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黒い霧  作者: 民間人。
16/23

大道芸人の場合

 賑やかな町も夢のまた夢、一際目立つ大きな教会は、今は死体に阻まれている。施療院へ続く道のあちこちには、死体の山が立ち昇り、人は一人として歩いていない。


 俺は、急に寂しさを感じ、家の外に出てきたが、却って不安になった。町のいたるところに黒いコブを持った死体や、足先が黒ずんでいる死体が放り投げられ、責めるように俺を見つめている。神様も残酷なものだ。わざわざこんな仕打ちをしなくても、祈ってやれるというのに。


 俺は町を歩くことを諦め、瘴気に毒された体を洗い流した。香草を焚きながら、家の中をぼんやりと眺めていた。この町は水が汚いとか、人が汚いとか、道が汚いとか、よく言われている。それでも俺は、人でごった返しで賑やかなこの町が好きだった。乞食も金持ちも、音楽にならいくらか金を出そうとする。生きるか死ぬかの瀬戸際だって、借金まみれのおっさんだって、ひとたび音楽が流れれば、踊る、歌う。そんなこの町が好きだった。しかし、今のこの町はそれが無い。下水道は天国まで臭い、死神が町を闊歩している。俺の出る幕なんてなくなってしまった。この町に必要なのは、人を埋める土地と、奇跡の力に他ならない。


 じきに市場は解放されるだろうが、それにしたって今まで通り、とはいかないだろう。カラスが町の死体の肉をついばんでいる。家の前に荷馬車がやってきて、死体を荷台に放り投げる。カラスが飛び立ち、避難するようにカァ、と鳴いた。



 市場が復帰すれば、俺の音楽を聞いてくれる人がいるだろうか。あるいは、一芸かましてコインを投げてくれるだろうか。


 俺は深く溜息をついた。久しぶりに、商売道具のボールを握ってみる。二、三個持って、それを空中で、手の上で、躍らせる。


 三つ子の魂百まで、或いは、雀百まで踊り忘れず。一週間やそこらで、身についた芸は鈍ったりしない。まして、毎日やっていたことなのだから。また、毎日外でやりたいものだ。コインの落ちる音が聞こえなくても、雪の中で取り残されても、手を叩いてくれるあの音があるならば、それだけでいいのに。

 俺は暖炉に薪を放り投げた。香草の火だけでは淋しさに耐えられなかった。


 暖炉に放り投げられた薪はパチパチと音を立てて火をくらい、少しずつ小さくなっていく。炎の動きの一つ一つを、まるでそれが命より大切な行為のように、見つめ続けていた。


 焼べられた木は、まるで煉獄で苦役を受ける亡者のように、呻き声を嗚咽に混ぜながら黒くなっていく。その中に、この町の外の風景を思わせた。疫病は、炎に似ている。悲鳴を上げさせるが、音もなく忍び寄って、そして消えていく。悪夢の後には何も残らず、わずかに奪われなかったものが、黒い灰をかぶって残っている。それも、もう使い物にならなくなっている。


 笑えない冗談だ、と思って、酒を一気に飲み干す。なんとも言えない刺激が喉を通る。足元にほんのり熱が伝わっていく。頭がぼぉっとする。さらに一瓶開ける。それを半分飲む。


 そうだ、外に出よう。薪に映った炎を消した。



 外にはいっぱいの山が連なっている。どの山にも、光る小石があって、規則的に二つずつ並んでいる。暗がりの中に人の姿は見られない。大声で、誰かいないかぁ、と叫んでみる。火照った体に、冷たい水が降ってきた。


 雨。雨が酒だったら、どんなに良かっただろう。刺激がない、刺激が欲しい。あの、割れるような拍手が欲しい。人っ子一人いないのに、俺は瓶の中に残った半分を飲み干し、二本の瓶を天に向かって放り投げた。


 これをお手玉のようにひょいっ、ひょいっと掴んでは空へと投げつける。あと一本あればもっといい。二本じゃあ、物足りない。奥に蝋燭で光る豪華な建物が見えた。しめた、あそこで余りの瓶をもらおう。人気者の俺なら、来ただけで大喝采だ。


 お手玉を続けながら、俺はその建物に近づいた。すると、がくん、と、何か躓いて、大穴に落ちてしまった。その高さは大したことはなかった。しかし、倒れこんで途端にした異様な刺激臭に思わず吐き出してしまい、そのまま気絶してしまった。



 目を覚ますと、隣にはたくさんの人がいた。とてつもない刺激臭の正体は、この山積みになった人らしい。そこが死体を投げる穴であることがわかった。俺は飛び起きて、大声で助けを呼んだ。荷馬車がやってくる音がして、直ぐにこの町の死体回収者だとわかった。


「おーい!助けてくれ!落ちたんだ!」


 大声で叫ぶと、髭面の男がひょっこりと顔を出し、「大丈夫か!」と叫んで仲間を呼んだ。


「酔って落ちちまったらしいんだ!なんとかして外に出してくれ!鼻が腐っちまうよ!」


 俺の声に男たちは荷馬車に積んであった防寒用の布を結び、俺にめがけて投げた。俺は蜘蛛の糸さながら、その布を手繰り、男たちの元へと昇った。


「助かりました」


 俺が礼を言うと、男たちは顔を見合わせ、何か相談していた。そして、一人が俺に対して話しかけてきた。


「取り敢えず、施療院いきましょうか」


 俺は取り敢えず頷いておいた。正確には、断ってもどうせ引っ張り出されるからだ。ここに入ってしまった以上、罹患してない、とは言えない。施療院で取り敢えず診察を受け、無事ならば部屋で静養、罹患していればゴミ箱へ放り投げられる。


 俺は彼らの荷馬車に乗せられ、堂々とした佇まいのゴミ箱へと、送り届けられた。



 施療院の中の異様な空気は、まさに葬儀の場そのものだった。司教に顔を合わせ、事情を話すと、診察のためにペスト医師のもとに連れて行かされた。


 ペスト医師はお馴染みの烏の衣装を見に纏い、死神のような低い声で言った。


「こんにちは、では診察を始めますね」


「お願いします」


 男は棒を取り出し、これを使って様々な場所を調べてきた。俺の腹や背中を弄るようにして触ると、棒をしまった。


 彼は画面越しに気の毒そうな視線を俺に送っている。


「暫く、施療院で様子を見ましょう」


 あー、そうですか。俺は特に驚きもしなかったが、反面、妙な感動を覚えた。


 遊びほうけた俺に対する罰だとしたら、神様も捨てたものではないのだろう、と思う。施療院の中には、大小様々な瘤を持った患者が呻き声を上げながらベッドに、床に眠り込んでいる。俺も、こうなるのか。そう思いながら、案内されるままに、ベッドに座り込んだ。このベッドの上で果てていくと思うと、とてもではないが正気でいられない。俺は、もっと遊んで、歌っていたい。民衆の前で、騒ぎまくりたい。こんな、生きているか死んでいるかわからない奴らと、一緒に墓場に行くのは嫌だ。カラスに連れて行かれたこんな巣じゃ、満足できない。


 俺は周囲を見渡した。どれも様々な表情で、顔も階級も違う。とはいえ、どれも、たった一つだけ、同じだった。


 自分の隣に寝ているのは子供だった。悲惨だな、この町にはもはや年齢順に死ぬという法則すらないのか。中央奥の祭壇には、堂々とした佇まいの聖人の像に、無性に腹が立った。


 近くでくしゃり、という紙の擦れる音がした。こんなところに本を持ってくるとは、大したやつだと思い、犯人を捜す。すると、どうもこの隣のに床で学生寝ている学生らしかった。


「君も患者なのかい?」


 興味本位で聞いてみると、空ではあるが恨めしそうな目をしていた。生意気なやつだ。ちょっと上から目線で力の差を見せびらかしてやろう。俺は欠伸をした。


「この町も全く懲りないね。何百年と時間があったのに」


 すると少年は思い切り不快そうな顔をした。つられたか、可愛い奴め。


「医者だって必死なんです。帝国が研究資金を出し渋るから、まともな研究ができないんです」


 俺は面食らった。こいつ、結構勉強してるんじゃないか?俺は同じ歳の頃、もっとちゃらんぽらんだった筈だ。俺は少年に正面から付き合うことにした。


「君は学生かい?」


 彼は頷いて返した。その目はとろんとしていたが、怒りとともに妙な信念すら感じられる鋭いものだった。


 暫くすると、思わず彼が顔を逸らした。俯きがちな姿は、どこかいじらしい。


「くく、可愛いなぁ。まだまだ若いね」


俺は場所柄も考えずに豪快に笑ってしまった。彼の心の内はきっと、心底傷ついただろう。俺は、彼の俯く顔の先を見た。彼の足元だった。


「随分、黒くなっちゃったね」


 思わずこぼした言葉に、俺は後悔した。周りの人間の視線にはじめて気がつき、言葉をなくした。何か、 フォローする言葉を探そうとして、頭を巡らせた。彼の頬を、小さな雫がつたっていた。俺は見ていられなくて顔を逸らした。何か、言ってあげなければならない。何とか、彼を笑顔をしたい。


「僕は、アウグスティーンじゃありませんから」


 何が、大道芸人だ。俺は学生一人、幸せにできないじゃないか。彼の頬を伝う滴の輝きがあまりにも儚くて、無理をした優しい顔が痛々しくて、俺はこそこそと動く司教に目を向けた。鐘の音がした。何もかもが俺を責めていた。俺は、鼻を押さえた。


「度がすぎるよな」


 その一言が、せめてもの抵抗だった。



 少年を笑わせようと、俺は必死に立ち回った。燻蒸の匂いに派手にのたうちまわり、あれよあれよと話しかける。彼は時折胸の中から紙を取り出し、何かを書いていた。夜には、少年は食事も待たずに眠ってしまっていた。その顔のいじらしさといったら……もう俺の努力は満たされたように感じた。


 それからというもの、彼に対して執念深く言葉を発した俺は、時折彼が慈しむような顔を俺に見せていることに気づいた。俺は意味がよくわからなかったが、何となく注目されたようで嬉しかった。彼が弱っていくにつれ、俺はまるで元気なことを気づき、何となく焦りのようなものを感じた。



 彼はいつの間にかいなくなっていた。長い間静養していた俺も、ペスト医師から自宅療養を指示され、施療院の門を出た。俺は毎日ペスト医師はやってきたが、この町のペストが収束に向かっている様を、この目で見ることになった。


 施療院へ運ばれる人も減り、最後には外の死体もなくなっていった。


 そして暫くすると、街はいつもの活気を取り戻していた。俺はその中で、のんきな歌を歌っては、笑いを取りに行った。


 どん底からの、復活。この町はこれだから、やめられない。


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