雷様の夫婦喧嘩②
「吾郎さんに、光子さんですね。よろしくお願いします。今日は喧嘩の最中に、吾郎さんが、雷を鳴らしてしまう問題をどうにかしてほしいと、龍神様から頼まれたわけですが、ケンカの原因を伺っても?」
と粟根が言うと、先ほどまですごみまくっていた吾郎が、眉間に皺を寄せた。
「喧嘩の原因なんて、バラバラじゃし、覚えとらんな……」
と言いにくそうにもごもご言う吾郎をみて、隣の光子が口を開いた。
「だいたいはこの人の、だらしなさが原因ですよ。酒を飲んで、道端で寝るわ、家事も一切手伝わないくせに、文句だけは一人前! それでアタシが、文句言うと、逆上して、むやみに雷を鳴らしだすんですよ! 先生は目の前で雷慣らされたことがあります!? それをこのか弱いアタシに対して、この鬼でなしは平気でやったんです! 今まで、300年も一緒に連れ添ってきた、自分の妻に対してその仕打ちですよ!? ホントに、この鬼は情けない鬼なんです」
「そんなん、み、光子がいつまでも、ちょっとしたことで、ねちねちねちねち怒っとるから……」
と大柄な鬼の吾郎もごもごと言い訳のようなことを言う。
「ちょっとしたこと!? あんたねぇ、そのちょっとしたことだって積み重なればちょっとどころじゃ済まないのよ! 大体アタシはねぇ、別にあんたのだらしなさにここまで怒ってるんじゃないのよ。逆上して、雷をならすそのバカさ加減に呆れてるのよ。こんなか弱い女鬼一人に対して、雷を鳴らす鬼なんて……ウッ」
と言って、光子は、顔をクシャリと歪めて、言葉を止めると、目から大粒の涙がぼたぼたとこぼれだした。
「ああ、どんなにアタシが怖い思いをしたか……」
そう言って光子はしくしくと涙を流す。
心なしか、真っ赤だったはずの顔色も悪くリナには見えた。
心を覗かなくとも、光子の辛い気持ちがリナにだって、わかる。
目の前で雷なんて落とされたら、恐ろしいに決まっている。
「無暗に、雷を鳴らしちまうのは、悪いとは思ってるけどよう……」
と、吾郎がおろおろと、泣きだす光子の慰めに入った。
しくしくと涙する光子のまえで、ここに入ってきた時の凄みもどこへやら、情けなく狼狽える鬼が一鬼。
そして、ハアと深い溜息を吐いた吾郎は、眉尻を下げて粟根に言った。
「先生、おでが悪いんです。どうにも、おでは頭にくると、我慢ならなくなってよう……鳴らしちまうんです、雷。やっちゃいけねぇって、思うのによう」
と気落ちした様子の吾郎。その声も全く覇気がない。
しくしくと泣く光子の背を何度かさすった吾郎は、改めて粟根に向かって姿勢を正した。
「先生は、龍神様もお墨付きの凄腕だときいとる。どうかおでのこの癇癪を今すぐ治して欲しい。もう光子には怖い思いさせたくねぇ」
そう言って頭を下げる吾郎に、光子は顔を上げて「あんた……」と少しばかり優しげな声を出す。
そして、改めて体を起こすと、光子も粟根に向き合った。
「すみません、先生。こんな馬鹿な亭主で。でも悪い人じゃないんですよ。雷を鳴らしたあとは、いつもアタシに、すまねぇもうしない許してくれって謝ってくれるんです。でも、癇癪の虫ばかりはどうにもできなくて……。だから、アタシの方からもお願いします。亭主の癇癪を治して欲しい。それに、あんまり雷を鳴らしすぎたら、他の神さん達に怒られちまう」
そう言って、二人の鬼の夫婦は、頭を下げた
心療室にやってきた雷様の夫婦は、フンと顔を逸らしていたし、いがみ合っているような雰囲気で、それを見た時、リナはもう修復不可能なんじゃないかと思えたけれど、今こうして目の前で、二人で頭を下げているのを見ると、二人の絆のようなものを感じた。
最初に光子が300年連れ添ったというような話をしていた。
300年も一緒にいる夫婦なんて、リナには想像もできない次元だ。
その絆も相当に深いに違いない。
それに、リナは、この吾郎が少し自分に似ていると思った。
もちろん、妻の目の前で雷を鳴らす吾郎を責める気持ちはあるし、気持ち的には光子さん側なのだが、吾郎の、どうにもならない気持ちも分からなくもない。
リナも、自分の感情が先立って心を読む力が暴走してしまうのだから。
そう思うと、ますますリナは、吾郎に対して親近感のような気持ちが生まれる。
どうにもならない感情が先走る気持ちがわかるからこそ。
光子と吾郎の話を静かに聞いていた粟根はここで「なるほど」とつぶやき、そして改めて、口を開いた。
「夫婦喧嘩がどのように行われているのかを聞いてもよろしいですか?」
粟根の唐突な質問に、リナも鬼の夫婦も、ぱちくりと目を瞬かせた。
どうして夫婦喧嘩の詳細なんかを求めたんだろうという気持ちがそれぞれの顔に現れている。
リナもてっきり吾郎の癇癪を治すという話に行くのかと思っていた。
先ほどの鬼二人の話ぶりからして、原因は、吾郎の癇癪だ。
リナも当の鬼の二人もそう思って、そして癇癪を治して欲しいと頼んでいるのだから。
今更、夫婦喧嘩の流れを確認して何になるというのだろうか。
「夫婦喧嘩がどんなふうに行われるかって、言われてもよう。さっきも言った通り、ちょっとしたことで口喧嘩して、そんでおでが切れちまうってだけやし」
「そこを詳しく伺いたいんです。例えば、最近した喧嘩で話した内容などを事細かく覚えている限りおっしゃっていただければ。むしろここで夫婦喧嘩をしてもらえると、わかりやすくていいですね」
と粟根が真面目な顔で聞くので、鬼の夫婦は目を合わせる。
「光子、喧嘩しろって、先生が……」
「そんなこと言われてもねぇ」
と戸惑う二人にダメ押しとばかりに粟根が、「お願いします」と一言。
鬼の夫婦は改めて目線を合わせてから、吾郎がしぶしぶと言う様子で口を開く。
「そこまで言うんなら……。あれ、でも、なんだったっけ、さっきした喧嘩の原因」
「アンタが、脱いだ腰巻をそこらへんに放ってることをアタシが、注意したやつじゃないかい?」
「ああ、そうだっけ?」
「アンタもう忘れたのかい? 呆れた。今さっきじゃないのよ。あーもうホント反省してないんだねぇ。口だけだよ! アンタはいつも」
「そんなこと言ったてよぉ。そんな小さな事でいつまでもぐちぐち言われたってなぁ」
「小さなことで? またそれかい!? あーいやになるねぇ。あんたが放った汚い腰布を毎回拾って洗ってやってるアタシの身にもなりなさいよ!」
「はあ? おまえ、自分の亭主の腰布をそんな汚ねぇもんみたいに言いやがって!」
「汚いもんでしょうよ!」
「なんだとぅ!?」
と、最近の喧嘩の話をしてくれるのかと思いきや、リアルタイムで夫婦喧嘩がはじまってしまった。
なんといっても大柄で、強面な真っ赤な鬼の夫婦の喧嘩だ。
迫力がすごいなんてもんじゃない。
ちらりとリナが、粟根に視線を向けると、粟根はずっと真剣な顔で、二人の喧嘩を見入っている。
「と、止めなくていいんですか、先生?」
喧嘩する鬼二人には聞こえないように、リナが小さな声で耳打ちする。
粟根は、夫婦喧嘩から視線を離すことなく、頷いた。
「ええ、そうですね。そのうち止めますが、今はまだ止めるつもりはありません。あ、そうだ、リナさん、喧嘩の時の二人の心を読めそうだったら、読んでもらえますか?」
「喧嘩中の心を、ですか!?」
「はい。無理そうなら大丈夫です。あまりいい言葉は聞こえないかもしれませんし」
と粟根に言われ、改めて鬼の夫婦を見る。
すでに鬼の夫婦の口からは、罵る言葉が漏れていて、今更心の声を聞いたところで大差はなさそうだった。
目の前で繰り広げられている夫婦喧嘩は、恐ろしいものではあるが、力が暴走するほど自分を見失うものでもない。
そう判断して、リナは頷いた。
「分かりました。やってみます」
そう言ってリナは二人の心に気持ちを集中させた。




