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マイズ山のものぐさ賢者  作者: 流堂志良
第七章 帝国ガンスの天使
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奪還作戦

 トーマスは気がつけば闇の中であった。

 ――近いうちに君は闇に出会うだろう。

 北の砦で出会った月の化身のような男に言われたことだ。

 それはこのことだったのかと痛む頭を抱えてトーマスは唸った。

 頭が痛い。

 闇の中。

 トーマスの『月の眼』の発動条件が揃っている。

 嫌な予感を覚えながらも、トーマスは逆に前向きに考えようと努力する。

 発動してしまえば『月の眼』はここが闇の中だろうと周りが見える。

 そういえば自分を捕まえた赤目の男はどこに行ったのだろうと、トーマスは周りを探るがそれらしいものは近くにいない。

 その代わりに子どものような声が近くでする。

「ねえ、これが人間? カデル様が連れてきたのとは違うね」

「人間はわたしたちと違って髪の色も違うのよ」

「ふぅん……でもこの子、目赤くなってきたよ」

 ぼんやりと小さな影がしゃがんでトーマスを見ているのが見え始めた。

 頭痛はするが、抑えずにいるせいか前ほど辛くはない。

「……君たちが闇の竜?」

 トーマスが声を掛けるとびっくりしたように、子どもたちが話し合う。

「あの子びっくりしないね」

「僕たちのこと『悪魔』って呼ばないね」

「竜だってわかったんだ」

 ひそひそと話し合う姿を見て、状況を知るためにトーマスはこの子たちから話を聞こうと決めた。

 自分はここで死ぬことはない。

 未来の場面を一度見たおかげか、トーマスに危機感はなかった。




 アーノルドたち三人はガンス側の国土内まで転移した。

 幸い村かどこかの近くではなく、国境付近の緩衝帯だ。

「ここが隣国ですか?」

「そう。この近くにキャロルちゃんと、さらった天使がいるはずなんだけど」

 アーノルドが周りを見回すのを見て、ティアレスは困惑したように告げる。

「あの、キャロルちゃんの魔力を感じないです。あっちからは熱そうな感じはするんですけど……」

 言葉を発したティアレスがだんだんと不安そうな表情を見せた。

 もし、誰かの魔力を感知できなくなったときは対象が極めて危険な状態にあることが多い。

 魔力を使い果たすか、より強大な魔力に覆われているか、生命活動が停止してるか、である。

「――まあ、最悪の場合でも何とかするしかないか。レイム、空気を歪ませて視覚をごまかす魔法使えるか?」

「使えるけど、相手が炎を扱う天使ならすぐにバレるぞ」

「堂々と竜がこっちの国に侵入してるの、バレたらまずいだろ。敵にバレるのは前提なんだし」

 アーノルドの説明に首を捻りながら力を行使する。

 契約者がいなくとも、彼は限定的に竜としての力を揮える。

 空気を熱し、蜃気楼のように彼らの姿を覆い隠した。

「よし。行くぞ」

 そうして三人が進んだ先で見たのは、力なく座り込んでいるキャロルの前で怒ったり慌てたり心配しているという赤い天使の姿だった。

「――おかしいな。どう見てもキャロルちゃんを心配してるように見える」

「俺にもそう見えるな。ティアレスはどう思う?」

「私にもそう見えます。でも、あの天使からは嫌な力の気配は感じません。前にレイムさんの神殿に入った天使とは違うんでしょうか?」

 ティアレスの疑問に答えれるだけの判断材料がこの場にはない。

「強襲するとややこしくなりそうだ。普通に近づいてみようか」

 敵意がないことを示すために、空気を歪めて姿を隠していた術を解いて、レイムが言う。

「それしかなさそうだが、何だかなぁ……」

 迷いつつ彼らは姿を晒して、天使の方へ足を進める。

 当然だが、先に彼らの存在に気づいたのは赤い天使の方だった。

 赤い天使はキャロルを庇うしぐさをし、その動きに気づいたキャロルが頭を上げて目を丸くする。

「アーノルド様!? レイム様にティアレスさんまで……」

 キャロルが叫ぶと、赤い天使が怒りを含んだ声を張り上げた。

「お前らがキャロルから記憶を奪い、リトカの魔法を教えたというのか!」

 静寂の中に声が響き渡り、彼らは声を発することが出来ない。

「キャロルちゃんのお父さんみたいな言葉ですね」

 ティアレスの呟いた言葉が彼らの胸の内を代弁していた。

「何か、勘違いしているみたいだな。俺たちはその子を保護しただけだ」

 思い出すのは、見るに耐えない姿に変えられていた彼女の事。

 そのことはティアレスには知らせていない。

 ただ、記憶を奪ったことに関してだけは正しかったのだが。

 ああしなければキャロルの心は死んでいただろうと、実際に記憶を預かったフォーレシアは言っていた。

 彼女の生きてきた人生の中での優しい記憶が、苦痛の記憶を薄れさせるまでは記憶喪失のままでいてもらうしかない。

 この天使がキャロルをどう扱っているかなんて、アーノルドたちの知るところではないのだが、保護者のような物言いには顔をしかめるしかない。

「ちょっとムカついたからあの天使と話をつけてくる」

「おいおい、大丈夫か?」

「キャロルちゃんはこっちに引き寄せるからちょっと待ってろ」

 レイムの質問には答えずに、アーノルドは虚空に手を伸ばして何かを引き寄せる真似をした。

「え? きゃっ!」

 天使の背後に庇われる形となっていたキャロルが、引き寄せられるかのように彼らの近くに転移する。

「キャロルちゃん!」

 ティアレスがキャロルに近づいて、持ってきた丸薬と水をキャロルに差し出した。

「どうしたの? 魔力全然感じないからびっくりしちゃった」

「ちょっと使いすぎたのですわ」

 キャロルを奪われた事に激高した天使が炎を放つ。

 しかし、それはレイムによって防がれる。

「おいおい。キャロルまで巻き込むつもりか?」

「人質とは卑怯な……!」

 唸る天使にアーノルドは大地を蹴って肉薄する。

「人の話を聞けっての!」

 炎を呼び出そうとした天使の手を掴み、アーノルドは低く囁いた。

「お前はキャロルちゃんがどんな姿で俺たちの前に現れたのか知らないだろ?」

 アーノルドは怒っていた。

 恐らく実際に記憶を預かったフォーレシアが聞けば、もっと怒っただろう。

 相手が相性の悪い炎の天使であろうとも。

 それほどまでに惨い事だった。

「お前らがキャロルを攫ったんだろう?」

 相変わらず会話がかみ合わない。

 だからアーノルドは炎の神殿であった真実を告げる。

「お前らが、キャロルをあんな姿にしたんだろ? 魔力で身体を歪めて造り、人とは言えない姿に変貌させて死にたいとまで絶望させられてた姿に」

 アーノルドは限定的に自分の能力を解放する。

 天使の意識に過去の風景を見せた。

 宝玉が暴走寸前の炎の神殿の中。

 ライリアルとレイム。その二人が対峙する異形。

 魔獣と合成させられた二人の魔法使いがそこにいた。

「ま……まやかしだ……」

「そう思うならそう思え。だけど、キャロルちゃんは返さない」

 アーノルドは冷ややかにそう告げた。




 ミケーレは見せられたその風景を嘘だと断じたかった。

 否定したかった。

 しかしそれに足る根拠はない。

 ミケーレはラファエロの非道さを知っていたはずだった。

 まだ天使たちが北大陸の聖都に勢力を置いていた時、彼はミケーレの愛する人を殺した。

 いや、本当はミケーレが死ぬはずだった。

 ようやくそのことをミケーレは思い出す。

 あの男はミケーレを庇って、飛び出した少女に手を伸ばし、胸を貫いた。

 それを何故ずっと忘れていたのか。

 何故自分はそんな男にキャロルを預けてしまったのか。

「……本当に、そんなことが……」

 口からは疑う言葉が飛び出すが、本当はもうわかっている。

 そんな酷いことができるのはラファエロしか存在しなかった。

 アロガンスの部族にいながら、当時の長の遊びで天使に変えられた男。

 自分と同じアロガンスの力を憎み、一度は原初の天使ルインの妹、ミユイにより救われた。

 でもそれは、アロガンスの長によりミユイが殺される時までの話だ。

 何よりもアロガンスを憎み、でもその力で復讐を遂げようとする。

 恐らくラファエロは何を憎んで、何を呪ったのかもう覚えていないのではないかとミケーレは思う。

 1000年以上前にそのアロガンスの長は死に、もう復讐の相手はいない。

 それでもラファエロは止まらない。

 そしてミケーレにはラファエロを止めるだけの理由もなく、離反するだけの根拠もなくずるずると今まで来てしまった。

 いっそ愛する人を失った時にそうしていればよかったのだが、ショックのあまり記憶が薄れていたのか思い出したのが今頃だ。

「信じる信じないはお前の自由だ。だけど、キャロルちゃんは渡せねぇ」

「……っ」

 敵の金髪の男に鋭い言葉で切られ、返す言葉もない。

 だが、キャロルをラファエロに任せたのはリトカに近寄らせたくなかったからで。

 それは彼女の出自がリトカである、という事と同時にリトカと天使が敵同士だから情が湧いたキャロルと敵対したくなかったからだ。

「俺はキャロルを争いから遠ざけておきたかった……それがこんなことになるなんて思ってもみなかったんだ!」

 それは紛れもなく本気である。

 しかし、結果としてキャロルは身も心も深く傷ついた。

 他ならぬ、ミケーレのわがままで。

「何だ、つまらない。憎悪を芽生えさせるだけの出来事じゃなかったのか。残念」

 唐突に場違いな幼い声がその場に響いた。




 ライリアルたちは南へ向かって全力で飛んでいた。

 風を纏い、風を切り、ただひたすら南へと。

 そんな彼らが一度足を止めたのは、声がしたからだった。

「本当に声が聞こえたのか? 俺は何も聞かなかったぞ」

 リカルが言うのも無理もない事だ。

 風を司る竜の力なら、音を拾うのはたやすい事だった。

 その彼の能力でも、『声』を聞かなかったというのだ。

 しかしライリアルには確信があった。

 確かに誰かがライリアルに助けを求めている。

 恐らくは声さえも出せない状況にいる誰か。

 二人は慎重に気配を探りながら、近くの森に足を踏み入れた。

 木々の鳴る音を聞きながら、ライリアルは異様な気配を捉えていた。

 同じ気配を感じたのかリカルは顔をしかめた。

「何か変な感じだな。こんな気配は初めてだ」

「ああ。確かにな。こっちから気配を強く感じる」

 本当は闇の竜たちの住む領域まで、急いでいかなければいけないのだがライリアルにはひっかかるものがあった。

 何があったかは知らないが、クロムとローレンスの契約は打ち切られる形になったはずだ。

 ならば、クロムはどこにいる?

 大きな人形のようであったクロムは、ローレンスが殺されようとした時にそれを拒絶した。

 彼がローレンスの契約を奪われて引き下がるとは思えなかった。

「ああ……みつ、けた……」

 日に焼かれぬように、木の陰に身を潜めてクロムはそこにいた。

 髪もぼさぼさで、服も肌もボロボロの身体でライリアルを見上げている。

「ライル、これは……!」

「知り合いだ。クロム、私はこれから弟を助けに南へ行く。お前はどうする?」

 リカルには簡単に説明だけをして、ライリアルはクロムに手を差し伸べる。

「……行く。主が俺の全てだ」

 クロムはボロボロの身体を起こして告げた。

「主は、おそらく、あの男に操られている」

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