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いくらでも伝えるべきだったのに


 ◇



 どれくらい時間が経ったんだろう。

 まどろみで混濁した意識から抜け出したきっかけは、体重の圧迫による腕の痺れだったのか、顎の関節の痛みだったのか。


 覚醒に伴ってぼんやりと視界が開く中で、真っ先に目に入ったのは眞輔の寝顔だった。


 無理な飲み方が祟ったらしい。

 私たちは照明を点けたまま床に寝転び、いつしか眠り込んでいたようだ。

 二人は顔を突き合わすような態勢で、その距離は50センチと離れていないほど接近していた。


 そして、何がどうしてそうなったのかは見当もつかないけど、私たちの腕は互いの胸の中間の位置で、まるで腕相撲をするような形で重なり合い、その指先は複雑に絡み合って静止していた。


 それを認識した途端、思わずピクリと指が反応してしまい、連動して組み合った眞輔の指もわずかに振れる。

 これ以上刺激を与えてはならないと、私は全神経をその末端部に集中させた。


 眠気なんて一瞬で吹き飛んだけど、急ぎ目を閉じてタヌキ寝入りをきめる。

 鼓動が跳ねるように暴れ出し、その振動が指先の毛細血管までもを揺らして、私の興奮を彼に伝えてしまうんじゃないかと疑った。


 あんなに触れてほしいと願っていたくせに、いざとなると逃げ出したいほどに動転して、この図らずも訪れた状況がどれくらいかけがえのない時間なのかを確かめる余裕もない。


 そうしてパニックに襲われながらも、あるひとつの感情が頭一つ飛び出して、その衝動を私に主張した。


 このまま離れたくない。


 大暴れの心臓を腹式呼吸で無理矢理に押さえつけ、音を立てずに息を整える。

 そうして細心の注意を払いながらも、ゆっくりと絡んだ指先に力を込めていった。

 眞輔の皮膚を、その内の硬い骨を感じる。


 何も起きてほしくない。ずっとこうしていたい。

 私を置いて原付の旅になんて、行ってほしくないんだ。


「行ってしまえば、このまま戻ってこないかもしれない」


 当たり前のように、元々存在してなかったとでもいうように、ふらっと消えて、そのまま。

 そんなことが起こってしまうかもしれないという恐怖。


 あり得ないと思う?

 だって私には前例があるじゃない。

 私は今だって置いてきぼりを喰らっている。

 あの子は、私を置いて今も戻らないじゃない。


 何を浮かれてたんだろう。

 何もかもいらないと言っていたくせに、今の生活が楽しくなって、男の子に夢中になって。

 そうやって都合よく、名都のことを忘れようとしてた?


 私は、名都を忘れたいの?


「名都だって私を忘れたじゃない」


 悔しい――。


『そう思い込めたなら、ますます都合が良いね』


 力の込もっていた眉間に何かが触れて、皺を伸ばすみたいにグイと肌を擦られた。

 それで私はとっさにまぶたを開いてしまう。


 眞輔の指だった。

 いつの間にか私、彼の目を覚まさせるほどに、絡まった手をギリギリと握りしめていたらしい。


 私たちは床に転がったまま静かに見つめ合った。

 例のごとく、彼は何も訊かない。訊いてくれない。


 健全な精神状態じゃなかったのは承知してる。

 二日酔いによる錯乱もあったのかも。

 だけど、眞輔への想い、名都への想い、積もる感情はとっくに私の胸を突き破りそうなほど膨らんでいて、すべてを吐き出せたらどんなに楽になるんだろうって。


 ずっと苦しいままだった。

 なのに、熱帯夜の淀んだ空気はこの燻る気持ちをいくらだって吸い取ってはくれなかったじゃない。


「私ね」


 この至近距離でやっと聞き取れるくらいの、小さな小さな声を囁いた。

 聞こえなくても構わないというくらい、かぼそい声。


「去年の話……。友達に誘われてドライブに出かけた。馬鹿みたいにはしゃいで、夜更けに名前も知らない山道に入ったの」


 突然の語り出しに困惑する様子もなく、眞輔の視線は私の顔から離れなかった。


「そこでね。私たち、人を殺したんだ……」


 片想いの相手を目の前にして、伝えるべき言葉はいくらでもあったはずなのに。

 こんなの笑っちゃうよね。


 そのキリリとした太い眉が好き。

 少し眠たげに見える目じりが好き。

 厚い唇が、私を撫でるこの指が。

 そんなことをいくらでも伝えるべきだったのに。


 私がした告白は、墓場まで持っていくと決めたはずの忌々しい記憶だった。


 夜が明けて、嵐が去って、眞輔は北海道へ旅立つ。

 スクーターに跨って、途方もなく長い道のりを風を切って進んでいく。


 私は暗い暗い追憶のぬかるみに、ただ沈んでいくだけ。




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