デ ス ヒ グ マ
ドアをノックすると、『入りなさい』というマチルダ先生の声が聴こえてきた。
いつもの子供たちに振りまく慈愛に満ちた声にしか聴こえないが、心なしか冷たい感じがする。やっぱりそうか、そうだよなぁ……と思いながらもドアを開け、失礼します、と断りを入れながら先生の執務室へ足を踏み入れる。
部屋の中ではマチルダ先生がデスクに向かい、子供たちのテストの採点をしているところだった。こないだやった算数のテストで、ちょうど俺の答案用紙が一番上にある。点数は100点、まあ当然だ。人生二回目なのだから。
「ラウル」
「……はい」
返事を返し、小さく息を呑んだ。
「ここに呼ばれた理由は、分かっていますね」
「……はい」
「みんな心配しています。時折食料や日用品を持って、西の廃村まで何をしに行ってるのですか?」
「……」
どうしよう。
いや、いつかはバレると思ったが予想よりも早かった。せめてユリウスとロザリーにちゃんとした仮の住まいが見つかるか、浮遊大陸に帰す方法が見つかってからだったらまあ良かったのだが。
エミリオか、エミリオがバラしたのか。それとも他の奴か……まあいい、犯人捜しをしたところでどうにもならない。
「ラウル、あなたも今やこの孤児院の中で最年長です。年長者として子供たちの模範になるような行動をしなければなりません。もちろん、不安にさせるような行動も慎むべきです」
「……はい、それは重々承知しています」
「では、教えてくれますね?」
「……」
言ってしまってもいいのだろうか。
マチルダ先生と10年間過ごしてきたからこそ、この人に母親の代わりとして育ててもらったからこそ、この人の人柄はよく理解している。誰にでも分け隔てなく優しく接し、叱るべき場面ではキッチリと叱り、決して子供たちを見捨てない。母親の理想像を形にしたような、そんな人だ。
さすがに孤児院の子供が不利になるような事はしないだろう、という安心感はある。だがしかし、俺が竜人の兄妹を匿っているという事実はレベルが違うのだ。思春期の子供がちょっと悪さをするような事とはよっぽど。
何せ、3年前まで世界規模の全面戦争をやってた相手の種族である。獣人たちは彼らの”大陸落とし”で多くの同胞を失い、中には竜人を当たり前のように差別したり奴隷にする貴族もいる。
個人差はあるだろうが、竜人に対する憎悪は極めて大きいものだ。
そんな彼らを匿っている、という事実を知ってもマチルダ先生は俺の味方をしてくれるだろうか?
それとも当局に彼らを突き出して、然るべき処置をするのだろうか?
「そんなに言えない事なのですか?」と不安そうに聞いてくるマチルダ先生。このままだんまりというのは得策ではない。かといって言えない事だ、ときっぱり言ってしまうのもまた悪手。マチルダ先生に不信感や心配を抱かせてしまう結果になる。
「……先生、口は堅いですか?」
「え? ええ、貴方が不利になるような事ならば言いませんよ。私はいつでも孤児院の子供たちの味方ですから」
「……分かりました。信じさせていただきます」
静かに息を吐き―――2分の1の確率に賭けてみる事にした。
先生ならばきっと、俺の味方をしてくれる―――そう信じて。
「……実は、以前西の廃墟で竜人の子供を発見しまして」
竜人、という単語を聴いた途端に、マチルダ先生が微かに目を開いたのが分かった。俺が手を出していた事が、予想以上に大事だったからなのだろう。
「竜、人……」
「……お腹を空かせていたので、食料を分けていました。先生もご存じの通りこのご時世です。世間の竜人に対する風当たりは察するに余りあるでしょう」
「ラウル……その竜人は友好的なのですか? お、脅されて食料を渡すよう強要されていたりとか……」
「いえ、2人とも友好的です。それなりに長い付き合いですが、今ではカタコトの言葉で意思疎通ができるほどになりました」
「そうですか……竜人が2人も」
「……この孤児院で匿ってほしいとか、2人の分の食料も用意してほしいとまでは言いません。ただ、あの2人が無事に浮遊大陸に帰るほしいので黙認していてほしいのです」
息を吐き、マチルダ先生は腕を組んだ。
いつもは笑みを絶やさない聖母のようなあの人が、こんなにも思い悩む顔をするとは思わず、俺も自分のやっていた事がどれだけ大事なのかを痛感させられる。
あの2人は良い奴だから、危害は加えないから―――子供にとってはそれで済む話でも、天地戦争をより色濃く記憶している大人たちからすればそんな単純な話でもないのだろう。
マチルダ先生はあまり身内の話はしないけれど、もしかしたら身内が天地戦争に出征していたりしたのかもしれない。
お願いします、と言葉を重ね、大きく頭を下げた。
しばしの沈黙―――部屋に置かれた柱時計の音だけが、室内に響く。
こっちは腹を割って全部話した。
俺なりに筋は通したつもりだ。
あとは先生がこれをどう判断するか―――こっちの望み通り黙認するか、それとも当局に密告するか。
個人的には先生の言葉を信じたい。筋は通した、先生の人柄も信じた。腹を割って話したのだ。それに見合う結果が欲しいものである。
「……ラウル」
「はい」
「……分かりました。その件については黙認します」
身体に入っていた力が、すとん、と足元目掛けて一気に抜けていったような感じがした。
ある意味で最大の懸案事項が消え失せ、背後に安全地帯が出来たような安心感。
「ありがとうございます。誓って孤児院には迷惑をかけないと約束します」
「……ラウル」
「はい」
「そういう事はもっと早く相談してほしかったものです」
「ごめんなさい……相手が竜人だから、誰かに知られたら当局に密告されるんじゃないかって」
「ふふっ……さっきも言ったでしょう?」
席から立ち上がると、マチルダ先生はこっちにやってきて頭を撫でてくれた。
ふわり、と花のような……それとミルクにも似た優しい香りが舞う。
「私はいつでも、孤児院の子供たちの味方だと」
「ありがとうございます、先生」
笑みを浮かべ、先生に向かって頭を下げた。
本当にこの人が優しい人で良かったと思う。
踵を返し執務室を出ようとすると、先生の声が背中に向かって投げかけられた。
「ああ、そうそう。そういえばこの前、食料を運んできてくれたポルスキーの業者さんからサラミとチーズをたくさん頂いたの。ちょうど2人分多く貰ったんだけど」
振り向くと、先生は遊びに出かける我が子を見送る母親のように優しい笑みを浮かべていた。
戦争が終わり、食糧事情は少しだけ改善された―――それでも食べるものは相変わらず少なくて、相変わらず一日二食、ボロボロのパンと屑野菜のスープで腹を満たしている。
だからチーズやサラミなんて貴重品なのだ。食卓にそれらが並んだ時なんかは、子供たちは飛んで跳ねて大喜びである。
きっとそれは竜人も同じ筈だ。
ロザリーとユリウスが喜ぶ姿を思い浮かべながら、俺はもう一度先生に頭を下げた。
ありがとうございます、と。
「おいしかタ」
ふー、と満足そうにお腹を撫でるロザリー。ユリウスも満足そうに柔和な笑みを浮かべて、狩りに使っている石器を取りつけたお手製の槍を研ぎ始める(だから近くで研ぐなって怖い怖い)。
やっぱり竜人たちも、戦時中は台所事情が厳しかったらしい。
食事中にユリウスがカタコトのスパーニャ語(カタコトとはいえロザリーよりは上手かった)で教えてくれたのだが、2人の父親は竜人連合軍の軍人だったのだそうだ。残念な事に天地戦争の最終決戦となった【メルキア沖空戦】で戦死、帰らぬ人となってしまったそうだが、戦時中はよく支給されたサラミやチーズを実家まで送ってくれた上に、軍人の家族に宛てた特別配給のおかげで少しだけ裕福な暮らしができたのだそうだ。
しかし他の竜人の家ではやっぱりボロボロのパンと屑野菜、酷い時などはその辺の雑草で飢えをしのぐ事もあったのだという。パンに至っては生地におがくずを混ぜ込んで量を嵩増ししていたのだと聞いて、戦時中のドイツみたいだなと思った。
「ねえ、ユリウス」
「ん」
「……嫌だったら答えなくてもいいけど、どうして2人は地上に?」
2人の謎に、ついつい踏み込んだ。
知りたかったのだ―――この2人が、どういう経緯で地上に降りてきたのか。
通常、竜人族はプライドが高く地上に住む獣人を見下している。そして彼らが浮遊大陸から地上に降りるという事は、自らが見下している獣人と同じレベルになるという最大限の屈辱と受け取るのだそうだ。
さすがに戦後はそうもいかず地上に降りてくるケースもあるそうだが……戦前は全くそんな事はなく、航空技術が発達して浮遊大陸の調査が進んで初めて竜人たちと邂逅した、というレベルである。
まあ、それが何年前の話なのかというのはさておき。
問いを投げられたユリウスは少しだけ目を伏せ、息を吐いた。
「……疎開、船、落ちた」
「……ごめん」
単語の繋ぎ合わせだけでも、十分に伝わった。
時期的にはおそらくメルキア沖空戦の直前だろう。竜人たちの版図で最大の浮遊大陸【メルキア大陸】での決戦の前にも散発的な襲撃があったのだというが……。
故郷が戦場になる日が近くなり、非戦闘員の疎開が行われたのは想像に難くない。ユリウスとロザリーのお父さんは軍人だったって言ってたから、特別配給があった点を考慮すると軍人の家族という事で優先的に疎開させてもらえたのだろう。
そしてその疎開の空中船が、落ちた。
事故か……あるいは獣人軍が軍艦と誤認し撃墜したのかは分からない。
でも、大陸落としで竜人はかなりの恨みを買っていたのだ。非戦闘員が乗る船だと分かっていて、わざと撃墜した可能性もあるのではないか。
負の連想ゲーム―――戦争の闇が垣間見えた気がした。
結局、戦争なんてろくでもないものなのだ。勝者だろうと敗者だろうと、ただただ失うばかりで得るものなど何もない。
「その、もしさ……空中貨物船とか乗ってる人を見つけたら2人の事乗せてってくれるように頼んでみるよ。そうすれば帰れるかもしれない……故郷に」
「ありがとう……ラウル、いいやつ」
ユリウスが笑みを浮かべると、さっきまでチーズとサラミの余韻に浸っていたロザリーがぴょんと跳ね起きてこっちにやってきた。座ってる俺の後ろから抱き着くようにして、俺の頭の上に自分の頭を乗せる。なにこれトーテムポール?
「ラウル、いいやつ!」
むふー、と何故か誇らしげにするロザリー。
あの、それは嬉しいんですけど鼻息がですね、ケモミミに吹きかかってすんごいあの……あぁバカバカケモミミをハムハムするな生ASMRするな敏感なんだよそこわかるだろ獣人のケモミミは感度3000倍うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
距離感バグって無自覚にケモミミハムハムを習得するロザリー、悶絶するラウル君、そして隣で再び石器のナイフを研ぎ始めるユリウス。
これ間違って「義兄さん」なんて呼んだら真面目に殺されるんだろうなぁ……なんて思いつつ、3人の時間は過ぎていった。
「ラウル、狩り行く!」
「お、おう」
むふー、と誇らしげに胸を張るロザリー。その手には自作したのか、それともユリウスが作ってくれたと思われるお手製の弓。背中には矢筒があり、木を削って作った矢がどっさりと収まっている。
前々から思っていたが、ユリウスは手先が器用だ。父親が軍人だからなんかこう、ありあわせの材料で武器を作ってサバイバルする術でも教わっていたのだろうか。
とはいえ、狩りなんて初めてだ。
銃を撃つ訓練はしたし、遭遇戦だったとはいえ実戦も経験済み……しかしながら、敵兵を撃つのと動物を撃つのでは勝手がかなり違うのだろう。軍隊の兵士は敵兵を効率よく殺す事に特化した訓練を受けるが、ハンターは動物に如何に察知されないか、そして確実に大型の獣を仕留められるかに特化した戦法を取る。
求められる技術が根本的に違うのだ。
念のため、狩猟用に急遽用意した『イサカM37』を装備してきたし軽く射撃訓練もしてきたが、いつも使っているBRN-180とは構造も性能も全く違う。咄嗟の時にいつも通りに扱えるかどうか不安である。普段の訓練の成果は高ストレス環境下で、尚且つ瞬間的な判断が求められる場面で顕著に表れるものなのだから。
相変わらずべたべたくっついてくるロザリー。気のせいか背後からどす黒いオーラを放つユリウスにビビりながら、廃屋を離れて森の中へと足を踏み入れる。
”リオの森”と呼ばれるこの森は、かつては『猛獣の住まう森』だなんて呼ばれていた。
しかし騎士団が森を掃討してしまった上にハンターが戦時中の食糧不足で食用肉目当てで狩り尽くしてしまい、今となっては小動物と鹿が生息するだけの随分とまあ静かな森である。
危険な猛獣も居ないので狩りにはもってこいだ。でも大人は『あの森には魔獣が出る』だなんて言って気味悪がり、村人たちも森に寄り付かない。
魔獣なんて居るわけないだろ、こんな小さい森の中で。
聴覚と嗅覚を総動員して獲物の気配を追うが、しかし子供のその程度の索敵で探知できるほど自然は甘くない。常に捕食者の脅威にさらされてきた草食動物の警戒心は相当なもので、どれだけ神経を集中しても鹿や小動物の気配なんて全然しな
血の臭い。
あれ、これ拙くね?
ユリウスにアイコンタクトをしてみるが、しかしユリウスは首を横に振る。
大物なら狩ってしまおう―――そう言っているように思え、俺は彼を呼び止めようとした。いくら竜人と言えども大型の肉食獣に勝てるはずがない。ましてや付け焼刃程度の銃の使い方を学んだガキ1名と竜人2名で何とかなる相手とは到底思えなかった。
ユリウスを追っているうちに、森の中を流れる川に出た。
ガッ、ガッ、と何か―――巨大な影が、水面を剛腕で掬っている。
その時、川の中から何かが弾き出された。
鮭だ。産卵のために川に戻ってきた鮭が、川の外まで弾き飛ばされたのだ。
それを見逃さず、びちびちと暴れる鮭に襲い掛かる巨大な影。ぼりぼりと肝や骨、熊ならば残すはずの卵までじゅるじゅると啜り、血塗れになった顔でこっちを振り向く。
その巨大な影の正体は―――ヒグマだった。
筋骨隆々で、真っ黒な体毛に覆われ、血に塗れた牙に爛々と光る双眸が非常に威圧的な―――何故か空軍のジャケットを羽織った、大柄なヒグマ。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ熊さんだァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
森の中で出会ったのは、空軍のジャケットを羽織ったデスヒグマだった。
魔法と魔術
・魔法
ごく稀に適性を持って生まれてくる者だけが使用できる超常能力。出現させるだけで大気をプラズマ化させる炎や、周囲を永久凍土に変えてしまう氷などの破滅的な威力のものに加え、時間を停止させる、空を飛ぶ、物体を触れずに動かすなど現代の科学でも原理の解析ができないものがこれに分類される。
魔法にも適性が存在し、現在では最下層がE、最高がS++と区分されているが、【適性Eの魔法使いでも適性Sの魔術師50名に匹敵する戦力】とされており、魔法と魔術の間には隔絶した差が存在する。魔術では魔法に太刀打ちできないのだ。
魔法に適性を持つ者は概ね「魔法使い」「魔女」と呼ばれる。
・魔術
上記の魔法を原型として、人間に合わせてダウングレードする形で体系化されたもの。適性の基準も大幅に緩和されており、『魔女の子として生まれたが魔法が使えず、魔術ならば使える』という事例も数多い。一般的に「炎」「氷」「雷」「水」「土」「風」「光」「闇」「血」の属性が存在し、そこからさらに”特性”と呼ばれる小さな分類に枝分かれしているが、魔法のように時間を止めたり空を飛んだり……という芸当は不可能となっている。
多種多様で適性を持つ人間は多いが、しかし魔術師である以上魔法使いには絶対に勝てないのだ。人間に合わせて適性の基準を引き下げたという事は、魔法使いもまた魔術を片手間で発動できるという事なのだから。
どう足掻いても、原石には敵わないのである。




