●幕間 セルフィーナ・エル・ヴァレンティ・アルディア
雷鳴に眠りを邪魔されたフィーナは、寝台を離れ、外の天気を見ようと窓辺に歩み寄った。
稲光の中に暗闇の底から鎧の列が浮かび上がる。
「んん? あれは騎乗の騎士? まさか叔父様がこんな時間に諫言をしにやってきたのかしら?」
百合の模様で縁取られた鉛詰めの窓からでは、顔までは判別できなかった。何か胸騒ぎがして、手早く自分で服を着替えたフィーナは部屋を出る。
「まぁ、姫様、このような夜更けに、しかもそんな格好でどちらへ?」
侍女が問う。せっかく起こさないように気を遣ったつもりだが、気づかれてしまったようだ。ドレス姿では「女子どもが――」と叔父様に馬鹿にされると思ったので、胸当てつきの鎧姿である。
「叔父様が来ているみたいなの。あなたは寝ていていいわよ」
「ですが」
「いいから」
心配そうにする侍女を安心させるように微笑んだフィーナは、国王陛下の寝室へと急ぐ。
だが、そこに血まみれで倒れている近衛騎士を目撃し、息を呑んだフィーナは、とっさに柱の陰に身を隠した。
「ルートヴィッヒよ、血迷ったか」
父上の声だ。
「いいや、正気だとも兄上。アルディアの未来のため、あなたにはここで死んで頂く!」
「へ、陛下! きゃあっ」
父上、母上――!
駆けつけようとしたそのとき、後ろから手を捕まれた。
しまった!
「フィーナ様、いけません。ここはお逃げください。すでにこの城は敵に制圧されております」
見知った騎士だったことにほっとする。
「アーガイル。……そうね、叔父上様は敵となってしまわれた」
「ええ。では、先導いたします。私から離れず、付いてきてください。この身に代えましても、必ずや道を切り開きます」
「いいえ、こっちよ、アーガイル。秘密の抜け道を使いましょう。城門は封鎖されているでしょうから」
アーガイルと共に落ち延びたフィーナは、辺境の街へと向かっていた。だが――
「ガウッ!」というくぐもったうなり声と共に、木をなぎ倒し、魔物がアーガイルに飛びかかってきた。
「ムーンベアか! ぐおっ!」
一撃で重装備の騎士をふっとばしてしまう無慈悲な膂力にフィーナは恐怖を感じた。
「アーガイル! ああ、そんな……」
もしかするとここで私の命運は尽きるのかもしれない。剣を抜いたものの、魔物の一撃を完全にはかわしきれず、衝撃が体を貫いた。ここまでなのか。もうフィーナには、祈りにすがる道しか残されていなかった。
「くっ、光の神ルミエルよ、どうか、お助けください――!」
するとまばゆい閃光がほとばしり、ムーンベアを鋭い何かが貫いた。
「いったい、何が……?」
薄れゆく意識の中、フィーナは見た。駆け寄ってくる青年の姿を。異様な黒色の革鎧で全身を包んでいる。
果たしてそれは、闇の魔王か、それとも光の勇者か――
◇
気がつくと、フィーナは洞窟の中で毛布の上に横たわっていた。
(はっ、私は……? 確かムーンベアに襲われて……)
辺りを見回すと、焚き火のすぐ近くに全身黒革鎧の人間がいた。今まで見たこともない、闇に溶けるような不気味な色だ。慌ててフィーナは距離を取ろうとしたのだが、腹に痛みが走る。
「くっ」
「N’thra vel… ishra ta.」[動かないでくれ。怪我に響く]
「えっ」
(怪我の傷口が塞がっている? あれほどの重傷だったのに?)
黒革鎧の二人組は、身振り手振りでフィーナに何かを伝えようと頑張っている様子だった。だが、その言葉は未知のもので、理解できない。ただ、それでもアワアワと焦っている青年が自分に危害を加えようとしていないことだけは判った。
だが、何よりも驚いたのは黒猫が喋ったことだ。初めは二人がごまかそうとしていたようだが、フィーナは騙されなかった。
「私は今、絶対に喋ったのを見ました!」
そう言い張ると、二人もついに観念し、クロという使い魔に喋ることを許可した。クロはなんと翻訳魔法!が使える賢い猫で、心臓が動いていないのが不気味だったが、あの愛くるしいモフモフが悪いものであるはずがないのだ。
『カフィ』と呼ばれる地獄の悪魔の血のような、どす黒い飲み物を渡されたときは手が震えたが、飲んでみるととても香り高く、実に美味しい飲み物だった。
◇
ヴィント村に着いたあと、クロが言いにくそうにフィーナに頼んできた。
「フィーナ、悪いけど、君の髪の毛を一本くれないかな」
「髪の毛? なぜですか?」
「んー、ちょっと調べたいことがあるんだ。もちろん、ハルトも望んでいることだよ。いいでしょー。ちょこっと、ほんの先っちょ、先っちょだけでいいから!」
人形傀儡師のハルトが私の髪の毛を欲する……それは、私を傀儡にするためだろうか? もちろん、命の恩人であるから、彼がどうしてもと頼むのであれば否やはない。だが、それにしたってそーゆーことは本人が直接言うべきだと思う。彼には少し幻滅した。真面目そうな顔なのに、そんなムッツリスケベだとは思わなかった。
「……わかりました」
◇
悲しい死者への祈りを捧げた直後、フィーナは見た。
ハルトの体が霧と朝日によって、虹色の輝きに包まれている。
そうだったのだ。
やはり、彼は、光の神ルミエルが使わせし勇者だったのだ。
ヴァルプルギスの魔女の予言にして、降誕の儀。
もちろん、それがなくともフィーナには初めからわかっていた。あの百人力の怪力と恐ろしいほどの俊敏さは、彼をして勇者以外の何者であろうか。
「光のお導き、深く感謝いたします」
フィーナは再び感謝の祈りを捧げると、自らの使命を果たすことを神に誓った。
アルディア王国の民に、再び希望の光を灯すことを――。




