サイドミラー越しの背景
深夜0時に差し掛かるころ、私たちの車は峠道を登り始めた。
寒々しい景色につられたのかな、自然と口数も減っていく。
でもそれは普段尋ねにくい話題を切り出すのにはいい機会になった。
『名都の生い立ちの話、最後まで聞かせてほしい』
父親を刺したっていう、埠頭での告白。
そのときに思わず黙りこくってしまった罪悪感を、私はずっと引きずっていた。
車はトンネルに差し掛かった。
電波が途絶えて、つけていたラジオからは雨音にも似た起伏のないノイズが聞こえるだけ。
助手席から見えるサイドミラーには、等間隔に並ぶオレンジの照明が一定のリズムを刻みながら後方に流れていく様子が映る。
暗く冷たいイメージのあるトンネルでも、心細い夜更けの道中では以外にも暖かな場所に思えてしまうものなんだって、私は妙な気分に浸りながら鏡越しの背景を見つめた。
『好奇心?』
『……わかんない。でも全部知っておきたいの。名都のことは』
『なんでよ』
親友になりたかったんだと思う。
親友でいられる条件なんて、そんなもの考えるだけ無駄なものだろうけど。
この子の過去を知りもしないでこの先も一緒に笑い合っているなんて、不自然だしすごく寂しいことに思えたから。
人生の中の一時を同じ空間で過ごす、そのとき限りの間柄というんじゃなくて。
離れていてもいつでも会いに行けるような、そういう間柄になりたかった。
今にして思うとあの時の焦燥は、いつか名都がふっと消えていなくなってしまうんじゃないかという危機感の裏返しでもあったのかもしれない。
――――名都の身体が大きくなるにつれて、父親の暴力もエスカレートしたそうだ。
意識が飛ぶまで首を絞められることもザラに起こって、いつかこのまま勢い余って殺されてしまうかもしれないと、名都はいっそう怯えるようになった。
指に込められる力が段々と増していき、やがて自分の脛骨がボキリと折れる。
そんな悪夢を見て飛び起きることも増えていった。
とある晩、理由は忘れたけど、また父親が癇癪を起して名都を殴り始めた。
母親はいつものとおりにそそくさと自室へ消えたという。
夢を彷彿とさせるように首を絞められる体勢になったとき、身体から感覚が薄れていくのに反比例して、名都の中に強い衝動が芽生えた。
『まだ死にたくない』
それは純粋な生存本能だった。
名都は初めて抵抗を見せた。
手探りで近くの机に乗っていたマグカップを掴み、それを馬乗りになる父の頭に叩きつけたのだ。
『て、めぇ……!』
この行為は火に油を注いだだけだったと、怒りに狂う父親の眼光を見て思い知った。
恐怖のあまり、名都は部屋を駆けずり回った。
捕まってしまえば今度こそ本当に殺されてしまうと判ったから。
無我夢中で暴れ回り、正気に戻ったときには、父親は腹部を押さえて床に倒れ、自分は血に染まった包丁を握りしめていたのだという。
刺し傷は命に係わるものではなかった。
ただ、この件は大ごとになった。
警察が動いたことで一気に虐待の実態が明るみになったのだ。
結果として、名都の行為は罪に問われなかった。
そして両親は離婚し、親権者は母親になった。
でも、それが決まった直後に母はひとり姿をくらましてしまった。
『あの人はね、最初から最後まで、ずっと見ているだけだった。私にとってはいてもいなくても同じようなものだったんだ。だから蒸発したって聞いても、ちっとも悲しくはなかったよ。ああ、そうって。そんな感じ……』
ややあって、名都は母親の妹にあたる女性、宇野恵子に引き取られる。
彼女は姪の不憫な境遇を理解し、温かく迎え入れようとしてくれた。
でもやっぱり、名都が心を開くまでには相当な時間が掛かったらしい。
この時点で名都はまだ15歳だった。




