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黒い霧  作者: 民間人。
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兵士の場合

 享楽の都はどうしてこうも脆いのだろうか。私は、皇帝の住んでいた城の前に立ちながら、静かな市場を眺めていた。寂れた町にのこのこと犬が歩いている。ネズミを追いかけているのがわかる。警備の兵士が暇そうにあくびをし、犬の行き先をじっと見ていた。私は、槍の柄で地面をとん、と叩く。兵士がこちらを向く。私はジェスチャーで飯へ誘った。兵士は嬉しそうに、ゴクリと喉を鳴らした。そして、少し考えてから手を何かをつまむようにしながら、くい、とそれを口の前で傾けた。私は、頷いておいた。今、この町で楽しめるのは食事くらいだ。私は今夜のメニューを想像した。酒場はやっと開店し始めて、人の往来が多少できてはいたが、ひとたび市場から離れれば、蛆の沸いた死体の森だ。私はその中でこんな風に町を行き来していたのだ。死体の森の中、立ち続ける私はどうして罹患しないのだろうか。私は、賑やかな町の幻を見ながら、静かな市場に出てくる野良の動物の姿を目に焼き付けた。



 酒場に入る前に、手を酢で濯ぎ、さらに酒場で洗面台を借りて、手を洗う。最後に口に水を含み、ぐちゅぐちゅと音を鳴らして、その水を外で吐き出した。一通り汚いものを払って満足すると、私は彼の待つ先へ戻った。ワインが二本、置いてあった。


「おつかれっしたー」


 独特のイントネーションで彼が言う。


「おう、お疲れさん」


 この国の軍隊は、昔から様々な地域の人々を搔き集めたものだ。その国独自の言語やイントネーション、指揮命令系統まで様々なものがある。かつての戦争に駆り出された時は、彼らの服装に驚いたものだ。


 今思うと、私も歳をとったものだ。もう、仕事をこなす体力も無い。それでも、静かな兵役は、随分と心安らぐものだった。かつてはあんなに、忙しく立ち回ったのに。


「ッカァー、美味い!」


 豪快に酒を飲んだ彼はゲップをし、言った。グラスに酒を注いでは飲み、つまみを食べ、たまに喉を詰まらせてコンコンと胸を叩く。酒をちびちびと飲みながら、彼の挙動を眺めた。


 うまそうに、食うな。私は心底ホッとした。これでもかと言うほどの肉料理を盛り、大胆にかぶりつく。パーティーの禁止による鬱憤を晴らすように、食べる、食べる。若い者はこれくらい食べたほうがいいのだ。


「はぁ、うまいっすねー」


「おう、美味いな。仕事明けの飯ほど美味いもんは無い」


 彼は嬉しそうに頷いて、また肉料理を頼んだ。よく焼けた肉のいい匂いが、厨房から漂ってくる。いつもならこれに並んで呑気な音楽が聞こえてくるのだろうが、今となっては昔の話だ。


 暫くすると、よく焼けたステーキが運ばれてきた。彼は思いっきり鼻で息を吸い込み、それを吐き出した。満足そうな息が響く。私は、焼き魚に塩をまぶしたものを食べながら、酒を飲んだ。彼はガツガツと肉を食べている。


「お前見てると、若い頃を思い出すな……」


「ほぁ?そんなもんですか?」


 彼はとぼけた顔で私はを見た。私頷いた。


「私の若い頃はな……」


 私はここまで言って、暫く黙ってしまった。少し前にあった戦いの頃、魔女裁判で幾人かを連行したこともあった。また、戦の中で、同志を亡くしたこともあった。こうして飲んで食って、騒いだやつだって、次の日にはいなかったりした。今の私は、幾らか恵まれているのかもしれない。


「どうしました?」


 彼はくちゃくちゃと肉を噛みながら聞いてきた。リスのように口の中にいっぱいに溜め込む姿は、どこか愛嬌がある。


「いや、若い頃にはたくさんの死に目を見たなぁ、と思ってな」


 彼は溜め込んだ料理を飲み込んだ後、嬉しそうに言った。


「じゃ、今と同じっすね」


「む?」


「だって、同じじゃ無いっすか。どんどん死体が積み上げられてるし」


「あぁ……」


 私は思わず失笑した。似ていると言われれば確かに似ているが、神の裁きと人の手で汚したものとでは、天と地ほどの差がある。思わず、そんなこともわからんのか?と、言ってやりそうだった。私も、彼も、殺したということを、神の裁きと同等に並べるのは、いかにも傲慢だ。


「違うさ、人と神ではあまりにも違う」


 彼は首を傾げだ。眉をひそめ、腕を組んで考え込んでいる。彼の目の前に置かれた肉料理をつつくと、それを一切れとって彼は口に運び、また元の姿勢に戻った。納得がいかない、というようだ。


「お前は、手を汚したことはないだろう?私はあるのさ。かなり古い話まで遡るがな」


 私は肉料理の幾つかをつまみ、彼のことを見た。彼はまるで石化でもしたように考え込んでいた。うーん、と唸り、首を何度も傾けている。彼が口を開いたのは、私が話を続けようかと思った時だ。


「やっぱり同じですよ。手を汚したと言っても、そりゃ仕事でしょう?仕方ないことだし、一緒ですよ」


 彼は嬉しそうにワインを飲んだ。ごくり、という軽快な音とともに、机の料理が踊るように持ち上げられていく。私は、たった一人の空間に閉じ込められた時のような疎外感を感じた。私の前に置かれた魚料理に手が向かおうとする。私はそっと、その皿をフォークを使ってずらした。彼はキョトンとしたが、すぐに手を自分の皿に戻した。


「あー、すんません。生意気言いました」


 彼は頭をかきながら言った。いかにもきまりの悪そうな笑顔を見せている。私は、首を横に振った。


「すまん。少し、びっくりしただけだ。まぁ、今日は払ってやるから、たんと食え」


「お!ごちそうさまです!」


 彼は大きな声で店員を呼んだ。店員が飛んでくると、彼はとにかく安くてうまそうな料理を片っ端から頼んだ。


 ふん、と喉を鳴らし、彼の生き生きとした姿を、その目に焼き付けた。そこには、かつての私がいるような気がした。



 酔っ払いが道を横切ると、死体の盛りにぶつかりそうになる。飲みすぎた彼に肩を貸し、私は帰路についていた。たまに大声でわけのわからないことをいう彼に、なんとなく相槌を打って、彼の家まで送り届けた。


「うーん、あーっしたー」


 ろれつが回っていない彼の声が町いっぱいに響く。それに答えてくれたのは、風だけだった。


 私は彼と別れ、独特の匂いが漂う町で、足早に家へと向かった。向かい側には大きな死体の山があり、上に投げられていた遺体が崩れ落ちたりしていた。鼠が通りを横切る。暗がりには猫のものであろう、鋭い目が通り過ぎて行った。


 私は至る所からする死臭を振り払うようにして走った。金持ちのものと思われるもの、年端もいかない子供のもの、月光を遮るように聳える城壁、城壁を遮る死体の山。古い戦場を思い出し、そこで倒れた男達の目線が私に向けられたかのような錯覚が戻ってきた。


 月明かりが届かないような、壁に包囲された私たちを、「それら」は咎めるように見ていた。


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