イノス・リトカ・トランセンド
「難しい話ばっかりでごめんなさいね。賢者殿は対天使の話題になると周りが見えなくなるから」
申し訳なさそうにマリアが笑う。
「いえ、こちらこそ……。あまり天使とかのことは詳しくなくて……」
キャロルが謝ると、マリアは気にしないようにと手を振って見せた。
「そちらのアーノルドさん、でしたっけ。あなたも天使の事はあまり知らなかったりする?」
「いや、俺は多少知ってる。でも、多分あんたほどじゃないだろうぜ」
アーノルドは国に使える立場ではないせいか、初代王妃に対してもざっくばらんに会話する。
また、マリアも気安く話しかけられても気にしない性質のようだった。
「賢者殿があなたたちを傍に置いてるのが不思議で仕方なかったけど、ちょっと教えてくれるかしら」
「ライルがマイズ山に引きこもってた理由をあんたは知ってんだな」
説明を求めるマリアにアーノルドは確認するように質問を返す。
「ええ。私もトーマスも彼から聞いて知っていたわ。だから珍しいの。国を建てた後、彼を慕った部下たちも傍に寄せなかったのに。だから彼らはマイズ山の麓に村を作ったのだけれども」
マイズ村ができたころの話はキャロルにとって初耳で、驚くような内容だった。
有事の時は村の人たちがライリアルの指揮の下で戦う、という話はフォーレシアから聞いて知っていた。
だが、ティアレスたちの先祖がかつてライリアルの部下だったという話は初耳だった。
「そう……なのですか。でも、私たちは――」
キャロルがライリアルの傍にいる理由について、説明しようと口を開こうとするがアーノルドが先に話を始める。
「ライルの師匠が、一回戻って来たんだよ。それで、俺たちがライルのそばにいていいって許可を出したんだ。ライルん家のそばまで天使が来たのが大きいと俺は見たね」
「賢者殿の師匠が……ね。納得したわ。――天使の侵入はなるべく防いでるけど、幹部級になると私たちの手には負えないのよ」
マリアは空を仰ぎ苦笑する。建国を支えた英雄でも手に負えない天使がいるのか、とキャロルは思った。
「さっき、賢者殿と天使との戦闘を止めたのもそれが理由よ。『予言』を聞いてピンと来たの。あれはガンスを支える四大天使の一人よ。建国時には出くわさなかった相手だけどね」
マリアは、天使について知らないキャロルに対して丁寧に説明する。
「隣国ガンスのトップは皇帝。民衆の前に姿を現さないから本当に謎よ。四大天使の傀儡かもしれないわね」
その皇帝直属の四人の天使。神代の時代にリトカたちの先祖によって身体を変えられた天使たちの生き残り。それが四大天使と呼ばれる存在なのだという。
「風のラファエロ、水のガブリエラ、地のユリエル、火のミケーレ。主に民衆の前に立つのはラファエロね。私たちと戦った時も、ラファエロとユリエルは見たけど後の二人は戦場では出会ったことがないのよ」
「ガブリエラって女か?」
アーノルドが何かを閃いたような顔になり、マリアに尋ねる。
確かにガブリエラという響きは女性のものだ。
「ええ、多分そうだと思うわ」
「前にライルの家の近くまで来たぞ、そいつ。返り討ちにされた仲間を回収しに来たみたいだけどな」
「そんなことがあったんですの?」
キャロルはアーノルドが話したことを知らなかった。
「ああ。お前がライルの師匠のために酒買いに行ってた間の事だ」
アーノルドの答えにキャロルは納得する。
「ライルの師匠でも見逃したような奴だ。さっきの天使も同格だってことか」
「そうなるわね。賢者殿と互角ぐらいじゃないかしら。私たちがラファエロたちを退けれたのも賢者殿の力を天使たちが恐れての事だもの」
マリアはそこまで説明してため息をついた。
「賢者殿を怖がったのはこっちサイドの魔法使いも同じだった……んだけどね」
そうして笑ったマリアの瞳にはどこか寂しい光があった。
「三人で盛り上がってるみたいだけど、何の話だ?」
話が終わったのかライリアルが、キャロルたちに寄って来た。
「あら、お話は終わったの? 案外早かったわね。二世君は?」
何故かこちらに来たのはライリアルだけで、トーマスがいない。
広場を見回すと、手合せに参加しているのが見えた。
「魔法を使った戦い方を勉強したい、だと。二世は戦う必要ないと言ったんだが、ああいうところはトーマスにそっくりだ。遺伝というにはちょっと子孫過ぎると思うけど」
苦笑しながらもライリアルがトーマスを見る目は優しいようで、どこか寂しい。
マリアも同じ気持ちなのか何も言わなかった。
その日の夜の事だ。
食事は兵士に交じりながらだが、なかなか味わえない経験だった。
それ以上にライリアルは兵士たちに尊敬の眼差しで見られ、質問攻めにされる。
あまりにも新鮮な出来事で、ライリアルは感動さえ覚えた。
マリアに影響されたのか、ここがガンスとの国境を守っている危険な仕事だということから尊敬を向けられているのかはわからない。
「ライリアル様は、かつてマリア様と肩を並べて戦ったというのは本当ですか!」
キラキラとした瞳で見られるのはライリアルにとってくすぐったいことだ。
何故ならば、ライリアルは常に強すぎる力が原因で距離を置かれていたからだ。
親しく近寄って来たのは、しつこいアーノルドを除いても五本の指に余るぐらいだろう。
「賢者殿を質問攻めにしないの。食事の後、賢者殿はイノス殿に会いに行くんだから」
マリアが間に入ることで、ようやくライリアルは解放された。
「好奇心が強いのか、君の指導の賜物か……驚いたよ」
「ここの兵は国境沿いの村からの志願兵だからよ。きっと」
マリアはそう理由を答えて立ち上がる。
「さて、そろそろ行きましょ。イノス殿が『目覚める』わ」
「あれは、もしかして寝ているのか?」
「さあ? 意識はあるみたいだけど……」
ライリアルはキャロルたちに待っているように告げて立ち上がった。
「先生、俺も――」
立ち上がろうとしたトーマスをライリアルが制する。
「二世はここでキャロルの話し相手をしていてくれ」
「……はぁい」
がっくり肩を落とし、諦めるトーマスを置いてライリアルは外へ出る。
マリアも一緒に来るものだと思ったが、マリアは砦の入り口に立ち止まりライリアルを見送る姿勢だ。
砦のすぐ外には、昼間座り込んで動かなかった男が立ちあがって空を見ていた。
まだ月の上る時間ではない。星でも見ているのだろうかとライリアルは思った。
「……君が、ライリアルか」
イノスはそう呟いてから振り返る。
正面からこうして会ってみると昼間との存在感の違いに、昼間見た彼は何だったのかと訝しく思う。
「貴方が『月の眼』のオリジナル保持者、ですか」
「君たちが言う『月の眼』と、私の瞳は基本的に違うものだと言っておこう。これは元々私が生まれもった特殊性質だよ」
赤い瞳はほんのり明るく光り、落ち着いてライリアルを捉えていた。
「だが、『月の眼』保持者は因子だけを持っているのだろうね。それで、君は私に何を聞きたいというのかね?」
ライリアルは深呼吸をして、イノスに問いかける。
「貴方は『予言』をしたそうですね。その予言は必ず当たるものなのか、教えていただきたい」
ライリアルの問いに、イノスの口元に笑みが浮かぶ。
目も笑っているが、どこか人形が動いているような不気味さがあった。
「簡単に答えるとすると、『必ず当たる』だな。私が見ているのは連続した風景ではない。ただ一瞬の場面でしかないのだよ。だから、前後がどうあれその場面は必ず実現する。これで満足かね」
「それはこちらが何かを聞いて、それが実現するのかどうかという問いには答えられるものなのですか」
ライリアルが懸念してるのは、天使と魔法使いとの大戦が起こり得るのかという事だった。
もし、そうであるならばライリアルはこの国を守るために出陣しなくてはならない。
あの村で平和に暮らす魔法使いたちを率いて。
「それは内容にもよるものだ。言ってみるがいいさ」
「――ガンスとアゾードにおいて大戦が起きるのか……ということです」
イノスは問いを聞いて虚空に視線を彷徨わせた。
しばらく静寂に包まれた後、イノスは視線をライリアルに向けて頷いた。
「いつとは言えん。が、起きるだろうね」
ライリアルは次の問いを発せずに口をつぐんだ。
嘘だと断定することは簡単だ。しかし『月の眼』のオリジナル保持者が嘘を言う理由は一つもない。
「ああ、そうだ。ライリアルよ――もう一つだけ君には『予言』しておくとしよう」
考え込んでいたライリアルはイノスの言葉に意識を引き戻し、彼の言葉に耳を傾ける。
「近いうちに闇に牙を剥かれる。友人は大事にしておくことだ」
それだけを言ってイノスはライリアルに背を向けて、ぶらりと歩き出した。
「ああ、いい夜だ。こんな夜は出歩くに限る」
それっきりイノスは振り返らずに去って行ってしまった。
「今のが『予言』……?」
何を言われたのかさっぱりわからない。
だがイノスも一場面しか見れないと言った。
その場面を言葉にしただけなのだろうが、もっと詳細な状況を知りたい。
昼も夜も掴みどころのない何ともいえない人だとライリアルは感じた。
「お疲れさん。何か話聞けた?」
ライリアルが砦に戻ると、入り口で待っていたマリアが尋ねる。
「言いっぱなしで逃げられた気がするけど……饒舌な人だな」
「でも、こっちが明日天使が来るかっていう質問にはちゃんと答えてくれるから私は構わないんだけど」
ライリアルはマリアと共にキャロルたちの元へ歩きながらイノスに言われた事を考える。
友人と呼べる人はごくわずかだ。
かつてリトカの村にいた時に共に仕事をしていた同い年だった少年。
彼は村を飛び出して、今に至るまで再会ははしなかった。
そして、共に理想を掲げてアゾード建国に至った初代国王。
彼は国の為に自らの妻を守りとして残し、世界を巡っているという。
再び出会う時が来るというのだろうか。
それとも――。
ライリアルの脳裏にもう一つの可能性が浮かぶ。
いつの間にか日常に溶け込んで、今は隣にいる男。
今もこの旅についてきているアーノルドだ。
「まさか……まさかな」
ライリアルは気のせいだと首を振る。
彼にとってアーノルドの認識はまだまだ知人止まりなのであった。




