あの子を見つけられないまま
殺気の蔓延る国道を逸れて田園脇の農道に入る。
道幅はずっと狭まってしまったけど、周りから並走車が消えて伸び伸びできた。
すっと肩の力が抜けて、やっと顔に当たる向かい風からまともに酸素を取り込めた気がする。
収穫が終わった田んぼには刈り取られた稲の根本が残ったままで、そこから新たな葉が伸び、褐色と緑の寒々しいコントラストをつくっている。
数百メートルを空けて等間隔に立ち並ぶ鉄塔は、原付で動く私の視点を軸にして徐々にその位置をスライドしていき、やがて一列に並んでぴたりとひとつに重なる。
そのほんの一瞬を通り過ぎて、また規則正しくズレを広げていく。
まるで風景が息づいているようで、私の目は釘づけだった。
田を分断する大きな川が現れて、架けられた橋を渡ると、その先には知らない集落が広がっていた。
そういえば、このバイクは眞輔を乗せて北海道を周ったんだ。
あの広大な面積を、こんなに小さな図体だってたしかに走り通すことはできる。
そう考えればなんとも頼もしく思えてきた。
夏休みの終わりに眞輔はこのバイクの上でどんな景色を見たんだろう。
6歳上のお兄さんがかつてたどったという景色を前に何を思ったんだろう。
楽しいだけじゃない、過酷な思いもしたはずだ。
その険しい道のりの中で、この原付とディスコミュージックが彼を支えたに違いない。
ネックウォーマーに染みついた眞輔の匂いが鼻をくすぐる。
彼の預けてくれたものに囲まれながら、私は風を切って走る。
そうする中で唐突に、戻りたくなった。
今すぐ帰って眞輔に会いたい。
たった半日にも満たないこの小さな冒険の話を聞かせたい。
そして北海道の旅の話を聞きたい。
素直にそう言えたなら、きっと眞輔は笑顔で応えてくれる。
手遅れなんてことはない。
彼は私を待っていてくれると言ったんだ。
今ならまだその日常に帰ることができる。
溢れ出す情動に囚われた私を現実に引き戻したのは、嗅覚のすべてを独り占めにするほどの濃厚な甘い香りだった。
ふっと現れて私の意識を揺さぶったその芳香は、鮮烈な存在感とは裏腹に幻のように霧散していなくなった。
目に映らないものの実体を探して、私は周囲を見回す。
『キンモクセイっていうんだ?』
『毎年この時期になると咲くんだよね』
あの香りの正体を知らないと言う名都に、小さな黄銅色の花々を豊かに付ける低木を見せたくて、私は目を皿のようにして秋めく景色を見つめていた。
いつだって、ふと顔を上げて目いっぱい空気を吸い込むと、懐かしい気分になるの。
なぜかな。
『当たり前じゃん。季節は常に連なって流れていて、それは一年越しにやってくる。私たちの吸う息も見渡す景色も、いつだって一年越しのものなんだから』
懐かしく思わないはずがない。
当然のことのようにそう言う名都に、私は密かに感心していた。
知識なんてなくたって、名都は誰よりも季節を味わっていた。
この街に越して初めて出会ったもの。改めて気付いたもの。
目だけでなく、耳で、肌で、五感のすべてを駆使して日々の移り変わりを捉えていた。
そういう見方ができることは素敵だと思った。
私は名都の生き方を習った。
それは名都が消えたあとも、いや、消えてからいっそう強く私の中に残った。
取り返しのつかないことはあるのだと知ったから。
だからこそ噛み締めるようにして毎日を過ごしてきた。
なぜそれを、失ってしまう前にできなかったんだろう。
あれだけの時間じゃ全然足りなかった。
もっと名都にいてほしかった。
今だってこんなにも恋しくてたまらない。
原付を走らせながら周囲を見回す。
結局あの日見つけられなかったキンモクセイの姿をどうしても探し出したかった。
それをしたって名都を取り戻せるわけでもないのに。
角膜を滲ませる熱い水分が雫となって頬に垂れ、風で冷やされて乾いていく。
1年が巡る。
季節が巡る。
あの子を見つけられないまま、気持ちが置き去りになったままで。




