マリア・リトカ・ピエタ
その女性は艶やかに光る濃い茶色の髪をしていた。
革の鎧を着た細い体は、その細さに反して強い存在感を放っている。
「それにしても、あなたが一人じゃないなんて珍しいじゃない。あら……?」
女性はキャロルたちの方を見て目を丸くした。
全員を見て驚いたのではない。女性の視線はただ一人に注がれている。
「ん? あれ?」
きょとんとしたのは女性と目が合ったトーマスだった。
「ああ、二世か。トーマスにそっくりだろう? 次代の国王だ。二世、こちらがマリア・リトカ・ピエタ。またの名をマリア・リトカ・アゾードと言ってな。二世の遠いご先祖様だ」
ライリアルが手招きしてトーマスを呼ぶ。
トーマスはびっくりしたようにライリアルとマリアを見比べていたが、破顔して二人に歩み寄った。
「初めまして。トーマス・リトカ・アゾードです、お姉さん」
「こうしてみると、あの人の子どもの頃を思い出すわね」
マリアは声を立てて笑う。
ライリアルはキャロルとアーノルドも呼び寄せて、マリアに紹介した。
もっとも、アーノルドの事は故意に無視しようとしたライリアルだが、アーノルドには押し切られた。
「マリア様はライリアル様の古い知り合いなんですの?」
キャロルの口からそんな質問が出たのは、これほどライリアルに気安く接する『女性』を見たことがなかったからだった。
フォーレシアは親しみを持ってライリアルに接しているが、どこか線を引いて接しているように見える。
その線引きが彼女にはない。
「そうね、この国の建国時からだから、知り合ったのは古いわ。でも、私はどちらかと言うとトーマスのおまけみたいなものよ」
「トーマス様……建国王の?」
「そう。私は彼の幼馴染だったからね」
建国王を支えた三人の英雄が、国境の警戒に当たっていると聞いた話をキャロルは思い出した。
まさか、この女性がその英雄の一人なのだろうか。
「建国王と一緒にこの国を作った方ですのね……」
それはつまり、ライリアルとも共に戦った仲であり、親しいのも当然と言えた。
「ところで、マリア殿。さっきの天使を何故逃したんだ? 国境警備は君の任務だろう」
ライリアルはふと、思いだしマリアに疑問をぶつける。
「あのねえ、賢者殿。ここ、砦の結構近くなのよ。あなたが全力で戦うと砦に影響が出るから止めに来たんじゃない。相変わらず、天使に対しては容赦ないのね」
「う……それはすまない」
ここはまだ見渡す限り草原で、砦の影も見えないがライリアルが魔法を使うには、砦に近すぎるのだろう。
戦いの結果、草原には焼け焦げと、大地が抉れて出来た穴があちらこちらにある。
これでもまだライリアルがセーブして戦っているのだとしたら、全力で暴走するときにキャロルの魔法程度で止められるのだろうか。
「まあ、いいわ。しばらく彼は何もしないことが『予言』されてるから大丈夫でしょう」
「『予言』……?」
ライリアルは少し考えて、頷く。
「なるほど『月の眼』か」
「え?」
納得したライリアルに、トーマスが驚いて声を上げる。
キャロルも驚いた。それはトーマスに聞いていた王家に時々発動する魔法のようなものだったからだ。
「『月の眼』保持者がいるんですか?」
「聞くより、見た方が早いわ。行きましょう」
マリアはトーマスを見て微笑むと手を振った。
全員の身体がふんわりとわずかながら宙に浮く。
魔力だけでマリアを含めて宙に浮かすなんて、普通の魔法使いには考えられない魔法の使い方だ。
「ちょっと急ぐわね、ごめんなさい」
マリアがもう一度手を振ると、ものすごい勢いで景色が流れていく。
飛んでいるのに、飛んでいるとわからない。
風すらも、感じないことにキャロルは驚く。
つたない自分の魔法の知識では周りに結界が張られている、という事しかわからなかった。
「さて、到着っと」
徒歩だとどれぐらいかかるのかはわからないが、マリアの言う砦に到着した。
建築材として使った岩石の肌が見える飾らない建物だ。
外から見える窓も全て実戦を考えて造られたのだろう、とキャロルは思った。
「さて、こっちよ」
マリアは何故か建物の中には入らずに、脇へと手招きする。
「今日はこっちにいるのよ」
招かれるままに、ライリアルたちは砦の脇へと回った。
「これは……!」
「うそ……」
「マジで……?」
「……」
角から覗き込んだライリアルたちはそれぞれに言葉をつぐんだり声を上げた。
そこにいたのは美しい男だった。
十人中十人はその姿を見て美しいと言うだろう。だが、それは美術品を見るような評価だろう。
流れる髪は輝くばかりの銀色で、瞳は真っ赤。
何よりも特徴的なのは、その覇気のなさだった。
どこまでも気だるげな具合に、男は土の上に座り込み、汚い石の壁に背を預けている。
生気が溢れるマリアがその傍に立つから余計に、彼の覇気のなさが目立った。
「『月の眼』だ……」
トーマスは呆然と呟いた。
「何で、ずっとこのままなんだ……?」
「多分、だけど聞いてもらえるかな。二世君」
男はついっと来訪者たちに視線をやったがそれだけだ。
何も言わないし、それ以上動こうとしない。
「多分、あの人が『月の眼』のオリジナル保持者なのよ。夜になると急にしゃんとするし、『予言』をくれるのもその時よ。彼はイノス・リトカ・トランセンド。神代の時代には月の神と呼ばれていたリトカらしいわ」
ライリアルもマリアの言葉に息を呑んだ。
神代の時代の魔法使い。恐らくはライリアルよりも古い魔法使いの類だ。
「今は動かないのか?」
「そうなるわね。月の出ている時は余計に饒舌になるの。今日、あの天使が来ることは昨夜教えてもらったの。『予言』した内容は必ず当たるから、天使の襲撃には重宝してる。何か彼に聞きたいことがあったら夜にでも聞きなさいね」
ライリアルの質問にマリアは肩をすくめて答える。
「今日は多分もう通常通りの警戒でいいはずだし、何もないところだけどゆっくりしていってね」
マリアに泊まる場所として提供されたのは三人用の部屋だった。
「男連中はここでいいでしょ。キャロルさんは私の部屋に泊めるから。私と一緒で緊張しちゃったら言ってね」
恐らくはここに詰める兵士用の部屋だろう。
部屋の中も無駄な物は一切なく、壁には燭台と窓があるのみ。
ベッドも飾りもない質素な物が三つ、他にはサイドテーブルらしきものがあるだけ。
寝るためだけの部屋だった。
「私は構いませんが……」
キャロルがちらりとトーマスに視線をやった。
自分は贅沢は言わない。寝れるだけで十分だが、正真正銘の王族であるトーマスはどうなのだろう。
ここに来るまでの間は普通に宿に泊まったり野宿もしているのだが。
「ん? ああ、俺の事? 俺は全然大丈夫。これも勉強のうちだし」
「まあ、二世が我がままを言う性格なら、私も連れてきてはいないからな」
「うわっ……ライルの奴、辛辣……」
トーマスとライリアルの言葉にキャロルは何となく頷く。
「……ところで、ここって他に人っていないんですか? どなたとも会わなかったんですが……」
「他の人? 砦の外に行って警戒してる子とか、屋上で見張ってる子、中で訓練してる子とかいるわよ。後で見に行く?」
「あ、はい。お邪魔でなければ……」
キャロルは自分がどうして兵たちを見てみたいと思ったのかはわからない。
ただ、他の魔法使いというのを見てみたかったからかもしれない。
「私も見てみようか。二世も見るだろう? 社会勉強だ」
「はい、先生」
ライリアルとトーマスのやりとりを見てマリアはおかしくてたまらない、といった風に吹き出した。
「トーマスそっくりな二世君が、あなたに『先生』なんて言ってるのって……ごめんなさいね」
慌てて顔を引き締めたマリアだが、表情が奇妙なほどに歪んでしまっている。
目が楽しそうにキラキラして、爆笑寸前に見えた。
「あー……おかしかった」
しばらくして笑いの発作から逃れたマリアは、気を取り直したように先頭に立ちライリアルたちを砦の奥の広場まで案内した。
そこはほんの少し広い芝生で、何人かの鎧をまとった男女が剣を打ち合っているところだった。
「マリア様!」
マリアが広場に入ると、慌てたようにその場にいた兵たちが集まろうとするが、マリアはそのまま止める。
「私の方はいいから、訓練していて」
そしてマリアはこの場の指揮をしている一人の男の所へ向かった。
「マリア様。訓練城にいらっしゃるとは、いかがなされました?」
見た目でいうとマリアの倍以上、いかつい顔の男だが、表情には彼女に対しての敬意が見える。
「そうね……強いて言うなら王都からの視察かな。紹介するわ。こちらが、マイズ山の賢者ライリアル。そしてこの子が次期国王トーマス・リトカ・アゾード二世よ」
「お姉さんまで二世って……」
「仕方ないじゃない。私にとってトーマスは私の夫だもの」
トーマスが苦笑いで呟くと、マリアは至極当然の事を答える。
彼女は初代国王の王妃だった。そう考えると当然のことだった。
「これはこれは、ライリアル殿、トーマス殿下、この辺境の地までご足労いただき、ありがとうございます」
「あ、そんなに気にしないでください。俺も社会勉強のつもりでここまで来たんですから」
男が膝をつくのを見て、慌ててトーマスが言う。
ライリアルもなんとも言えない表情で笑っている。
キャロルはその意味が分からなくて首を傾げたが、アーノルドがこっそりキャロルに囁いた。
「ライルの奴、ああやって敬意を表されることがないから、戸惑ってんだよ」
「そうなんですの?」
「ああ。初代国王の王妃の傍にいるせいか、ライルを怖がってない。城の連中とは大違いだ」
王都では城の中でも、トーマスやリーフと一緒にあの塔の中にいたからキャロルは知らなかった。
そんなにもライリアルは恐れられる存在なのだと。
恐らくは、長い時間を生き続けた存在という事で同じ人間としては見られてないということだ。
「それか、国境警備という仕事の関係上、強い力を持つ者は恐れる存在じゃなく、頼れる存在だという事を知ってるんだろ」
ひそひそと小声で会話をするアーノルドとキャロルをよそに、男とライリアルたちの話は続く。
天使が目撃された回数や頻度を聞いているようだが、国境や天使の事があまりわからないキャロルにはピンとくる話ではない。
一方で、将来王冠を継ぐトーマスは熱心に話を聞いている。
「ちょっと賢者殿と二世とお話してて。私はこの子たちとお話してくるわ」
マリアは指揮官の男に言い、キャロルとアーノルドを少し離れた所に連れて行った。




