諜報員の場合
三階の部屋から望む雪景色には、憂鬱にさせられる。俺は持ち込んでいたウォッカをちびちびと飲み、窓の外を眺めていた。
噂が本当だったかどうかは定かではないが、恐らく、間違いないと言っていいだろう。ポーランドの急速な衰退は、俺たちの動きが大きく関係している。そして、オーストリアにとっても、この地域は感心が強い。貴族の後継ぎが各所に逃れている可能性も低くはない、ということだ。しかも、それぞれの陣営の利益になる場所に。
レオポルトは皇帝一族と遠縁であり、ポーランドを分かつことに関心があるはずで、ならば当然、俺たちの行動は気になるはずだ。
俺は机の上に乗せた資料を鞄に放り込み、それを持ってイワンの部屋へと向かった。
部屋の扉を叩くと、眠そうなイワンが顰め面で出てきた。イワンは一人資料とにらめっこしていたようだ。俺を見たイワンは、扉を全開にして、奥に入っていった。俺はそのまま中に入り、その扉を閉めた。
「まぁ、スウェーデンの事もありますからな……」
俺が椅子に座るとイワンは開口一番に本題に入った。俺は頷き、イワンに酒を差し出した。イワンはそれを手で断る。
「レオポルト様にはどこまで……?」
「あぁ、結局皇帝にとっての南方への意識の強さと、当分は清に注目していると、話しておいた。こっちの方の情報はなるべく話さないようにしたぜ。相当気にしてたけどな」
イワンは目を瞑って頷き、報告書に何かを書き込んでいる。そして、トン、と机を軽く叩いた。
「今回の旅は、思ったよりも豊作のようですね」
俺は口角をあげた。
「ペストのせいでイライラしていたが、思わぬ収穫ってとこか」
イワンは資料を旅行鞄に丁寧に詰め、それを閉めると、咳払いをして言った。
「ヤン君が、気になりますね」
「ありゃ政治家向きじゃねぇな」
「教養もありそうですが、何よりカール様と離れないのがなんとも不可解です。マクシミリアンさんは、何かに感づいたようですが……」
「行商人は金のことしか考えてないからな。あいつは金の匂いにつられてきた蟻だ」
「もし、万が一ヤン君が関係者ならば、ここで逃すと少々厄介ですね」
俺は酒を傾ける手を止めた。ヤンはポーランドの出身だったな。なるほど学生であそこまで整った服を買い揃えられ、宝石の埋め込まれた装飾品を首に下げているというからには、金持ちということだろう。然し、それは裏を返せば先の大戦で大打撃を受けた貴族であるという可能性を否定しているともとれる。俺は首を振った。
「あいつは、たぶん商人の子だろ。大洪水で身ぐるみ剥がされた貴族とは違うと思うが」
イワンは表情を変えずに反論してきた。
「貴族は見栄の塊ですよ」
イワンの目が訴えてくる。俺はため息をついて、首で扉を示した。
「行ってこいよ。面倒な奴だな」
イワンは鼻で笑った。
「お国の為です」
俺はイワンが部屋を出てしばらくしてから、ロビーへと向かった。マルガレーテが扉に耳を当て、イワンが後ろからそれに近づいていた。
俺は嫌な予感がして、裏口から外に出て、受付裏の窓を覗いた。木材のサッシが吹雪にガタガタと震えている。決して大きくない窓から中を覗くと、ヤンが縄で縛られていた。俺は窓を開け、悲鳴をあげそうになるヤンの口を左手で塞ぎ、後ろからヤンの縄を解いた。ヤンは痛そうに手をさすってこちらを見た。左手を口から退け、窓からヤンを引っ張り上げる。ギリギリつっかえるくらいの大きさだった。ヤンも乗り上げるようにして窓の外へ這い出た。
「何をしている!」
扉を開けて中に入ってきたマクシミリアンが叫んだ。
あいつにこれを渡してはいけない。俺はヤンを担ぎ上げて走り出した。
マクシミリアンは手元にある割られた薪を俺目掛けて放り投げた。すんでのところでかわすと、マクシミリアンは悲鳴をあげて中に入っていった。
ロビーの扉から出てくる。俺は少し離れたところにある死体の裏に隠れて様子を伺った。
案の定マクシミリアンは外に出てきて、宿の周りをキョロキョロと見回している。マクシミリアンは宿の壁を蹴った。がたん、という音が反対方向から聞こえ、マクシミリアンは俺たちの隠れている反対側へ走り出した。カールが同じように飛び出してくる。マクシミリアンの姿を認めると、そちらへ走って行った。
「どうしましょう……」
ヤンが上目遣いに俺の顔を覗き込む。俺は舌打ちをして、周りを見渡した。死体の山がいくつか点在する。この場合、貧民街と大通りの間の、細い路地に入るのが安全だろうか。しばらく考え込んでいると、イワンが路地裏から出てきた。
「ふむ、成功したようですな」
ヤンはイワンと俺を交互に見渡して、不思議そうに眉をひそめた。
イワンがヤンの頭を撫でる。ヤンはちょっと鬱陶しそうに目を瞑った。
「さて、どこに隠れましょうか」
「なぁ、狭い路地裏とかはどうだ?」
ヤンは首を振った。
「カールさんはこの辺りの地理を知り尽くしています」
イワンは顎をさすって考え込んでいる。
「では、あそこに行きましょうか」
「建物に入っちまえば、とりあえずは安心か」
ヤンは首を傾げている。イワンは高い身長をヤンに合わせるように屈み込んだ。
「今から言う場所の、最短ルートを教えてください」
イワンがすらすらと住所を言う。ヤンは、かなり困惑していたが、一応道を答えた。そして、そのルートに沿って、俺たちは歩き出した。
パチパチと木の焼ける音がする。俺達はその建物に入って初めて息をしたような気がした。外の吹雪でずいぶん濡れてしまったイワンとヤンは、服を暖炉の前で乾かしている。毛布にくるまってガタガタと震えているヤンをよそに、イワンと俺は白湯を飲んでいた。
この建物は、俺の国が公式に借りている建物であり、オーストリアからお墨付きを得ている。
ヤンは意味もわからず連れてこられて不安なようだが、ここには取り敢えず俺たちの同僚しかいない。
「大丈夫かお前?」
俺がヤンに声をかけると、ちょっとはにかんで見せた。苦笑いとも取れる。
イワンが白湯をヤンに手渡した。ヤンからちゃっかりチップをもらっていたので、思わず吹き出してしまった。
「ところで、ヤン君の話がまだでしたなぁ」
イワンは意地悪に笑った。ヤンはキョトンとしていたが、白湯を少し飲んだ後、咳払いをした。
「聞きたいですか?」
俺は舌打ちをしたが、イワンは乗り気のようだった。
「では、失礼して……」
ヤンは唾を飲むと、静かな個室の中で、囁くように語り出した。




