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瞳は焦点を見失った



 ◆


 私と名都を乗せてダムに続くトンネルを走る車。

 暖色にぼんやりと照らされた細長い坑道を抜けて、私たちの目に真っ先に飛び込んできたのは、下り坂の向こう、遥か下方に広がる盆地地形と、その凹部に広がる壮大な市街の夜景だった。

 まるで蜘蛛の糸に霧吹きを掛けて、生れた大小さまざまな水滴に七色の光を当てたみたい。

 放射状の光の線と、散りばめられた無数の粒子たちの踊る瞬き。


 文字どおり、息を飲んだ。

 私たちは高揚した。


 その絶景はカーブをひとつ曲がると高木群に遮られて、まるで蜃気楼のようにサッと姿を消してしまった。

 見晴らしのいい場所で車を停めようって、どこかに道の分岐はないかと私たちは暗闇に目を凝らした。


 しばらく進むと大きく膨らんだ路側帯と、ポツリと一台の自販機があるのが目に入った。

 標高のせいもあり、その晩の冷え込みは目を見張るものがあった。

 ここらで温かい飲み物を調達しておくにはちょうどいい。


 車を停めて、興奮冷めやらぬまま自販機を前にキャッキャと騒いでいると、やがてもう一台の車が来てゆっくりと停止した。

 降りてきたのは2人組の男の子。


 気まずさに似た緊張を覚えた。

 だけど、意に反して彼らは愛想良く挨拶をしてくれた。


『女子大生? へえ、地元の子じゃないんだ』


 流れのままに、ホットドリンクを買って飲みながら世間話をした。

 彼らは麓にある大学に通う生徒だそうで、あの夜景を眺めにこうしてたびたび山に登るんだそうだ。


『地元では割と有名だけど、一応穴場なんだぜ。君たちはどうやって聞き知ったの?』

『偶然見つけたの。本来は、違う目的で登ってきたんだけどね』

『何しにこんな辺境に? 他に見るものったって、この先にはくたびれたダムくらいしかない』

『そのダムがお目当て』


 肝試しをするためじゃなく、肝試しをしてる輩を冷やかしに来たと語ると、彼らは大笑いしてくれた。

 そんなに笑ってくれちゃうなら、こっちも悪い気はしない。


『カップルで行くと結ばれるってジンクスだろ。でもこれでわかっただろう。怖い思いをした帰り道にあのムード満点の夜景を見れば、たとえ野郎同士だって結ばれちまうさ』


 彼らとのお喋りが楽しかったっていうのは本音だけど、それ以上に冷え込みの方が耐えがたくなってきた。

 キリもいいところで、私は腕をさすりながらそれとなく名都に視線を送った。


『寒くなってきたし、そろそろ行くわ。いろいろ教えてくれてありがとう』

『もう一杯、コーヒーでも飲んで温まってけよ。俺たちが奢るからさ』


 有無を言わさず自販機に小銭を入れ始めたので、私は慌てて断った。


『そんなに飲むとトイレが近くなるから……』

『近くに公衆便所があるぜ。俺たちが案内するよ』


 なんだか雲行きが怪しくなり始めたと、私は密かに冷や汗を流していた。

 きっと名都も同じだったろう。


 今にして思えば、ほとほと嫌気がさすほどに私たちは平和ボケしていた。


『2台で連れ立ってくってのも物々しいし、俺たちの車に乗ればいい。一緒に行こう』


 一人が名都の腕を取った。

 名都は抵抗したみたいだけど、そうは思えないくらい簡単に男に抱き寄せられてしまった。


『名都……!』

『いいからさ、乗れよ』


 もう一人が私の腰に手を伸ばした。

 グイと引っ張られて無理矢理身体を密着させられる。

 私の頬に顔を近づけるようにして、男の口元が接近した。

 ほのかに香るアルコール臭。

 酔っていたんだ。


 もっと早く気付いていればって思ったけど、今さら手遅れだった。


『やめて……! やめてください!』

『うるせえな。乗れよ』


 臆病な私はもがく勇気すらもなかった。

 ただ顔を伏せるようにして、じっと我慢していただけ。

 こんなの現実じゃないって。

 きっと性質(たち)の悪い冗談で、すぐに私たちを解放してくれるんだって。


 能天気だった。

 叱り飛ばしてやりたいくらいに。


『うわっ!』


 名都が男の指に噛みついたようだった。

 それで大きく仰け反った身体を突き飛ばし、次に私たちの方へ脇目もふらずに駆けてきた。


『花帆を離して!』


 名都は速度を緩めないまま、私を捕まえていた男に勢いよく体当たりした。

 それでバランスを崩し、彼は二,三歩後ずさって尻もちをついた。

 そして不運なことに、ちょうど倒れた位置に縁石のブロックがあって、強く頭を打ち付けたんだ。


『あ……!』


 でも、それは致命傷にはならなかった。

 彼はムクリと起き上がって、額に流れる血を拭いながら立ち尽くす名都をギロリと睨みつけた。


『て、めぇ……!』


 名都は呆然としていた。

 でもそれは、恐怖ですくみ上ったのとは違う。

 放心状態と言った方が近い。

 その瞳は焦点を見失ったみたいだった。




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