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マイズ山のものぐさ賢者  作者: 流堂志良
第七章 帝国ガンスの天使
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天使の皇帝

 コツコツと石畳を靴が叩く音がする。

 カデルは契約者の少年を伴い、かつて神殿だった建物の奥を目指していた。

 返事は返ってこないとわかっていながら、彼は饒舌に話し始める。

「この建物はこの大陸にリトカたちが来る前に、俺たちの信仰を支えていた物だ。俺たちが信じていたのは力だ。だから、祭壇に祀られた宝玉は竜王の力の結晶だった」

 奥へ進む度に強い闇の気配が身体の奥まで侵入しようとする。

 何もかもその『力』に呑み込まれてしまいそうだとカデルは思った。

 しかし、自分が紡ぐ声は止まらない。

「兄上が北大陸へ去った後、宝玉は残された。他でもない、俺たちを閉ざすこの闇の為に。長老たちはそれが気に入らなかったんだ。だからこの宝玉を利用して、宝玉を扱える『竜王』を生み出そうとしたのさ」

 これから向かう先にはその長老たちの狂気の結果がある。

 契約者には見せるか悩んだが、彼には自分が今まで契約していた存在が何者だったのか知らせておきたかった。

「結果としてその子は目覚めなかった。だけど、まさかその力の大半と、意識だけが召喚されて力を得ていたなんて。思わなかった」

 少年は答えない。いや、答えることはできない。

 何故ならば、その少年はカデルの影響下にある。

 竜王に次ぐ序列第二位の力をもってすれば、人間の魔法使いの意識を奪うことなど簡単であった。

 神殿の最奥、祭壇の間に入るとカデルの支配下にあるはずの少年の身体が震えて立ち止まる。

「あ……ああ……」

「わかるか? あれがお前がクロムと呼んでいた男の正体だ」

 クロムが指し示す先には巨大な影がある。

 どこもかしこも暗闇で、本来の少年では何も区別はつかないだろう。

 今、彼がそれを見ることができるのは、カデルが力を貸しているからだった。

「思えば、俺とお前はよく似ているな。故郷に兄に置いて行かれ、自由を欲した。俺とお前が契約すればよかったな。相性は良かっただろう。そうすれば、俺はきっと――」

 もう戻れない遠い過去に想いを馳せるように目を細めた時、その部屋に飛び込んでくる気配があった。

「カデル大変。連れてきた子が」

 急いでやって来たのは序列第三位に数えられる、女性。

 人質として連れてきた少年の見張りをしていたはずだった。

「どうした? 恐ろしくて泣きわめいたのか?」

 人間の少年のするリアクションなどそんなものだろうと冷やかに聞くと、彼女は首を振った。

「違うんです。子どもたちと仲良くなっちゃって」

「何だと? この暗闇では人間は何もできないはずだ」

「そう思うよね。でも何だかおかしいのよその子。目が赤くなっているように見えるの」

 彼女の言葉を聞いて、カデルは契約者をこの場に一度戻る事にした。

 連れて行ってもいいのだが、向こうで支配の効力が切れても面倒なことになる。

 カデルには絶対そうなるとの予感があった。

 本来なら、少年がクロムと呼んでいた竜はカデルを上回る力を持つ。

 クロムとこの少年との契約は切れた。

 身体を持たぬクロムはここに戻って来るしかない。

 そうすれば、きっとクロムはカデルとぶつかるであろう。

「遅かれ早かれ、あの男はここに来る。俺たちの契約もそれまでだな」

 クロムとぶつかれば自分は生きてはいない。

 その確信を胸に抱いて、カデルは踵を返した。




 アーノルドたちの前に突然現れたのは少年の姿をした天使だった。

「ふふっ……あはははっ! ミケーレは気が優しすぎる。何故怒らない? 何故憎まない? お前は仲間だと信じていた男に裏切られていたのに」

 おかしくておかしくてたまらないと言った風に少年は笑う。

 ミケーレは握りしめた拳を震わせながら、笑う少年の前に膝をつく。

「ルーチェ様。御身が御出でになることはありませんでしょうに。侵入したリトカは俺が追い払います」

「追い払うんじゃ生ぬるいよ。殺すぐらいしないと、ね」

 ルーチェと呼ばれた天使は楽しそうに笑いながら相対する魔法使いたちを見る。

「ふぅん……竜もいるんだ?」

 戦いの場にいるというのに場違いなほど笑顔を浮かべて、ルーチェはくるりとアーノルドたちに身体ごと向き直る。

「何だお前は?」

 低く、警戒した声でアーノルドが問うと少年は笑みを崩さずに名乗りを上げた。

「僕はルーチェ。ガンスのルーチェ。皇帝をしてるんだ」

 気軽にほいほいととんでもないことをルーチェは告げた。

 つまりここにいるのが天使たちを統べる存在だという事だ。

「そうだ。ミケーレ。君に彼らを殺せないなら僕がしよう。そうだね、そうしよう」

「ルーチェ様……!」

 楽しそうに頷いて、ルーチェは前に進み出る。

 止めようと手を伸ばすミケーレの手が見えない力によって弾かれた。

「邪魔をしないでよ」

 それはまるで、遊びを邪魔された子どものようで。

 今ここが緊迫した戦いの場であることを、忘れたような言葉だった。

「さて。僕の相手は君でよかったのかな? それともあっちの竜?」

 剣も何も持たず、遊びに出たような気軽さでルーチェは首を傾げる。

「俺だ。あっちには手を出すな」

 警戒心を露わにアーノルドが唸るとルーチェの手が閃いた。

 広がった翼から、羽根が矢のように射出される。

 その狙いはアーノルドではなく――その後ろ。

 炎の竜が守る魔法使いの少女たち。

「キャロルちゃん!」

 叫んだアーノルドが手を伸ばしたところで、今のアーノルドでは手が届かない。

 レイムは自らの力でそれを防ごうとするが、防ぎきれないかもしれない。

 それほどまでに、飛んでいく羽根には力が込められていた。

 レイムは自らの魔力で障壁を張った。

 竜の力と天使の力がぶつかり、爆発を起こす。

 轟音と、煙で一瞬視力と聴力を奪われた。

 そんな中でも少年の声は良く響く。

「あははは! やっぱりそっちの方が大事なんだ? 生きてるかな? 死んでるかな? どっちでもいいよね」

 焦ったアーノルドを笑う少年を、アーノルドは振り返り、睨みつける。

 この少年には憎しみがない。敵意もない。

 恐らく信念も正義も何もないのだろうとアーノルドは察した。

 ああして笑っているが、彼の目には感情がない。

 そこにあるのは底知れぬ破滅の闇だけ。

 もしかしたら、世界を殺す事さえもやってのけるだろう天使たちの長。

 アーノルドは自分の明確な敵を今知った。

「――なるほど。これが、あいつの言っていた……」

 つぶやいて、アーノルドは胸に手を当てて叫ぶ。

 世界そのものへと訴えかけるように。

「我は世界を守る楔なり。我は今破滅を見出した。汝との約定の下に全能力を解放す――!」

 アーノルドの姿が変わる。

 風にたなびく金髪はそのままに。

 金色の瞳、ぴんと尖った耳。

 右手には剣を携える。魔法使いのローブは軽い鎧へと姿を変えた。

「破滅を導く者よ。消えるがいい」

「へぇ……偽装した竜……いや。もしかしたら君が世界の外から送り込まれた『彼ら』の切り札なのかな? でも僕には同じこと。ここで消えてもらう」

 アーノルドの姿の変化にルーチェは笑みを深めて手を翻す。

 ルーチェの手から迸る力は、アーノルドの前で霧散した。

「無駄だ。俺は時間と空間を司る者。世界を守るために、俺は全能力の解放が許された。破滅を望む天使の帝よ。大人しく消えるがいい」

「あれ? できるのかな? 時間と空間を司る竜でしょ? 僕を殺すという事は僕を歴史上からも永遠に消すってことだよね?」

 アーノルドが消去すると断じているのに、余裕の表情でルーチェは語る。

「僕は数千年生きてきた。もちろん、いろんなことをやってきたわけだけど。その欠落は何で埋めるのかな? 楽しみだね」

 ルーチェの発言にアーノルドの口から盛大な舌打ちが漏れた。

 全くもってその通りだった。

 かつて同じように破滅に取りつかれた人間がいた。

 アーノルドはかつてその人間を歴史上から消去したが、その欠落を埋めるために大きな犠牲が払われたのだ。

 結局その欠落は埋められていない。

 その人間よりは桁違いの年数を生きてきたこの少年帝を消去するのであれば、それこそ歴史が変わるほどの欠落を生むはずだ。

 その愚は犯せない。

「君が僕とは相容れない存在だというのはよくわかったよ。君は僕がしようとしてることを邪魔しに来たんだね。じゃあ君の心が折れるように頑張っちゃおうかな?」

「――何をしようとするかは知らんが、愛する者を殺したところで俺は止まらない。かつて愛した女を手に掛けたこともあるぐらいだ。お前が何かしたところで俺は任務を達成する」

「ああ、じゃあ本当に相容れないんだね。よくわかった。じゃあ僕はもう一つの方に行くとするよ。もうすぐ闇と光がぶつかり合う。ふふふっ……どっちが手に入るか楽しみだ。じゃあね、ミケーレ」

 最後まで笑みを崩さず、余裕の表情のまま遊びに満足した少年帝は唐突に消える。

 残されたアーノルドは苦々しく胸に拳を置いたまま魔法使いの姿へと戻った。

 ただし、すぐに能力を解放できるように、瞳の色は竜のままである。

「最高のタイミングで介入して阻止しないと面倒だな……」

 小さく呟いてアーノルドは振り返る。

 そこには、障壁で力を使い果たしたレイムと、無傷な少女二人の姿があった。

「アーノルド様……その姿は……」

「後で説明するよ、キャロルちゃん。無事なようでなによりだ。さて――」

 アーノルドは言葉を切って取り残された赤い天使に言う。

「お前さぁ。もうアレに仕えるのやめたら? アレが君主なんだろ?」

 それは紛れもなくアーノルドの本心だった。

「お前がキャロルちゃんの昔の知り合いだとしても、アレと接点がある時点で会わせたくない。笑いながら首をかき切りに来るタイプだろ。あいつ」

 図星なのかどうなのか、ミケーレは口を閉ざしたままだ。

「お前に害がないのはさっきの対応でよくわかった。アレが俺たちを殺すと宣言した後、止めようとしたもんな。俺たちっていうか多分キャロルちゃんを助けたかったんだと思うんだけど」

 何であんな君主に仕えてるんだという暗黙の問いにミケーレは笑う。

 離れられない自分を嘲る悲しい笑みだった。

「離れられるものか。俺たちはどこにも行き場がないからここにいる」

「行き場がない、ねぇ……。どこかに行こうとしたことはないのか?」

「……俺の力はうっかりすると隣にいる奴を焼き尽くすかもしれない。キャロルを手放したのも、それが理由だった」

 力の強い者でなければ、耐えられない。

 そう語ってミケーレは項垂れた。

「南大陸が駄目なら北大陸はどうだ? 今もまだリトカの部族が残ってるって話は伝え聞いてる。ここが無理だってならそっちはどうなんだ?」

 アーノルドの問いに、ミケーレは顔を上げた。

 あからさまに嫌そうな顔だった。

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