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マイズ山のものぐさ賢者  作者: 流堂志良
第八章 カデル・ツヴァイト・ドゥンケル
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光と闇の戦い

 ここではない場所での戦いの始まりを、アーノルドも感じていた。

 しかし、今の彼ではライリアルに加勢しに行くわけにはいかなかった。

 アーノルドの前には、天使の少女。

 極めつけに彼女の剣が物騒だ。

 闇を纏い、闇を映し、闇を撃つ。

 触れればそれだけで、魔力に侵食される。

 そういった類の、神に対する武器。

 闇の剣に対する知識をアーノルドは、刷り込まれた知識の中から呼び出して反芻する。

「向かってこないんですか? 私の役割は足止めだからいいですけど」

 首を傾げて、少女は言う。

「……参考までに聞くが、それが何か知ってるのか?」

「さあ? グローリアにいた時に手に入れた剣です。由来は知りません。使えるなら、それで充分じゃないですか」

 笑う少女は剣をかざす。

 闇が質量を持って、アーノルドに伸びる。

 それを空間転移することで避け、別の場所へとアーノルドは現れた。

「おかしな技を使うんですね。困りました。これではあなたはいつでも私を突破してしまう」

 全く困ったようには聞こえない調子で、少女は呟く。

 本当に感情があるのかないのか、わからない。

 アーノルドはその様子を不思議に思って過去を検索する。

『時』と『空間』を司る竜である彼は、人の過去を時を隔てた場所から知ることが出来る。

 もっとも、それは全能力を解放している間に限っての事だ。

 そして、彼は知る。

 目の前の少女の歪な在り方を。



 千年前、北大陸グローリアには天使だけの都があった。

 その名は聖都グローリア。

 天使によって築かれ、天使によって繁栄し、滅びたとされる。

 グローリアの天使は原初の天使、ルインの子孫であるアンジェブランシェを見つけ次第さまざまな術を使いグローリアに繋ぎとめた。

 それは人質を使うものであったり、利害を一致させたりするものであった。

 どちらでも繋ぎとめられないアンジェブランシェを、グローリアの天使は無理矢理束縛したのだという。

 記憶を奪い、名前を奪い、意志を奪い、グローリアに閉じ込められた天使の少女。

 彼女は、何もかもを持たない天使だったのだ。

 グローリアの崩壊から千年が経った今でも、彼女は自分の意志を未だに持てない。

 原初の天使の血を直接引いた名も無きアンジェブランシェ。

 それが彼女の出自だった。



「やっかいだな……」

 知れば知るほど、彼女の境遇は哀れだが、それ以上に厄介だった。

 説得も通じないだろう。

 実力行使をして、完全に彼女を歴史から排除してしまうには彼女の生きた時間は長すぎた。

「私にとってやっかいなのは貴方ですが。私一人で貴方の足止めが出来ぬのであれば、応援を呼びましょうか」

 いいことを思いついたように明るい表情で、何もない空間を剣で切り裂いた。

「おいでくださいませ、ルーチェ様」

 アーノルドはそれを聞いて、渋面になる。

 切り裂かれた空間の向こうから現れたのは、天使の国で一時対峙した天使の皇帝だった。

「また会ったね」

 楽しそうに笑いながら、破滅の天使は少女の隣へと立つ。

「さっきとは違って、完全に二対一。そっちが不利だね。どうする?」

 笑顔の少年はアーノルドの痛い所を突く。

 ただでさえ、厄介な相手なのが二人に増えては仕方がない。

 少々危ないが、更なる切り札を出そうかと思った時、救いの主がやって来た。

「ここでも足止めか……!」

 手をまた風でズタズタにしたのか、血を滲ませてリカルが追いついてきたのだ。

「しかも、天使だって?」

 身構えてリカルは呟く。

 瞬時に戦闘に入れる判断力はさすがである。

「気をつけろ。あっちの黒い剣は触れると色んな意味でヤバイ」

「じゃあ、俺は剣を持ってない方だな。剣は剣を持ってない同士戦うさ」

 剣を持っていなくとも、あの少年天使は別の意味でまずい相手なのだが、この場で二対一はより危ない。

「わかった。あっちはあっちでヤバイ奴だが、気をつけろ」

「よし、行くぞ!」

 アーノルドは転移で少女の近くまで跳び、彼女がとっさに構えた闇の剣に自らの剣を振り下ろした。




 ライリアルはローレンスに手を伸ばす。

 しかし、ローレンスは周りの闇を使い、結界を作り上げ、ライリアルを寄せ付けない。

 カデルに向かったクロムが竜の身体に叩きつけられる音がしたが、ライリアルはそちらに構っている暇はなかった。

 早く、彼を竜の支配から解き放たなければならない。

 本来人間が竜の魔力を長い時間にわたって使用するのは、身体によくないのだ。

 それは、長年竜の魔力を人間の身体に宿してきたライリアルが身に染みて知っていることだった。

「ローレンス、力を使うのを止めるんだ!」

 ライリアルは自分の魔力を使い、その結界を破ろうとする。

 しかし、ここが闇の竜の領域であるためか、たやすく破ることはできない。

「ローレンス! 聞こえているんだろう!」

 叫んでみても弟からは何の反応も返らない。

 身に覚えのない娘を除くと、ライリアルにとってローレンスは唯一血の繋がった相手だ。

 何としてでも竜の支配から解き放ちたい。

 だが、どうしても彼の纏う闇を払うことが出来ない。

 一か八かと、ライリアルは少し彼と距離を取る。

「失敗しても悪く思うな」

 自分に言い聞かせるように、ライリアルは慎重に凝縮した光の塊を掲げた手のひらに出現させた。

 小さく低く、ライリアルは古い言葉で呪文を唱える。

『竜よ、竜よ、竜よ。我が身体で眠る力よ』

 身体の奥底に眠る魔力の源。

 そこから、ライリアルは可能な限り力を引き出す。

『光を灯せ。彼の闇を払う為の力を、我に与えたまえ』

 ライリアルの瞳が金に変化する。

 竜の魔力を使いすぎると、しばらく人間の身体が竜に引っ張られる。

 目が金色になるのは、その第一段階だった。

 ライリアルが掲げた手を振り下ろす。

 目を眩ますほどの光が、祭壇の間に溢れた。

 光の軌跡が、ローレンスに突き刺さる。

 ローレンスとの間を隔てる闇の力が、圧倒的な光の魔力に砕かれる。

 その一瞬後には、ローレンスがその場に崩れるように倒れ伏していた。

「ラリー!!」

 ライリアルは弟を捨てて街を出た時から今までずっと口に出せないでいた、弟の愛称を口にしてローレンスに駆け寄った。

「何だ、それだけの力か」

 つまらなさそうにカデルが呟くのを聞いて、ライリアルはローレンスを助け起こしたままカデルを睨みつける。

「私に力を使わせるのが目的か!」

「そうだ。光竜王エアスト・グランツの力を半分持つ、お前の力を解き放つ」

「どうなるかわかってて言ってるのか!」

 ライリアルが我を失い、暴走させるように使った力は小さな都市を完全に吹き飛ばすほどだ。

 それをカデルは意図的に起こそうというのだった。

「さあ、かかってこい。契約者を突破されたのであれば、次の相手は俺だ。俺を倒さなければあの少年には会えないぞ?」

 挑発するように闇の蔓で床を叩く。

 囚われていたクロムに巻きついていた蔓は、先ほどの光の余波か消えてしまっていた。

 しかし、クロムの手足は半分竜の身体に溶けるように沈み込んでいる。

 このままではクロムはその竜に同化し、消えてしまうだろう。

「さあ、どうした。来い。その力を俺に見せてみろ」

 ライリアルの身体には、既に一度竜の力を引き出した反動が来ていた。

 身体中を激痛が苛む。

 故に息をするのにも、ライリアルは自分の身体を抱きしめるようにして痛みに耐えなければならなかった。

 口の端から伸びた犬歯が覗く。

 金色に光る瞳が苦痛をこらえてカデルを睨んだ。

「もう身体が竜の力に耐えられないのか。俺がお前を殺すのと、お前が竜になるのと、どちらが早いか?」

 闇の蔓が、今度はライリアルたちに伸びる。

 ライリアルはローレンスを背中に庇い、光の結界を張る。

 もう一段階ライリアルの変化は進む。

 肌にうっすらと鱗が浮かんだ。




 ローレンスの意識は闇の中に漂っていた。

 何も聞こえない。

 何も見えない。

 ここには誰もいないし、誰かが来てくれるわけでもなし。

 ただ一人ローレンスはここにいて、無意味に過去を思い出す。

 クロムの召喚を行った時、何を思っていたのだろう。

 感じていたのは兄と同じ仕事をしなければならないという、重責であり。

 自由になりたいと願ったのは何故なのかを思い起こした。

 そそもそもがライリアルの気持ちがわからない、見えている風景がわからないという事から来ているものだった。

 ローレンスがそれまで見てきたライリアルは、リカルと一緒にいるときはともかくとして、どこか自分とは違うものを見ているようで恐ろしかった。

 だけど、ライリアルが出奔したのがわかった日、自分がその後にライリアルの仕事を引き継がなければならないことを知った時に寂しく思った。

 その時に思い出したのが、父が残した竜の召喚と契約に関する書置きだった。

 ライリアルは竜の力を持っていることを、ローレンスは聞いて知っていた。

 だから竜を呼び出して、契約すれば、その力を手に入れればライリアルと同じ景色が見えれるのではないかと思ったのだ。

 だけど、準備をしているうちに、ライリアルと同じ力を手に入れてしまえば、兄の代わりに村に縛り付けられる事に気づいてしまった。

 そして、ローレンスはクロムに願い、結果的に村を消してしまった。

 兄と再会して、ローレンスは兄も規模は違うが同じ事をしたことを知った。

 その時には何も思わなかった。

 クロムと旅をし続けるうちに、自分はもう兄と同じ景色を見ている事に気づいた。

「兄さん……!」

 意識は闇の竜の力に押しこめられて、闇の中を彷徨う。

 その闇を突然光が貫き、切り裂いた。

 自分を翻弄する、強大な力。

 これは間違いなく、兄の魔力だった。


 ――ラリー!


 久々に聞いた愛称だった。

 この闇の中まで届いた声に、ローレンスは心を震わせた。

 早くこの闇からでなくては。

 そのためにはカデルの支配を逃れる必要がある。

 どうしたらいいかなんて、ローレンスにはわからない。

 彼はクロムと契約していなければ、ただの人間だった。

 だからローレンスは思い出す。

 クロムを呼び出し、契約したあの呪文を。



 闇の彼方で眠る仔よ、我が呼び声に応えよ

 我は光の下で招く者

 ゆりかごより、我が元に来たれ

 手を取り、共に笑い、共に泣く

 我はそなたと共に歩む者

 同じ時間とき、同じ空間ばしょで――永久とこしえ

 契約の瞬間ときは来たれり

 ならば我はそなたに誓わん

 ――共に生きよう(フイネイ)

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