瞳は焦点を見失った
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私と名都を乗せてダムに続くトンネルを走る車。
暖色にぼんやりと照らされた細長い坑道を抜けて、私たちの目に真っ先に飛び込んできたのは、下り坂の向こう、遥か下方に広がる盆地地形と、その凹部に広がる壮大な市街の夜景だった。
まるで蜘蛛の糸に霧吹きを掛けて、生れた大小さまざまな水滴に七色の光を当てたみたい。
放射状の光の線と、散りばめられた無数の粒子たちの踊る瞬き。
文字どおり、息を飲んだ。
私たちは高揚した。
その絶景はカーブをひとつ曲がると高木群に遮られて、まるで蜃気楼のようにサッと姿を消してしまった。
見晴らしのいい場所で車を停めようって、どこかに道の分岐はないかと私たちは暗闇に目を凝らした。
しばらく進むと大きく膨らんだ路側帯と、ポツリと一台の自販機があるのが目に入った。
標高のせいもあり、その晩の冷え込みは目を見張るものがあった。
ここらで温かい飲み物を調達しておくにはちょうどいい。
車を停めて、興奮冷めやらぬまま自販機を前にキャッキャと騒いでいると、やがてもう一台の車が来てゆっくりと停止した。
降りてきたのは2人組の男の子。
気まずさに似た緊張を覚えた。
だけど、意に反して彼らは愛想良く挨拶をしてくれた。
『女子大生? へえ、地元の子じゃないんだ』
流れのままに、ホットドリンクを買って飲みながら世間話をした。
彼らは麓にある大学に通う生徒だそうで、あの夜景を眺めにこうしてたびたび山に登るんだそうだ。
『地元では割と有名だけど、一応穴場なんだぜ。君たちはどうやって聞き知ったの?』
『偶然見つけたの。本来は、違う目的で登ってきたんだけどね』
『何しにこんな辺境に? 他に見るものったって、この先にはくたびれたダムくらいしかない』
『そのダムがお目当て』
肝試しをするためじゃなく、肝試しをしてる輩を冷やかしに来たと語ると、彼らは大笑いしてくれた。
そんなに笑ってくれちゃうなら、こっちも悪い気はしない。
『カップルで行くと結ばれるってジンクスだろ。でもこれでわかっただろう。怖い思いをした帰り道にあのムード満点の夜景を見れば、たとえ野郎同士だって結ばれちまうさ』
彼らとのお喋りが楽しかったっていうのは本音だけど、それ以上に冷え込みの方が耐えがたくなってきた。
キリもいいところで、私は腕をさすりながらそれとなく名都に視線を送った。
『寒くなってきたし、そろそろ行くわ。いろいろ教えてくれてありがとう』
『もう一杯、コーヒーでも飲んで温まってけよ。俺たちが奢るからさ』
有無を言わさず自販機に小銭を入れ始めたので、私は慌てて断った。
『そんなに飲むとトイレが近くなるから……』
『近くに公衆便所があるぜ。俺たちが案内するよ』
なんだか雲行きが怪しくなり始めたと、私は密かに冷や汗を流していた。
きっと名都も同じだったろう。
今にして思えば、ほとほと嫌気がさすほどに私たちは平和ボケしていた。
『2台で連れ立ってくってのも物々しいし、俺たちの車に乗ればいい。一緒に行こう』
一人が名都の腕を取った。
名都は抵抗したみたいだけど、そうは思えないくらい簡単に男に抱き寄せられてしまった。
『名都……!』
『いいからさ、乗れよ』
もう一人が私の腰に手を伸ばした。
グイと引っ張られて無理矢理身体を密着させられる。
私の頬に顔を近づけるようにして、男の口元が接近した。
ほのかに香るアルコール臭。
酔っていたんだ。
もっと早く気付いていればって思ったけど、今さら手遅れだった。
『やめて……! やめてください!』
『うるせえな。乗れよ』
臆病な私はもがく勇気すらもなかった。
ただ顔を伏せるようにして、じっと我慢していただけ。
こんなの現実じゃないって。
きっと性質の悪い冗談で、すぐに私たちを解放してくれるんだって。
能天気だった。
叱り飛ばしてやりたいくらいに。
『うわっ!』
名都が男の指に噛みついたようだった。
それで大きく仰け反った身体を突き飛ばし、次に私たちの方へ脇目もふらずに駆けてきた。
『花帆を離して!』
名都は速度を緩めないまま、私を捕まえていた男に勢いよく体当たりした。
それでバランスを崩し、彼は二,三歩後ずさって尻もちをついた。
そして不運なことに、ちょうど倒れた位置に縁石のブロックがあって、強く頭を打ち付けたんだ。
『あ……!』
でも、それは致命傷にはならなかった。
彼はムクリと起き上がって、額に流れる血を拭いながら立ち尽くす名都をギロリと睨みつけた。
『て、めぇ……!』
名都は呆然としていた。
でもそれは、恐怖ですくみ上ったのとは違う。
放心状態と言った方が近い。
その瞳は焦点を見失ったみたいだった。




