この電子音が鳴り止むまで
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朝はなにかと時間がないからと、洗濯機は寝る前に回すのが習慣になっていた。
ポイポイ衣服を放り込み、満杯になったところで始動ボタンを押す。
それで水が流れ出すはずなんだけど、おかしいな。
今日はウンともスンとも言ってくれない。
この洗濯機は入居に合わせてリサイクルショップで仕入れた年代物。
稼働年数で言えばよく働いた方だと思う。
もうずっと前から不穏な予兆はあったんだけど、気付かぬフリで騙し騙し、とうとうこの時が来たという感じ。
素人なりにああだこうだと弄ってみたけど効果はなくて、試しに横っ腹を軽く蹴ったらピイーと高めの音程の断末魔を上げて、それを最期に儚い生涯を閉じた。
そんなわけで、私は一杯に服を詰め込んだリュックを背負って外へ繰り出す。
目指すのはアパート街の中ほどにある24時間営業のコインランドリー。
夜の街全体が鈴虫の羽音に包み込まれていた。
遠く微かに聞こえるようでいて、唐突にすぐ傍の茂みで鳴り出したり。
遠近感の掴めないエコーに360度を取り囲まれて、中心にいるはずの自分を見失ってしまいそう。
それでいて不思議と不愉快には思わない。
あの鬱陶しく飛び回るハエや蚊と同じ昆虫でありながら、どうしてこうも凛と涼やかな音で鳴くのだろうか。
稲の収穫時期真っただ中の田畑からは不要なもみ殻を燃して出る煙が漂う。
思わずむせてしまうような、鼻腔の奥を締め付ける匂い。
この芳しさは私の胸に郷愁を駆り立たせる。
五感の中で最も記憶と結びつきが強いのは嗅覚だという。
手持ち花火の火薬臭、バースデーケーキに立つ蝋燭、ヘビースモーカーだった祖父。
煙に繋がるその思い出のどれもが楽しい時間のもののはずなのに、想い返す今はなぜだかしみじみと切ない気持ちになってしまう。
ランドリーは無人だった。
壁際に整然と並べられたドラムのいくつかには中身が入れられたまま、どこも動きを止めている。
服の持ち主たちはどこかで時間を潰したまま、回収に来ることを忘れてしまったのかな。
硬貨を入れるとゴウンゴウンとドラムの回る重たい音が静まり返った室内に響く。
高温乾燥機から漏れる湿った熱い空気のせいか、少し汗ばむくらいの室温。
そして粉洗剤の安っぽい清潔な香り。
備え付けの古びたファッション誌は表紙の端が捲れあがっていて、およそ流行りの情報など得られそうもないと思える。
ただただ回るドラムを見つめ続けるのにも飽きて、硬いプラスチック板と細い金属パイプでできた簡易ベンチの上で、体育座りをしてみたり寝そべってみたり。
ガラスの窓の向こうの街並みには意外と明かりが少ない。
たぶん歩行者用の信号機だろう。青い光が点滅して、消えるのと入れ違いに赤い光が灯る。
それは彩とも呼べないほどの心もとない点でしかない。
突然、着信を受けて携帯が光った。
孤独にたそがれる無人のランドリーではどんな相手からの連絡だって歓迎だけど、例外はある。
画面には板垣眞輔の文字。
こうして私を呼ぶのももう何度目だろうな。
じっと画面を見守りながら、この電子音が鳴り止むまでやり過ごすのも。




