魔族の先生
「何があったんだ……?」
どう見ても人が殺されている。
それも部屋の様子から一人や二人ではなく、もっと多くの……。
それは外の平穏な雰囲気とは似合わないほどのおぞましい光景だった。
「うっ……」
兵士とは言え、ろくに大きな戦争は経験がしたことがなく、これだけ大勢の人の死を目撃したことがなく、鼻を刺激する腐敗臭に思わず気分が悪くなって口元を抑える。
(さすがにこの状態だと、ラグゥ様が仰っていた先生って人も――)
一応仕事である以上中を確認せざるを得ない。
ゆっくりと中に入っていく。
何を踏んでいるのか見たくはないが、ヌメッとした感触に身もだえしながらまずは入ってすぐの部屋を確認する。
とはいえ、奥に一つ扉が付いているだけの普通の小屋。
元々は農具をしまう倉庫だったのだろう。
クワ等の畑作業に使う道具が部屋の片隅に置かれていた。
「やはり誰もいないな……」
こんなところ、一刻も早く立ち去りたい兵士はおかしな点がないことを確認したあとに、小屋から出て行こうとする。
すると、そのときに扉の奥から「ギィィ……」とゆっくり扉が開く音が聞こえる。
「……っ!?」
その音に驚きを隠しきれなかった兵士は、慌てて剣を抜くと意識をその扉の方へと向ける。
(もしかして、この惨状を作り出した人物……か? そうでなくてもこんな中にいる奴がまともな相手であるはずがない)
何が出てくるのか……じっくり目を凝らして、どうにか見ようとする。
額には汗がにじみ出て、剣を握る手に力が入る。
いざというときには逃げないといけない。
さっきからずっと脳が警鐘を鳴らしている。
でも、相手の姿くらいは確認しておかないと、もしこんな化け物が町の方へいってしまうとあっという間に被害が拡大してしまう。
幸いなことに自分はそれなりに訓練を受けた兵士。
並より少し上くらいの実力しかないが、それでも弱い魔物程度なら一人で相手に出来る実力はある。
強い相手でも多少の時間稼ぎ程度なら出来るだろう。
そう思っていたのだが、奥の部屋から出てきた人物を見て、拍子抜けしてしまう。
身なりの整った服装の男性。
整髪剤でも使っているのか、銀色の髪はオールバックにしており、丸縁の眼鏡を軽く持ち上げる。
どこにも武器を持っている様子はなく、むしろその華奢な体ではどうやっても戦うことは出来ないだろうと予測が立つ。
「おやっ、あなたは?」
男性は不思議そうに首をかしげる。
「あなたが、ラグゥ様の仰る……『先生』?」
「いかにも、私はここで色々と研究をしているザッシュといいます」
「そ、そうなのですか……」
緊張が解けるとその場に座り込みそうになる。
ただ、ヌメヌメとしたその場に座る勇気もなく、なんとか踏みとどまる。
「でも、どうしてこんなところに?」
「実は……、ラグゥ様よりこの場所で起こったことを調べて欲しいと言われまして――」
「なるほど……。そういうことだったのですね」
もしかするとザッシュがこの血なまぐさい事件を引き起こしたのかと思ったが、そうではなかったらしい。
安心をした兵士は剣を鞘へと戻していた。
「こちらこそいきなり剣を抜いてしまって申し訳ありません。ラグゥ様より手紙を預かっております」
大切に胸元へしまってあったラグゥの手紙を取り出すと、ザッシュにそれを渡す。
それを開いたザッシュは食い入るように手紙の中身を読んでいた。
「ほうほう……、なるほど。私の好きに暴れて良いと……」
ブツブツ呟きながら最後まで手紙を読むと兵士の顔をじっくり見る。
「かしこまりました。ラグゥ様の申し入れ、しかと承らせていただきます。あと、私の方からもわかったことがありますので、少し奥の部屋に来て貰ってもかまいませんか?」
「……? かまいませんが、一体どのようなご用でしょうか?」
「それは奥の部屋に来ていただいたらわかりますよ……。えぇ……」
兵にはその表情が見えないように後ろを向きながらにやりと微笑むザッシュ。
そして、奥の部屋に入った瞬間に兵士の悲鳴とザッシュの感極まる声が辺り一帯に響き渡っていた。
◇■◇■◇■
「全く、あの魔族は……。依頼を一つするのに、贄を一人用意しろなんて無茶を言ってくれる。まぁ、幸いあの魔族も正体をばれないように行動してくれているおかげで犠牲になったものの情報は流れないわけだから安心して贄を送れるがな。ただ、そろそろ我が兵を贄に出すのもつらくなってくるやもしれん。行方不明者が多くなると捜索し出す奴が現れるからな。まぁ、そんな勘の鋭い奴なら新しい依頼の贄にするだけだが――。とにかく、これでブライトの方の対処はなんとかなるだろう。まぁ、あの兵もこの領地のために犠牲になるのだったら本望だろうがな。全てはこの領地を守るためなんだから――」
ラグゥは狂気の目つきをし、大声で笑い出していた。




