敷きになり、ある者は突然ガス爆発に巻き込まれ焼死した。
意識を失ってなお彼の力は衰えず、体の検証を実施しようとした多くの医療関係者が不自然な死を遂げた。病院も警察もお手上げだったんだろうね。半ば厄介払いにも似た形で彼の肉体はぼくたちの研究室に運び込まれ、事実の検証を行うことになった。
……ぼくたちは、彼の体を研究対象に様々な検証を行った。神経反射。聴覚反応。彼がどのように周囲の状況を認識し、そんな異常な現象を起こしているのか、ありとあらゆる方法を持って調べようとしたんだ。でも、その過程で三人の学生が亡くなったことで話は変わった。感電死、病死、打撲、色々と理由はあったけれど、死んだ場所はどれもその殺人鬼から数メートルも離れていない場所だった。
さすがにこれはおかしいと思い始めていたぼくたちは、この遺体を警察に返すべきではと考えた。けれど、当時研究室を任されていた教授がそれに大きく反対したんだ。彼は、連続殺人鬼の遺体に強い興味を持っていた」
「……その教授は、誰なんですか?」
「真壁清造という男だよ。それまでいくつもの賞を受賞している秀才でね。大学や警察は彼に絶大な信頼を置いていた」
まったく聞いたこともない名だ。その界隈では有名人ということなのだろうか。
「教授の指示の元、ぼくたちはさらに多くの方法で被験者の検証を行った。人以外も死ぬのだろうか。どの距離まで効果があるのだろうか。何か電波のようなものは出ていないだろうかなどね。検証期間はたった三年だったけれど、その間にさらに五人の仲間が亡くなった。
僕たちはその呪われた患者に恐怖し、怯えていた。仲間の中には逃げ出す者もいたぐらいだったけれど、彼らの死を目にした教授が、そこで妙な仮説を立て始めた。それは、ぼくたちにとってまったく予想だにしない提案だった」
修玄は手を胸の前で組み直した。
「穿くん。君、物理には詳しいかい?」
「物理? いや、ごく普通の高校レベルですけど」
「そうか。じゃあ量子力学なんてわからないだろうね。教授が注目したのは、医学や心理学とはまったくベクトルを異にした、‶観測者効果〟という量子力学の基本理論だったんだ」
何が楽しいのか知らないが、僅かに修玄は笑みを浮かべた。
「この世に存在する全てのものは、‶観測される〟ことによって影響を受け、本来の状態とは異なった面を見せる。このいい例が量子力学の分野では誰もが知る二重スリット実験ってやつさ。
これは真っ白な板の前に二つの小さな穴の空いた板を置き、電子を飛ばしたらどんな痕が板に付くか見てみようという実験でね。電子をひとつだけとばした場合、白い板には点の痕ができ、電子を大量に飛ばした場合、白い板には電子同士が干渉して一定模様ができる。 そして電子を一つずつ連続して飛ばした場合、白い板には一定の模様ができるという実験だった。
この実験において、電子が粒子なら一つ目は成り立ち、電子が波であれば二つ目が成り立つんだけれど、どちらの場合においても三つ目だけは説明がつかない。 何故電子を一つずつ飛ばした場合も白い板に模様ができるのか。それについて当時の科学者たちは、模様は二つの穴の位置の違いによって発生するため、どのように電子が穴を通過しているか確認すれば、その原因がわかるかもしれないと考えた」
なんだか話がわからなくなってきた。僕は修玄の顔を見つめたのだけれど、説明に夢中になっている彼は意に介さず言葉を続けた。
「この試みの結果、電子は二つの穴のうち、どちらか一方しか通過していないことが観測された。つまりどのような場合においても、二つの穴を同時に通過することはないとわかった。こうなると、電子を一個ずつ発射しているはずの三つ目の実験が何故模様を生み出すのかまったくもって説明がつかなくなる。電子が粒子であるとすると、一個ずつ飛び、一つの穴を通過した電子に干渉相手は存在せず、模様が発生する理由はない。また電子が波であったとしても、通過できる穴はひとつだけだから、飛び出した電子へ干渉するものは何もない。この事実を説明するために、研究者たちは‶観測したこと〟で電子の状態に異常が発生したのだと考えた。
電子を観測しようとすれば観測するために、その電子を特定するために光をぶつける必要性が生じ、それによって電子の軌道や状態が変化する。そのせいで観測した結果、穴は一つの場所しか通らないこととなり、粒子かもしれないものが波の動きをし、波かもしれないものが粒子の動きをする結果になるんだとね」
「……はあ」
僕は曖昧に頷いた。
「簡単に言えば、‶何だかよくわからない状態〟の電子を大量に観測したものが波となり、‶何だかよくわからない状態〟の電子を一個ずつ観測したものが粒子となる、ってことさ。
物質とは電子を始めとした量子の集合体であり、その組み合わせによって個性を生み出した流動体に過ぎない。鉄も、ゴムも、水も、元をたどれば全て電子や粒子の動き方が違うだけ。そしてその量子は、物体として存在するものではなく、現在では極小の力の『場』だと考えられている。面白いだろう。固い鉄も柔らかい水も、全て小さな小さな『場』の流れ方の違いに過ぎないんだから。そう考えると、ぼくたちって、この世界って一体何だってなるよね」
修玄は僕の反応を見て、
「つまり何が言いたいかって言うと、量子――この世界を構成している物質は、観測するそのときまでどんな動きをしているのか、どんな状態なのか、まったくもって未知な存在なんだ。
……例えばそうだなぁ。人間は他人がいることで初めて‶性格〟というものを生み出す。他人という観測者がいなければ、‶性格〟などという現象は観測することができない。
眺めればただの文章の羅列でしかない小説は、それを‶読む〟ことで世界を作り、物語を展開する。しかし‶読む〟ことしか知らず‶眺める〟ことのできない者がいるとしたら、文章がどのような‶文字〟で構築されているか理解することなんてできないだろう。
今ぼくたちがいる世界は、この小説のように‶観測される〟ことで成り立っているといっても過言じゃないんだ。観測されることで、初めて形をなし存在できる」
同意を求めるように修玄はこちらを見た。
僕は慌てて彼に言葉を返す。
「つまり、僕たちの世界は一種の文章、プログラムのようなもので構成されているってことですか?」
「まあ、そういうこと。教授はまさにそこに着目したんだ。本の中の人物は自分を描写している文章がどういうものか理解できない。けど、もしそれを読めしかも書き換えることができたらどうなるのか。犠牲者は皆殺人鬼の認識範囲内で死亡している。つまり殺人鬼に観測されたことで死んでいるんだ。教授は殺人鬼の起こしている異常の原因が観測者効果にあるのではと、そう考えた。
人が物を観測するということは、同時に人が物に観測されることも意味している。
これは別にものがこちらを認識しているという意味ではなく、こちらがものを観測することで、ものに影響を与えてしまうという意味だ。
被験者が起こしているような超能力は、その文章、‶よくわからない確率の存在〟に気づかれることなく観測を行うことで発生する現象だというのが、教授の主張だった。何の影響も受けていない確率存在に、後出しで意思という影響を与えれば、その意思の種類に応じた方向性が与えられる。もし、このときに観測者の意思によって観測の仕方を選択できるのならば、観測者は観測されたあとの状態を自由に操れることになるのではないかってね。
教授は殺人鬼の脳波を調べ、その理論を実証した。殺人鬼は昔、妻子を強盗に殺されていたんだけど、その男の音声記録を耳に流したとき、必ず同じような脳波をつくり付近の人間に原因不明の不幸を降らした。
教授は自分の発見に喜び、すぐに警察や学会に発表した。しかし超能力なんてばかげたものを、まともに取り扱う者も理解しようとするものも居るはずは無く、結果として、彼は大ブーイングを受けた。
大学の顔をつぶしたと研究室は縮小され、地位も剥奪され、残ったのはこじんまりとした小さな部屋と、ぼくを含んだ数人の研究員だけだった。連続殺人鬼の起こしている異常を調べて欲しいというから尽力し、成果を発表したにも関わらず、その仕打ちはあまりに酷かった。
しばらくして教授は半ば躍起になって、狂気的ともとれる実験を行うようになった。理解されないのなら、認められないのなら、超能力者を実際に何人も作って見せればいいと思ったんだ。今となってはあきれるほど馬鹿な真似だけどね」
「それが……‶触れない男〟たちなんですか」
僕は神妙な表情で聞いた。
「いや、まだ違うよ。少なくともその頃のぼくたちは、生きている人間から超能力者を生み出そうとしていた。何とかして確率の世界へ干渉しようと試みていた。でも、どれだけがんばっても無駄だった。
同僚は次々にやめていき、お金にならない研究を続けていた教授は家族からも逃げられた。そして追い詰められた彼は、ついに禁忌に手を出してしまった」
「禁忌?」
僕は修玄の顔に意識を集中させた。
「‶人造人間〟さ。その頃に連続殺人鬼自身は死亡していたんだけれど、教授は彼の遺体から細胞を切り取り、それを培養した。ちょうど、その当時はとある学者が人口細胞なんてものを開発したばかりでね。教授は殺人鬼の細胞を、その人口細胞の原型と組み合わせ、胎児の肉体に注入したんだ。
その人口細胞は共合させた細胞の形質に合わせて特徴を取り込み、変化させるというすぐれた代物だった。教授は胎児の細胞を段階的に入れかえ、長い時間をかけて殺人鬼の細胞と人口細胞にその形質を作りこませた。言わば、人間と言う鋳造型だけを利用したんだ。生まれる頃には、その赤ん坊の細胞はほとんど別物に入れ替わっていた。――それが、彼の本当の狂気の始まりさ」
疲れたのだろうか。修玄は足を崩し、体重を移動させた。僕は警戒しつつ、彼の動きを見守る。
「教授はその子供に‶一業〟という名称をつけ、超能力者として育成を行った。殺人鬼の特性と形質を完全に再現していた彼は、すぐに特別な現象を起こせるようになるはずだった。でも、五年たっても、十年たっても、子供に超能力なんて代物は生まれなかった。
その結果に対し、教授は何か月か悩んだ末、再び突拍子もないな推論を思い浮かべた。
人は常に様々なことを考えている。例えばただ『火を出したい』と思い浮かべるだけでも、火の大きさ、温度、色や形、場所や距離など、実に多くの条件が必要となる。
量子世界での観測は一瞬だから、そんなことをグタグタ妄想していては、決して自分たちの根源である‶確率存在〟に一貫した方向性を与えることはできない。超能力などと呼ばれるような大きな現象を表現するためには、徹底した意思の統一化と洗練が必要となる。それこそ、クオリア、いわゆる自我感覚現象のように考えるまでもなくそのイメージが浮かぶようなね。
教授はこの問題を解決する手段として、ひとつの方法を思い浮かべた。偶然知り合ったとある患者の症状から着想を得たんだ。
その患者は極度の視線恐怖症だった。人と目が合いそうになる度に、尋常ではないほどの過剰な反応で視線を動かし、目をそらそうとする。それはまるで条件付けされた反射行動のようだった。
ぼくは患者の脳に電極を当て、視線が合いそうになったときの患者の脳波を測定していみた。すると面白いことに、場所や時間、対象の相手に関わらず、ほとんど同じような波形を形成することがわかった。
つまり何らかのトラウマや強力な一定の感情を反射的に抱いてしまう人間ならば、その反射範囲においては観測効果の方向を毎回限定することができるのではと考えたのさ」
僕は〝触れない男〟や五業、和泉さんたちの記憶を思い出した。彼らはみな一様に暗い過去を抱えていた。まさか、だから実験体の候補に選ばれたのだろうか。ただトラウマを抱えていたから。その感情を抱くのが日常の一部になっていたから。そんな馬鹿げた理由で――。
「この理論を正とすれば、人工的に生み出され感情表現に乏しい一業から成果が出る可能性は少ない。そこで教授は、他所から強いトラウマを持っている人間を調達することにしたんだ。
ただ、一業とは違い他所から得た肉体たちは、超能力を発現させるのに適した形質を持ってはいなかった。超能力者の細胞は普通よりも粒子に反応しやすい必要があって、一般的な我々の肉体じゃ、再現できなかったらしい。
彼は心理学の研究協力と称し、病院に依頼し、企業や学校の健康診断に超能力者の素養を判断するための心理的、肉体的テストを組み込ませた。手に入れた結果の中に超能力者としての素養の高い死者が出れば、適当な理由を作り回収し、部品として自身の下に収集した。
でもそれらの死体だけでは、例の殺人鬼に比べて素養の純度は低い。だから、純度の高いパーツを組み合わせて完全なものを生み出そうとしたんだ」
「じゃあそれが――……」
「そう。君の言う、‶触れない男〟たちだよ」
深夜に走る車の音のように、修玄の声が部屋に響いた。
3
「組み合わせるって、血液型が違うだけでも人は死んでしまうのに、そんなのどうやって……」
「そこで、先ほどの人口細胞が出てくるんだ。生物の体と言うのは、所詮情報に過ぎない。電子や粒子という存在の動きの一部、いわば生きるとはただの粒子の‶流れ〟のことだ。でも、超能力者はその流れ方が特殊だった。――教授はね。改良した人口細胞と死者の肉体をこねくり回すことで、死者の肉体を細胞外マトリクス化させ、強引に免疫反応を食い止めた。いわば、その万能細胞を接着剤のように使用したんだ。もとはマサーセッツ大学が発見した技術でね、それを参考に利用させてもらった。……勿論このやり方だって限界はある。彼らの肉体は定期的に人口細胞の入れ替えと点検を行わなければならないし、なにより強引に繋ぎ合わせた肉体だったから、ところどころに異常もあった。でも、それでもある程度の身体機能は維持できるようになった」
「……彼らは死んでいたんですよね。いくら特殊な細胞を使ったとはいえ、立って歩けるはずがないと思うんですが」
僕は睨むように修玄の目を見た。
「そうだね。それは当然の疑問だろう。でもそんなのは、大した問題じゃなかった。そもそも使用された細胞は死者を動かす実験にも使われるほど生体活性能力の高いものだったし、何より彼らには素体があった」
「素体……?」
「――とにかく、教授は死者の肉体を使い、八体の実験体を生み出した。彼らは一業とは違って、教授の望みどおりに特殊な現象を引き起こし、その理論を証明した。まさにあの殺人鬼の再現だった。教授はそれをすぐに売り込もうと考えたのだけれど、成果を見せた病院の人間は教授を怖がり凶弾した。一業を作った段階で、もう何かのねじが外れていたんだろうね。教授は自身の身を守るためにその人間を殺し、ひっそりと独自に研究を続けることにした。ただ、さっきも説明したように、実験体たちの身体は非常に不安定な状態にあったんだ。彼らの肉体を安定させるには完成された超能力者のサンプルが要る。そこで教授はあの殺人鬼に代わる代用品を探すようになった」
僕は五業と和泉さんの台詞を思い出した。
「前に、その実験体の一人が言っていました。千花が手に入れば不完全な肉体を解消できるって。それは、どういうことなんですか?」
「教授が具体的にどんな処理をするつもりなのかは知らない。恐らく、千花さんの肉体を分解して細胞を組み込むつもりなんだろうね。一業の時のように人工細胞を経由して。情報の通りなら、千花さんは最高純度の超能力者だ。複数の他人の体から構成されていれば拒否反応も起こりえるけれど、それが特定の個人だけなら問題も少ない。最初の殺人鬼の肉体は既に存在しないしけれど、彼女ならその代わりになる。教授は、千花さんを人身御供にする気なんだよ」
淡々と述べられたその言葉に、僕は頭を金槌で打たれたようなショックを受けた。
千花を分解する? なんて、なんでそんな残酷なことを考えられるんだ?
死体を利用した実験といい、彼らの行為は微塵も理解ができなかった。とてもまともな人間のすることとは思えない。教授という人物は、完全に頭がどうかしている。
「おかしいと思うだろう。でもそれが教授と、彼に付き従う実験体たちの考えなんだ。研究の初期はぼくも喜んで手を貸したさ。なにせ、漫画やアニメの中でしか目にすることのなかった超能力なんて代物を実際に生み出して、研究が出来るんだからね。でも、病院の関係者を殺して、殺人鬼の代理となる少女を追いかけて、次々に死者を出していく教授を見ているうちに怖くなったんだ。ぼくは超能力の研究がしたかっただけで、人殺しに加担したかったわけじゃない。けれど逆らえばきっと殺される。だからぼくは彼の指示に従うしかなく、こうして寺に潜伏して遺体の搬送を行うしかなかった。増え続けていく犠牲者の遺体を見るたびに怨念に責めつけられているような気分を味わったよ」
これは、本心だろうか。修玄は嘘を言っているのかどうか、僕にはよくわからなかった。
「この町にカナラと呼ばれる少女が潜伏し、次々に実験体が返り討ちに遭い始めた頃。ぼくはチャンスだと思った。教授の呪縛から逃れられる唯一の機会だと。そのカナラと呼ばれる少女を先に見つけ、利用することが出来れば、教授を無力化出来るかもしれない。もしかしたら、人生を取り戻せるかもしれないって、そう思ったんだ」
僕は推し量る様に修玄を見つめた。彼は僕の視線から逃げることなくそれを受け止めた。
「君を見逃したのもそれが理由だよ。例え千花さんが脱出できたとしても、彼女だけじゃ、残り二体の実験体には敵わない。彼らは九体の実験体の中でもかなり高レベルな完成品だ。君も体験した通り、僕たちに千花さんの力は効果を発揮しずらい。戦うならばきっと助けがいる」
「でも、僕は四業に負けたんですよ。相手にまだ実験体が二人も居るっていうのなら、勝てない可能性のほうが高いと思いますけど」
「彼らの能力について教えれば、対策の打ちようはある。それに、彼らを引き付けてくれるだけでもいいんだ。ぼくたちが精神干渉を無効化できるのにはトリックがある。実験体さえ倒すことができれば、そのトリックを解除し教授たちを無力化することも可能なんだ。無効化さえできれば、千花やカナラの力が効果を発揮できるだろ」
解除。そんなことが出来るのか。修玄が超能力者だとは考えずらい。だとしたら、彼に‶カナラ〟の力が通じなかったのには、物理的な理由があるということになる。あくまで、修玄の話を信じればだけれど。
修玄は話を続けた。
「町から出られなくなったぼくたちは、千花さんの力を抑える方法を見つけるために、一度教授と合流するべきだと考えた。今はまだ大事にはなっていないけれど、時が経てば学校から消えた千花さんの捜索のために警察も動き始めるし、人々が突然狂ったように廃墟や特定の車を襲い続ければ噂にもなるだろうからね。真壁教授なら、千花の力を抑制する方法が見つけられるかもしれないとそう説明し、彼をこの町へ呼んだ。今なら真壁教授を直接叩く機会がある」
「……その教授がこの町に」
この話が真実であれば、まだ千花を助けられる可能性があるということになる。四業と三業さえ倒すことが出来れば、‶カナラ〟の力で真壁教授の記憶から僕たちを忘れさせることだって可能だ。
この話が事実なら、僕はまだ千花と会うことが出来る。彼女を助けられるかもしれない。
修玄の顔を慎重に見返す。僕は嘘を見抜くことが得意なほうだけれど、彼の言動が虚偽が真かはどうしてか判断がつかなかった。
「あなたはなぜ四業たちと行動をともにしていないのですか。今の話が真実なら、ここでこうしてくつろいでいるのはおかしいと思うんですが」
「ぼくには何の力もないからね。研究能力だって、教授に比べれば遠く及ばない。千花さんに操られた人たちから逃げつつ隠れるためには、余計なお荷物になる場合が多かった。だから、それを理由に一旦距離をとったんだよ。彼らの隠れ場所や移動手段を探して提供する役目も必要だったし」
指を動かしながら考える。一応、筋は通っているのだろうか。もしかしたら修玄は、千花を教授から奪う気で、僕を利用している可能性だってありうる。だが、現状千花へ繋がる手がかりは他に何もない。このまま彼の案にのらなければ、誘拐されるのを恐れ、千花を奪われた後悔に苦しむ毎日を送るだけ。今教授や四業たちと接触できる機会があるというのなら、乗らないわけにはいかなかった。
僕の表情を見て覚悟が決まったことを理解したのか、修玄はにっこりと笑みを浮かべ、手を差し出した。
「わかったかい穿くん。これが君にとって正真正銘、最後の蜘蛛の糸なんだよ」
4
修玄の元を離れ、僕は徒歩で帰路についた。
頭の中では様々な言葉がぐるぐると回り何度も往復する。
千花のこと。カナラのこと。‶触れない男〟たちの正体。
この事件は真壁教授と呼ばれる男の狂気によって引き起こされていた。真壁教授に僕と千花は巻き込まれた。
いつものように太陽が山の奥へと沈んでいく。もうこちらに来て何度目にするかわからない夕焼けだ。
修玄の案に乗れば、本当に僕たちは自由になれるのだろうか。千花も、カナラも、もうこれ以上追われることはないのだろうか。真壁教授の記憶さえ奪うことが出来たのなら。
プレハブのような我が家に向かって海沿いを歩いていると、白い灯台が目に入った。カナラと再会し、‶触れない男〟の痕跡を見つけたあの公園の灯台だ。
特に何か思いがあったわけではない。けれど僕の足は、引き寄せられるようにそこに向かっていた。
夜風に煽られながら、ふらふらと丘に近づいてくと、次第にその丘の上に何かぼやけたものが浮かび上がった。小さな人間の輪郭。まるで幼い少女のような――
僕が目を凝らした途端、それは蜃気楼のように崩れ、一人の高校生ほどの女性の姿へと変わった。
一瞬どきもを抜かしたものの、僕は声を上げることは無かった。少女の幻影を見た時点で、なんとなくわかっていたのかもしれない。彼女が、そこにいると。
カナラは長い黒髪を風になびかせながら、慈しむような目で僕を見下ろした。
僕は静かに呼びかけた。
「――やあ、カナラ」
彼女は前髪を耳にかけ直すと、小さく微笑んだ。
「こんばんは。穿」
「ここで何をしてるの?」
「夕日を見ていたの。今日はすっごく綺麗でしょ?」
既にほとんど輪郭を失っている太陽を見上げるカナラ。僕は彼女に近づいた。
「……僕を見張っていたんだろ。この町に来てからずっと」
和泉さんとの争いの時。文化センターでの遭遇。心当たりはいくつかある。
「うん」
あっさりとカナラは答えた。
「今まで何で姿を見せなかった。君のせいで千花が……」
「知ってる」
彼女は上を見たまま答えた。
「君は、千花に何をしたんだよ。何であの子の中に、幼い頃の君がいるんだ?」
「……千花は私や穿と同じくらい、今回の事件に深く関わってる。あの子がいたおかげで、私は生きてこれた」
「まさか、千花を身代わりにしたのか」
僕は我が耳を疑った。カナラがそんな台詞を吐くとは考えたくなかった。
「望んでそうしたんじゃない。勝手にあの教授が勘違いしたんだよ。千花が自分が追い求めていた殺人鬼の娘だって」
「殺人鬼の娘? じゃあ、君は……」
「修玄から聞いたんでしょ。運び込まれた死体が全ての始まりだ立って。私は、その殺人鬼の娘」
あっけらかんとした調子でカナラはそう言った。
「ある日、私の家に強盗が入ったの。その男は私とお母さんを刺して、逃亡した。お母さんは即死だったけれど、私は奇跡的に助かった。
でも、私たちが襲われたことで、お父さんはおかしくなってしまった。元々そういう素養を持っていたのか、お父さんが呪いじみたおかしな現象で色んな人を殺して回るようになった。きっと、お母さんを殺した男を探して復讐したかったんだと思う。
そこでお父さんのことを危険だと判断した警察のある人が、私の身を守るために事実を隠蔽したの。私は戸籍と名前を変え、真方カナラとして生きることになった」
僕は黙って彼女の話を聞いた。
「しばらくは普通に生活していたんだ。新しいお母さんも、お父さんもいて、少しギクシャクはしていたけれど、何とかやっていくことはできた。でもやっぱり幸せっていうものはそう簡単に手に入るものじゃなかったみたいでね。私の生存を聞きつけた教授が、身体を手に入れようと付け狙うようになったの。その恐怖から、私は幻覚を見せられる力を獲得した。お父さんが‶おかしい〟のは知っていたから、私も同じようにおかしくなったんだと思った。私は新しい両親を巻き込まないために、記憶を消して一人で逃亡した。そしてしばらくして、穿に出会った」
三年前のあの頃。彼女はいつも僕の後ろに立って、絵を眺めていた。楽しそうに無邪気な笑みを浮かべて。何かを忘れようとするかのように。いつもぼろぼろの姿で。
「ねえ穿。まだ千花を救いたい?」
突然、彼女は視線を落としそう聞いた。まるでご飯のお代わりはいるか? と聞くような自然な聞き方だった。
僕は当然のように答えた。
「――助けたいよ。僕は千花を助けたい」
「そっか」
どこか寂しそうに、そう優しく微笑む。
「カナラ、君は何でこの明社町に留まっていたの? ずっと逃げていたのに」
「いい加減疲れていたの。実験体たちに追われて、ぼろぼろになって、逃げるのも限界近かった。だから、動けなくなる前に反撃してやろうと思った。まさか、その町に穿まで来るとは思わなかったけどね」
あくまで偶然というつもりなのだろうか。それにしては出来過ぎている気もするけれど。
端末が振動したので手に取ると、画面に短く住所が書かれていた。差出人は修玄だ。明日の夜八時、北区の沢波二丁目と書かれている。
「カナラ。明日僕は千花を助けに行く。手を貸してくれないか」
修玄の話については遭えて口には出さなかった。まだ完全に彼を信用出来たわけではないから。
「残念だけど。それは出来ないよ穿」
僕の提案をカナラはあっさりと否定した。
「私はもう思うように力を使えない」
「どういうこと?」
よく見れば、カナラの顔には大量の汗が浮き出ていた。暗くてわかりずらいが、顔色も良くない。何だか酷く疲れているように見える。明らかに様子がおかしかった。
「カナラ? どうした?」
僕は倒れそうな彼女に向かって駆け出したのだけれど、その手を掴む前に彼女の姿は掻き消えた。
暖かい花の香だけが、その場に残る。
急に風の音が耳に流れ込む。遠くのほうで、帰宅中の小学生の笑い声が聞こえた。
カナラの言葉を思い出す。
千花の中に何故彼女の一部がいるのかはわからない。けれど、きっと理由があるのだろう。あのカナラが意味もなく人を苦しめるような真似をするはずがないのだから。
目を閉じ、ゆっくりと見開く。
どちらにせよやることは一つだけだ。僕にはただ、出来ることを全力でこなすしか道がないのだから。
陽の光が完全に消え、周囲を暗闇が満たす。それを合図に、僕は回れ右をして歩き出した。




